家族になる三つの方法
七沢楓
第1話『姉の話』
実家に帰ってこい、と言われて、思わず顔をしかめた。
電話でよかった、と思ったが、いきなり帰ってこいとはどういう事だと、スマホに向けて「なんでですか」と言った。
俺の義理の父親である
『うん……実は僕、エリートコースに乗っちゃったんだ』
何言ってんだこの人は、と思ったが、今は何より家に帰らなくてはならない理由が知りたかったので、黙ったまま話を聴く。
『それでね、アメリカに長期出張に行かなくっちゃならなくて……。すごくない? 社長になる人はみんなアメリカ支社で重要なポジションを任せられるんだって。んで、僕一人だと、美香――母さんも心配だって言うから、ついてくるって言っててね』
なるほど、話はなんとなくわかった。
「家に姉さんと秋菜だけじゃ、心配だって事ですか」
『うん。何があるかわからないし、できれば夏樹にも家に居てほしいんだ』
俺――
できれば、またあの二人と暮らすのは避けたい。嫌、というわけではない。むしろ、俺は歓迎だ。しかし、どうもあの二人は俺を嫌っているからなぁ……。
『……君たちが気まずいのはわかる。だけど、いい機会だから、ここらで仲直りしなよ』
「わかっちゃいるんですけどね……」
言葉を濁す。なんとか、「じゃあいいよ」なんて言ってほしい気もしたが、そんな事を言い出すわけがないし、恩義ある人からの頼み。断るわけにはいかないのだ。
もし、玲二さんが居ない間に二人が事件に巻き込まれでもしたら、合わせる顔がないし。
「――いつ頃、帰ればいいですか。期間は?」
『帰ってきてくれるの?』
「実家に帰るくらい、なんてことないですよ」
実家、という言葉を使って、罪悪感が頭を覆った。
『そか』
嬉しそうな声に、俺の胸が締め付けられる。ごめんなさい、ごめんなさい、と何度も心の中で繰り返した。
『それじゃあ、一週間後。期間はどれくらいになるか、ちょっとわかんない。引っ越しの手配しとくから、その時によろしくね』
「あー……荷物そんな無いから、軽トラ一台もありゃ充分ですよ」
『ん、わかったよ』
それじゃあ、おやすみ。
そう言って、電話が切れた。俺はスマホを、万年床の布団に放り投げ、寝転がる。
あと一週間で、このアパートともお別れか……。
高校卒業までは、少なくともいるだろうと思っていたのにな。
■
幼い頃、俺が小学校に入学して、すぐくらいだったと思う。両親が交通事故で死に、俺は一人になった。
そこを、両親の親友だった鈴本家に引き取られ、新しい家族ができた。
両親と、そして、姉と妹。
姉――
妹――
昔は仲がよくて、三人一緒に遊んだりもしたけど、俺が高校に上がる直前くらいから、俺達の関係に変化が訪れた。
会話が減り、気まずくなって、なんだか敬語が混じったり。
自分が思春期になって、俺は二人の気持ちをなんとなく理解した。
好きでもない、血縁でもない男が家にいるのは、嫌だよなぁ、と。
性に興味があり、しかし、嫌悪感を示すような複雑な年頃。
そんなわけで、俺は高校に入学してすぐ、一人暮らしを始めた。鈴本家を出て、たった一年。
まさかたった一年で一人暮らしが終わるとは……。
お隣さんと一人暮らし最後の夜を楽しんだ翌日。俺は残りの小さな荷物を担いでバイクを走らせ、鈴本家へと向かった。
閑静な住宅街――昨日の会話でわかる通り、玲二さんは結構大きな会社に勤めている為、なんだか妙に凝った外観な三階建ての一軒家。
バイクをガレージに停めて、ジーパンのポケットから家の鍵を取り出す。
「……ちょっと早くついちまった」
腕時計を見て、はぁ、と溜息を吐いて、家の鍵を差し込んで、回す。
何年経っても、どうしても、他人の家の鍵を勝手に開けているような感覚が頭から離れない。
それでも絞り出すみたいに、小さく「ただいま」と言った。
懐かしい匂いがするけれど、俺を出迎えてくれる人は、ここにはいない。
家族ってなんだろうな……。俺は、亡くしてからずっと考える。だれにも言えない悩み事。鈴本家の人達には、絶対言えない。
――荷物を置いて、片付けて、あぁ、姉さんと秋菜に挨拶したりしないと。
心の準備が出来てないので、いまは二人に会いたくない。だからそっと、静かに階段を上がる。
俺の部屋は、二階の一番奥。そこに行くまで、姉妹の部屋の前を通っていかなければならないが、それは楽勝だった。
友達と遊びにでも行ってるんだろうか、人の気配がない。
珍しいことでもない……今日は土曜日だし、普通の高校生なら遊びに行っているだろう。
今日はバイトも休んだし、とっとと二人が帰ってくる前に片付けて、機嫌でも取る為に晩飯でも作っておくか……。
そう考えながら、俺は自分の部屋のドアノブを捻った。六畳間、布団と、テレビと、DVDがたくさん入った本棚くらいしかない。
あとの冷蔵庫やらの家電は、元からアパートに備え付けてあったものだ。だから、あの部屋を選んだんだけど。
「……あ?」
俺は、布団が膨らんでいるのに気づいた。
なんだろう、と疑問に思った。もう少し、警戒してもよかったかもしれないが、しかし、何かの荷物が敷布団の下にあるんだろうと思ったから、何の気なしに引剥した。
「……えっ」
人生で、二番目に驚いた。
一番は、両親が死んだ時。そして、それに次いだのが、これだった。
「――なにやってんの、姉さん」
「……なにも」
姉さん――鈴本春華。
黒髪ロング、スレンダーで、女性としては高い背。モデルの様、と男子が噂しているのを聞いたことがある。
真面目そう、だからこそ崩してみたい。そんな男心をくすぐるような女性――なんだと、話しているのを聞いたことがある。
なんで又聞きみたいなのか、って?
家族にこんなこと、直接言うやつがいるかよ。
――その姉さんが、白いフリルオフショルダーとジーパンという私服のまま俺の布団に入って、俺のパジャマであるトレーナーを抱きしめている。
俺と姉さんは、真顔で見つめ合ったまま、数分――いや、もしかしたらもう少し短かったかもしれないけど、姉さんはゆっくり起き上がって、俺のトレーナーを畳み、立ち上がる。
「衣服類、ちょっと畳み方が乱暴だったわよ、夏樹。できるところまでは片付けしておいたから」
それじゃあ、と部屋を出ていこうとする姉さん。
あぁ、どーりでDVDが本棚に収まってるわけだ――って、そうじゃねえ!
「ちょ、ちょっと待て姉さん! なにしてた!? つうか、なにシレッと日常に戻ろうとしてる!」
「は? 何を言ってるのよ夏樹。引っ越しの作業をしてたら、疲れて寝てしまう。ありえることじゃない」
「いや、別に布団に寝てる事はいいんだけど、なんでトレーナーなんて抱きしめてたんだ……?」
「汗をかいてしまったから、拭いてたのよ」
「タオル使えよ。つか、洗濯しようよそれなら。畳まないで」
「もっともね」
と、トレーナーを持つ姉さん。
この時点で、以前までの一週間分の会話量を軽く越えた。
「――それに、汗かくほど、俺の荷物ないはずだぜ。本棚は引越し業者がセットしただろうし、DVDも結構量があるとはいえ、別に汗かくほどでもないし。だから、私服でやってたんだろ、汗出ないと思ったからそれでいいかって」
「賢くなったわね、夏樹。いや、ナツくん」
俺はまた驚いてしまった。
その呼び方は、姉さんが中学へ上がった頃に封印された物だったから。
混乱してきた。
俺が一人暮らしをする直前まで、姉さんも、秋菜も、挨拶をすれば返ってくるかどうかみたいな感じだったし、話しかけたらそっけない返事だし、話しかけられることはなくなったし。
俺の居ない一年で、いったい何があったんだ姉さん。
「頭痛くなってきた……」
普段使わない頭をこんだけ回してると、オーバーヒートしてきた。
「それじゃあ、私は部屋に戻るわね」
「えっ、ちょ、まだ話終わって――」
止めようとしたが、姉さんはドアを開けて、もう廊下に出ていた。
そして、体をドアに隠し、肩越しに振り返って、
「おかえりなさい、夏樹」
と言って、ドアを閉めた。
すごく久しぶりに聞いた、家族らしい言葉だった。
もう少しまともな状況だったら、もっと感動できたんだけどなぁ……。
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