第18話 押し寄せる闇

 一体何が起きたのか?

 

 青年は片膝をつき、右肩の苦痛に顔を歪めながら、突然の襲撃者を見上げる。


 背丈は青年よりひと回り、歳にいたっては優に二倍はありそうな中年のベアダ兵だった。

 不遇な境遇に置かれた中年にありがちな下卑た目つきを怒らせ、額からはダラダラと脂汗を流している。


 見れば男の横腹は赤黒く染まっていた。

 自分の返り血を浴びたのだろうかと青年は思ったが、それにしては血の色がおかしい。

 今も自分の右肩から流れ出る血は鮮やかな赤色をしており、その返り血があんな乾きかけの色になるはずがない。


「ううっ……」

 

 だが、今はそれどころではなかった。

 どうやってこの大ピンチから脱するかを即座に考え、行動に移さなければならない。

 さもなければ男は次の瞬間にももう一度剣を振り上げ、今度こそは頭を刎ねることであろう。

 右肩の激痛に思わず大声で叫び声をあげそうになるのを必死に堪え、青年は思考を巡らす。


「なんだぁ、娘っ子、そこにいたかぁぁぁぁぁ!」


 ところが、男は俄かに振り返ると、青年へ背を向けた。

 男の体の向こう、南扉の前に震えて立っている少女の姿が見えた。


「さっきはよくもやってくれたなぁぁぁぁぁ!」


 男が激昂して叫ぶ。

 このままではその叫び声に寝入った他のベアダ兵が気付き、目覚めるのも時間の問題だろう。

 そうなってしまってはもう完全におしまいだ。なんとかしてそれだけは阻止しなければならない。

 

(ネ、ネコにヤツの相手は無理だ……)


 青年は自分がこんな状況である以上、少女に期待したいところだがそれは無理な話だった。

 少女に格闘術は教えこんだものの、それはあくまで自分の身を守る為のもの。敵を倒すにはやはり相手の不意を突くしかない。

 ましてや相手は何故か少女に対して怒り狂い、対して少女は怯えきっている。

 あれでは教えたことの十分の一も出来ないだろう。


(や、やっぱりここはオレがなんとかするしか――)


 青年は痛みに耐えながら、ナイフを握る右腕を持ち上げようとする。

 それだけで気絶しそうな痛みが全身を貫いた。

 こんな状態でいつものように相手の喉を切り裂くことなんて出来るだろうか。

 

 いや、出来るか、ではない。

 やらなくてはならないのだ。

 ここでやらなくては自分はもとより、少女もまた無惨に殺されてしまう。


 青年は左手を右手に添えながら、静かに立ち上がった。

 そしてじわりじわりと少女に近付く男の後姿を睨みつける。

 その瞳は、かつて「失敗すればただ自分が死ぬだけ」と何もかも諦めていたあの頃の青年のものとはまったく違っていた。


「娘っ子ぉ、てめぇは犯し殺しぶはぁ」


 次の瞬間、青年のナイフが見事に切り裂いた男の喉元から、なんとも間の抜けた断末魔の声が血飛沫とともに噴き出す。

 

「ぐはっ! き、きき、きはっ!」


 それでも男は懸命に青年へと振り返り、最後の力を振り絞ってその剣を振り上げようとしたが 


「ぐっ……うぅぅぅ」


 そこで気力が尽きて倒れ込む青年に押し込まれ、男は青年に折り重ねられるようにして大の字になって倒れこみ絶命した。


「イヌ!」


 震えて一部始終を見ていた少女が、悲鳴をあげて青年のもとへ駆けつけてくる。


「イヌ、イヌ、大丈夫!? 死んじゃヤだよ、イヌ!」


「ネ、ネコ……さ、騒が……ないで。と、砦の連中に……気付かれる……」


 泣きじゃくって抱きついてくる少女を、青年は意識が遠のくを感じながらもまだ自由の利く左手でその顔を濡らす涙を拭い取ってやった。


「お、俺は……大丈夫。そ、それよりも……早く……頭領たちに……」


 そして、こんな時でも青年は自分の仕事を優先させた。

 少女は何を言っているのと頭を左右に振るも、青年は黙って従うように言い聞かせる。


「と、頭領たちが……け、怪我を治して……くれる……だ、だから早く……ネコ……頼むよ」


 治してくれるという言葉に反応したのか、ようやく少女は立ち上がった。そして青年を心配そうに見つめながらも、合図の松明を取りに扉の向こうに消えていく。


 あたりに再び静けさが戻ってきた。

 運がいいことに、今のところ寝静まった連中が起きてくる様子はない。

 ホッとするのと同時に、とうとう意識を保つのが難しくなってきた。

 青年は右肩の傷口に左手を持っていく。

 傷はかなり深い。試しに右腕に力を入れてみるも、もはやぴくりとも動かなかった。

 さきほどベアダ兵を倒せたのが奇跡だった。


(下手したらもう一生動かないかもしれないな……いや)


 青年はほぅと一息つくと、いまだ夜明けが遠い星空を見上げる。


(その前にここで死ぬ可能性の方が高い、か……)


 さっきは少女を行かせるためにあんなことを言ったが、強盗団が自分を治療してくれるなんてこれっぽっちも考えられなかった。

 いくらこれまでの功績があっても、使い物にならなくなったら捨てられるのが強盗団の非情の掟だ。


 加えて青年にはあの約束がある。

 もはや強盗団が青年を助ける理由はなにひとつとしてない。


(最後の最後に下手を打つなんて、やっぱり俺の人生はこんなものだったんだ……)

 

 青年は気を振り絞って体をベアダ兵の上から離す。

 敵の上で死ぬというのも自分のこれまでの人生を考えればアリではあったが、やはり死ぬ時は自分ひとりの床で死にたかった。


 しかし、そう言えばこの男は一体何者だったのだろうか。

 ベアダ兵には間違いないが、見張りの連中は皆倒したはずだ。と、なると、やはりこの男は偶然眼を覚まして、砦の異常事態に気が付いたのだろうか。


 だが、ふと目に飛び込んできた事実に青年は全てを理解した。

 男の横腹、服に赤黒い出血の跡が広がるその中央に、自分のものとは違う、見慣れたナイフが突き刺さっていたのだ。


(そうか、そう言えばさっきネコにむかって「よくもやってくれたなぁぁぁ」とか叫んでいたっけ……)


 やはり青年の不安は的中していた。

 少女は塔の見張りを殺めることが出来なかったのだ。

 しかし、不思議と青年は怒りを感じない。むしろその逆だった。


(ネコ、殺るなら急所を狙わないとダメだって教えたのに……)


 気のせいだろうか。どこからから誰かが走って駆け寄ってくる足音が聞こえてくる。


(でも……きっとこれで良かったんだ)


 青年は微笑んで、そしてついに気を失った。

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