隠密・土蜘蛛伝 小袖の手
瀬古刀桜
第1話 始
文久三年九月十九日。
京都にある新撰組屯所・八木邸。
一人の隊士が、八木邸に向かったことにより、事件は発覚した。
「大変だ!!誰か、大至急、近藤先生にご連絡を!!」
俺は聞こえてきた声の場所に向かった。
声が聞こえた場所に近づくにつれ、何かあったのかおおよその事を察してしまった。
何故なら、血の匂いを感じたからだ。
「芹沢局長……」
筆頭局長・芹沢鴨の亡骸が其処にあった。
寝ているところ、何者かに襲撃されたのだろう。全身に刀傷があった。
彼の愛妾であるお梅はその近くで、心臓を貫かれ死亡していた。
隣の部屋には、首を切られた平山五郎の姿があった。
俺と同じく、隊士の声を聞いたのだろう。
友である斎藤一が姿を表した。俺は彼に視線を向ける。
彼は俺の視線の意味を悟ったのだろう。黙って首を横に振った。
俺は三人の亡骸を観察し、首を傾げた。
「どういう事だ?解せぬ」
俺のつぶやきに、斎藤君が視線のみで問いただしてきた。
「お梅と芹沢、平山。死体の状況からみると別々に殺されているぞ」
「?説明してくれ」
斎藤君の問いに、俺は簡潔に答えた。
「死体の硬直具合が芹沢局長と平山さんはほぼ同じ。だが、お梅さんとは異なる」
俺の説明に斎藤君は首を傾げた。
無理ねぇなぁと俺は笑った。
こんな知識、医者ぐらいしか知らないだろう。
「人は死ぬと、その亡骸はどうなるか知っているか?」
「いや」
「時間が経つにつれ、亡骸は硬直していく。ここまでは理解できるか?」
「言われてみれば確かに」
俺の言葉に、斎藤君は頷いた。
「芹沢先生と平山さんの死体を触ればわかるが、この二人は全身にまで硬直が進んでいる。俺の経験則としては死後半日と言ったところだが、お梅さんの硬直具合はそこまで進んでいない。すなわち殺害時刻に時間差が発生している」
「じゃあ、誰が芹沢先生や平山さんを……」
芹沢さんや平山さんを殺した犯人には、心当たりがあった。
俺は近づいてきた新選組副長・土方歳三と山南敬助に視線を向けた。
斎藤君は何かを察したのだろう。
俺の手を掴むと、黙って首を横に振った。
「行こう。尾形さん」
俺は斎藤君の言葉に従い、その現場から離れた。
俺は斎藤君とともに、壬生寺にやってきた。
周りに人がいないことを確かめると、斎藤君は、境内の階段に腰を掛けた。
「俊さん、アンタは誰が芹沢さんを殺したのか、知っているのか?」
「ああ」
「芹沢と平山をやったのは……」
「……会津の命令で仕方がなかったんだろう」
俺の言葉の意味を正確に察したのだろう。彼は俯いてしまった。
芹沢鴨と平山五郎の身体に残された傷跡と状況からみて、暗殺の実行犯は彼の古い友人たちだろう。
「何で、殺したんだろうなぁ」
「……さあな」
斎藤君には伝えなかったが、原因は様々な情報から俺は察していた。
芹沢は殺される直前、複数の仲間とともに攘夷派だった有栖川宮熾仁親王に仕えたいと申し出ていた。
おそらくこれが、会津藩の怒りを買ったと思われる。
会津にしてみりゃ、拾ってやった野良犬が突然噛み付いてきたようなもんだ。
俺は、隣に座る彼の頭に手をのばすと、俺はポンポンと彼の頭を撫でた。
「……子供扱いするな」
拗ねる斎藤君を見て、俺は苦笑を浮かべた。
「気になるから、聞いてみるかねぇ……」
「とりあえず、山南さんには気をつけてな」
俺のつぶやきを拾った斎藤君がポツリと呟いた。
「沖田や永倉ではなく、なにゆえ山南さん?」
「俊さん本来の剣術の実力なら、俺と互角かそれ以上。山南さんと勝負した場合、確実にアンタが勝つ。だがな。殺し合いとなれば、アンタと山南さんは互角だ。あの人は奇妙な術を使う」
「奇妙な術?」
俺の問に、斎藤君は頷いた。
「神職の出だそうだ。俺の勘が正しければ、ありゃ、陰陽道の使い手だな」
「……山南さん、出身何処だっけ?」
「仙台」
仙台、山南……いや、多分「山南」と言うのは俺と同じ偽名と見ていい。
記憶を手繰るうちに、とある流派の陰陽道を思い出して、俺は頭を抱えた。
あの流派だっただら、相当に面倒くさい。
「若い頃、何度か陰陽師と戦ったことがあるが……面倒だな」
俺が戦った忍びの中には、当然、式神などを操る陰陽師も含まれるが……
「殺さないように戦うっていうのも、難しいなぁ」
俺のつぶやきに、斎藤君は口元を緩めて笑った。
その翌日の文久三年九月二十日。
この事件は長州藩士の仕業とされ、筆頭局長・芹沢鴨と平山五郎の葬が神式で行われた。
芹沢さんの葬儀が終わり、。俺は斎藤君と二人で近くの飲み屋で酒を飲んでいた。
その酒は非常に苦かった。 。
理由は、わかっていた。今日の葬儀で弔われたのが、芹沢鴨と平山五郎の二人だけだったからだ。
芹沢の愛妾であったお梅の亡骸は、八木邸に残されたままだ。
(……何故、そこまで残酷なことができる)
当初は、お梅さんの亡骸も、芹沢さんと一緒に葬るという話があったらしい。だが、芹沢局長の跡をついだ、近藤局長が反対したらしい。
せめて、無縁仏として葬ってやりたい。
何故なから、彼女は……
「斎藤くん……ちょいとばかり、副長を脅迫してもいいかねぇ」
向かいにいた斎藤君は驚いた表情を浮かべた。
「脅迫とは、聞き捨てならないな。何があった?」
「……お梅さんの亡骸のことさ」
俺の言葉に斎藤君は、なるほど言うように、頷いた。
「副長助勤・尾形俊太郎ではなく、隠密・土蜘蛛の言葉であれば動くかもしれないからな」
斎藤君は口元に笑みを浮かべ、言った。
「不在証明は必要かね?」
「頼めるかい?」
「任せろ」
俺は愛用のべしみの面を手にし、ある男のもとへ向かった。
壬生寺・境内にて、俺の目的の男は、一人刀を振るっていた。
刀を振るう姿を見て、俺は彼の太刀筋に迷いがあると思った。
無理もないな。
上(会津)の命令で、新撰組の生みの親でもある芹沢を殺したのだ。
さて、どう接触するかと考え、俺は”彼”を使うことを思いつき、印を結び、呪言を唱えた。
現れたのは、小さな少年。
俺は、今は亡き魂に少年の姿を与えたのだ。
本職ではないため、少しの間しかこの姿は留められないが、なんとかなるだろう。
「お前とお前の母上を助けるためとはいえ、利用してすまないな」
少年は、俺の言葉に首を横に振ると、彼……新選組副長・山南敬助のもとへ向かった。
雑念を振り払うかのように、山南は刀を振るっていたときだった。
山南の目の前に一人の男の子が姿を表した。
「霊体?……誰かの式神か?」
首をかしげる山南の声に、闇の中から声が帰ってきた。
「違う。彼には、お前さんに頼みたいことがあるらしくてな。一時的に俺が力を与えただけだ」
……お願い。母さんを、供養して。
「お母さん?」
「その子は、芹沢とお梅の子だ」
山南は無言になった。
「自分の母親の供養を頼みたいという子の気持ちは共感できたから、俺は彼に力を貸した。それにしても、亡骸を放置っていうのは、道理に反しちゃいねぇか?」
べしみ面に忍び装束の男に警戒した山南は、懐から札を取り出そうとした
だが、次の瞬間。
「ぐう……」
山南の両腕に激痛が走った。同時に、手が痺れて動かなくなったから。
「何たる無様な……」
「安心しろ。その痺れは一時的なものだ。そう言えば、名乗っていなかったな。俺の名は、土蜘蛛。聞いたことがあるだろう?過去に何度か、お前さんの一族郎党と刃を交えた隠密とは、俺のことだ。陰陽師と戦うには、印を結ぶ両腕を封じ、声を封じるものだが……聞きたいことがあるんでな。だが、次、抵抗すれば、その喉を潰す」
「……何を聞きたいというのですか?」
「芹沢鴨の愛妾・梅を殺したのは、新選組か?」
「……」
山南は大きく目を見開き、たいそう驚いた表情を浮かべたが、首を横に振った。
「なるほどな……梅を殺した犯人は別にいるということか」
「え……」
「礼として、一つ教えておこう。梅は芹沢の子供を身ごもっていた。お前たちは、間接的とはいえ、関係のない子供まで殺したことになる」
土蜘蛛と名乗る忍びから告げられた衝撃の事実に、山南の顔色は真っ青だった。
「キチンと供養してやれ。でなければ、俺はお前の大切なものを奪いにいくぞ」
その言葉に、山南の脳裏に浮かんだのは、近藤と土方の姿だった。
彼は、腕の痛みを振り切るかのように、刀を抜くと、土蜘蛛と名乗る忍びに切りかかっていった
ギン。
刃と刃がぶつかり合う音が聞こえた。
山南の刃を、小太刀で受ける土蜘蛛。
一瞬、視線と視線が混じり合った。だが、次の瞬間、目の前の土蜘蛛は跳躍すると、あっという間に山南の前から姿を消した。
「やれやれ。あそこまで脅しておいたから、きちんと供養するとは思うが……」
次の瞬間、腕に激痛が走った。
白狐の式神が俺の腕に噛み付いたのだ。
俺は呪言を唱え、式神を術者のもとへ返した。
「式返しの影響は最小限にしたが、大丈夫かね。山南副長」
べしみ面を外し、俺はため息を付きながら、止血を施す。
「ああああ。ホント、面倒くさいなぁ」
俺は屯所に戻った。
「……式神が返された」
山南は唖然としながら呟いた。
あの男、どれほどの実力だと思った。
痛む体を引きずり、山南は近くの岩に腰を掛け、土蜘蛛から言われた言葉を考える。
お梅は芹沢の子供を身ごもっていたと告げた土蜘蛛。
(根拠のない勘ですが、梅さんが身ごもっていたのは事実でしょうね)
その時だった。
「そこにいるのは、山南先生ですか?」
現れた男に、山南は振り返った。
斎藤一の姿があったからだ。
「顔色がよくありませんね。大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です。斎藤君はどうして此処へ?」
斎藤は目元に笑い皺を浮かべると、親指と人指指で円を作り、飲む仕草をしてみせた。
「一人で飲みに行ったのですか?」
「いや、尾形さんと一緒です」
山南は斎藤の言葉を聞いて、笑みを浮かべた。
そういえば尾形俊太郎が来た時、感情をめったに表さない斎藤君が、「来るのが遅い」と飛び蹴りを食らわせたときのことを思い出したからだ。
「俺は堅苦しいのが苦手なので……何かありましたか?」
「古い友人に説教されました……人の死を蔑ろにするなと」
「ほう」
斎藤は手を伸ばし、山南の体を支えた。
「明日、少し手伝ってもらえませんか?」
「もちろんですが、何を?」
「近藤さんと土方君に談判し、お梅さんの埋葬しましょう」
「承知いたしました」
斎藤は山南の言葉に頷くと、彼の身体を支えながら、屯所に向かった。
だが、時はすでに遅かった。
九月二十一日 朝。
八木家の奥様から話を聞いた俺は、急いで前川邸の一室に向かった。
その部屋には、殺されたお梅さんの亡骸があったのだが。
「誰がやりやがった……」
「俊さん、こりゃあ……」
同じ部屋にいた斎藤君も、現場を見て唖然とした表情を浮かべていた。
ないのだ。
お梅さんの亡骸がどこにも。
「狼(壬生浪士組の渾名)の住み家から、死体が盗まれるとはなぁ……計算違いだったぜ」
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