第155話 シュベルト

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 それは、突然の事だった。

 それまでの自身は、何事にも惑わされず、何者にも臆する事がない、そう思っていた。ただ唯一畏怖する存在である魔王への忠誠心だけが、楔となり冷徹な外見を留めるよう取り繕っていた。


「シュベルト、今日は我が妻となる者が参る予定だ。お主にも紹介しよう」


「はっ、かしこまりました魔王様。それでは御迎えする準備を致しましょう」


 前もって伝えてくれれば良いものを……

 シュベルトは、軽い苛立ちを覚えたがそれを顔に出す事は無かった。魔王とはそう言うものだとわきまえていたからだ。


 溜息を吐きながらも周りの従者達に魔王の妻となる方への失礼が無いように細かな指示を投げる。


 ようやく迎えの準備が整ったと同時にその人は、姿を現した。


「ただいま、ミレシア様がお付きになられました」


 従者のひとりが、いささか緊張感の伴う声で高らかに報告をする。


「ふん、どうせ魔王様の権威や財力を当てにする下賎な者に違いない……」そう呟いたシュベルトだったが、彼女が、広間に姿を現した瞬間彼の時は止まった。


 美しい銀髪は、編み込まれ上で束ねられており、涼やかな目元は謎めいた光を帯びていた。


 魔族でも一際ブライドの高いシュベルトが、目を見開いた己が状況気が付くのに暫くの時を要した。

 かき消すように言葉を取り繕う。


「ミレシア様、魔王城へようこそ」


 それに対してミレシアは、口元に薄らと笑みを浮かべて謝辞を述べた。


「手間を掛けるわね。でも気を使わないで」


 見透かされるようなミレシアの言葉にシュベルトは、慌てて言葉を返す。


「いえいえ、とんでもございません。心よりご歓迎申し上げます」


 シュベルトにとってそれは、我ながら無能の返答そのものであったが、それ程、自分に余裕が無かったのだ。

 一目見た瞬間、シュベルトは、彼女に心奪われていたのだった。


 せめて動揺が伝わらぬようシュベルトは、襟を正し平静を務めた。


 軽く笑みを浮かべるミレシアに見透かされるような感覚を覚える。それすらも伝える手段のないシュベルトにとっては不快では無かった。


 その日を境にミレシアは、何度か魔王城を訪れては魔王との面会を繰り返す。


 日毎に募るシュベルトの想いは、いつしか羨みを超えて憎しみに変わった。


 魔王様さえいなければ……


 頭で描いていた妄想は、現実へと変わり魔王への忠誠心は次第に隅へと追いやられた。


 魔王がミレシアを妃に迎え、子を成した際にシュベルトの感情は、堰を切ったように溢れ出し妄想を計画へと変える。


 少しづつ画策して広げて来た派閥は、一向に人間界に攻め入らぬ魔王に対して不満を抱いていた武闘派が中心になった。シュベルトの囁きはその者達にとって魅力的に思えたのだ。


「我ら魔族が、人間どもを掌握すべきだ! その為に障害となる腰抜けを排除せねばならん!」


「そうだ! 魔王こそが腰抜けだ! 魔王を殺せっ!」


 沸き立つ武闘派達にシュベルトは、ひとりほくそ笑んだ。


 しかし魔王の護衛を司る側近には優秀な者が多い、特にドルフィーナという女は、頭も良く戦闘力も高い。易々と魔王の首を取らせてはくれないだろう。そう考えたシュベルトは、ある計画を実行に移すことにした。


 ーーーー魔王の娘を探せーーーー


 当初、シュベルトは2人いる魔王の娘達を人質にと考えていた。魔王を揺るがす交渉の切り札それが計画の目的であったのだが、部下の魔族達は所詮脳筋の武闘派、いつしかシュベルトの指示は『魔王の娘を殺せ』とすり替わっていたのだ。


 魔王の娘であるメルの母親の命を奪うという悲しい結末を迎えたこの企みは、意図した訳でもなくシュベルトに僥倖をもたらした。


「明日やる」が、今やってますになったのだから。


 もう後には引けない。


 エルフの森の襲撃など、その後のシュベルトの蛮行は、世の人々の知るべく所となった……


 しかし、その野望も虚しく今は、勇者であるタケルによって虚空へと返された。


 ******


 シュベルトは、そんな話をした後、胸元から俺にあるものを手渡した。小さな球状の物体。何かの魔道具のように思われる。


「これは?」


 俺の問いにシュベルトは、皮肉な笑みを浮かべる。


「貴様らは、この世界からさっさと去るがいい。これは、時空ログだ。お前の元いた世界が登録してある。魔王ならその使い方を知っているはずだ」


 時空ログは、金属質な外観に幾つかの複雑な魔法陣が描かれている。意外にも重量感は無くスポンジで出来た玉のように軽い。


 とは言え敵であるシュベルトから渡されたものだ、その信憑性も怪しい。と言うか爆発しないよなコレ……


 そんな俺の心を見透かすようにシュベルトが、告げる。


「爆発などせん、今更そんな見苦しい真似をするくらいならお前に先程の話はしなかっただろう」


 シュベルトが、語ったのは確かに本心だろう。それは信用に値するものなのかもしれない。


「この事は、ミレシアには?」


「分かっているだろう、誰にも話す必要などない。それにもうあの人は、魔王とは別に暮らしている。ざまあ見ろだ」


 口元に愉快そうな笑みを浮かべたシュベルトは、次の瞬間自らの手で胸を貫いた。一瞬の事で俺は、全く対処が出来なかった。


「シュベルトっ! お前、な、何を!」


「くくくくっ、勇者にはやられはせんよ」


 そう言うシュベルトの目からは徐々に光が失われやがて全ての生きる証を見せなくなった。


 その事を察したのだろう距離を置いていた仲間達が、俺の元に駆け寄る。


「お兄ちゃん! 遂にやったんだね!」


 ヒナが一番に俺に抱きつく、それに続いてメルが飛び付いて来た。


「ぎゃーーっ、タケルーっ!」


 その勢いで吹っ飛ばされ壁に激突する俺の意識は、そこで途絶えた……


 目を覚ますと近くにヒナ、メル、リンカそしてアリサの姿が見えた。どうやら俺は、ベットに横たわっており、体のいたるところに包帯が巻き付けられているのが分かった。


 シュベルトとの決着がついた後、ここに運び込まれたのだろう。意識を取り戻した俺に気付いたのかメルが、泣きそうな顔で言う。


「タ、タケルが生き返って良がったよーー! ほ、ほんとうにひどい目にあっで……うわーーん」


 いや、とどめを刺したのお前だけどな……


「みんな、心配かけたな、何とか大丈夫そうだよ」


「お兄様は、思ったよりも頑丈、心配は少しした」


 アリサは、抑揚のない口調で言ったが真っ先に手当してくれたのは彼女だったそうだ。


 そんな訳で包帯でぐるぐる巻きにされて、まともに動くのは口だけだったが剣で刺されたりとか酷い目にあったのは事実だ。

 だが、なんだかんだ心配してくれたみんなの顔を見ると早めに意識を取り戻すことが出来て良かったと思う。


「それでシュベルトは、どうなったんだ?」


 ヒナが、目を閉じて首を振る。その様子で察しはついた。


「そうか……」


 思い返して見れば奴も完全な悪人ではなかった。気の毒に思う部分もあったがそれでもシュベルトのやってきた事は許される訳ではない。


 ヒナは、懐からあるものを取り出し俺の前に差し出した。


『時空ログ』


 シュベルトが、最後のせんべつに俺に渡した俺とヒナが元の世界に帰るための魔道具だ。


「ヒナ、これが何か分かるか?」


「うん、知ってる」


 ヒナは、少し寂しげに頷いた。この世界に来たばかりの頃には、俺達が一番欲しかった物だ。しかし今となっては、別れを意味する物でもある。


 複雑な想いを抱きながら俺はヒナに「そうか」とだけ答えた。


 静まり返った室内の空気を入れ替えるかのようにリンカがパンと手を叩いた後に言う。


「ともかくタケル、おかえりだな」


 その言葉に仲間達は、頷いた。リンカは、相変わらずの男前ぶりだ。


「ああ、みんな、ただいま……でいいのか!?」


「良いんだよ、私達は無事に帰って来たんだから」


 リンカが、にっこりと笑う。つられて全員が笑う。

 そうだ、落ち込む必要なんてない俺達は勝って帰って来たんだから。


 一週間程ですっかり体調が良くなった俺は、めでたく退院? となった。


 その間、後処理を終えて見舞いに来た王女クラッカルが意識を取り戻した俺を見て大泣きしたり、人間に姿を変えたドルフィーナさんや魔王までやって来たりとちょっとした大事になった。


 まあ、魔王様には別の要件もあったので単純な見舞いという訳でも無かったのだが……


 ちなみにグライドやらホサマンネンさんは、絶賛入院中でむしろ俺の方が様子を見に行く羽目になった。


「鼻歌の調子はどうだ、グライド」


「ああ、って!? 体のほうの心配しろよ!」


「その様子じゃ、すぐに退院出来そうだな。元気になったら頼みたい事があるだが」


「んんっ、何だよ、悪い予感しかしねぇ」


「ははっ、そんなに悪い話でもないさ。お前を見込んでの話さ」


「何だよ、話せよ。気になるじゃないか!」


「元気になったらな」


 グライドの病室を後にした俺は、ホサマンネンさんのところに向かう。腐っても貴族であるグライドとは違いホサマンネンさんは、大部屋での入院だった。

 傷付いた他の兵士達も同室で治療を受けていた。


「その時だよ、剣を振り回した勢いで宙を舞った私は、颯爽と勇者を救い上げた。"アリガトウ、スーパーホサマンネンサン、ヤハリ……アナタシカイナイ!"と私に世界を託したのだ……」


 兵士達にどよめきが走る。おおよそほとんどが気絶して意識を失っていた者だろうが、目を輝かしてホサマンネンさんの英雄譚を聴き入っている。


 相変わらずだなこの人は……しかしまあ、色々と助かったのは確かだ。でもなんで俺、カタコトなんだよ。


「ホサマンネンさん」


「ギョッ!?」


 声を掛けた俺にギョッとする。

 と言うかギョッと発声している。


「こ、こここここここ、これは隊長殿!? も、もうお身体はよろしいので?」


 トリマンネンさんは、動揺を抑えきれずニワトリになっていた。


「ええ、颯爽と命を救っていただいたおかげでタスカリマシタ」


「ここここここここここ、これは、いや、滅相もございません」


 ベッドで土下座をするホサマンネンさんの動きは、王宮で敵と戦った時より速かった。この分じゃ体の方はすっかり回復しているようだ。


「いえ、あの時確かにあなたは、ユウカンニタタカイマシタ」


「はっ!? いや、あ、ありがとうございます! 勇者様の勿体無いお言葉! でもどうしてカタコト……」


 少し意地悪だったかな。せめて他の兵士の前で良い格好をさせてあげよう。


「アノトキ、タスケテクレテ、アリガトウ、アナタハエイユウデス」


 更に沸き立つ兵士達、見舞いに来た若い兵士達も入り混じる。


「英雄!? わ、私が!? 隊長殿、ありが……いや、カタコトなんですが!!」


 そんな彼の言葉を遮るように俺は、強く告げる。


「ビョウインデハ、オシズガニ」


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