傷だらけのGOD 極神島の秘密

吉田真一

第1話 修羅場

「美緒......」


妙子は恐る恐る声を掛けた。壊れ物を扱うような話し方だ。


「......」


美緒は聞こえていないのか? 

それとも無視しているのか?


理由は分からないが、貝のように押し黙っている。


「ねえ美緒......大丈夫?」


美緒の視線を気にしながら、覗き込むように横から加奈子が再び声を掛けた。


「うん......大丈夫......多分」


「もう絶対変な気起こさないでね。大丈夫だよね?」


『斉田雄二通夜会場』と書かれた受付の列に並ぶ三人の年若き女性。


この世の終わり......

三人は揃ってそんな表情を浮かべていた。加奈子は美緒に声を掛けながら、徐に視線を下に落とす。


9月初旬ともなれば、未だじっとしていても汗が滲み出て来る季節。にも関わらず美緒は、ワンピースの上に黒のカーディガンの装い。

袖の下には、僅かではあるが手首に巻かれた包帯が見え隠れしているでは無いか。

見まいとしても目がそこに行ってしまう。実に痛々しい。


「もう変な気起こさないでね」


その問い掛けに対し、美緒の反応は再び無言。しかも俯き加減で前を見ようともしない。

それからというもの、二人が何を話し掛けても美緒は全く無反応。植物に成り切る事を決めたようだ。


少し放っておこう......


誰にでも話したく無い時はある。そんな時は無理に話し掛けても逆効果だ。

友人の二人は互いにアイコンタクトを取り、美緒と一緒に植物になる事を決めた。


「ちょっと、斉田雄二さんてカメラマンだったらしいわよ」


会話の無くなった三人の耳には、いやがおうにも他人の会話が耳に入ってくる。


「カメラマンって、一時期流行った戦場カメラマンってやつか?」


3人のすぐ後ろに並ぶ初老の夫婦の声だ。


「そりゃあどうか知らないけど......とにかくまだ若かったみたいよ。確か二十八歳と

か」


「二十八歳かぁ、そりゃ若いな」


「何でその若さで自殺なんかするかねえ。勿体ない話だわ。命を粗末にしちゃいけないわよね」


「おいっ! いい加減にしろ。誰が聞いてるか分かんねだろ。自殺とか滅多なこと言うもんじゃねえぞ!」


「間違い無いって。みんなそう言ってるわよ!」


二人は興奮して声が大きくなっていることに全く気付いていない。

列に並んでいる人達は半ば呆れ顔であったが、誰も二人の話に反論する者はいなかった。

斉田雄二が自殺したという噂は誰もが耳にしていた。


「!!!」


美緒はその時、突然視線を上げた。

友人の二人から何を話し掛けられても全く反応を示さなかった美緒が、この『自殺』という言葉が耳に入った瞬間、明らかな反応を示した。


「なっ、なに? なにが起こったの?!」


突然の美緒の反応に面食らう友人の二人。慌てて美緒の顔を覗き込む。


すると......

顔からは血の気が引き、裂けんばかりに見開かれたその目は、明らかに常人のそれとは違っていた。


「私......何で......こんな所に......来てるんだろう。雄二さん死んでないのに......あっ! 雄二さんだ!」


美緒はそう言い終わるや否や、突然物凄い勢いで走り出す。


走り出したその先にあるもの......

それは上階に通じる階段だった。


あまりに唐突すぎる美緒の行動に、二人の友人はどうする事も出来ず、思わずあんぐり顔。一瞬時が止まる。

そしていち早く我に返ったのは妙子だった。のんびりフリーズしている場合じゃ無い!


「ちょっ、ちょっと待って!」


走り行く美緒にそう叫ぶも、止まる気配は全く無い。階段に到達する手前では、不運にもたまたま通り掛かった男が美緒に突き飛ばされた。


ドスン! 「うわぁ!」


男はそのまま壁に激突。不運にも程がある。もしかしたらこれが、何かの腐れ縁の始まりだったのかも知れない。

しかし美緒はそんな事には目もくれず、更に勢いを増して階段を駆け上がって行った。


「雄二さん待って! ねぇ、待って!」


美緒の先には勿論誰も居ない。彼女にだけは見えているのだろうか?


きっとまたやる!......


妙子は直観でそう思った。

二日前、雄二が亡くなったという一報が届いたその夜、美緒はリストカットをしている。

その時も直前に雄二の名前を叫んでいたという話を居合わせていた人から聞いていた。


止めなければ!


妙子は持っていたバッグを投げ捨て、美緒の後を追って階段を駆け上がった。加奈子も血相を変えてそれに続く。


「誰か止めて! お願いだから彼女を止めて!」


助けを求めたところで美緒の駆け上がる先には誰も居ない。


階段を上りきったらどこに出る?

屋上! 飛び降りる!

ヤバい! ヤ、ヤ、ヤバ過ぎる!


妙子も加奈子も正に顔面蒼白だ。



一方屋上では、従業員二人が缶コーヒーを片手に喫煙を楽しんでいた。

一人は四十代前半。体は大きく、頭は丸坊主。左手に新聞を畳んで持ち、右手の中指と人差し指でタバコを挟んでいる。


「何か最近関西の方じゃ誘拐事件が多いみたいだな」


「そうなんですか?」


もう一人の作業員が聞き返す。年の頃は三十代前半。細身の体系だ。


「厳密に言うと、誘拐事件かどうかは分からなくて、突然失踪するらしい。

昨日も岡山で奥さんタバコ買って来るって家の前のタバコの自動販売機行ってそれっきりだとさ」


「うちら東京で良かったですね」


「まぁうちらは大丈夫だけどな。貧乏人だから誘拐したって何も出んからな。しかも大食いだから食物代で足が出るぞ。ハッハッハッ」


「そりゃそうですね。うちら人の二倍は食べますからね。そうそう、そんな事より宮ちゃん辞めちゃったらしいですよ」


「宮ちゃんって......あの花屋の宮ちゃんの事か?」


「そうですよ。土日に献花用の花を届けに来てくれてたあの宮ちゃんですよ」


「本当かよ? 何か張り合い無くなっちゃうなぁ。土日なんか働きたくないけど、宮ちゃん来るから頑張ってたようなもんだからな。何かがっかりだ。 そう......辞めちゃったの......」


坊主の作業員は肩を撫で下ろし、見るからに落胆の表情を見せた。よっぽどショックだったのだろう。

そして丸坊主の作業員は内ポケットから一枚の名刺を取り出した。


『フラワーショップ野ばら 宮田恵子』


チューリップの花が描かれた可愛らしい名刺にはそう書かれていた。

細身の作業員は首を長くして、その名刺を覗き込んだ。


「ちゃっかり大事に持ってたんですね」


「当たり前だろ。俺達みたいな無骨者と、何の気兼ねも無く、しゃべってくれてたんだ。ベッピンさんだったしな」


「確かにいつも笑顔で可愛かったですよね。とにかく花が好きな子でしたね」


細身の作業員はフウっとタバコの煙を吐いた。


「何かお前変な事やったんじゃ無いのか?」


「やる訳無いじゃないですか。先輩こそ告ったりしてないですよね?」


「告るかアホ!」


丸坊主の作業員が細身の作業員の頭をパシっと叩いたその時だった。

何か下の方から、女性の妙な叫び声が聞こえてくる。

そうかと思えば、今度は物凄い勢いで階段を駆け上がって来る音が聞こえ始めてきた。


「なっ、なんだ?」


「なんでしょう?」


駆け上がる足音と女性の叫び声が入り混じり、それがどんどん近づいてくるではないか。


「おい来るぞ!」


二人は咄嗟に身構えた。

すると若い女性が「雄二さん! 雄二さん!」と叫び続けながら、階段を駆け上がって来る姿が肉眼で確認出来た。

その若い女性は、一瞬上方にいるこの作業員達に視線を向けたが、怯む事無く突進して来た。

そして女性が近づくにつれて顔が見えて来る。


「えっ、宮ちゃん?」


二人はほぼ同時にそう叫ぶと、お互いに顔を見合わせた。

迫り来るその女性は、まるで赤い布を目掛けて突き進む闘牛のようにも見える。

従業員達は威に圧倒され、反射的に道を開けてしまう。

その時、階段の下からは、更にまた別の女性二人が、追うようにして階段を駆け上がって来た。そして従業員に向かって下から大声を張り上げる。


「ちょっと見てないであの娘止めてよ! 飛び降りちゃう! 大変!」


そんな事急に言われても、思考がついていかない。従業員達はただ呆然。


一体何が起きてるんだ?......


よくよく見ると、その女性はわき目も触れず、まっしぐらに柵の方へと突っ走って行くではないか。怯む様子は全く無い。


このまま柵を飛び越えたらどうなる?

引力に任せて地上に真っ逆さまに転落。

間違い無く、即死だ!


自殺!


二人は即座に我に返った。

自殺しようとする人間が知り合いであろうが無かろうが、目の前でそんな事されては、一生トラウマになる。不眠症になるのも御免だ。


二人は意を決して猛ダッシュ!

間に合ってくれ!......


女性は柵に足を掛け、体の重心を柵の外へと移動しようとしたその時だった。


えいっ!

てやぁ!


作業員達は間一髪追い付き、女性の足に飛び付く。

女性はその手を振り払おうと、足をバタつかせ必死の抵抗。


「放して! お願いだから死なせて!」


正に半狂乱......魔物に憑りつかれたその表情は鬼気迫るものがあった。

一方作業員はと言うと、放せと言われて「はい。分かりました」と簡単には引き下がれない。


一人はしっかりと足を掴んだまま。

もう一人は女性の服を鷲掴みにし、力任せに柵の内側へと引っ張り込んだ。


「落ち着け! 落ち着けって!」


激しい抵抗は見せるが、男の腕力に敵うわけもない。

やがてずるずると引っ張られ、作業員を巻き込んだまま柵の内側の地面に転がった。


そこに遅ればせながら妙子と加奈子が到着。

皆息が上がっている。


ハア、ハア、ハア......


「痛い......」


作業員は地面に強く腰を打ち付け、痛みに顔が歪む。しかし掴んだ手は意地でも離さない。


一方美緒はというと......


唇は紫色に変色し、額から溢れ出る脂汗は前髪を伝い、手の甲へと垂れ落ちていた。

うつ伏せに倒れ込んだその体は、痙攣しているかのようにブルブルと震え、大きく見開かれたその目は光を失っていた。


始めに声を発したのは加奈子。


「美緒! もう止めて。こんな事しないで!」


「生きていてもしょうがないの私。だって雄二さんもう居ないんだもの......もう会えないんだもの」


「美緒......」


泣き崩れる友人を救いたくても、その手立てが見付からない......

声を掛けてあげたくても、言葉が出てこない......


妙子と加奈子は、無言のまま美緒の肩を抱き起こし、汚れた美緒の服を優しくパンパンと叩いた。


「美緒......さあ行こう。もう帰ろう」


「うん......」 蚊の鳴くような声だ。


美緒は二人に両側から支えられながら、立ち上がる。

柵から転げ落ちた時に出来た傷なのだろう。右ひざはストッキングが破れ、血がにじみ出ていた。


加奈子はポケットからハンカチを取り出し、傷口を優しく包み込む。見るからに痛々しい。


「あり......が......とう」


「どういたしまして」


それまでは気付かなかったが、修羅場と化した屋上は、いつの間にやら野次馬で人だかりが出来ていた。

あれだけの大声を張り上げながら屋上へと駆け上がって行けば、何事かと人が集まるのも無理は無い。


「もう大丈夫ですから。何でもないですから!」

と少し強い口調。


見世物じゃないわよ!......そう言いたい気持ちだ。


やがて三人は無言のまま野次馬達をかき分けながら、とぼとぼと塔屋の中へと消えていった。


「飛び降りないで良かったね」


などと言葉では発していても、何か物足りなさを隠しきれない野次馬衆。

心の中では「なんだ未遂で終わりか」......そんな風に思っているに違いない。悲しい話ではあるが......


役者が居なくなった舞台に居残る客は居なかった。

三々五々、野次馬衆は美緒達を追うように階段を下りて行く。

野次馬衆が居なくなった屋上は、先程までの騒ぎが嘘のよう。静寂が広がっていた。


「もしかして今の宮ちゃんじゃないか?」


「確かに似てましたけど......髪型も髪の毛の色も違うし、何か雰囲気も違う気がします」


「まあそうだよな。抑え込んだ時、顔見えなかったし。そもそもこんな所に居る訳無いよな」


「そうですよ ね。何うちらも年取りましたね。ハッ、ハッ、ハッ」


「おう。そろそろ仕事に戻るか」


「そうですね」


美緒が階段を駆け上がっていた時......


もしかしたら『死神』が憑りついていたのかも知れない。もっとも人の目に映るような事は無かっただろうが......

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