第21話 迷水航路

 建物の間を通る水路の先。

 景色が開ける。暗闇に先が見通せぬほど広い。

 地底湖。大小の船が浮かぶ。

 水路より更に高い天井から建物へ、幾筋もの太縄が張り巡らされている。

 港に接岸。

「ここから少し歩いたところに、北行きの航路があります」

 身軽に船を降りた、ムハレに続く。

「サラーム宛てに伝令を出しました。ウルゴー山脈の手前で落ち合う手筈です」

「それは……来た時とは別の水路を通るということか?」

「そう……です。一本東寄りの水路を北上します」

 ムハレが一瞬言葉に詰まる。

「つい問うてしまうな。あい済まん」

「いえ、いいのです。いずれお分かりになることです。そうそう、この真上は何だと思われますか?」

「ん?」

 天井の高さは、地面より高いのではないか。すると、まさか……。

「王宮か!」

 ニヤリと笑うムハレ。

「王宮への隠し通路もございますよ」

 何のことはない。この国は、すでにパルティアの手に落ちている。

 王宮の下に港。王都の下には水路が張り巡らされ、街が広がっている。

「もう何も言うまいよ。ひとつだけ伝えておこう。この国との約定は失われた」

 ムハレの顔色が変わる。

「驚くことではあるまい。予想はついていたのであろう?」

「それでも、でございますよ。少なくとも私は聞いたことがない。約定を失うなどと……」

「前例はなくもないのだがな」

 石積みの太鼓橋をいくつも渡る。水際を進む。

 所々で松明が燃えている。

「あの天井から延びた縄は?」

「ああ、あの縄ですか。船を手繰り寄せたり、荷物を吊ったりと、色々使いますよ。身軽な船員は、縄伝いに移動しますね」

 夜だからか、静まり返っている港。昼間は活気があるのだろうか。地下でも昼夜を気にするのか。

 問いたい衝動が次から次へと湧き上がる。

 だが、止めておこう。

 知れば、それを使いたくなるのも人の常。知らなければ、そんなことを考えずに済むというもの。

 やがてムハレは、港に突き出た桟橋へ。

 やはり細長いが、先程より大きな船。形状も少し違う。

 違和感。

 前後が同じ形をしている。

 両方の船首に雄山羊の飾り。

「さあ、こちらです。この王都から北へ向かうには最速。フラウデルテバまで一日です」

「なんだと! 流れに逆らうというに、一日でウルゴーをも越えるのか!」

 ムハレが誇らしげに胸を張る。

「パルティアの民でも、乗ったものはそうおりません。これは本当に特別な船と航路。早速ご乗船頂きます。朝のうちに、サラームと合流できましょう」

 そう言いながらも、ムハレは気軽に船へ乗り込む。

「いやあ、私もこれに乗るのは初めてなのですよ。ささ、早く乗ってください。皆さまが着席されましたら、出航致しますよ」

 船底近くに床。船の大きさの割に広くはない。三人掛けのベンチが背中合せに五組。外を向いて座る。

 姫様を右舷の真ん中へ。両脇を侍女。

 背中合せにイズナと二人、腰掛ける。

 外は見えない。

 船員らしきものは五人。

 船首に一人。その脇に二人。船尾に二人。

 縄に掴まり、身を乗り出している。

 やがて、軽い衝撃とともに船が動き出す。

「姫様、不安もありましょうが、ご辛抱願います」

 イズナが振り向きつつ、姫様に囁く。

「大丈夫ですよ、イズナ。王宮でのやり取り、楽しかったのですよ。カモ様の言で、少し気が晴れました。カモ様とイズナを信じております。父上の元へ」

「シュウと私にお任せを」

 見上げれる。かなりの速度で景色が流れていく。

 ドンっと突き上げる振動。

 天井が近い。

 水路に入ったようだ。

 景色が近くなったからなのか、速度を上げたように感じる。

 船員をみれば、何をしている様子もない。

 船首では、ただしっと前方を見つめている。

 船尾も同じようなもの。

 いったい、どうやって船を動かしているのか。

 ムハレに問うたところで、決して教えてはくれぬだろう。

 途中、何度か天井に映る灯りの様子が変わる。

 脇道か、はたまた船着場か。

 何かに引き摺られるように、船は流れを上っていく。

 王都へ向かって来た時の比ではないほど揺れる。

 三人の騎士が青い顔をして、堪えている。

 意外にも、姫様と侍女に変わりはない。

「情けないぞ、シエラ様の御前で」

「くっ……」

「ジャンペール、無理を言うものではありません。当家で船に乗り慣れている騎士などおるものですか。まして、この船は特別。それでも駆足の馬車よりはマシというものですよ。酔ってしまったものも、今日一日だけ、我慢して下さいね」

「はっ」


 慣れとは恐ろしいもの。

 暫くすれば、殆どの者が眠っていた。

 食事も摂らず、空腹のまま、現と夢の間を彷徨う。

 いくら揺れようと、危険はなさそうだと、緊張が緩んだのだろう。

 王都での戦闘。

 騎士たちは、隊列を乱さず着いてきただけだ。

 実際に斬りむすんだのはイズナの下僕。

 それでも彼らは命懸けだった。

 腕に布を巻き、覚悟を以って臨んだ。

 緩むなとは言えまい。

 帰領に障害はなさそうだ。

 問題は西の領境。

 船からではイズナの下僕も使えない。

 情報が欲しい。

 合流するサラーム、その先のフラウデルテバ。

 チェゼーナ侯爵の兵は動いたのか。

 ジルは。

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