第12話 姫巫女
砦には侯爵の私室がある。
王都と所領を往き来する際には、必ずこの砦を通る。
領主館と変らぬ、華美でない、実用的な部屋。
剥き出しの石壁。
火竜をあしらったタペストリー。
座り心地は良いが、申し訳程度の装飾しかないソファ。
飾り花もないテーブル。
壁際のチェストは、その横に控える侍女に見劣りする。
さして広くない居間は、それだけでもう埋め尽くされてしまう。
夕食を終えてソファで寛ぐ姫様と、向かい合っている。
「姫――」
「――カモ様、どうして呼び方が変わったのですか? 守り刀は抜いて……抜けませんし、まだ、その……、自分の立場がよくわからないのです」
御伽噺……。
初めてお会いした時に、そう口にされていた。
「道中、イズナから何かお聞きになっていらっしゃますか?」
姫様の眉間に皺が寄る。
面倒ごとは御免だという目。
「いいえ。何も……。そういうことはカモ様からお聞きするようにと……」
一日お側に居ながら、話さなかったのか。
「そうですか。では、姫様とお呼びするようになった理由からお話しましょう」
簡単なことから。
まずは神域と姫巫女がこと。
関わる全てを話すには、あまりに複雑で、長い時が必要だろう。
「ファルネーゼ家の当主となった直系の女性を、我らは姫と呼びます」
「まだなれるかわかりません。チェゼーナ侯爵の権勢は陛下にも及んでいます。継承が許されるとは思えません」
落ち着いた表情。
現実を見据えて、尚王都に赴く覚悟のあらわれか。
はたまた、流れに身を任せているだけなのか。
果たして我が姫は、そのどちらであろう。
どちらにしても、やる事は変わらない。
姫巫女の血を守ること。
その役目を全うする。
「ご心配には及びません。この国の王は継承を認めるでしょう」
「なぜ認めると?」
「それしか道はないからです。この国の王家と我らとの間には、ファルネーゼ家とは別に約定があります故」
「古き約定を今の王家が守るとは限らないのでは?」
「守らねば、この国は一年と保ちますまい」
「え?」
姫様にとって不思議なことだろう。
少なくとも三百年、この国は他国から侵略をゆるしていない。
「姫さえご無事なら、この国がどうなろうと知ったことではありませんが」
「それはどういう意味ですか?」
「我らにとって、姫は既にファルネーゼ家当主。それは何人であろうと覆せぬことなのです。それが真実であると、王宮にてお分かりになるでしょう」
「教えてくれるのではないのですか?」
「百聞は一見に如かず。事実を目の当たりになされませ」
言葉を重ねたところで伝わらないだろう。
ご自分がどれほどの存在であられるのか。
「それより、白き山がこと、如何程ご存知でしょう?」
「伝承として聞いている程度です。その……、天の門は本当にあるのですか?」
口にするにも気恥かしいのだろう。
「無論」
「伝承は真実だと?」
戸惑い。
未だ信じられぬと。
「はい」
「……」
御伽噺が現実となる。
娘という歳ではない。
どれほど重く感じることか。
容易に受け入れられることではないだろう。
この国の裏側を知ることでもある。
「姫巫女はその……、天地の門を司ると……伝承にはそうありますね?」
「その通りです」
「私がその姫巫女だと?」
「なんと申しましょうか……。門の鍵はご存知でしょうか?」
「えっと……、小さい鍵と大きい鍵?」
「はい。姫がお持ちの、その懐剣が小さい鍵。この脇差が大きい鍵。鍵は巫女の血を引く姫にしか使えません」
「そ、それでは私は、その門を開けなければならないのですか?」
「いいえ」
「え?」
「前回門を開けたのは三百年ほど前。ファルネーゼ家二代姫様。それ以降の姫様は門を開けておりません」
「開けなくてよいと?」
「門が開いた時のことは伝わっておりませんか?」
「私は聞いたことがありません」
あれほどのことだ。まったく伝わっていないことはあるまい。
ただ、白き山と結びついていない、ということはありえるかも知れない。
「そうですか……。門の向こうには恐ろしいモノたちがおります。開ければ出てまいります。其れ等を抑えることは、生半なことではありません。抑えられなければ、この地だけでなく、そうですね、海の向こう辺りまでは滅ぶかも知れません」
「か、怪物がいるのですか?」
なんとも女性らしい反応ではないか。
貴族通しの争いより、よほど怖そうにしている。
「怪物……、そうですね。三百年前も多くの犠牲あって、漸く抑え込んだと伝わっています」
それだけの戦力がなければ開けられない。
門は開けたら、閉める。
「そうまでして、開ける必要があるのですか?」
「その必要に迫られぬことを祈っております。門を開ける時、姫様は巫女となります。お分かりになりましたでしょうか?」
「なんとなく……。ですが、それなら私は何をすればよいのですか?」
「何も」
「何の役目もないと?」
「はい。敢えて申し上げるなら、生きてください。姫の、姫としての最大限の自由をお守りすることが、私の、我が一族の役目にございます」
それくらいしか出来ない。
姫様は望んでその血を受け継いだわけではない。
その時が来れば、選択の余地もなく、巫女の役を果たす。
一人に背負わすにはあまりに重い役目。
だからせめて、それ以外の全てからお守りする。
それは天地の門を知る、全ての国家、民族の総意。
姫様がどんな人間だろうと、お守りすることに変わらない。
それが守り刀のお役目。
「全てを語るには、また全てをわかるには時間も掛かりましょう。まずは我らを信じて頂かねばなりません。そのためにも、必ずや王宮へお連れいたします」
そして、生きているジルの元へ連れ帰る。
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