26話:真実への階段

「これの一体どこに交渉の余地があるのさ」


 ある一枚の羊皮紙に目を通していたアイヴィーだったが、一つ嘆息を挟んでからの第一声がそれだった。

 手にしているのは、階段に腰を据える男の持ってきた最重要機密任務シークレットミッションである。


 依頼任務クエストとは、一般公募によって受託する形式を指す。しかしながら、緊急性、重要性の高い案件に関しては、特定指定任務ミッションとして明確に線引きされる。それはなぜか。答えは、国家規模の政治戦略が働くからである。

 特定指定任務ミッションとして発行される条件は、国家の存亡を揺るがしかねないほどの重要度が要求される。一例を挙げるなら、がそれに該当する。この性質上、誰でも受託できるわけではなく、基本は実力の伴った人間のみに依頼されるなのだ。

 つまり、拒否権はない。

 半面、莫大な報酬が設定されている。その額は実に、同程度の難易度、危険度の依頼任務クエストと比較して五~十倍にもなる。

 だが、この特定指定任務ミッションには裏の顔が存在する。それこそが最重要機密任務シークレットミッションだ。

 前出したように、政治思想が絡む以上、高度な心理戦、情報戦が水面下で繰り広げられる。情報漏洩の観点から、任務内容の開示には慎重を期す。すなわち指名する人間にすら事前告知は行わず、秘密裏に進められるのだ。


 指名された四人が外界から隔絶された現状のように――


 前傾姿勢で垂らした両腕を、大きく開いた両足が支える。薄汚れた赤絨毯を踏みしめるのは、金属特有の光源反射によって銀光沢を放つ純聖金属クイーンズヴァニラ。本来は息を飲むほどの純白であり、別名を究極の聖金属トゥルー・オリハルコンという。

 量産される聖金属オリハルコンは光の屈折によって眩い金色を持つが、混じりけのない純度百%になると純白になる。

 胸当ての上でさらさらと踊り、うなじを隠す艶のあるきめ細かな黒髪。無駄のない鍛えられた肉体美を一八〇に届く長身痩躯が引き立たせる。黒と白が織りなす幻想的な調和からは、女性の理想を体現していると言っても差し支えないだろう。


 臆面もなく不満を声音に乗せるアイヴィーだが、当の本人は、この反応を想定していた。否、そうなるように内容を調節していたのだ。

 待っていたとばかりに、全てを台無しにする四白眼を宿す凶悪な面貌が、見下ろす彼女に向けられた。


最重要機密任務シークレットミッションの報酬として十分なものを用意したつもりだ。不足なら交渉に応じるって言ってんだぜ」


「だ・か・ら、これの一体どこに交渉の余地があるのさ!」


 先ほどと同じ押し問答に、右手の甲を羊皮紙に叩きつけ、最大限の苛立ちをぶつける。

 強制招集されるミッションは、拒否権はないが、その代わり報酬の交渉権を持つ。不足なら上乗せを要求できるのだ。

 特に今回の最重要機密任務シークレットミッションは、機密保持を前提としたものであり、相場は通常の特定指定任務ミッションの三倍は下らない。依頼任務クエストと比較すれば、実に三十倍もの要求すら不可能ではないのだ。


 お金に煩いアイヴィーがここまで露骨な態度を示すのは珍しい。

 どんなことが書いてあるのかと、ユイが「ちょっと貸してくれ」と報酬提示書を受け取ると、左右からショウとキサがのぞき込む。


「等級SSS任務。報酬額四億エイス。一人当たり一億エイス。これめっちゃ少なくない?」


 ユイを挟んで逆の位置に陣取るキサに話しかける。


「単純な等級だけで判断するなら少ないわよ。でもクエストと違ってミッションならこんなもんよ」

「そうなの?」

「ほら、ミッションって重要なものが多いから、大魔導士以上の実力者が指名されるでしょ? でも、私らってお金だけは持ってるから報酬で金額積まれても、あんまり魅力を感じないのよ」


 普段から様々な洋服に身を包んでるキサの説得力は高い。中学生大魔導士ともなれば、所属国に豪邸を所持する者は少なくない。それほどまでの高所得者が大魔導士なのだ。

 たかが一億程度ならはした金に感じてもおかしくはない。


「D級魔法使いでは指名されることがないからな。知らないのは無理もないさ。キサの言ったように、ミッション関連で支払われるエイスは副賞の扱いだ。本命は金をいくら積んでも買えないような、正賞の部分になる」


 三人は揃って、正賞部分に当たる下部へと視線を落とし、同時に動きを止めた。

 理解の範疇を逸脱した文字列に驚愕する。意味を認識したことで総毛立ち、血の気が引いていく。

 アイヴィーが怒るのも無理はない。

 最重要機密任務シークレットミッションの相場を無視した設定。


 一言で表すならば〝高すぎる〟のだ。


「こんなふざけた正賞を入れてくるミッションなんて、まともじゃない。受けたくないんだけど!」


 三人の反応を見て、アイヴィーが再度、シュラへ抗議した。

 正賞の部分には、各員下記から指定の報酬を指定し受け取ることができるとある。その肝心の一覧にはこう記されてある。



 ――全ての禁術に関する情報の開示


 ――指定領土の命刈り取る死の領域アイソレイト・フィールドの私有地化


 ――第四世代型魔法道具一式


 ――第五世代型魔法道具



 魔法道具の代表格である魔法指輪マジックリングは第一世代であり、名持ちネームド級の高給取りが主に第二世代装備を所持する。

 第三世代ともなると、金額さえつぎ込めば手に入る高級装備帯の上限だ。賢者の中でも王や賢人会でもなければ一式で揃えるのは不可能な域に達する。アイヴィーの杖もここに該当する。

 これが第四世代だと、あまりの危険さに第二級制限魔法道具の指定を受ける。所謂、準禁魔具と呼ばれる国宝だ。

 世界でわずかに五振りしか現存しないS級武器や、シュラの純聖金属クイーンズヴァニラがここに該当する。そして――


「第五世代って確か……」


 恐る恐る口にするショウの言葉をユイが引き継いだ。


「別名、終末戦争級決戦兵器。第一級制限魔法道具として禁魔具指定されているものだ……」


 これほどの物を報酬として提示するミッション。報酬段階で肝心の内容の確認が躊躇われる。どれほど過酷なことを要請されるのか、想像に難くない。


「悪ぃが時間がねぇ。俺だって報酬はもう受け取ってんだ、道すがら話すから黙ってついてこい」


 立ち上がったシュラが、腰に携えた一本の剣を叩く。

 一目で業物だと認識できる西洋剣。重厚感を醸し出す黒褐色のガードの中央部に中型の魔石が鎮座し、小型も含めればヒルト全体で六個も埋め込まれていた。

 剣身ブレイド部が剥き出しの西洋剣にあって、魔法の技術によって生成されたものには例外なく鞘が存在する。

 魔法剣の動力となる魔石は基本的に取り換えない。そのため、自然に回復させる必要性があるのだが、その役割を担うのが大気中のマナを吸着させる性質を持つ魔鉱石マナタイト製の鞘なのだ。

 青化反応による色味を帯びた鉱石が、絶えず編まれた魔法文字ルーンによって魔石へとマナを供給し続けていく。

 四人にはそれが何なのかは理解できなかったが、それでも一覧に記された内容からこれが第五世代型魔法道具の一つ、十二神武であることは明白だった。


 踵を返し廊下へと出て行くシュラに、ユイが同行する。

 続けて、アイヴィーが全部のみ込むようにして髪をぐちゃぐちゃと搔きむしると、不満を全開にした歩みで二人の後を追う。

 取り残されたショウとキサは、どうするのか躊躇った。むしろ即断即決で動ける状況ではない。何もかもがいきなり過ぎた。何が起こっているのかすら理解できない。予測できない。迷わない人間などいるわけがないのだ。

 やはり、こういう場で先に口を開くのはキサだ。


「どうするのショウ……」


 問いかけに、明確な答えはなかった。それでも今取れる選択肢があるとすれば一つだけだ。


「行くしかないだろ……」

「そうね。いまいち状況が飲み込めないけど、それしかなさそうね」


 お互いに意思を確かめ合い、部屋を出る。廊下には先に出ていた三人が待っていた。


「こっちだ」


 先頭を歩きだすシュラのすぐ後ろをユイが、少し距離をあけてアイヴィーが続き、最後尾にショウとキサが隣り合う。

 エントランスホールの奥から伸びる廊下は、物置として利用されていたであろう二部屋があるのみ。シュラは迷いなく真っ直ぐに進んでいく。


「まずこの計画の発起人だが、国際魔導機関理事長【小さな巨人スモールタイタン】雨宮奏だ」


 あれほどの馬鹿げた報酬を用意できる人物となれば、そうそういない。想像していた通りの超大物の名前に唾をのみ込む。

 魔法使いの頂点は賢者である。これは、国際規定に基づく公式名称だ。

 賢者の階級証明書ライセンスには、王、賢人会、評議会などの地位が記載されているが、これはあくまで役職であり魔法使いとしての実力を示したものではない。

 俗世では、得てして〝誰が最強か〟という一種の娯楽が流行る。

 単純な力比べで現在最強候補として以下の四人の名前が挙げられている。




 宝玉の魔王を倒し、かつての魔導大戦を終わらせた立役者

 国際魔導機関理事長――【小さな巨人スモールタイタン】雨宮奏


 新人類党の最高傑作にして、聖戦で猛威を奮った

 大賢者――【闇精霊シェイド】九条梓


 その【闇精霊シェイド】を倒し、聖戦を勝利に導いた五英傑リーダー

 賢人会第一席――【大天使アークエンジェル】七星美羽


 黎明期から存在する生きる伝説、マジックギルド・ギルドマスター

 賢人会第二席――【氷雪の魔女】沢城美羽




「計画そのものは前から決まってたんだがな、実行に移したのは三日前。そこの坊主がB級魔導士と戦った時だ」


「あの禿頭」


 怒りを込めたキサの言葉に、シュラが「そうだ」と認める。


「坊主が魔法文字ルーンを使えるように誘導したのは俺たちだからな。ずっと監視してたんだよ。計画に必要なレベルに達する時をな」

「ちょっと待って、それじゃあ、まさか!?」


 シュラの発言に、キサはこの計画が途轍もないほど綿密に練られたものだと気づき驚愕する。

 国際魔導機関とは、魔法の安定運用のため、数々の法を制定し秩序を守り続けてきた最高権力機関。

 魔法使いは存在そのものが凶器だ。当然、その脅威から身を守るため、自動防御を有する魔法指輪マジックリングは誰もが常に装備している。しかし、それがある意味で枷にもなっている。

 障壁ゲートの移動先は、魔法指輪マジックリングで指定する。反響定位エコーロケーションで位置の把握。電波の入らない狭間の世界では通信連絡手段にもなる。そして、最大の機能が〝魔法を使おうとすれば激痛を伴う〟というものだ。

 最も、効果は限定的で、魔法王国領内および現実世界での使用に限られる。

 魔法使いが安心して暮らせる世界を築き上げてきた国際魔導機関が、よもやこのような暴挙に出ようと誰が想像できるであろうか。キサが驚くのも無理はない。信じられないのはショウも一緒なのだ。

 治療のため、時任時雨を主治医に任命したのは国際魔導機関だ。

 魔法文字ルーンを学ぶため、時任時雨に風間翔を弟子にするよう指示したのも国際魔導機関だ。

 過去の文献の閲覧権限を与えたのも国際魔導機関。そして、その指示は全部【小さな巨人スモールタイタン】から出されたものだった。


 全てが繋がっていく。


 魔導試験を取り仕切っているのは、国際魔導機関だ。戦いの記録はいつでも見ることができる。B級魔導士のトレヴァーを倒した映像を見た【小さな巨人スモールタイタン】は、その日のうちにキサにデッドスポット当選の連絡を発行した。

 翌日、キサがそれを受け、ショウを誘うことまで見越していたのだ。そして、今だからこそ理解できる、あの時の職員の対応の異常さ。どうして〝後衛のエキスパート〟を同伴しろと言ってきたのか。

 そもそも予約しても手に入らないアイヴィー製の治療薬ポーションは、基本的に全て【反魂の雪女】へ納品している。彼女の若返り薬はアイヴィー製を素材にしなければ生成は不可能だからだ。それがどうして、国の窓口に届けていた。

 狙いすましたかのようなタイミング。ここまで来れば自ずと答えは出る。納品時間を指定していたのだ。

 極めつけは、この研究所跡へ案内したのは誰だ。アイヴィーだ。

 奥にあった二部屋を通り過ぎ、通路の終端で足を止める。


「ここが目的地?」

「何もないわね」


 訝しがるショウとキサだったが、シュラは意に返さず壁面に積まれたレンガの壁を叩いていく。

 何度目かの作業を繰り返したあと、シュラの動きが止まった。今度は力を込めて押すと、レンガのつなぎ目が奥へと引っ込み、地下へと続く階段が姿を現した。


「こんな場所に隠し通路があったのか」


 一度乗り込んだことのあるアイヴィーすら知らなかった場所。

 閉じ込められていた空気が流れ込み、室内の温度がみるみると下がっていく。

 ゴツゴツとした岩を見る限り天然の洞窟に見えるが、狭間の世界にそんなものは存在しない。あくまでそう見せているだけで人工的に作られたものだ。側面には等間隔で光の魔石が埋まり、中を照らしている。


「お前が知らねぇのも無理はねぇ。こっから先は逃げ込んだ新人類党を追いかけて行ったルリしか知らねぇからな」


 ルリとは、国際魔導機関の制しを押し切り、この研究所へ乗り込んだ聖戦の英雄たちの一人だ。彼女は、元魔導研究機構の最高責任者にして、魔法指輪マジックリングの基本設計を組み立て、魔導計算機ソフトウェアを開発した天才でもある。

 本来備わっているはずの魔法指輪マジックリングの制限を、彼女なら簡単に違法改造クラッキングして外すことができる。

 こうして自由に魔法を行使できるようになった五英傑は聖戦で勝利した。

 そして、この魔法指輪マジックリングの制限を解除できるという恐ろしい力を持ったルリは、即時賢人会の席次を剥奪され大賢者の地位を宛がわれたのは有名な話である。

 肝心なのは、この聖戦をきっかけに国際魔導機関と五英傑という、二分する大派閥が誕生したことだ。その五英傑のルリしか知らない隠し通路を、どうしてシュラが知っているのか。


「なるほど、【風精霊シルフ】は国際魔導機関あんたらが送り込んだ二重スパイってわけか」


「そうだ。そのルリから連絡が入ってな。五英傑がてめぇらの捜索隊として結成され、今こっちに向かって来てやがる。こっちの目的さえ済めば、別に奴らが来ることに問題はねぇんだが、向こうに魔王が出やがった」


 魔王という単語に空気が張り詰めた。あの怪物との二度に渡る死闘を演じたのは、昨日の話だ。他にもまだいたのだと聞かされれば、自然、身体も強張る。

 階段を下り切ると更に一本道が続いていた。奥からは、更にひんやりとした空気が流れ込み、肌を刺激する。


「そのせいで【暴君】が画策してるってのに気づきやがったってわけだ」

「え、ちょっと待って下さい。【暴君】ってどういうことですか? 新人類党は七年前の聖戦でしたんですよね?」


 今の今まで魔物の群れや、魔王に襲われたことも国際魔導機関側の仕業だと勘違いしていた。しかし、【暴君】はれっきとした新人類党の幹部である。

 ショウの見当違いの疑義にシュラは鼻で笑い、バカバカしいと切り捨てた。


「んなもん表向きの詭弁きべんに決まってんだろうが。ただでさえ聖戦勃発で、少なくない数の魔法使いが現実世界に戻ってんだぞ。人口流出を避けるためには、壊滅したそういうことにした方が都合がいいんだよ」


「それじゃあ、魔王をけしかけたのはシュラさんじゃないんですか?」


「新人類党じゃねぇ俺がどうやって魔王を操れんだよ。あれはこっちからしても完全に計画外の非常事態イレギュラーだ。俺たちが坊主に魔法文字ルーン神聖文字ヒエラティックを覚えさせるために動いていたように、あの野郎も狙ってたってことだろうよ。元々、てめぇは七年前にも【暴君】に誘拐されてんだ。さすがに今回チョッカイ出して来た意図はわからねぇがな。ついでだ、素通りするつもりだったが、少し見ていくか」


 シュラがそう言ってから、いくらも時間が経たないうちに、開けた空間へと出た。


「ここは」

「趣味がいいとは言えないわね」


 どこか懐かしさすら抱くショウの隣で、キサが嫌悪した。

 部屋全体が緑色を帯びているのは、七つの容器から放たれる光が反射しているからだ。

 縦に伸びる透明な容器は水で満たされ、大柄な人でも入れるほどの大きさがある。魔導試験で使われるMSRとほぼ同程度のサイズで、見た目はそれを立てて配置しているようなものだ。

 下部は色んなパイプが伸び、正面にはパネルがついている。おそらくはこれで何かしらの操作をするのだろう。

 部屋の中央で歩みを止めたシュラが身体を反転させ、腰に手を当てて佇む。


「新人類党の研究は大きくわけりゃ、二つある。一つは【暴君】が手掛ける魔物の生成。んで、もう一つが【神速】がこの研究所で手掛けていた、人造能力者の生成だ」


「随分と悪趣味な部屋だね」

「全くだ。見ているだけで嫌悪感を抱かずにいられんな」


 辺りを見渡すアイヴィーとユイが、露骨に顔を歪める。

 容器の中を覗き込むように、キサがガラス面に手のひらを当てると、ぽつりと呟いた。


「ソフィア=バローネ……」


 その声に反応したアイヴィーが、同じようにカプセルの正面パネルの下に張り付けられたプレート、そこに刻まれた名前を口にする。


「ふーん、ここが例の実験体の部屋ってことか……こっちはフレア=エストニックだね」


「なるほど、そういうことか。こちらはレディス=ニコルヌだな」


 反対側のカプセルの前でユイが名前を読み上げる。

 どれも有名な名前だ。四年前、D級魔法使いから始まる魔導試験で、特例が認められ、賢者昇級一次試験を免除、二次試験からデビューした怪物五人組。

 ユイを二次試験で秒殺し、賢者の一角に名を連ねた者たち。


「てめぇらも知っての通り、俺たちの使う魔法はもともと、ある一人の能力者の力だったものだ」


 シュラの口上に、ばらけていた面々は一様にシュラへと視線を送る。

 始まりの魔法使い。精霊に愛された唯一の人間にして、自然現象を操ったとされる魔法使いの始祖だ。

 十五年前の戦争で、史上二人目とされる能力者と相討ち命を落とした伝説の存在。


「新人類党は、人工的にこの能力者を生み出す研究をしてやがった。色んな人間を誘拐して魔力を変容させて能力者を作り出す研究をな。能力そのものの発現を研究する【神速】と、その素体の魔物を作ってやがる【暴君】」


 言いながら、シュラはとある一つのカプセルの前に移動し、プレートを見ろと親指を向ける。

 四人は近づき、そしてプレートに刻まれた名前を見て凍り付いた。


「風間翔、てめぇはマナ中毒で魔力が練れなくなったんじゃねぇ。【神速】に改造された人造能力者。その一人なんだよ」


 風間翔。プレートに刻まれていたのは、間違いなくその三文字だった――

 部屋に入った瞬間、ショウが真っ先に抱いた感情は〝懐かしい〟である。

 ショウ自身、気味の悪さを感じていなかったわけではない。何をしている場所なのか検討がつかないほど愚かでもなかった。それでも、何よりも真っ先に沸き起こったのが、それだった。

 記憶にはない。ただ、漠然とした見覚えのようなものがあった。

 その理由が今、ショウの目の前に存在している。


「さて、ここで問題がある」


 シュラは部屋の中央に立ち、左手を水平にぐるりと半回転させた。


「見りゃわかるが、容器は七個。つまり実験体は全部で七人いたわけだ」

「投入されたのは五人だね」


「そうだ。そこは聖戦に参加したアイヴィーの方が俺より詳しいだろうな。今言ったように、聖戦で確認されたのは五人だ。五英傑の猛攻に耐えかねた新人類党の連中は、苦肉の策として未完成だった人造能力者をぶつけてきやがった」


 そこから先は凄惨なものだったと言われている。

 未完成とはいえ、その実力は賢人会に匹敵し、事実、五英傑は劣勢に追い込まれた。有志で募った討伐隊は半壊を余儀なくされ、この戦いだけで数百人の命を散らしている。

 だが、今シュラが言ったように、五人なのだ。


「じゃあ、残りの二人はどうなったのかって話だ。一人は坊主だから省くとしても最後の一人はどうしたって話だ」


 そこにあることを事前に知っていたという足取りで、シュラは部屋の最奥で屹立する容器を背後に置いた。


「誰よりも早く研究所にたどり着いたのはルリだ。奴は【神速】を追い、ここで実験体を開放し、党首に引き渡したのを見てやがる」


 大仰に両手を広げ、口角を吊り上げる。

 あとは己の目で確かめろと、シュラはそう仄めかせた。

 ショウの過去を知っているキサとアイヴィーは動かない。そして、シュラから事前に聞かされているであろうユイも動かない。

 何が書いてあるのか、それがわからないショウではない。ここにいる全員が知っている。ただ、現実を直視するかどうかだけの、ほんの些細な違いがあるだけだ。

 胸に手をあて、ショウは、一つ深呼吸をする。気持ちを落ち着かせ、一歩足を踏み出し、右のプレートを視界に入れた。そこに記されていた名前は――、インディー。

 一度、まぶたを静かに閉じ、大きく脈打つ胸に手を当てる。


「つまりは、そういうこった」


 容器の前で立ち尽くすショウに、シュラは冷徹に突き放した。

 ショウが目にした文字には見覚えがなかった。当然だ。先ほどシュラが口にしたように、党首に引き渡されているのだ。まだ、救出されていない人間がいる。

 己と同じ境遇に合い、いまだ助かっていない人間がいることを、かつて同じ場所にいた人間のことを全く覚えていなかった罪悪感。


「時間もねぇし、続きは歩きながら話すぞ」


 ショウの心象を察して複雑な気持ちになっている女性陣三人と違い、シュラは特に感慨もなく右手側から続く通路へと我先にと消えていった。


「先に行っている」


 ユイはショウの肩にそっと優しく手を置き、シュラを追いかけ通路へと進んでいく。


「ショウ……」


 こんな時どうしたらいいのかわからず、キサは両手でズボンの裾を掴み、ただその名前を口にした。

 俯き、顔色を窺わせないショウから心境は読み取れない。そんな彼をキサは隣で見続ける。


「ほら、ぼーとしてないで、二人とも行くよー」


 後ろからアイヴィーが手を回し強引に背中を押した。

 抵抗こそなかったが、ショウの歩みはアイヴィーが力を抜けばその場に立ち尽くす勢いだ。

 そんなショウの姿を見かねたアイヴィーが、力いっぱい少年の背中を引っぱたいた。

 衝撃で、つんのめったショウはあまりの遠慮のなさに頭の中が真っ白になる。元凶を作り出した女性を見て、目を瞬かせる。


「ショウ坊、お前シュラの言ったこと、ちゃんと聞いてなかったー? 言ったよねー、党首に引き渡したって。生きてるってことだよ。ほら、わかったら自分の足で歩く」


 今度は軽快にショウの頭を叩き、それっきり一度も振り返らなかった。

 精神的な部分は、どうしても年の功が如実に現れる。今の一連の言動を隣で目の当たりにしたキサは「やっぱすごいな」と口の中で言葉にした。

 キサは自身の左手を目の前で開く。

 彼女もまた戦っていた。いつまでも追いかけるだけでいいのかと。共に高みを目指すと語り合ったばかりなのだ。魔法を失い、ようやく同じ土俵に立った今の自分に何ができるのかと。

 決意を固めるという言葉があるが、まさにそれを体現するように左手を握り込み、暗然としていたショウを見据えた。

 ぶつかり合う瞳と瞳。

 口を開きかけたショウの言葉を遮り、キサは、再び開いた左手でショウの手を取った。


「行くわよ」


 母親が子供にそうするように、キサはショウの手を引く。


「【魔導器創生者】になるんでしょ。【大賢者】になるんでしょ。私も巻き込んでその高みまで行くって言ったあんたが前言撤回なんて許さないから」


 言い切って一度歩みを止める。ショウの手を握る腕に力が入る。

 ショウから見えるキサの後ろ姿は震えていた。

 彼女もまた、魔法を失ったばかりで感情の制御が上手く出来ていないのだ。そんなすぐに割り切れることではない。ましてや、十四歳の女の子なのだ。それでも必死で他人を気遣おうとしている。

 キサの右腕が持ち上がり、顔の高さで左右に動く。

 ショウはキサの手を握り返し、瞳を濡らした少女が振り返る。


「ごめん。もう大丈夫。前言撤回なんてしないよ。いきなり過ぎて混乱してただけだから」


 一歩だけ前に進み、引かれていただけの状態から並び立つ。


「今までずっと新人類党は壊滅したんだって思ってた。でも違ったんだな」


 虚空を見つめるように、ショウは顔を上げ独白する。

 見上げる彼の横顔を、キサは熱を帯びた瞳で見つめ、ただ無言で耳を傾ける。


「聖戦の時は、ただ助けられるしかできなくて、全部終わったあともこの身体のことで周りに迷惑かけて……まだ新人類党あいつらに捕らわれた人がいるのに、何も知らずにのほほんと生きて……」


 そこまで言って、ショウは俯き、そしてキサと正対する。


「知っていくよ全部」

「えっ……」


 キサの視線に、ショウの淀みのない熱い眼差しが絡みつく。


「シュラは僕が今までずっと知りたかったことを知ってる。だから、逃げずに全部知っていくよ。そして、インディーを助ける。だからキサも力を貸してほしい」

「私、魔法使えないわよ?」


 皮肉たっぷりなキサの返しに、ショウも「大賢者になるんだろ?」と意趣返しする。

 どちらともなく吹き出し、二人は仲良く笑い合った。

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