約定の守り刀

謡義太郎

第1話 賊

 湖の岸から獣道を抜けて街道に出たところで、正面から殺気を喰らってしまった。

 既に間合いの中。相手は殺気を放つと同時に踏み込んでいる。刀に手を伸ばしても間に合わない。

 右利き。上段から袈裟懸けに剣が振り下ろされる。前に出る。左へ。

 相手の右肩を抑えながらすれ違う。

 駆け抜ける。

 凄まじい踏み込みだった。

 左から後ろを覗き込んで、相手を確認する。革鎧、手甲、脛宛て、左のみ肩防具。剣の他に手にしている武器はなし。

 鯉口を切る。

 相手は右回りに無理矢理振り返って体が開いたまま、もう一度上段から袈裟に振り下ろした。届かない。剣は相手の左側。重心が捻じれている。逆袈裟に持ち上げながら、こちらに踏み出した。左肩が前。

 躱しざま重心を落として、左回りに反転する。低く。

 相手の右足が前に出て来る。これで上段から右へは振れない。

 左へ飛ぶ。

 真横に来たタイミングで回転しながら抜き打つ。切っ先を首筋へ。手ごたえがあった。鎧の立ち襟に刃が通る。浅い。

 回転しきり、相手に背を向けて着地。左へ。右手の刀を抱えるように左肩へ。右足を軸に振り返る。

 相手は背中を見せている。右手が首筋を押さえ、剣は左手。

 殺気が消えた。

 刀を納める。

「止めを」

「傷、は浅い。きち、んと止、血すれば死……ぬこ――あぁ……うんっ――死ぬことはない」

 久しぶりに喋ったので、声が上手く出ない。

「こちらは問答無用で襲い掛かった。まだ剣も手にしている。そんな相手を生かすと?」

「貴殿の剣は私に届かない。ならば害はない」

「なるほど」

「では」

 踏み込みが届かないほどの距離で、相手の背中側を抜けて立ち去ろうとする。

「どちらへ行かれる?」

 相手が振り返った。青い瞳。左頬に傷跡。耳にも切れ込みがある。

 殺気は感じないが、まだ剣を握っている。立ち止る。

「この道の先はアデルフリードしかない。俺を賊として捕えれば褒賞もあろう」

 賊などと言っているが、鎧の胸には紋章が焼き付けられている。

 エスカッシャン(盾部分)のこちらから見て左は火竜。アデルフリード侯爵、ファルネーゼ家の紋章。右は葉の繁る木。霊樹だろう。侯爵筋の貴族だ。上部にレイブル。長子であることを示す。五房ということは、当主の孫か。そんな身分の者がこんなところで一人、何をやっているのか。面倒なことだ。

「見ての通り、私はこの辺りの者ではない。法も知らない。街中ならいざ知らず、街道でのこと。目撃者も無ければ貴殿を捕える理がない」

「ならば止めを刺されよ。俺を放置すれば、また人を襲うかも知れんぞ?」

「この辺りの貴族は、気軽に街道で人を襲うのか?」

 相手は怪訝な表情を浮かべている。不可解なのは私の方だ。

 今度こそ、立ち去ろうと頭を下げる。

「では」

「いや、待たれよ」

 獣と違って、人は本当に面倒だ。

「俺はアレッサンドロ・バルロ。どちらからお出でか?」

 名乗られてしまった。返すしかない。

「シュウ。湖の向こう、白き山の麓」

「み、湖の向こう?」

 アレッサンドロが目を見開く。

「ま、まさか徒歩で?」

 歩く以外にどうすると言うのか。

「湖を渡る方法を私は知らない」

 常は静かな湖面も、中央付近に差し掛かれば、忽ち大渦が湧き、飲み込まれる。

「白き山と言ったが、あの山のことか?」

 湖の向こうに聳える山を見る。

「そう言った」

 アレッサンドロは剣を逆手に持ち替えると片膝を落とし、首に当てていた右手を握り、地に付けた。首筋に血が流れる。

「賊と思い打ちかかった。そのことを詫びたい。アデルフリードには我が屋敷がある。ぜひご同道を」

 右腕を伝って地が紅く染まる。やはり面倒事になった。仕方ない。

「斬った私が言うのも何だが、まずは傷の手当を」

 街道から獣道を戻り、湖に出る。

 鎧を脱がせ、傷口を洗う。長い金髪に血が絡んでいるが、見た目ほど傷は深くない。

「縫い針がない。蝋で我慢されよ。血は止まる」

 細く絞って巻き付けていた風呂敷から、蝋の容器を取り出す。薬草を練り込んだ琥珀色の蝋はペースト状で、動きのある部分の血止めには都合が良い。炎症を抑える葉を当てて、手ぬぐいを巻く。

「忝い。襲い掛かった相手の手当までしてくださるとは」

 まだ日は中天に差し掛かっていない。無理をすれば日暮れまでにアデルフリードへ辿り着けるだろう。

「俺のことはアレクと。最近この辺りで賊が出るというので、腕試しに成敗してくれようと思ったのだが、街道脇から突然現れたシュウ殿は賊ではなく、俺が成敗されてしまった」

 賊に間違われたか。それに腕試し。ならば仕方ない。

「なるほど。躊躇のない踏み込みに納得がいった」

「いや、躱されるとは思わなんだ。俺もまだまだだと思い知った」

「偶々私の方が速かっただけのこと。それに私は一歩目の踏み出しを誤っている」

 刀に手を伸ばすか考えた一瞬、右足から踏み出してしまった。前ではなく、右足を引くべきだった。そのままアレクの右肩を抑え込めば、話ぐらいできただろう。

「私の未熟さがアレク殿に怪我を負わせたとも言える」

「無傷で俺を抑えることができたと? これはいよいよ俺も修行が足らんということ。それにしても、その剣筋の鋭きこと。まさか鎧ごと斬られるとは」

 材質は獣の革だ。斬れないことはないだろう。

「立ち襟には心材も入っている。ここまでスッパリといかれると、鎧の意味がないな」

「鎧が無ければアレク殿は死んでいる」

「それもそうか」

 アレクはカカと笑いながら鎧を着けた。


 湖を右手に――木々に遮られていて、見えるわけではないが――並んで街道を歩く。

「シュウ殿は鎧を着ないのか?」

「速さを殺すような防具は着けない」

 力で闘うならば重さや堅さも必要になろう。だが斬ることに力は不要だ。思う通りに刀を振れる力が有れば良い。

「成る程。防御を捨ててこその剣筋というわけか」

 防御を捨てているわけではない。説明するのが面倒なので、頷いておく。

「ところで、アデルフリードへは何用で?」

「アデルフリード侯爵様が娘、シエラ殿を訪ねる」

 アレクの空気が変わる。

「シエラ殿と申されたか?」

「左様」

「ご用件を伺ってもよろしいか?」

 身内の、それも主筋となれば気になるか。

「それより、アレク殿が待っていた客人のようだ。今度は人違いではないだろう。いかが致す?」

「む、気配を読まれるか。俺には分からん。来る時には襲われなかったのだが」

「この先に潜んでいる。湖側に五。反対側に二」

 まず二人で足止めし、後ろに二人が出て来て、言うことを聞かないようなら側面から不意打ちというところだろう。この寂しい街道でご苦労なことだ。

「前後を取られると面倒だ。合図をしたら駆け抜ける」

 アレクの傷は応急処置だ。走り続けるのは無理として、相手をするなら固めてしまいたい。

「今」

 膝を抜いて一気に沈み込むと、低い姿勢のまま飛び出す。

 アレクは地面が抉れるほどの踏み込みを見せ、宛ら大砲から打ち出された砲弾のようだ。

 慌てて藪から飛び出して来た賊と思われる男たちを躱し、全ての気配を通り過ぎて振り返る。鯉口は既に切っているが、右手はまだ力を抜いている。左足を引いて、半身。

「やいっ! いつから気付いていやがった?」

 毛皮のベストを来た歯抜けの男が、右肩に剣を担いで進み出た。左足が前。

「賊と見受ける。取られるほど持ち合わせはない。このまま引かれよ」

 アレクが不満の声を上げようとするが、右手で制する。

 どうせ引く気はないだろう。

 道幅は四ひろ(大人が両手を広げた幅)ほど。賊は全員が藪から出て来た。相手は七人。先頭から一、四、二。

「私は向こう側へ抜ける。アレク殿はこちら側から頼む」

 アレクがニヤリと頷く。

「この人数だ。ごちゃごちゃ言ってねえで、身ぐるみ置いていきな!」

 喚く歯抜けの右側へ半身のまま飛び込む。巻き込むようにして背中合わせに。後ろへ意識がいった歯抜けに、正面から迫るアレクは見えていない。歯抜けの首が飛ぶ。

 目の前に吹き上がる血しぶきに驚く二列目中央二人の間を抜ける。そのまま間合いの外へ。左右の動きを確認しつつ振り返る。

 立っている賊は五人。アレクは歯抜けの首を右から薙ぎ払った勢いのまま、その左後ろにいた男の首の突いている。

 残った賊は、アレクの間合いから外れようと、散開する。

 湖側に三人。反対側に二人。

 アレクが湖側へ動く。無理をするものだ。

 三人の賊はアレクを囲むように広がる。

 こちらに近付いた一人の後ろを抜けざま抜刀。低く。剣先を左膝へ。次の男の正面へ抜ける。アレクから、こちらに向き直る。膝裏を斬った男が転がる。

 左前で右へ。

 湖と反対側の二人を見る。藪の中へ逃げ込もうとしている。

「ぎゃっ」

 左後ろから悲鳴。右に迂回しながら振り返る。

 こちらに気を取られた男が、アレクに右腕を叩き斬られている。

 逃げる二人は捨て置く。

 残った男は武器を捨て、両手を上げた。

 死んだ賊は二人。負傷で動けない者が二人。二人が逃げ、一人が無傷で降伏した。

 

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