第5話 約定

 アレクにエスコートされて、シエラ殿がソファに座る。そのままアレクも隣の椅子へ。シエラ殿の左手を包み込んだままだ。

 そういうことか。

 アレクの見た目は二十代半ば。シエラ殿の方が若干年上に見える。

 ネフィウスに促されて、アレクの隣へ腰を下ろす。

「改めて申しましょう。ようお出で下さいました」

 懐剣を押し抱くシエラ殿が、会話の始まりを宣言する。貴族的な手順というやつだ。

「は。有難きお言葉。ご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます」

 椅子に座ったままなのが、何ともやりにくい。こちらでも跪いて言う台詞ではないのだろうか。違う文化圏での礼法というやつは、厄介極まりない。

「それで……」

 戸惑い。

「カモ様は私の守り刀ですの?」

 真直ぐな視線。

 チラリとアレクを見ると、探るような目つきで口を曳き結んでいる。

 さて。

 懐剣に目を移す。

 郷に伝わる姿と合致している。

 懐剣は金梨地火竜蒔絵合口短刀拵え。栗形に組紐はなし。流石に失われているか。全体の長さは一尺ほど。

「今はまだ。ですが、直にそうなりましょう」

「私がこの刀を抜いた時から?」

 焦れったい。

「抜ければ……にございます」

 この面倒なやり取りを、先代もしたのだろうか。

 お互いが同じ地図を見ながら会話しているのか、不安になる。

「どうやっても抜けなかったのです」

 シエラ殿がひとつ、溜息を吐いた。

「十五になった時、お爺様からその守り刀を頂きました。その折りに、いくつかの物語を語り聞かせて下さいました。湖と白き山の伝説。青き大鴉の一族。侯爵家に伝わる約定。そして守り刀のこと」

 成人の折に渡したのだろう。

「その守り刀が抜けた時、お前は当主になるだろうと言われました。女だてらに爵位を継ぐなどあり得ないこと。これは刀の形をした御守、それを信じさせるための御伽噺と、そう思っておりました」

 ふむ。

 地図を広げる頃合いか。

「では、僭越ながらお話させて頂きましょう。少し長い話になるやも知れませぬが、ご容赦を。


 今より千年の昔。青き大鴉、東より来たりて、白き山に至る。

 山の頂に門あり。

 雲の道は天界に至る。

 そこにあま照らす陽鏡あり。

 山の底にまた門あり。

 渦の道は地界に至る。

 そこに夜照らす静石あり。

 天地繋ぐ山、陰陽の理を以て守護せしこと、青き大鴉の詔」

 息を吐く。

「我一族が伝の一部にございます。遠き東の果てより、青き大鴉に導かれ、一族は彼の地に参りました。その時より千年、天地に至る道を守護しております」

「千年……」

「はい」

「ファルネーゼ家の歴史は五百年ほどです。それより前から……」

 この国の宗教では認められない歴史。

 シエラ殿やアレクには忌諱すべき事柄かもしれない。

「遥か昔より聖地として、様々な民族から崇められ、今も巡礼を受け入れております。五百年前、ファルネーゼ家の始祖、アウグスト・エミール・バルベリーニ様がご来訪なされました」

 勿論、手ぶらではない。武器を持って。

「そこで我が一族の姫と出会い、結ばれました」

 肖像画の姫だ。

「バルベリーニ様は湖の北側を保護くださることを約し、姫を娶られました。同道いたしましたのが、初代守り刀」

 そんな簡単な話ではないのだが、それはまた別のこと。

「姫が嫁ぐには条件がございました。それが約定にございます。

 ひとつ、神域の湖南側をファルネーゼ家が自由に開くことを許す。

 ひとつ、姫直系の血が続く限り、青き大鴉の一族はファルネーゼ家を守護する。

 ひとつ、姫が姫巫女として立った時、姫を当主とすること。

 ひとつ、姫或いは姫巫女に災いある時、守り刀を遣わしこれを守護する。

 ひとつ、遣わされた守り刀は姫或いは姫巫女を生涯において守護する。

 ひとつ、ファルネーゼ家当主は懐剣を保管し、姫を成人とみとめた時、約定とともに授ける。

 ひとつ、神域に災いもたらす者を敵とする。

 ひとつ、姫直系の血が途絶えた時、約定は失われる。

 ひとつ、約定が失伝せし時、約定は失われる。

 ひとつ、懐剣が失われた時、約定は失われる。

 ひとつ、神域に仇なす時、約定は失われる。

 以上、十一の約束を取り交わしてございます」

 先祖の取り交わした約定に縛られるのだから、その部分は可哀そうだが、姫巫女は血で継承されるのだから仕方ない。

「それでは、この侯爵領は大鴉の一族より賜ったような言い方ですね?」

 そこに引っ掛かったか。

 シエラ殿はわかりやすいくらいに、不満を露にしている。

 ここははっきりさせておこう。嫌われるかも知れないが。

「その通りにございます。ですが、与えたわけでも、授けたわけでも、お分けしたわけでもございません」

「どういう意味でしょう?」

 冷ややかだ。目が据わった。口角が若干上がっているが、これはこれは……。

 言い辛い。が、言わねばなるまい。

「お貸ししている……約定が失われれば、立ち退いて頂く。そのような条件で約定を交わした、ということにございます」

「なんだと?」

 椅子を蹴倒さん勢いで立ち上がり、切れたのはアレクだった。こめかみに青筋が浮かんでいる。

 獰猛な顔で睨まれると怖いな。

「所領は王より賜ったもの。どこの山里か知らんが、無礼であろう!」

 ほう、サーベルに手を掛けるか。

 だが坊ちゃん。君の知らない世界もあるのだよ。

「控えよ、サヴォイア卿。当主でもない辺境伯ごときが口を挿み、武器にまで手を掛けるか。卿はファルネーゼ家の者か? そのつるぎ抜けば、いくさになるとお分かりなのだろうな?」

「戦だと?」

 やはり坊ちゃんだ。正式な場において、感情でものを言う。跡取りではないな。駆け引きも何も、あったものではない。

「我は青き大鴉の紋を背負い、ここに在る。即ち、神域を代表せし者。この紋を背負った我に刃を向けるは、神域に害成すと同じ。神域を聖地とする国家、民族、部族、その全てを敵に回す覚悟があるなら、その剣、抜くが良い」

「なっ……」

 固まった、固まった。赤くなったり、青くなったり忙しいな。

「ファルネーゼ家だけでなく、五百年前、カラノス明賢王とも約定を交わしている。卿はその約定を知る資格はない。ただひとつ教えておこう。青き大鴉を背負いし守り刀、どのような場であろうと帯刀御免。例え王城であろうとな」

 ここまで言って引き下がれないようなら、ちとお灸をすえるか。

「お、王城で帯剣だと?」

 煽る。そして抜けるものなら、抜くがいい。無理だとは思うが。

「くどい! 下がりおろう! 剣に手を掛け、命あるだけでも有難いと思え」

「何を!」

 アレクはサーベルの柄を握ったその瞬間、動けなくなった。

 サーベルの柄頭を押さえられて、抜けない。目の前にイズナが首筋に短刀をあてている。ピクリとも動けないだろう。

「……っ!」

「シエラ様の御前でなければ、とうに死んでいるぞ。命惜しくば、大人しく座って、口を閉じていることだ」

 溜息をひとつ。

 猪武者め。

 ゆっくりと立ち上がり、アレクの前を通り過ぎる。シエラ殿の正面へ。

 跪く。

「見苦しき仕儀、ご容赦下さい」

 声を上げることも出来ず、ハラハラと見ているしかなかったシエラ殿は、この状況に動揺しているのだろう。ポカンと口を開けたまま、辛うじて頷く。

 さて、どうせなら、とことん嫌われておきますか。

 落ちるところまで落ちれば、もう下はない。

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