自らの手で

 結局、新見は腹を切らされた。芹沢は、もう自暴自棄というほかなかった。おなじ月、更に事件が起きる。酒と女以外に楽しみなど無くなってしまった芹沢は、吉田屋の小寅ことらという芸妓のところに入り浸っていた。先にも触れたが、芸妓とは踊りや音楽をするのが本業だから、芹沢がいかに迫ろうとも、応じるわけがない。

 この日も、小寅はいつものように、体よく芹沢の誘いをかわした。普段ならば芹沢は笑いながら引き下がるのだが、この日は違った。

 急に怒り狂い、主を呼びつけ、店を壊す、と脅した。それだけは勘弁を、と主人が詫びると、では、とばかりに、小寅ともう一人その場にいた芸妓の髪を切ってしまった。

 当時の価値観から言って、女が髪を切るというのは、出家などにより俗世からの断絶をする必要があって行う儀式のとき以外にない。たとえば、身分の高い武士の家などでは、夫に先立たれて未亡人となった妻が出家するときは丸坊主ではなく、「尼削ぎ」という、いわゆるおかっぱ頭のような、もっと現代的に言えばボブヘアーのような髪型にし、その上から頭巾を被る。大河ドラマ「おんな城主直虎」の主人公である井伊次郎法師の姿である。

 今、髷をばっさりと切り落とされてしまい泣きわめいている二人の芸妓の髪型も、まるきり尼のようだった。

 どういういきさつか分からぬが、この騒ぎに対して、なんと朝廷から芹沢の捕縛命令が出た。それが、会津から新撰組に下達された。無論、芹沢とその取り巻きは知らぬが。

 京の街は人も多く、周辺の地域も含めれば広いが、情報の伝達は早い。とくに、色街の噂話は、電光石火の早さで伝わる。無論、遊女や芸妓どもは、遊ぶ相手のことや、閨や宴席で聞いた話を他の遊女に言いふらしたりなどはせぬが、近頃の事件の話、街の噂話などは、むしろ好んで話された。

 げんに、芹沢捕縛の命令が、事件の数日後には、朝廷から出ているのである。おそらく、吉田屋に馴染みのある公卿か何かが聞き付けたに違いない。

 山南などは、これぞ機会、とばかりに勢い立ったが、土方は、動かない。

「山南君。大宴会だ。隊士全てを集めろ。名目は、そうだな、新撰組の名を会津中将様(松平容保まつだいらかたもりのこと)から頂いた祝いをしていなかったから、ということにでもしておけ」

 その夜、やる。近藤派、芹沢派問わず、そうとは知らぬ多くの者が嬉々として宴会の準備を進めた。土方らは、準備は全て隊士らに任せ、自らは宴会のの準備を進めた。


 久二郎は、彰介とともに土方に呼ばれた。店の手配やら芸妓の手配やらで、忙しい。

 土方の部屋に入ると、土方、山南、沖田、原田の四人がいた。

「お呼びでしょうか」

 久二郎は、彼らの前に座った。

「宴の手配りは、どうだ」

「はい。ようやく、店が決まったところです。まだ女の手配が上手く行かぬので、あちこちの置屋を藤堂さん、井上さんらが走っています」

「そうか」

 微妙に、空気が張り詰めている。

「用とは、そのことでしょうか」

「いや、宴のあとのことだ」

「あと、とは?」

「樋口は、もう一軒、店を手配してくれ。一軒目が終わっても、隊士たちにはまだ飲んでいてもらわねばならぬ。そして、井上の源さんらと共に、隊士らを帰さぬよう、目を光らせていろ」

「それは、つまり」

 彰介が、珍しく口を開いた。

「お前の声、そんなだったか」

 土方がからかった。それには応じず、普段、口が重いだけに、彰介はずばりと切り込んだ。

「隊士らに、屯所に帰ってもらっては困るということですか」

 土方は、唇の端を歪めた。

「なんだ。意外に、察しがいいな」

 久二郎が、口を挟む。

「申し訳ありません。私には、全く分からぬのですが」

「涼しい顔して、察しが悪いな。綾瀬」

 土方は、畳の上であぐらをかき直した。

「お前は、俺、山南君、原田君、総司と一緒に、芹沢さんを訪ねるのさ」

「それは」

 彰介が、久二郎の袖を引いた。久二郎が彰介の顔を見ると、今まで見たこともないほどに沈痛なものになっていた。

「彰介」

 その顔を見て、久二郎は事態と己に与えられようとしている役目を飲み込んだ。彰介は、黙って頷いた。

「綾瀬は」

 と、土方が話題を戻す。 

「俺達と共に、芹沢を」

 斬る、とまでは言葉に出さない。具体的な手順などを、土方は説明した。一通りの説明が終わってから、

「なにか、質問は」

 と言った。

「ありません」

 彰介が、短く答える。

「一つ、よろしいですか」

 久二郎が言葉を開いた。

「何故、私なのです」

 ずっと黙っていた沖田が、口を開く。

「あなた方、人を斬ったことがあるでしょう」

 この間の、力士との乱闘騒ぎのことではない。沖田は、久二郎らとはじめに立ち合ったとき、そのことを見て取っていたのかもしれない。

「最小限の人数でいきたい。それでいて、間違いなく勝てる人間で。あの狂人を斬るのは、たやすいことではない」

「それなら、芹沢さんを訪ねるのは、私でなく彰介でもよいはずです」

「嫌か」

「嫌では、ありませんが」

「樋口はな」

 土方が、彰介を見た。

「体が、でかすぎる。室内で渡り合うなら、お前の方がいい」

「納得しました」

「言うまでもないが、口外はするな。ここにいる者達とも、その日までこの話はするな」

「わかりました」

「行け。ご苦労だった」

 久二郎と彰介は、退室した。

「土方君。綾瀬君を指名したのは、ほんとうにそれだけか」

 山南が、口を開いた。

「あいつの方が、剣が巧い。そういうことじゃねぇのか」

 原田が、あくびを一つしながら言った。その原田の方に目を向けながら、誰にともなく、土方は言った。

「それもある。しかし、あいつの方が、心が弱い。まだ性根が座っちゃねェんだ」

「気付けのようなものですか。案外、綾瀬さんのこと、買ってるんですね」

 沖田は、いつも明るい。

「土方さん、もういいかい。俺は非番なんだ。夕飯まで、寝るぜ」

 原田が、立ち上がった。原田は、あまり深い考えを持たず、近藤のためになるなら、と割り切れる男だった。それに、槍がめっぽう強い。もし、屋内から逃げ出そうとする者があれば、原田の宝蔵院流の笹穂槍がそれを襲うだろう。

 その気っ風はいいが思慮の足りぬ槍の使い手も、自室へ帰っていった。

「山南君こそ、芹沢を訪ねる方に名乗りを上げてくるとは、意外だった」

「私は、あなたの考えた策に乗った。それを助けもした。私には、それを最後まで進めなければならない責がある」

「難しいな、あんたの言うことは。気に入らないね」

「気に入らなくて、結構。私には、私の思うところがある」

 重ねて言うが、土方と山南は、仲はいい。ただ、目的のための経路について考えの違いなどがあり、衝突することもあるというだけだ。

 近藤が全て、というような土方に比べ、山南の思考はもっと複雑である。彼には、時勢を見る目もあったし、それを見て自らの道を自分で決められる学識と行動力があり、新撰組を自らの望む形に造っていくことのできる男だった。それには、近藤勇というゆったりと構えた男を、時勢の海に押し出してゆくための手助けをしてやる必要があると思っていた。芹沢では、組織はもたぬ。土方のことを、後の世の人は、よく「組織者オーガナイザー」と評するが、山南は、近藤のプロデューサーたらんとしていた。単純に、彼もまた、近藤勇のことが好きだった。


 その日が、来た。夕暮れ時には一同、屯所を空にして街へ出、島原の角屋で大宴会を開いた。以前、芹沢がささいなことから怒り狂い、暴れまわったという話のある店である。

 様々に着飾った女が踊り、歌い、一同はさんざんに飲み、食った。

「近藤君。一つ」

 芹沢が酒を注いでくるのを、近藤が受けた。飲み干すが、味がしない。近藤は意外にも酒に弱く、数杯飲んだだけですぐに顔が上気してしまうから、普段はあまり過ごさないようにしていた。

 この日ばかりは、飲んだ。

「なんだ、いつもに比べて、いい飲みっぷりじゃないか」

「新撰組の誕生を、祝う席ですから」

「そうかい。そりゃあ良かった」

「これからも、共に新撰組を盛り立てていきましょう」

 近藤が、芹沢に酒を注ぎ返した。芹沢は、それをツイと飲み干して、

「思ってもないことを、言うもんじゃねぇよ」

 と、皮肉に口を歪めた。

「こんな、素行の悪い局長がいちゃ、隊の沽券に関わるってもんだ。そうだろう、近藤君」

「滅多なことを。芹沢さんは、酔っておられる」

「酔おうとしてるだけさ。酔えぬ酒に」

 芹沢は、杯を近藤に差し向けた。もう一度、それを注ぐ。

「いいか、近藤君。俺は、望んでこうなったわけじゃない」

 芹沢の目が、緩んでいる。酔い始めた印だ。

「俺は、何も望んじゃいねぇ。もともとな」

 彼の本名は、下村継嗣しもむらけいじ(継次とも)と言った。継も嗣も、「継ぐ」という意味である。それだけで俺が良い家に生まれ、期待をかけられていたってことが分かるだろう、と自嘲を交えて芹沢は言った。だが、故郷の水戸にいるとき、先進的な国士の集う大流派である神道無念流のコミュニティの中で、過激な尊皇攘夷思想の洗礼を受けた。

 彼は、郷土の者らで結成した玉造党という組織に所属した。過激な活動が過ぎ、ついには捕縛された。獄に放り込まれ、そのまま獄死するのを待つばかり、と彼は自らの小指を噛み切り、流れ出る血でもって、獄舎の壁に、

 雪霜に ほどよく色のさきがけて 散りても後に匂う梅が香

 と辞世を残した。真っ白な雪霜に、血痕のようにこぼれる梅の花。それは自らの死を意味し、死したとしても、その思想は残る、という想いがこめられており、なかなか叙情的かつ凄惨で、詞藻がある。土方の「年礼に 出てゆく道や とんび、凧」などという子供の感想文のような俳句などとは比べ物にならぬほど上手い。

「俺はな、あのとき死んでいたんだ。とっくに」

 近藤は、澄み酒を見つめる芹沢の横顔を、見つめている。

「将軍様の代替わりによる恩赦で獄を出て、俺をそれでも慕うろくでなし共と、浪士組に加わったのさ」

 そのまま、流されるようにして、局長になった。

「だが、俺は分かってるんだよ。ここには、俺がいることを望んでいる者なんて、一人もいないってな」

「芹沢さん」

 近藤は、優しい。思わず、今夜の企みのことを、当人に伝えてしまいそうになった。

「おっと。近藤さん。言うな。それより、飲め」

 芹沢が、酒を注いだ。手元が震えており、近藤の袴に酒が少しこぼれた。芹沢は、近藤と眼を合わせ、にやりと笑った。

「見たか。新撰組局長芹沢鴨は、震えていやがる。怖いんだとさ」

 そのまま自らの杯にも酒を満たし、飲み干した。

「そろそろ、酒も回ってきた。俺は、帰るとするぜ」

 立ち上がろうとする。

「待って下さい」

「何だよ。俺が帰らなきゃ、始まらないだろう」

「分かっていて、何故」

「何故。そうだな――」

 芹沢は、立ち上がり、襖の方へ歩き出した。それを見た平山、平間、野口の三人が、立ち上がる。土方らも、その動きを注視している。

「――性分なんでな」

 少し笑って、芹沢は隊士達の笑い声や、楽器の音や歌の充満する広間の襖を開いた。その向こうに、闇へと続く廊下が伸びているのを、近藤は見た。

「芹沢さん、俺も、お送りしますよ。屯所で、飲み直しませんか」

 土方が、芹沢の背をそっと押し、闇へと進ませた。

「いいね、土方。お前が、宴を仕切ってくれるのかい」

 気の効いた謎掛けのようなことを言い、芹沢は、自らの手で襖を閉めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る