第18話ACT18「決戦前夜」


 人魚たちは祝宴を開いていた。ナインは人魚の武器を見やる。弓矢だけだった。軽装なのではと心配したがそれは杞憂だ。彼女たちそれそのものが魔術的作用を帯びた武器である。

「いざとなれば歌でテラーを沈める心積もりか」

 ナインの声に赤髪の人魚が振り返った。

「選定者様」

 人魚は恭しく頭を下げる。ナインは特権の手前無礼はできないのだろうと判断した。

「俺に媚を売っても特権の効果は上がらないと思え」

「それでも、売らないよりかはマシなのでは?」

 赤髪の人魚はウインクしてみせる。ナインは酔っ払っている人魚を見やった。

「大丈夫なのか」

「戦力には足ります。人魚は、一日も経たず酔いは醒める」

「常に海の底にいればな」

 皮肉めいた声に赤髪の人魚は笑みをやった。

「意外ですね。剪定者とは感情のない別の存在だと聞いておりました」

「そのはずだが」

「しかし、あなたは皮肉も言えるし相手の感情も分かる。私の聞いていた剪定者の像とはまるで異なります」

「それはデマだったんだろうな。剪定者にはそうでなくとも小うるさい付き人がついている」

『小うるさいって何よ』

 飛び出してきたベルに人魚が目を見開いた。

「妖精?」、「ティンカーベル?」という声がそこらかしこから聞こえてくる。どうやら人魚は妖精を嫌っているらしい。

「生憎だが、こいつはティンクとやらではない」

 ナインの声に赤髪の人魚は号令を出す。

「鎮まりなさい。申し訳ない。配慮が足りませんでしたね」

「こちらもだ。妖精を危険視しているのか?」

「魔法を使えるのは、ネバーランドですとピーターパンと妖精と人魚だけです。ほとんど利権の奪い合いですよ」

 赤髪の人魚は微笑んだがその言葉の意味するところはピーターパンですらある一面では敵だということだ。

「人魚は誰も信じないのか」

「ええ。ですから特権が欲しいんです。我々が主役ならば、脅かされることもない。ピーターパン程度の不在で取り乱すこともないですから」

 人魚はピーターパンを下に見ているらしい。ナインは、「取り乱し、か」とこぼす。

「ウェンディとかも、お前らからしてみれば随分な取り乱しに思えるのだろうな」

「いいえ。あの子は逆に特殊ですから」

 人魚のどこか達観した声に尋ねていた。

「特殊、とはやはりピーターパン不在後にもう一度ここに訪れたことか?」

「ご存知でしたか」

「フック船長からな」

 人魚は遠くを眺めぽつりと呟く。

「どうしてなのでしょうか。物語の主人公は去ってしまったのに、ヒロインだけが残されてしまったのは」

「そのヒロインも、常にいたわけではないようだが」

 フェアリートリップを撒いて物語を混乱に陥れた。ナインの口調が責めるものになっていたからだろう。人魚は、「それを彼女に?」と聞いてくる。

「言ったが」

 人魚はため息をついて、「やっぱり」と結論付けた。

「剪定者には血も涙もないのかもしれませんね」

「どういう意味だ」

 不遜そうにナインが問い詰めると人魚は分かったような言い草をした。

「あなたはピーターに似ている。みんなに言われませんでしたか?」

 沈黙を是としていると人魚は続ける。

「だからあのウェンディがあなたにピーターを重ねて、知らずあなたに頼っていることも分かりませんか?」

「俺に? 頼ってどうする。俺は剪定者だ」

「ですが、恋焦がれた人と同じ感覚のする人間に、何の感情も抱かないとお思いですか?」

 ナインには分からない。恋慕も、思慕も、どれも登場人物たちは感じるのだろう。だが自分は物語の外側の存在。感じているわけがない。

「……そうなのだろうか」

「ここまで来ると迂闊を通しこして呆れますね。特権は欲しいですが、これだけは言っておきましょう。あなたは乙女心を全く理解していない」

 人魚の言葉にベルが飛び出して反発する。

『ナインの目的は物語の可能性の排除、それにテラーを打倒することだよ? 何で一ヒロインの顔色まで窺わないといけないわけ?』

「人造妖精には分からないのでしょうね」

 人魚の言葉にベルは苛立ちを募らせたようだ。

『むっかー! 人魚に言われたくないんだけれど! 大体、あんたたちこのままじゃ忘却可能性があるんだよ? だって言うのに剪定者に喧嘩を売るなんていい度胸じゃない』

「だから、特権は関係なく、と言いました」

 人魚の抗弁にベルは、『ふざけないで』と自分よりも必死の様子だ。

『剪定者ナインはあなたたちの要求を呑んだ。だって言うのに糾弾されるのはあんまりだよ』

「ですが、彼女の心も分からないのでは、我々も安心して移住できません。それこそ、またしても忘却の世界の再現になったら?」

『そんなの、そっちのせいじゃん』

 ベルの声音に人魚は一歩も退く様子がない。

「人造妖精は女性の心理が埋め込まれていると思っていましたが、声音だけですね。これではただの忠実な道具と同じ」

『そういう言い方! あたしは頭に来るんだよね! 人を勝手にラベル付けしてさ。剪定者だからフラットな立場で? あんたたちを迎えてやると思っているの? 言っておくけれど心象を悪くすればどうなるかくらい馬鹿でも……』

「そこまでにしておけ」

 ナインは口を差し挟んだ。それでも退く様子のないベルを手で制する。

『でもさ、ナイン、言われっ放しは』

「俺は腹が立たない」

 ナインの言葉にベルは渋々了承した。だが解せぬことが一つある。

「俺がピーターの、生き写しだとして、ウェンディは俺に何を感じている? 愛か? それとも、恋慕か? だがどちらにせよ、叶わないのだ。それは、俺が剪定者である限り」

「剪定者をやめればいいではないですか」

 思わぬ言葉にナインは一瞬だけ呆気に取られた。

「剪定者を、やめる?」

 考えもしなかった。人魚はナインを指差し、「難しいのですか?」と尋ねる。ナインは頭を振った。

「いや、難しくはないだろう。記憶を操作する術は確立されている。それに俺という存在を抹消するくらいはわけないはず」

「ならば、やめることもできるのでは?」

「だがやめた後、俺はどうなる? そもそも俺は何だったんだ?」

 剪定者になる前など今の今まで思いつきさえしなかった。そして剪定者をやめるなどということも。

「私は知りえませんが、それこそ剪定者とは、元々は物語の主人公だったのかもしれませんね」

「物語の、主人公……」

 ナインの思考を一瞬だけ、記憶が掠めた。疼痛のように一瞬だ。だがそれでもその記憶から発せられた光に戸惑う。今のは何だった?

「俺は、何だ?」

「その答えを知っているのは人造天使でしょう?」

 だが人造天使とのリンクは何故だか外れ、今はナインが孤立状態だ。答えを問い質す事もできずナインはただ呟く。

「剪定者をやめて、俺は何になればいい?」

「ヒーローなんて打ってつけじゃないでしょうか? 私は保証できませんが」

 人魚の無責任な声に、ナインはただ顔を伏せていた。


『気にすることじゃないよ』

 ベルの声にナインは視線を振り向ける。

「気にしていない」

『でも口数少ないし。それにこのルート』

 足を止める。周囲は木々で囲まれており、海賊とも人魚とも距離を取っていた。

「何だ?」

『ウェンディから最も遠いルートだよ』

 無意識下にウェンディと顔を合わせることを避けているのか。ナインは額に手をやった。

「何をやっているんだ、俺は」

 剪定者だろう、と自らを鼓舞しようとするがうまくいかない。そもそも自分は何者なのか、どこから来てどこへ行くのかなど考えたこともない命題だった。

『人魚の戯言だよ。気にしないほうがいい』

「戯言でも、俺の思考回路にバグが生ずるのならば、それはただの戯言ではない。お前も、どうして怒っていた?」

 自分の代わりに。ナインの疑問にベルは、『そりゃあ』と応ずる。

『あれだけ言われれば悔しいじゃん。今までやってきたことを全否定だよ? それにウェンディ一人のことで、ナインの必要性まで否定されたんじゃ怒るって』

「怒る、のか?」

 その回路が分からない。どうして怒らなければならない。

『ナインは、そういうところ、何でか麻痺しているよね。ハーメルンの笛吹き男に関しても、桃太郎の世界にしても、テラーの横暴に、あるいはフェアリートリップの横行に、怒っていたのは他ならぬナインじゃない!』

 ハッとする。自分のあの正体不明のもやもやとした感情。あれは怒り、だったのか。

「俺は知らないうちに怒っていたのか?」

『無自覚? 嘘でしょう? ナイン、ウェンディをどうして問い詰めた? どうしてフック船長を正気に戻した? それは全部、この物語に、あるいはテラーに、怒っていたからでしょう? ……何で人造妖精に過ぎないあたしが、あんたの代弁を行っているのか分からないけれど』

 自分でも分からない。どうしてベルはここまで親身になってくれるのか。相棒、ではある。最良のパートナーであり、最も信頼できる存在でもある。だがベルは人造妖精だ。困った時の道具に過ぎない。道具に感情を持っているわけがない。だというのに、道具が自分の代わりに怒ってくれている。

「ベル。お前も、基があったのかもしれないな」

 ナインの声音にベルは怪訝そうだった。

『あたしの基って、オリジナルの人格ってこと? そんなの、自分の脳みそを見たことのない人間と同じで、分からないよ。あたしの基があったかどうかなんて』

 切り捨てたベルだが気にしていないわけではないようだ。どこかそわそわしている。

「俺の基も、あったのだろうか」

『それがたぶらかされるな、って話。みんながあんたをピーターパンだって持ち上げている』

「何か不都合が?」

『不都合って言うかさ、居心地の悪さをあたしは感じる。だって、あんたは多分、ピーターパンじゃないし、あたしもティンカーベルじゃない。だから無意識的にみんなを騙しているみたいな、そんな感じ』

 騙している。それは気づかなかった。だが誰もが自分をピーターだと信じて疑わない。もしかすると基がピーターパンだとしても、ナイン自身、さほどこだわっていない。

「俺の基は、塵であったとしても、そうか、騙していることになるのか」

『この世界の人々の結束は、ある種、不在のピーターパンへの羨望があるんだよ。だからみんなこの世界の留守を預かる手前、テラーになんて負けていられない。海賊も、人魚だってそう。特権にかぶりついたっていう体裁を取っているけれど、実際のところはピーターに顔向けできないって部分が強いんだと思う』

「そのようなこと、想像したこともなかった」

 言ってしまえば義理堅いのがこの世界の住人なのか。いやどの世界であれ主人公の不在時に脅かされる存在があれば一致団結するのかもしれない。

『テラーは物語を壊して回るガン細胞。だから白血球である剪定者が倒さなければならない』

「それが剪定者の役割、か」

 だが、と脳裏を掠めたのは先ほどの人魚との会話だ。やめてしまえばどうなのだ。やめたら、自分は解放されるのだろうか。この使命から。だがやめることなど考えもしなかった。それは自分の存在理由が剪定者ナインに集約されているからだろう。

「剪定者としての役目を、俺は重荷に感じたことはない」

『あたしも。人造妖精として、あんたの相棒であることに嫌気が差したことはない』

 ベルの声に胸中が凪いでいくのを感じる。ささくれ立っていた部分が落ち着いていく。そうか。自分はベルといると安心できるのだ。

「ありがとう」

 だから何のてらいもなく言えた。ベルが今までも、これから先も自分の人造妖精でいてくれることに。ベルは怪訝そうな声を出す。

『……いきなり何よ、気持ち悪い』

「どうしてだろう。俺にも分からないが、これが奇跡のように感じられた」

『奇跡、ね。皮肉なもんだわ。魔法も、あるいは奇跡レベルの出来事でさえも観測できる剪定者のあんたがあたしとの間柄程度に奇跡を見出すなんて』

 だがベルは替えがたい存在だ。他の人造妖精を買えばいい、という考えは少なくとも改められた。

「俺は人造妖精ベルでなければならない、理由でもあるのだろうか」

『それこそ追求しないほうがいいじゃない?』

「何故だ」

『……言わせないでよ』

 それ以降、ベルはろくに口を利こうともしなかった。仕方がないのでナインはウェンディや海賊、人魚の待つ秘密基地へと戻る。秘密基地の奥でウェンディは蹲っていた。ナインは声をかける。

「どうした?」

「……私、想像力が不足していたのかもしれない」

 その告白にナインは沈黙した。

「ピーターに会える、その一心だった。だから他の物語の人たちがティンクの粉でどうなるかなんて考えていなかった。この物語ではみんな空を飛べるのよ。ティンクの粉で」

「知っている」

「だけれど、他の物語の人たちは? そうだとは限らないし、私は大人にも売ったわ。もし、彼らがどうにかなっていたら……」

 そこから先の不安を摘み取るようにナインは自然とウェンディの手に自分の手を添えていた。

「それ以上は剪定者の役割だ。物語の登場人物が関知する部分ではない」

「でも! 私のせいでもある」

「そう思えるだけで、きっと充分なのだろう」

 自分にはその想像力が足りる時が来るのだろうか。テラーを倒せばあるいは、とナインは考えていた。自分の逡巡に決着をつけられるのかもしれない。

「もう寝るといい。海賊たちの号令を嚆矢として明日はやってくる」

 ウェンディはその言葉を聞いて額に手をやった。

「そう、ね。何日も、いいえ、何年もろくに眠っていなかった気がするわ。ピーターが近くにいてくれるのなら、私、眠れるかも」

 そう言っている間にウェンディは眠りについた。ナインは約束したわけではないがその場を離れなかった。剪定者に眠りは必要ない。だがこの時、ナインは短いながらも昏睡に入った。

 漂う夢の中でナインはいくつかの声を聞いた。

 ウェンディの叫ぶ声。呼んでいるのか、突き放しているのか定かではない。夢の中で瞼を上げると海面に浮かんでいた自分の影があった。手を伸ばすと相手も同期する。その姿が崩れ初老の男性の影になった。

 ――テラー。

 因縁の名をナインは紡ぐ。だが相手は口元を吊り上げて嗤うばかりだ。何がそんなにおかしいのか。ナインの無言の問いかけに相手は自分の声を使って答えた。

「物語のガン細胞が俺ならば、お前もガン細胞にならないとも限るまい」

 ナインは言い返す。口を開く必要はない。ただ思念で、お前とは違う、と。テラーの影はせせら笑う。

「何が違う? 健常の細胞でも一種の電気信号やあるいは変化でガン細胞に変異するんだ。白血球がガン細胞になる確率がゼロではないように、お前が俺にならない確率もゼロではない」

 だがお前ではない、とナインは右腕を振り上げる。テラーはナインを指差した。

「お前を知る時、俺も知るだろう。それが何たるかを。お互いの存在が合わせ鏡ではない可能性も、また存在しないのだと」

 ナインは腕を振るった。

 その瞬間、目が開く。

 夢が醒め、ナインは現実の風を感じ取った。朝陽のぬくもりが関節を温めていく。森に吹く風はやや冷たい。まだ朝になって間がないのだ。どうやら一時間ほど意識がなかったらしい。

「ここは……」

 現実なのか。確かめようとして海賊の悲鳴のような声が遮った。

「奴だ! テラーだ!」


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