第二章 新たに選ぶ

一同、介す

 筆者も、折角新撰組を描くのならば、有名な面々が一同に介し、どんちゃん騒ぎをする場面を描きたいものである。現代において魅力的な輝きを放つそれらの人物たちは、子母澤寛氏や司馬遼太郎氏ら、偉大なる先人たちの地道な調査と類い稀なる創作力によって、その形を再構築された。実際の彼らがどのような人物であったのかを知るにはタイムマシンの発明を待たねばならないだろう。

 最近はそういう向きも少なくなったとはいえ、例えば斎藤一が左利きで、右の腰に刀を差す無口な美男であったなどと間違っても思ってはならぬ。いや、思うのは人の勝手であるが、そういった人は検索サイトで、現存する西南戦争出征時の斎藤の写真などを見ない方が懸命である。せいぜい、老人になってからの肖像写真(いや、絵であったか)を見、若い頃の姿を想像するに留めるがよろしかろう。斎藤が左利きであった記録などはどこにもなく、仮に左利きであったとしても武士の習わしとして刀は必ず左腰に差し、右手で扱うものと必ず決まっており、左利きであるから左右逆に刀を差し、左手で扱うなどというのは余りに安直であると言わざるを得まい。刀は、ハサミとは違うのである。もっとも、斎藤の姿をそのように決定付けたある名作においては、考証の正しさよりも斎藤一という不可解な人格を持っていたであろう男の特異さを際立たせるためそのように描いたものであると考えられるし、あえて伏せるがその作者も、それを承知で「左利きの斎藤一」を誕生させた節がある。

 近年では新撰組は大変な人気で、その人物の描き方も作者の意のままにすることがわりあい許されているから、喧嘩っ早いヤンキー風の短髪の沖田や、女のような見た目で小柄な土方など、もはや歴史の匂いなど微塵も無い画期的な作品が立て続いており、それすらも出尽くした感があり、では、別に題材は新撰組でなくとも、オリジナルの世界で良かったのではないか、と感じるのは筆者だけではないはずである。

 よって、この物語では、比較的ベーシックな人物像をもって、できるだけ時代の匂いを浮き上がらせてみたい。ただ単に、新撰組の軌跡をなぞるだけならば、そもそも架空の十一番隊組長、綾瀬久二郎など要らぬ。筆者の意図することが、新撰組の年表を見返して出来事をなぞることではなく、新撰組という、歴史の転換点にありながらその転換に抗おうとする力が存在することで進んだ歴史もあるということと、その渦の中に生きた人々の生命のオクタン価を描くことであることを予めお含み置き頂きたい。

 この物語には、同人風の演出もなければ、ライトで口当たりのよい仲良し新撰組もないし、使い古された殺風景なコメディも要らぬ。女のように愛くるしい土方や、クレイジーな沖田もここにはいない。

 勢いに任せ、筆が滑ったことをお許し頂きたい。だが、余計な修飾が増えれば増えるほど、彼らの心や、それを産み、育み、ときに阻む時代そのものは見えて来ぬのである。それだけはご理解頂きたいものである。

 そこで、右利きの斎藤一に、これから登場してもらうことにする。久二郎と彰介が土方の指示で半ば放り込まれるようにして入れられた部屋に、彼はいた。


「今日からお世話になります。綾瀬久二郎です」

「樋口彰介です」

 腰から外した刀を右側に置き直し、正座をして二人は挨拶をした。

「どうも」

 斎藤は、口の中で言っただけである。なるほど、筆者の中の斎藤もまた、無口であるらしい。

「お部屋を、しばらくお借りすることになりました。狭いと思いますが、お許し下さい」

「俺の、部屋ではない」

 気まずい空気が、流れた。斎藤は、正座をしたままである。久二郎らが入室する前は、一人で正座をして何をしていたのだろうか。

「生まれは」

「はい、弘化元年です」

「俺は、天保十五年だ」

 天保十五年に改元があり弘化元年となったから、同い年ということになる。

「そうですか。それは、奇遇ですね」

「綾瀬君と、樋口君は、同郷かね」

 同い年とは思えぬほど、落ち着いているが、君、という呼び名を使うところに、辛うじて若さが出ている。

「はい。美濃国です」

「そうか」

 どうも、会話が続かぬ。あまり歓迎されていないのかと思ったが、斎藤なりに気を使っているらしく、途切れ途切れでも質問を投げ掛けてくる。

「流派は」

「はい、円慶流を称していますが、実はお恥ずかしながら、これといった流派に属したこともなく」

「俺は、小野派一刀流だ」

「それは、また」

 小野派一刀流とは、有名な伊藤一刀斎が拓いた剣術である一刀流の弟子の御子神典膳みこがみてんぜんという者がその後継者となり、徳川秀忠の剣術指南役となるときに小野治郎右衛門忠明と名を改め、その忠明の子が更に工夫を重ね、拓いたとされる由緒ある流派である。この頃、二本差し同士が顔を合わせると、まず生まれた年のこと、そして流派のことを話すというのが、現代で言う初対面の相手とのコミュニケーションとして血液型を言い合うように自然に行われていた。

 小野派一刀流、と言うときだけ、斎藤はやや嬉しそうに言ったから、自らの心の拠り所になっているのかもしれないし、ただ無邪気に自慢したかったのかもしれない。

「その刀は」

 斎藤は、刀が好きである。久二郎らは後になって知ることであるが、彼は若いなりによく目利きもでき、毎日、自慢の刀に打ち粉を振っている。

 佩刀はいとうは池田鬼神丸国重という銘であるとされるが、要は無銘であろうが名のある鍛治のものであろうがよく斬れるものを好んでいた。

「見ても、よろしいか」

 久二郎は、佩刀を手渡した。斎藤は懐から懐紙を出し、捧げるようにして受け取ると、鍔を鳴らして少し抜き、その後鞘から一息に抜き放った。刃筋や刃紋、しのぎの具合などを確かめ、ゆっくりと鞘に戻し、

「眼福でありました」

 と作法通り、捧げて返した。

「この刀は、良いものでしょうか」

「銘は、ないと思う。値は、それほどせぬだろう」

「やはり、そうですか」

「しかし、斬れる」

 斎藤の、張り出した額の奥の眼が光った。

「刀は値ではない、と俺は思う。その美しさと、切れ味と、使う者に合うかどうかで、良いものかどうかが決まる」

「そういう、ものですか」

「何を用いるか、ではない。誰が用いるか、だと思う」

 何やら、達観した老人のようなようなことを言うのが、おかしかった。

「樋口君の刀も、よろしいか」

 彰介は、少し笑って、三尺の大刀を無造作に渡した。斎藤は、久二郎の刀に使った懐紙とは別の懐紙を取り出し、彰介の刀を丁寧に受け取った。

 同じように、久二郎らにはよく分からぬ作法を用いて、彰介の刀を改める。

「眼福でありました」

 彰介が、斎藤の言葉を期待している。

「二人とも、研ぎがよろしくない」

 斎藤が、言った。彰介が、残念そうな顔をした。無理もない。脇差は大政老人から譲り受けたものであるが、大刀は故郷の村を出るとき、寺の台所から持ち出した砥石で和尚と研ぎ上げたものである。斎藤は、彰介の顔色をちらりと見て、

「こんど、良い研屋を紹介する」

 と付け加えた。

「是非」

 彰介が、再び少し笑った。無口なもの同士、なにか通ずるものがあるのかもしれない。

「今宵は、顔合わせで、酒になるな」

 斎藤が、京らしい透かし窓の向こうに眼をやりながら言った。

「今のうちに、寝ておけ」

「どういうことです」

「芹沢局長がいれば、朝まで飲まされる」

「局長?」

「首魁のことだ。壬生浪士組には、近藤局長、芹沢局長の二人の局長がいる」

 久二郎らは、てっきり、先程の肘枕の土方が首魁かと思っていたが、違うらしい。

「眠れ。明日、必ず、悔やむことになる」

「はい」

 言われるがまま横になったが、このような昼間から眠れるはずもない。

「日が暮れたら、起こす。眠れ」

 久二郎らの背に、被せて言った。あれよあれよと言う間に、予期せぬ方へことが進んでいるが、とりあえず、しばらくは飯の心配は必要なさそうだった。


「ちょっと、もう寝てるんですか。土方さんが、呼んでますよ」

 沖田の大きな声で、眼を覚ました。慌てて身を起こし、彰介を揺り起こした。

 斎藤は、あぐらをかいたまま、眼を閉じている。

「ちょっと、斎藤さんまで。起きて下さいよ」

 沖田が、斎藤の耳元で大声を出す。ゆっくりと、斎藤の目が開いた。

「済まぬ。寝ていた」

「寝ていた、じゃありませんよ。近藤さんも、芹沢さんも、皆もう帰ってきてますよ」

 四人で廊下へ出、広間へ向かう。

「それにしても、驚いたな。まだ夕方なのに、三人で仲良く寝てるんだもの」

「綾瀬君と樋口君が来たというので、今宵は酒になると思い、前もって寝かせてやろうと思った」

 それを聞いて、沖田は笑い声を上げた。

「ああ、芹沢さんですね」

 斎藤が頷いた。

「斎藤さん、人見知りなのに、もう綾瀬さんと樋口さんと仲良くなったんですか」

「こんど、研屋を紹介して下さるそうですよ」

「へー、そりゃすごいや。私だって、連れていってもらったことなんかないのに」

 廊下の先の、広間のふすまを開けると、中には既に壬生浪士組の面々が揃っていて、四人に視線を向けてきた。

「さあ、二人は、こっち」

 上座にいるのが、近藤、芹沢であろう。近藤の右九十度の位置に、土方。その隣の席が二つ、開けられていた。

 客は、久二郎と彰介である。それよりも上座に座っているということは、土方は近藤、芹沢に次ぐ位置にいるということになり、あとは同じような立場の者ばかり、ということになる。

 促されるまま座り、名を名乗った。

「よ、お大尽!」

 と、末席に座る、彰介にも劣らぬ大男が囃し立てた。

「俺は、原田ってんだ。槍の左之助とは、俺のことよ」

 気取って、景気のいい啖呵を切って見せたが、言葉に微かな西国訛りがあった。

「うるせぇよ、左之助。近藤さんが、先だろうが」

 土方がぶっきらぼうに言った。原田が、頭を掻きながら着席する。

「では、芹沢さんから」

 と言った、顎の大きな方が近藤であろう。それを受け、近藤の隣の肥った男が名乗った。

「局長、芹沢鴨である」

 いかにも粗野な風体であるが、芹沢を含め、その左手に居並ぶ五人は、やけに身なりが良かった。

「局長の近藤です。上様のために、よろしく励んで下さい」

 と近藤が穏やかな田舎のお大尽のような顔つきで言った。笑うと目尻に人懐っこい皺が寄り、いかにも親しみ易そうだが、眼には得も言われぬ光が湛えられている。

「副長、新見錦である」

 芹沢のすぐ左の痩せた小柄な男が言った。

 次は、土方の番である。

「俺は、さっき話したから、別にいいだろ」

 またぶっきらぼうに言った。

「駄目ですよ、土方さん。ちゃんとして下さい」

 沖田が囃し立てる。

「副長、土方だ」

 あとは、新見の左に座っている身なりの良い者達が、平山五郎、平間重助、野口健司。平山、平間の二人は名が似ておりややこしいが、左目に眼帯をしているのが平山と記憶した。

 久二郎、彰介の右隣にいる、一座の中でも年嵩らしい男が、井上源三郎。一見、老人の一歩手前のようにも見えるが、あとで聞くところによると、まだ三十代の半ばらしい。その隣にいる落ち着いた雰囲気でいかにも才気のありそうな男が、山南敬介。更に二人も知っている藤堂が親しげな顔をして改めて名乗り、沖田、斎藤、永倉新八、原田という面子だった。

 にこやかに談笑しながら飯を食い、酒を注ぎ合い飲んだが、席の右と左の面々で、身なりが大きく違うだけでなく、何か微妙な距離感があるのを久二郎は見て取っていた。

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