いためし!

じゅうく

第1話 いためし! 

 まだ五月だというのに、屋上は肌にまとわりつくような熱気が立ちこめている。

「貴重な昼食タイムだっていうのに……」

 俺は胡乱げな目で周囲を見回した。目的の人物はすぐに見つかった。

 今日のような直射日光が全開な日は屋上を利用する生徒など皆無だ。柱の影に座る女子生徒一人を除いて。

「なにか用?」

 歩み寄ると、その女子生徒はいきなり敵意を剥きだしにしてきた。

 同じクラスの国崎綾美――黒い艶のある長い髪に、くっきりとした目が特徴的な彼女は男なら誰もが目を引く女子だ。だが……

「なに黙ってるの。人のお昼を邪魔しないでくれる?」

 この通り、周りを一切近寄らせないオーラを放っている。俺は怯まずにいられない。クラスでは男子はおろか女子すら近寄らせないのだ。彼女はどこか大金持ちのご令嬢という噂で、俺たち庶民とは住む世界が違うらしい。真偽はどうであれ、攻撃的な眼光は本物に違いなかった。平和的かつ友好主義な俺にとって苦手な相手だった。

 ふと国崎の手元に視線を移すと大きな白い塊が見えた。それが白米と気付くまで俺は数秒かかったと思う。おにぎりと表現するには相応しくないもの――不格好な握り飯という表現が適切かもしれない。こんな大きなものがこいつの小さな口に入るのかと疑問が湧いてくる。

「それ、自分で作ったのか?」

「悪い? 私が何を食べようとあなたに関係ないし、とやかく言われる筋合いはない。用がないなら出てって」

 国崎は明らかな嫌悪感を俺にぶつけてくる。彼女がいつも一人なのは分かるような気がする。早くこの場を逃れたい俺は端的に要件を伝えることにした。

「委員の仕事。年間スケジュールが出てるから、鈴木先生が活動計画を今日中に出してほしいって」

 誰も好きこのんで国崎に話しかけてるわけじゃない。国崎はクラスの委員長で、副委員長が俺だという構図だ。業務連絡とはいえ、苦手な相手でも邪険に返さないあたりが俺の懐の深さだろう。みんな俺を称賛すべきじゃないか?

「そう……わかったわ」

 一言返しただけで、国崎はつまらなそうにいびつな米の塊を食べ始めた。


「おい瀬理! 昨日のうちに提出しろと言ったじゃないか!」

 翌日。朝の開口一番に鈴木先生は大声を張りあげていた。

どうやら国崎が年間活動計画書をすっぽかしたようだった。病欠らしい。連帯責任の大目玉を食らいながら恨めしく国崎の席を睨んだ。だが、翌日も国崎は欠席だった。その次の日も……。

 あいつ、このまま来ない気じゃないだろうな。漠然とした不安が募る中、鈴木先生から連日早く提出しろと急かされる始末。

 その日の放課後、しびれを切らした鈴木先生が見舞いがてら様子みて来いと言うのだ。俺は返答に渋ったのだが、先生は一方的に国崎の住所を告げてきた。

現地へ赴き到着したものの、俺の目は何度も手元の住所と眼前の建物を往来せずにはいられなかった。

「なにかの間違いじゃないのか……」

 ご令嬢だけに豪奢なマンションを想定していたのだが。住所が示すのは二階建ての小さなアパートだった。一階の角部屋に『国崎』の表札を見つけた。

 呼び鈴を押すと小さな女の子が顔を出した。国崎を小学生にしたようなウリ二つの子だった。間違いない国崎の家だ。

「・・・・・・お兄さん、だぁれ?」

「綾美さんと同じクラスの人。お姉さんと会わせてもらえないかな?」

 ここで友達と言わないところがせめてものプライドだ。

「お姉ちゃんは……寝てる……」

 困惑気味に俯いた妹さんだったが、バッと顔をあげると俺の腕をつかみ急に部屋へ引き入れた。

「ちょ、ちょっ、ちょっとぉ! ま、まずいよ! 勝手にあがるなん……」

 慌てて靴を脱ぎ、引かれるがままに部屋の奥へと入っていく。その先に布団の上で横たわっているパジャマ姿の国崎が目に飛び込んできた。

「く、国崎! 大丈夫か!」

 呼び声に国崎はうっすら目を開け俺を見るなり、カッと目を見開き飛び起きた。

「な! ……な、な、なんであなたがここに! ゲホッゲホッ」

 当たり前の反応である。驚いてるのは俺も一緒なのだが。

 国崎は風邪のせいか青白い顔をしていて、その噛みつきそうな勢いはいつもと比べ半減している。弱りかけているライオンのような眼をした国崎なんて恐るに足らず、俺はここへ至る事情を説明した。それを聞いて、国崎の怒りは傍で狼狽える妹に向けられた。

「佳澄! なんで勝手に家にあげたの!」

「だってぇ。お友達だって言うから……」

「とっ、ととっ! 友達ぃ? こいつと私が?」

「うん……お姉ちゃんに会いたいって言うからだよ?」

「え……」

……おい妹よ。好意を抱いた俺が押しかけたみたいな流れになってるのは気のせいだろうか。

 国崎は顔を真っ赤に染め上げ、目がせわしく動いている。怒りでいよいよおかしくなったか。

「お姉ちゃん、嬉しくないの?」

「う、う、嬉しくない! あ、あんたはさっきから何言ってる、ノヨ!」

 いつものクールな国崎からは想像できないヒステリックな声をあげ、そして裏返った。

「だ、だってぇ……わ、私、心配だった、のに……お姉ちゃん……何も食べないから……死んじゃったら、どうしようって……それでそれで……」

 姉を想っての行動だったのだろう。佳澄ちゃんはわんわんと泣きだしてしまった。国崎は困ったように深い息を吐くと、佳澄ちゃんの頭に手を置いた。

「大丈夫。お姉ちゃんは死んだりしない。約束する。誰があなたを置いて死ぬもんですか」

「……ホント?」

 国崎は大きく頷いてそっと佳澄ちゃんを抱き寄せた。思いがけない姉妹愛を目の当たりにし俺まで気持ちがやんわりと温かくなった。それ以上に、決して他人には見せてこなかった国崎の別な表情に俺はどこか安堵を覚えていた。

「よかったな、佳澄ちゃん」

 うん、と笑顔で頷く佳澄ちゃんを見て、つい俺まで頬が緩んでしまう。

「全然良くないんだけど」

 凍てつく言葉に俺は笑顔のままフリーズ。

「計画書ならもうできてるから渡すわ。それ持ってさっさとかえ――」

 ぐー……ぐるぐるぐるぐる……

 国崎は最後まで言い切ることなく、突如謎の怪音が割って入ってきた。しばし三人の間を静寂が通り過ぎていく。

「ぷっ!」

 噴きだしたのは俺ではない。子供の無邪気さを誰も責めることなんてできない。ぷっ。

「あはははっ! お姉ちゃん、腹の虫が鳴ったぁ! お腹が空いてたから怒ってたんだね」

 俺は自分が噴きだないように必死で口に手を当てる。笑える事態だが、笑ってしまえば無言の帰宅が待っている。当の国崎はというと、顔を下に向け長い髪で顔を隠し、肩をふるふると振るわせていた。背後に黒いオーラが見えるのは気のせいだろう。

「ねぇねぇお兄さん、なにか料理作れる?」

「え? 作れるけど、どうして?」

「お姉ちゃん元気になるように何か作ってあげたいの」

「だめ!」

 遮ったのは国崎だった。やはり腹の虫が恥ずかしかったのか頬を赤らめていた。

「俺なら構わないぞ? 腹減ってんだろ? 軽く作ってやるよ」

 やったーと喜ぶ佳澄ちゃんを尻目に国崎は首を横に振った。

「用が済んだのなら帰って。私ならだいじょう――」

 ぎゅるぎゅるぎゅるgりゅりゅりゅぅぅぅ……

「・・・・・・腹は大丈夫って言ってないみたいだぞ」

 布団にうずくまってしまった国崎を残し、俺と佳澄ちゃんは台所へ移動した。

「佳澄ちゃんも手伝ってくれよ」

「了解ですぅ」

 佳澄ちゃんは額に手刀を当て俺に敬礼した。なかなか乗りの良い子である。

「お姉ちゃんの好きな食べ物って何だい?」

「いためし! ……だめかなぁ」 

 両親が共働きの俺は自炊が日課となっている。コンビニ弁当は最初こそ美味しく感じるがすぐに飽きてしまうものだ。それよりも好きなものを自由に作って食べたほうがよほど幸せを感じる。料理は俺にとって苦ではなかった。よし、まずは具材を見てから考えるとしよう。と、おもむろに冷蔵庫を開け、愕然とした。

 見ると、卵が二つ、期限ギリギリの牛乳、半カットの玉葱、干からびかけている椎茸と白菜……以上だ。あとは黒い謎の物体が数個あったが、見なかったことにするのが賢明。

 ほぼ空洞と化してる箱はひんやりと息を俺の顔に吐くだけで、ただひたすら電気を浪費している。冷蔵庫をそっと閉じ、俺の後ろで立っている佳純ちゃんに振り返った。

「……いつも何食べてたの?」

 佳純ちゃんは首を捻り「お弁当かなぁ」と思案していた。

 家庭それぞれ事情があるのは分かる。育ち盛りの女の子が二人ともあればそれなりに栄養価が高いものを食べさせてあげたいと親は思うのではないか。ここには一般家庭にある食生活の常識が存在しない。なにより冷蔵庫がこの家の食生活すべてを物語っていた。

「ねぇねぇ、いためし作れない?」

 きっと俺が困った顔をしていたのだろう。佳純ちゃんが不安そうに見つめてくる。それを受け、意を決した俺は立ち上がった。サムズアップを佳純ちゃんに向けたはいいが、すぐに頭を抱えたくなった。

 すると、テーブルの上に転がっている巨大な白い塊が目についた。こないだ国崎がかぶりついていた握り飯と同じ形状のものだった。水分を失いソフトボールみたいになっているけど貴重な食材だ。これを使わない手はない。再び冷蔵庫を開け食材、調味料を確認する。限られた素材でも可能性は無限大――そう己を鼓舞し、具材を色んなパターンで組み合わせ、頭の中で調理のイメージを膨らませる。

 そして、俺はひとつの結論にたどり着いた。


「国崎ぃ! メシできたぞ」

 俺は料理を盛った皿とスプーンを携え、未だ布団に潜ったままの国崎に呼びかけた。

「いらない! 誰もそんなこと頼んでない!」

 布団の中からくぐもった怒声が聞こえてくる。ほんと強情なやつだ。でも腹を空かせているのは確実。俺は布団を少しだけ捲り、皿を近づけて手でパタパタと扇いだ。沸き立つ匂いから食の衝動を抑えられるわけがない。

「お姉ちゃんまだヘソ曲げてるの? 早く出てきなよ。お料理冷めちゃうよ!」

 佳純ちゃんは両手に皿とスプーンを持ったまま、足で布団を勢いよく剥いだ。

「ば、バカ! な、なにすん……」

 顔を出した国崎に俺はつかさず皿を差し出した。

「…………お、お粥?」

「チッチッチ。似てるけどお粥じゃないよ」

「お姉ちゃん、これリゾットだって。いためしだよ!」

「……リ、リゾット? お粥じゃないの?」

「お粥ってのは多めの水で米から柔らかく炊いたものだよ。リゾットは本来米を炒めてから煮るんだけどな。今回余り物のご飯を使わせてもらったよ。残ってた野菜と一緒にスープで煮込んで作ってあるから雑炊に近いかもな。味付けは洋風に仕立てたからリゾットと言っても遜色はないぞ」

 国崎は意外にも興味津々という顔で、目の前の湯気立つ皿を眺めていた。

艶々と黄金色に輝く米がその旨味を想像させるかのように視覚で国崎へ訴える。余っていた卵と牛乳をバランスよく配合したことでカルボナーラ風の味わいとなり、放つ匂いも食欲を強迫的に駆り立てるはずだ。食べやすく消化に良いように野菜を細かく刻んである。口におさめたときの幸福感を夢想せずにはいられない。

 国崎は眼前で迫るリゾットの魅力に必死で耐えている様子だった。

「先に食べちゃうよぉ? いっただっきまーす! んんっ! んんー! ほいひーっ!」

「佳純ちゃんと一緒に作ったんだ。妹の手料理を無駄にしたくないだろ?」

 口を尖らせた国崎はしぶしぶといった様子でリゾットが盛られた皿を俺から受け取った。

「……いただきます」

 国崎はまずスプーンでトロトロとした表面をすくい、その小さな口へと運んだ。ゆっくりと噛みしめるように咀嚼し、喉を鳴らしながら嚥下した。

 俺は息を呑んで国崎の感想を待つ。

「……なに、これ……」

「く、口に合わなかったか?」

 国崎は答えず、もう一度同じ所作で口へ運ぶ。そして飲みこむと、スプーンから手を放しカチャンと皿を鳴らした。顔を伏せる姉を佳純ちゃんが覗きこむ。

「どうしたのお姉ちゃん…………おいしくなかった?」

 髪を揺らし首振ると国崎は顔をあげた。瞳は濡れていた。手の甲で涙を拭うとスプーンを再び手に取り、皿の中身を次々と掬いあげ、国崎はあっという間に平らげていく。

 空になった器を置くと、国崎は俺に向き直りと頭を下げてきた。

「初めて食べたけど……おいしかった。・・・・・・瀬理くん。ごちそうさまでした……」

 その姿を見て俺の胸に熱いものがこみ上げてきた。照れくさい? 恥ずかしい? そんな感情で自分を誤魔化す気はない。

 国崎が夢中で食べてくれた――この嬉しさに尽きる。

 口元の緩みをごかますように俺は隣りにいた佳澄ちゃんに肩を叩いた。

「お、おう……お粗末さまでした。ば、ばか! 俺じゃなくて佳純ちゃんに言えよ!」

「そうね、ありがとう佳純。お姉ちゃん嬉しかったよ」

 国崎に頭をなでなでされた佳純ちゃんは満面の笑みで体を捩らせていた。見てるこちらまでモジモジしてしまいそうだ。

「何かお礼しなきゃいけないわね・・・・・・」

「いるかよそんなもの。委員長の仕事を全うしてくれたんだ、そのお返しくらいに思っておけよ」

 俺は事務的なちまちました作業が大の苦手だ。計画書作成なんて到底無理。なぜなら俺には行き当たりばったりのところがある。先を考えずその日のことはその日に決めればいいくらいにしか思わない。結果、今日のような事態に陥ってしまったわけだし……。

「食材を活かしきるなんてね・・・・・・腐らせてしまうところだったのに」

「きっとおいしいって言ってあげたら、豚さんや鳥さんは怒らないだろうね!」

 そうきたか。俺と国崎は思わず顔を見合わせて笑ってしまった。俺たちは、佳純ちゃんの素直で突飛な発想に恐れ入った。


 後片付けを済ませた後、外まで送ると言いパジャマ姿の国崎が玄関から出てきた。陽が落ちかけている時間帯でも昼間の暑さを残したままだ。佳純ちゃんはお風呂の準備をしているらしく、浴室の小窓からご機嫌な鼻歌が聴こえてくる。

「あ、あの……」

「ん? どうした? あ、あぁ。風邪こじらすから、ここでいいぞ」

 国崎は戻ろうとせずパジャマの袖をぎゅっと握りしめていた。首を捻る俺に対し目を合わせないようにしている様子だった。ほどなくして小さな唇がわずかに開いた。

「わた……も……その……りかた…………てほし」

「え? なんだって?」

 そう訊くと、国崎から鋭利な眼光が放たれ、反射的に俺の上半身は大きく仰け反った。国崎の手が伸び俺の腕を捕える。国崎はそっと俺を見上げた。

「その……私にも、リゾットの作り方、教えてほしい……」

 突然の申し出に驚いた俺はコクンとひとつ頷いた。国崎は美味しい料理を目の前に出された子供のような顔をしていた。

 腕にじんわりと熱を感じる。俺の腕が熱を発しているのか国崎の体温が熱いのかよく分からない。五月の異常気象のせいにしておこうと思った。

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いためし! じゅうく @ju-ku219

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