第24話 駆ける矢

 領主館で真っ先に出向かたのはアレク。

「シュウ、シエラ様はご無事か?」

 一言目がこれか。

 今となっては、”シュウ”と呼ぶのはイズナとアレクくらいのもの。大鴉か守り刀としか、皆呼ばぬ。

 アレクのそういった気性を気に入っているのだろうか。どうにも憎めん。

 こちらは馬上。上目遣いに見上げるアレクは、怒られた犬のよう。

 独り寂しく待っていたのだろう。

「そんな顔をするな。我らが側にいて無事でないはずがなかろう」

 下馬。

「それより、新しい戦況なり、ジルの様子なりがわかれば教えろ。どうせお前のことだ。静かに座していたわけではあるまい?」

 館に残っている小者たちが騎士たちに駆け寄り、馬を預かる。

 出迎えの中にアイモーネの姿。

「アイモーネ殿。お主が留守居か?」

 苦笑い。

「ネフィウス様にしてやられました。領民への説明やら、物資輸送の手配やら、忙しくて敵いません。今度ばかりは仕方ありませんが。あの言われようでは……」

 拳を握り、震える。

「御屋形様、最後の戦。お側にあるは自分だと。あの方は最後まで御屋形様にお仕えするおつもりなのでしょう。私はお戻りになるお嬢様をお迎えしろと」

「そうか」

 ジルは恐らく戦場で死にたいと思っている。ネフィウスはそれに付き合う気で、後のことはアイモーネに託したわけか。

 無骨者の年寄りというのは、どうしてこう死にたがりなのか。

 小者に付き添われ、姫様が馬車を降りる。

「姫様がご出陣なさる。二代目の具足があると思うのだが……」

「シエラ様が戦場に?」

「前線にはお出しせんから安心せい。それに、西には大鴉の本体も向かっている」

 驚くアイモーネよりも厄介な奴が静かだ。

 聴こえていたと思うのだが。

「おい……」

 押し殺したような声。

 なるほど。怒りが頂点に達したか。

「それはまことか?」

「アレク……。それでもお前は留守番だ」

「ふざけるなっ!」

 少しは頭も冷えたと思っていたのだが、変わらんな。

「チェゼーナ侯爵側の大将はお主の兄だそうな。兄弟で剣を交えることもあるまい」

 西の後は南から、今度はアレクの父親がやってくる。王とともに。

「そんなに戦場に立ちたいなら、フラウデルテバへ行け。そちらの相手は王軍だ。シェザート老を知っているか?」

「知っている」

「お前には悪いと思うが、西は早々に片づける。その後、我らも南へ駆けつける。先に行っていろ」

 アレクの兄弟仲がどうかは知らん。

 これっぽっちも悪いなどとも思っていない。

 姫様の亡き夫はアレクの兄。恐らく目の前で死なれているだろう。

 もう一人の兄の死まで、目の当たりにすることはあるまい。

 父親は……そこまで考えてはやれん。

「シュウ……。王軍にはチェゼーナ侯爵家もおろうな?」

「王宮にもおったくらいだからな」

 チェゼーナ侯爵こそ首魁。王など飾りにすぎん。


 姫様の具足はすぐに見付かった。

 ネフィウスが用意しておいてくれたのだろう。

 火竜を縫い取った藍色の長衣。緋色の裏打ちがされた外套。

 獣皮に薄鉄を巻いた手甲と足甲。

「姫様、お見事な武者ぶりにございます」

 西棟。最初に姫様へお目通りした部屋。

 姫様は初代様の肖像画を見上げている。

「これはご先祖様が着ていらしたものなのね。あの有名な二代目様ね。カモ様の分もあるのではなくて?」

 照れ隠しでも、冗談を言う余裕がおありになる。

「そうですな。実はございます。これなる陣羽織。二代目守り刀の残したものにございます」

 裏に鎖を縫い込めた、ずっしりと思い緋色の陣羽織。金糸で火竜の炎が踊る。背中には青い大鴉。

 手に持っている。

「本陣ではイズナをお側に付けますので、これはあ奴に着せましょう」

「まあ、おズルいこと。でもそうですね。イズナがそれを着たところも見てみたいですね」

「お二人並んだ姿を見れば、さぞ士気も上がりましょう」

「何勝手なこと言ってんのさ」

 背後にイズナの気配が湧く。

「ここに二代目守り刀の具足一式。急ぎ支度せよ」

 振り返りもせずに言うと、漆黒の狩衣が横を通り過ぎた。

 姫様と並ぶ。

 やはり絵になるな。

「仕方ないから着てやるよ。で、アンタはどこいるってのさ?」

「ノスキーラから逆落としに前線へ飛び込む。大鴉の旗を掲げてな」

「イチムラにやらせるもんだと思っていれば……アンタばっかり楽しそうじゃないか」

 呆れ顔で溜息。

「その方が面白いだろ? 大体、戦とは勢いのあるほうが勝つのだ。まして時間も掛けれんしな。そのまま大将首まで行ってくるさ」

「じゃあ、アンタが飛び込んでくるまで、アタシとお姫様で気を引いておくかね」

「そうしてくれ。イチムラは到着したか?」

「今しがた」

 ノスキーラ越えは時間が掛かりそうだ。戦力が到着したのなら……。

「先に出る。姫様を任せたぞ」

「あいよ」

「姫様。戦場まで暫しお側を離れます」

「はい。ご武運を」

「はっ。それでは……御免」

 回廊に出る。

「イチムラはどこか?」

『北側の玄関前広場におりやすぜ』

「道案内はお前か?」

『何せ姉御から目を離すなと言われておりやすからねぇ』

「頼んだぞ」

 玄関を出ると、鎧武者が三騎。

 兜までは被っていないものの、朱拵えの派手な具足姿。

「イチムラ……」

「カモ様! ご指名頂き、光栄にございます!」

 呆れを滲ませたのだが、届いていないようだ。

「二百騎全て、その装いか?」

「はっ! これほどの栄誉。完全武装にて罷りこしてございます!」

 どうしたものか。

「険しい山越えと聞かなかったのか?」

「伺っております!」

「ならばその具足はなんだ?」

「いえ、しかし……乱戦になるのですよね?」

「何だ、鎧がなければ戦はできんか? その下には鎖帷子を着込んでおろうに。鎧は脱いで、ここに置いて行け。脱がぬ者は置いて行く」

「えぇぇ……」

 子供の頃と変わらんな、こやつは。

 腕は確かなのだがなあ。

「急げよ。すぐに出立する」

 言い残して馬小屋へ。

 すると意外な者が待っていた。

「アレク……」

 一際大きな黒駒を曳いている。

 長いたてがみまで漆黒に揺らめき、気性の荒さがうかがえる。

「シュウ、こいつに乗って行け。ヴェインダルシュ。これ以上の馬は中々おらん」

 既に軍装が施されている。鞍からは緋色の垂れ布。大鴉。

「お前にも軍馬は必要だろう?」

「俺ぐらいになれば、他に何頭でもおるわ」

 ヴェインダルシュ。

「駆ける矢……か。リョガン記の殺す人」

「こいつは蹴り殺し、噛み殺しもするぞ」

「お前のようだな。よく平和な国でこんな馬が育ったものだ」

「辺境はな、小競り合いが絶えぬのよ。中央の惰弱者とは住む世界も違う」

「そうだな。お前の剣は本物だ」

「抜かせ。あっさりと躱しよったくせに」

 自然と笑いあった。

 やはりこの男は嫌いになれん。

「なるべく早くフラウデルテバへ行く。その時は共に駆けようぞ」

「おう。シエラ様を頼む」

 拳を合わせる。

 黒駒へ跨る。

 品定めをしているな、こやつ。

「どうだ。良い馬だろう?」

 まだ走らせてもおらぬというに。

「雰囲気はあるな。俺を試す気でおるぞ、こやつは」

「振り落とされるなよ。シュウならば乗りこなせるだろうが」

「くっくっく……抜かせ。ヴェインダルシュは仮受ける。南で会おう」

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