第25話 離宮

 ヴェインダルシュは、険しいノスキーラを難なく登っていく。

 後ろには余計な鎧を外したイチムラ以下二百騎が続く。

 途中にある離宮までは、荒れてはいるものの、何とか道がある。

 その先は獣道。イズナの下僕が頼りだ。

「もうじき離宮だ。そこから一度斥候に出る。イチムラ、お前も来い」

「はっ」

 離宮は石造りの平屋。

 広い敷地。庭園もあったようだ。四阿が見える。

 それでも二百騎には少し狭い。

「井戸を使えるようにさせておけ。二日はここで野営だ」

「はっ」

「建物も使って構わん。ただし、ここは初代様が晩年を過ごされた場所だ。そのつもりでな」

「は、はっ!」

 イチムラの部下が離宮に散る。

 庭園を見回す。片隅に小さな泉。

 下馬し、ヴェインダルシュに水を飲ませる。

「あまり飲み過ぎるなよ。まだ先がある」

 首筋を撫でる。「分かり切ったことを」とでも言うような目。

 鞍から水筒を外す。

 温い水を飲む。

「カモ様! ちょっとこちらへ!」

 イチムラが何やら呼んでいる。

「ちょっと行ってくる。ここで待っていてくれ」

 チラリと横目。鼻を鳴らす。

 返事があったようだ。

 ヴェインダルシュを泉に残し、離宮の建物へ。

 庭園に面したバルコニーへ上がる。

 初代様はここで庭を眺めていらしたのだろうか。

 朽ちかけた板戸が外され、中の様子が見える。

 内装は床も壁も天井も、石材が剝き出し。家具類は見当たらない。

 中に入る。

 獣などが入り込んでいる様子もない。

 定期的に清掃しているのだろうか。

「カモ様、こちらです」

 奥、寝室のようだ。石の寝台。

「どうした?」

「ご覧ください」

 イチムラが指示さししめしたのは壁。いや、壁に造り込まれた祭壇。

 何かの角か……、いや牙だ。

「これは……」

 大きい。二の腕ほどもあろうか。

「なんでしょう? 初代様の残された物ですよね?」

「そうだろう。恐らく渦の道の異形。触るなよ」

「ええええええっ! うわ、本当ですか?」

 イチムラが伸ばしかけた手を引く。

 祭壇の向こうは湖。白き山。

「断定はできんが、結界陣の一部やも知れぬ。皆にも絶対に触るなと、いや近寄るなと厳命しておけ」

「はっ。この部屋には立ち入らぬよう、厳命いたします!」

「それ以外の指示は出し終わったのか?」

「はい。もう出立できますよ」

 ……。

「では参るぞ」

「徒歩ですよね?」

「馬だ」

「ええっ!」

「お前は徒歩でノスキーラを越えて、徒歩で突撃するのだな。構わんぞ。馬の如く走れよ。期待している」

 身をひるがえし、部屋を出る。泉へ。

「ま、待ってくださいよ! 乗ります! 馬で行きます!」

 成長せんな。

 ヴェインダルシュの方がよっぽど大人。

 それでいて騎乗術は優れている。

 何ともちぐはぐなことよ。

「指示の最終確認を終えたら、庭園の隅にある泉へ来い。そこで待っている」

「はっ!」

 話せば騒がしいが、素早く移動するイチムラの足元で音はしない。

 吊り合わん。

 泉ではヴェインダルシュが森を見つめていた。

 一点を凝視したまま動かない。

「どうしたヴェインダルシュ。何かいるのか?」

 目を逸らさず鼻を鳴らす。足踏み。

 何かいる。

 ヴェインダルシュの視線の先。

 木々の合間から顔を出す巨岩。その上に雄鹿。なんと立派な角よ。

 ”駆ける矢”と”笑う鹿”が睨みあっているといったところか。

「ヴェイン、お友達か?」

 鹿から視線を外し、こちらを睨む。

「そんなわけないだろう、ということか」

 再び巨岩を見ると、雄鹿の姿はない。

 ヴェインダルシュが鼻を鳴らす。

「済まんな。邪魔をしたか」

 ”笑う鹿”は何と言ったか。

「ヴェイン、あの雄鹿はグロウルフィルと呼ぼう」

 応えはない。

 知っているさ、とでもいう態度。

 水筒を泉で満たし、鞍へ。

 イチムラが馬を曳いてくる。

「ヴェイン、行くぞ」

 騎乗。

 イチムラも慌てて騎乗。轡を並べる。

「どこから入ればいい?」

「は?」

『もっと北側でやす』

 ここまでほぼ真直ぐ、西に向かって登って来た。

 庭園は南を向いている。建物の裏手へ。

「は? あのカモ様?」

 イズナの下僕のことは知っていように。

「黙って着いてこい」

 馬を進める。

 木々の間。獣道。分かり辛いが、確かにある。

 一列でしか進めんな。

 腰から山刀を抜き、邪魔な枝葉を切り払う。

 足元の根に気を配りながら、登る。

 獣道から少しでも外れると脆い。

 だが、グロウルフィルに通れて、ヴェインに通れぬことはないだろう。

 またヴェインに通れるなら、他の馬でも乗り手次第で通れるはず。いや、通さねばならぬ。

『旦那、その辺りから右へ。山の北側へ回り込めやす』

「わかった」

 横方向へ意識して進む。

「イチムラ、その木に目印を付けろ。そう、その木だ」

「はっ」

 イチムラは騎乗のまま、木へ寄せる。足元の根を器用に跨ぐ。馬上から適当な高さの枝に、赤い端切れを巻き付ける。

「上手くなったな」

「えへへ、それほどでも」

 腕は信頼しているというのに、不安になる。

 暫く進むと、巨岩の並ぶ広場のような空間に出る。

『旦那、この先はずっと足場が悪い。野営するならここですぜ』

「わかった」

 暗くなってから、足場の悪い斜面を移動するのは危険だ。

「イチムラ、今日はここで野営だ。馬を降りて、周囲を探って来い」

「はっ。薪も拾ってきます」

「火は起こさん。万が一にも敵に知られれば、奇襲にならん」

「あ……、はい」

 イチムラが周囲を探っている間、明るいうちに寝床を用意する。

 巨岩の近く。腰ほどの高さ。木の間に太縄を二本張る。そこへ厚手の布を渡す。更にその上へ太縄を張る。

 布が寝床。上の太縄は、樹上から飛び掛かられないため。馬も上の太縄に繋ぐ。

「カモ様」

 イチムラが戻る。

「あちらの巨岩の上から、戦場が観えます」

「真かっ!」

 斜面に突き出る巨岩の上。

 眼下に戦場を一望することができた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る