第3話 新しい現実
失意の中にある僕を見て、気をつかってか警察の男は僕に尋ねた。
「そういえば、君の名前はなんていうんだ?」
その問いに僕は本当の名を言っていいものかどうか悩み、やはり偽名を使うことに決める。
「僕はただのイグニスです」
その答えが期待とは違っていたのか、警察の表情は曇っていた。いや、曇っていたというよりも不振な顔をしているといったほうがいいだろう。
「あの、僕何かおかしなこと言いましたか?」
僕の質問に対し、警察の男はゆっくりと静かに口を開いた。
「ただのイグニス……?」
これは何かまずったかな? だけどこっちの常識なんて知らないからな……
ひとまず軽く探ってみるか
「僕は商人の家柄なので、苗字なんて大袈裟なものは持っていません。だから、ただのイグニスなんですよ」
僕がそう言いきるや否や、警察の疑いの目は珍妙なものを見る目に変化する。
「君は平安時代の人なのかな? いや、それとも未開の地から来たのかな?」
そうあざ笑う。もう一人の警察もつられて笑っているから恐らく馬鹿にされていることだけはこんな僕にも分かった。
しかし、転生して別の世界から来たなどとばかげたことを話せるはずも無く、適当に誤魔化すほか無いだろう。
「すみません。自分が誰かということ意外なにも思い出せないんです…………」
警察は重いため息を吐いた。
「本当に君のような外人にはほとほと困らせられるばかりだよ……」
僕には彼の言う『困る』の真意が読み取れなかった。それは結局のところ彼にしかわからないことなのだろう。だがそれも、彼が続ける言葉で理解できた。
「密入国者や違法滞在者は、強制送還されないように誰もが記憶喪失や言語の壁について騙る。そしてそのほとんどが素性を隠したがる。きっと君もそうなんじゃないか……」
彼はどうやら、僕が言葉を話せないフリをしていたと思っているようだ。そりゃ、僕も突然しゃべれるようになった意味も分からないし、同じ状況ならそんなやつ疑わないほうがむずかしいだろう。
僕は誤魔化しに誤魔化しを重ねる。
「……あの時は気が動転していたんです! 話そうにもはなせなかっただけです。それにあなたの声は変に聞こえるし…………」
彼は僕の嘘に気がついているのかこちらを睨みつけている。
その威圧感から僕は言葉を吐くことが出来なかった。
黙り込んだ僕をみて、彼はため息をついて話し始めた。
「まあ、君が密入国者だろうがどうでもいいんだけどな……。ただ聞きたいことがあっただけなんだけどな…………」
それだけ言うと再び黙り込んだ。
そんな空気に僕はすぐに耐え切れなくなる。
「これから僕は一体どうなるんですか?」
僕の言葉を聞いた警察がふと我に返ったようにこちらを見直し、もはやどうでもいいという風に呟いた。
「別にどうもしないよ……君は今話題のシリアルキラーとは関係なさそうだし……どうしたものかな…………」
そういう彼の言葉には何か隠されている秘密があるような、言い様のない違和感がある。そしてあえて触れていないようにしている気がした。
「つまり僕はシリアルキラー? と疑われていたんですね?」
「悪いが、気を悪くしないでもらいたい……だが、まあそう言うことだな」
彼は口先では謝っているものの、態度は非常に悪い。とても気の抜けた言葉で続けて言う。
「そもそも、犯人は日本語がわからない外国人。それも黒人だからな……」
……………………ちょっと待て、黒人だと? 俺は白人だよな?
思わず神妙な顔をしてしまう。
それを見て爆笑する警察二人組み。もはや訳が分からない。
「冗談だよ。犯人は白人、それも君と同じ金髪で眼の色も調度君と同じ青だ。そのうえ、君のように汚い服を着ている男だ……そうなれば君を疑うのは当然だろ?」
なるほど……それはもう疑うよちもないだろう。
彼らが僕を拘束した理由もよく分かった。
それから、僕の疑いは晴れたようで部屋を出て、ずっと取り調べをしていた警察と二人で色々話しあった。まあ、話し合ったというよりかは、一方的に話されたというほうが正しいだろうが……
警察は火山と名乗った。警察暦20年のベテランだとか何とか、正直僕にしてみればどうでもいいことばかりだ。
だが、今思えばこの時間は幸せな時間だったのだろう。
建物を追い出されてからの僕は、絶望的な状況だった。
その場で立ち尽くし考えて考え抜いても、どうすればいいか分からない。何より右も左も分からない世界だ。
これでお腹の虫がなり始めた時には死を覚悟するのは当然だろう。
だが、もう二度と情け無い死に方はごめんだ。だからこそ当てもなく歩きだすしかなかった。
少し歩いてわかったことだが、この国の治安はとてもいいらしい。
僕の国では日常茶飯事だった盗みも、よく目の当たりにした殺人もここにはないし、何よりも、路地裏に死体が転がっているなんてこともない。
不思議なのは、魔法を使用した痕跡が一切無いということだろうか……それなのに街は明るいし、そこら中に水があふれ、気持ちのよい風が吹いている。
――――まさか、僕にも感じられないほど精巧な魔法使いばかりなのだろうか?
いや、そんなわけがない。
どういうことなのか全く見当もつかないが、それよりも重要なことは腹が減って死にそうなことだ。
どうやって食料を調達するかも分からない。
そんな悩みは生まれてこの方初めてだ。なんやかんやで僕は商人の息子だったから、金には困らなかったし、騎士として働くようになってからは血税から食費も出ていた。
だからこそ狩なんかもしたこと無いし、この街に狩が出来そうな場所もない。
だが、言葉は通じるのだ。ならやりようはあるだろう。
今となってはそれだけが救いようのない僕の新しい現実の中で、唯一といっていいほどのスキルとなってしまった。
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