第6話 王都の変

 アレクは首筋に刃を当てられたまま、ゆっくりと腰を下ろす。

 今日だけでアレクの首には、二回も刃が当たっている。

 厄日だな。

「イズナ、もうよい。下がれ」

「は!」

 返事とともに、イズナが掻き消える。元から何も存在しなかったかのように。

 別に歩いて出て行っても良いと思うのだが。まあ、何かしら矜持でもあるのだろう。

 この部屋にいるものは皆、言葉を発することもできない。ただ茫然とするのみ。

 護衛と思しき者たちは必死に気配を探しているが、見付かるわけもない。

 突然湧き、突然消える。恐ろしかろうな。

 いつ殺されるかわからないとでも思っているのだろう。

 だが、防ぎようはあるのだ。あの技とて無敵ではない。

 湧いたようにだけ、消えたようにだけのこと。

 それよりもこの場だ。

 そろそろ正気に戻ってもらおう。

「ネフィウス殿。シエラ様に何かお飲み物を」

 アレクの前、イズナが居た空間を見つめたまま、ネフィウスは動かない。

「ネフィウス!」

「はっ……、はい」

 届いたようだ。

「シエラ様にお飲み物を」

「か、畏まりました。これ、しっかりせぬか。お嬢様にお茶を!」

 ネフィウスが大声で使用人を覚醒し、時間が動き出す。

「お酒を嗜まれるのなら、そのほうがよかろう」

「そ、そうでございますね。果実酒を用意させましょう」

「ネフィウス殿とサヴォイア卿にも必要なのではないかな?」

「そのようにございます」

 ネフィウスは額に汗を浮かべながら、肯定した。

 お茶の準備はしていたようだが、酒は取りに行ったのだろう。まもなく用意されるだろうが、間が持たん。

 堅苦しいのにも飽きて来たところだ。

 ゆっくりと立ち上がり、アレクの前に立つ。

「おい、アレク。お前はシエラ様のなんだ?」

 ギリギリと音がしそうなほどゆっくりと、アレクがこちらを向いた。

「睨むな。場を乱したのはお前だろう? 堅苦しいのは終わりだ。お前の立場がわからんと、この先の話ができん」

 シエラ殿とネフィウスが再度驚いた顔をしている。

 二人して口をパクパクさせなくてもよかろうに。

「刃を突き付けておいて、今更何を言うか?」

 アレクは絞り出すようにして、それだけ言った。

「武器に手を掛けたのはお前だ。まったく。先程まではそれなりに公式の場だったのだ。ぶち壊しおって。それよりお前の立場だ。義弟などと抜かすなよ」

「貴様、なぜそれを!」

 こいつは煽ると面白いな。すぐに燃え上がる。

「先触れでフルネームを聞かされて、わからぬはずがあるまい。亡くなったシエラ様がご夫君の弟殿。だが、義弟としてそこに居るわけではあるまい?」

 ソファ脇のテーブルに銀の酒杯が並んだ。

 ネフィウスがシエラ殿に供する。渡す方も、受け取る方も、まだ手が震えている。

 二つを取り、一つを座っているアレクに差し出す。

 アレクはこちらを睨んだまま、受け取らない。

「シエラ様の前では言い辛いか。まあ良い。ならば質問を変えよう。お前は自分の父親とシエラ様、どちら側の人間か?」

「どういう意味だ?」

「そのままだ」

 何も知らぬか……。

「お前の父親がファルネーゼ家と敵対した時、お前はどちらに着くのかと聞いている」

 お、また青筋が浮かんだ。わかりやすい奴だ。

「あり得ん! そんなことが起こるはずは……まさかっ!」

 忙しいな。

 左手の酒杯を一口煽って、もう一つを再度アレクに突き出す。

 アレクは奪うようにして酒杯を掴むと、一気に煽った。

「そんな……いや……」

「で、どっちだ?」

 呟くのを止めたアレクがまた睨む。

「聞き捨てなりません。どういうことですか?」

 シエラ殿が割り込んできた。

 気付の効果はあったようだ。立ち上がった。

 致し方あるまい。アレクがあちら側の人間ならば、その時は斬り捨てるか。

 シエラ殿に向き直る。

「シエラ様。守り刀がここに来る時、すなわち貴方様に災いある時にございます」

 跪く。

「災いとは?」

 頭上から、凛とした声が落ちる。

 素晴らしい。動揺の欠片も残っていない。

「三日前、王都の屋敷が襲撃され炎上。お父上は負傷されましたが、脱出に成功。生き残った者たちと、こちらに向かっております」

 返事はない。

 王都からは馬車で五日ほど。傷を負っていることを考えると、もう少し掛かるかもしれない。

「既に我らの手勢が合流致しております」

「それで……敵は?」

「は。表向きは盗賊野盗の類と。しかし、裏で手を引くはチェゼーナ侯爵家」

 ハッと息をのむ音が三つ。

「確かですか?」

 シエラ殿の声に振れはない。

「確かにございます」

「そうですか……。ネフィウス、父上がいつお戻りになっても良いように、受け入れの手配を。カモ様、父上の怪我の程度はわかりますか?」

 目の前での荒事は兎も角、上に立つ者としては優秀だ。

 先程までのお嬢様とは別人のようだ。ならば正直に。

「左脇腹と右腕に裂傷。左肩に矢傷。血止めはしておりますが、浅くは……」

「聞きましたね、ネフィウス? そのつもりで準備を」

「畏まりました」

 見事。

「他には?」

 なんと……。驚いた。

 そこまで落ち着いて対処できるか。

ありません。お父上のお戻りを待ちましょう」

 シエラ殿は頷いたのだろうか。伏しているのでわからない。音からすると、再びソファに座ったようだ。

 立ち上がり、アレクの前へ。

「チェゼーナ侯爵家の三男坊よ。立場をはっきりさせてもらおうか。考える猶予が欲しくば、アデルフリード侯爵領から出ろ。シエラ様が何と申されようとも、そこは譲れん」

 家を取るか、愛を取るか……そんなところだろう。

 敵対する家通し、悲劇の二人。私は二人の間を引き裂こうとする悪役だな。

「貴様の話、確かなのだろうな?」

「アレク。お前の信など不要」

 確証が欲しければ、自分で調べろと言っているのだが。

「だが、家に戻って確信を得たところで、その時には立場を選べんぞ。残ったろころで、戻ってきたアデルフリード侯爵からの信は得られまいがな」

 悪役にしては、お節介だったか。

 悪い男ではない。

 シエラ殿とアレクは話がしたいだろう。

 後のことは、侯爵が到着してからだな。

「シエラ様。お父上がお戻りになるまで、状況は動かないでしょう。それまで私は下がりましょう」

「カモ様……。感謝を」

 シエラ殿に礼を取り、退出する。

 ネフィウスに合図すると、従者が案内に着いた。

 腹が熱い。

 空きっ腹だった。何か食べねば。

 先程の件、イズナにまた怒られそうだ。

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