第7話 侯爵の覚悟
アデルフリード侯爵一行は、二日後の深夜、帰領を果たした。
まずは侯爵の容態が問題だが、現当主として、やることはやってもらうしかない。
朝。
再び大紋に袖を通し、ネフィウスの案内で北棟二階、最も東寄りの部屋へ。侯爵の私室。
全体に大降りではあるものの、華美ではない家具。鎧と、壁に掛けられた武器の数々。飾りではない。
居間の中央にデンと据えた実用一辺倒なベンチ。全身いたるところに包帯を巻き、紅のガウンを羽織って、片手剣を研ぐ大柄な人物。アデルフリード侯爵、オッターヴィオ・ジョルジオーニ・ファルネーゼ。
白髪混じりの髪は短い。首を取られないという自信か。
険しい表情で研いでいた剣を見分すると、「ふむ」と頷いて力を抜いた。
「おい、次は戦斧を持ってこい。ん?」
従者に剣を渡すために顔を上げた侯爵が、私に気づき、続いてネフィウスを睨んだ。
跪き、目を伏せる。
「いや、大鴉殿。そのようなことをしてくれるな。散らかってはいるが、どうかそこへ掛けてくれ。駆け寄りたいところなのだが、ちと都合が悪くてな」
顔を上げると、痛みに引きつれた笑みを浮かべる侯爵と目が合った。
向かいには簡素な椅子。
「このような格好ですまぬな。首を垂れるならば、我らだ。今回も助けられた。礼を言う」
「それが役目にございますれば、礼には及びませぬ」
再び目を伏せる。
「大鴉殿……、座ってくれぬか。でなければ、ワシが立たねばならなくなる。年寄りを助けると思って頼む。おお、そうだ。朝食はお済か?」
「いえ」
「ならば、食べながら話すとしよう。ネフィウス、用意せよ」
「畏まりました」
椅子に座ると、目の前にテーブルが設えられ、テーブルクロスが掛けられる。侯爵はベンチから動かない。
朝食にしては重い食事が並び、銀杯には葡萄酒が注がれた。
「五日の間、碌なものを口にしておらんのでな」
侯爵は、早速杯を煽りつつ、冷えた獣肉の香草焼きを豪快に口へ放り込んでいく。
葡萄酒は断り、野菜を突く。
「大鴉殿」
「どうか、シュウとお呼びください」
「ならばワシのことはジルと」
「それはいけませぬ」
「紅の火竜と青き大鴉、上下があるなら、こちらが下になる。土地を貸してもらい、守ってもらっているのだからな。だが、許されるならば大鴉殿よ、友人として名を呼んではくれぬか?」
「いえ、ですが……」
「あの小僧のことは呼び捨てにして、ワシにはしてくれんと言うのか? 寂しいではないか。短い間だが、友人になってくれんかのう」
拗ねたように言うが、そういうことか。
そうだろうな。
先程から座ったままなのは、動かないのではない。
動けないのだろう。
床に臥せって、痛みに喘いでいておかしくないほどに、傷は深い。血も多く失っている。夜を徹した移動で、体力も相当消耗しているはず。
それでも泰然と座り、食事をしている。
何という胆力か。
「ああ、もう……わかりました」
降参だ。
満足気に頷くと、前置きもなく切り出された。
「早速だがシュウよ。シエラに家督を継がせる」
「ジル……」
「侯爵を継ぐかは、あの娘に任せよう。だが、どちらにしても王都へ行く必要がある」
当主となることと、爵位を継ぐことは別。
女性は爵位を相続し、夫や息子に譲るもの。
自ら侯爵となる女性は歴史を紐解いても、ごく僅か。
「チェゼーナの奴め、婿に出した息子が死んで、本性丸出しじゃな。どうしてもアデルフリードが欲しいとみえる。王まで誑し込みおって」
チェゼーナ侯爵は、次男にアデルフリード侯爵を名乗らせる腹積もりだったのだろう。
だが、病弱だったその次男は、結婚後間もなく死んでしまった。
「一度手に入りそうだと思えたもの。諦めがつかんのだろうな。元より手に入るはずもないというに」
ジルが食事の手を止めると、皿が下げられ、緑色の茶が供された。
気を使われたか。
郷の茶と比べると青臭いが、さっぱりとしている。
「王がチェゼーレに与していようと、義理は通さねばならん。侯爵ともなると、書類だけでは相続できんでな。王の許可がいる。シュウ、頼めるか?」
ジルがパイプに草を詰めると、従者が燃えさしで火を点けた。
この香りは……麻薬。
痛みを誤魔化しているのか。
「そんな顔をせずとも、シエラとお主が王都から戻るまで、戦もこの身体も保たせてみせよう。寧ろ片づけてしまわないようにすることが大変だわい」
顔に出たか。
煙を吐き出しながら、何でもないことのように言っているが、まさか……。
「ジル、戦場に立たれるおつもりか?」
「戦するのに、大将がおらんでどうする」
戦後の体裁か。
ジルが迎え撃ち、家督を継いだシエラが王都より帰還して討ち取る。
理想的ではあるが。
ジルが倒れれば、総崩れもあり得る。
「戦場にいようが、屋敷に篭ろうが、大した違いはない。命懸けるなら、戦場よ」
それならば覚悟に応えるしかない。
「友として……青き大鴉として、承った」
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