もふもふ異世界料理人 しあわせご飯物語

りょうと かえ

呼んだのは犬と猫

 少し蒸し暑い夜だ。窓から零れるような星はきれいで、月も白くきらめいていた。

 十二時近くになり、ついに鳥の声も聞こえなくなる。


 読みかけの本を脇に置き、私はもぞもぞと布団に入る。

 ふかふかのベッドに横になりながら、明日のことを考え始めた。


 明日は土曜で一日中、キッチンを使うことができる。待ちに待った週末だった。


 平日ではゆっくりと作れない料理も作ることができる。そうだ、今週は本格的なブイヨンに挑戦してみよう!

 鶏ガラのだし汁をハーフやたまねぎといった野菜も加えて、ひたすら煮込むのだ。


 市販品もあるけれど、凝ったブイヨンは数時間かかっても作れない。

 頭の中で明日作る料理を考えると、高まる気分を抑えられない。きっと今の私はにま~っとしているだろう。


 私―――佐々木彼方ささき かなたは、料理が好きな一人暮らしの大学生だ。

 癖のある首くらいまでの黒髪とちょっと慎ましい胸、少しだけ高い身長と、割とどこにでもいる女子大学生だった。


 変わっているのは親も料理コンサルタントで、知る限りの親戚も、食にまつわる仕事についていることだろう。


 だからだろうか、料理の世界で生き続けたいと思っていた。お皿の上の、小さな世界を担う人に。そのためにも、ちょっとでも腕を磨きたかった。


 しっとりとした風さえも今は吹いていない。もう音がないせいか、急速に眠気がやってくる。


 闇が私の部屋だけでなく、意識まで持っていくようだ。


 瞼が重い。もう目を半分も開けていられない。……全てが遠ざかり、意識が枕に沈みこんでいく。




 ◇



 ぺしりと頬に生暖かく、やわらかい感触があった。撫でられた?

 う~ん、眠すぎる。なんだろう、この感触は。


 動物は飼っていない。犬と猫は大好きだけど。それにしても眠い。

 むにゃむにゃと思考が動かない。


 夢ならば、もう少しだけ放っておいて欲しかった。


 うつらうつらしていると、さらにぺしりぺしりとされる。


「……もしかして失敗かにゃ?」


「まさか。寝てるだけ……」


 ふ~ん、と今度は髪をわしゃわしゃと撫でくりまわされた。

 起きる、これは起きるって!?

 私は布団を蹴っ飛ばして、飛び起きた。


 そこで私はフリーズしてしまった。


 ベッドの隣には、なぜか白猫と一人の女の子がいたのだった。


 枕元に座っていたのは、かなり大きめの白猫だった。

 猫カフェ常連者の私が判断するに、ラグドールのように見える。


 すらりとした肢体と、ゆったりとボリュームのある雪のように光沢のある毛、そして何よりも猫の中ではずっしりとした体格が特徴だ。

 でも気のせいでないなら、枕元で声がしたような? 普通の猫は当然喋れないはずだった。


 女の子の方はベッドから少し離れて立っていた。肩までいかない濃い茶色の髪と、中学生くらいの女の子だ。

 美しいというよりは、あいくるしいまでの可愛らしさだった。

 白のセーラー服をきちっと着こなしているのが、一層可愛さを引き立てていた。


 ぱっと見た印象でしかないけれど、静かめでしっかり者の雰囲気がある。

 気になるのは、どんよりと顔色が悪いことだった。


 問題は―――彼女の頭に薄茶の犬のような耳がついていることだった。さらに長めのスカートの下からゴールデン・レトリーバーのような、もふもふの尻尾も出ている。

 今は、だらんと力なくたれさがっているけれども。


「あ、起きたにゃ。呼び出したショックで気絶してるかと思ったにゃ」


 一人と一匹にあっけにとられていると、屈んだ猫が鈴のような声色で言う。

 やっぱり猫が喋っていた。しかも、流暢な日本語だ!


 見回すと、どういうことだろうか。私の部屋がロッジのような木目の部屋に変わっていた。


 私の部屋は真っ新な白い部屋で、ポスターをいろいろ貼っていたはずだった。今は天井に灯りはあるものの、壁には時計すらも掛かっていない。


 新しい建屋なのだろうか、少し樹木の匂いが鼻をついた。でもここは私の部屋と何の共通点もない。

 寝る前までは今風の、何の変哲もない白い部屋にいるはずだった。


 ぱっと、右手でベッドの感触を確かめ、左手で自分のパジャマを色々確認する。


 かろうじてベッドと枕と服は寝る前のものだ。意味がわからない、謎だらけだった。


 喋っているのは猫と犬耳女の子でいいのだろうか。まず彼女たちは何なんだろう?

 よくある亜人とかいうやつなのだろうか。最も、そんな知り合いはいないのだけれど。


 とりあえず、話はできるようだ。聞かなきゃ始まらない。


「あなたたちは一体何なんです……?」


「私はニナにゃ、あっちの女の子はアリサにゃ」


「……多分状況を説明した方がいい、混乱してる」


 アリサと呼ばれた犬耳の女の子が、ぽつりと言う。

 そう、ぜひそうして欲しい。


「そうにゃ、どこから話すかなにゃ。最初からがいいかにゃ」


「その方が……助かります。何がどうなってるのか、全然わかりませんし」


「じゃあ、昔々神と魔の大きな戦いがあってにゃ――」


「すいません、やっぱりもうちょっと端折ってください……」


 がくっ、と口に出しながらニナがずっこけた。あ、この猫はちょっとおもしろい。


 いや、それよりも今、聞きなれない単語が出てきた。神と魔。思いっきりファンタジーだ。

 本気なのだろうかと思ったけど、猫と会話してるし、不思議だらけだった。


 というより、なんで私? なんでもない大学生なのに。

 まさか、ネット小説でよくある死後の世界だったりするのだろうか。

 いきなり異世界転生? 寝てる間に心臓止まった!?


「……ちょっと来てもらっただけ。あとこれは単なる読心術だから、驚かないで」


 ふー良かった、死んではいないみたいだった。

 でも、いやいや驚くなって無理でしょ。しかも百点をあげたいくらいに私の考えが読まれている。


 眉が思いっ切りあがって、びっくり顔をしているのが自分でもわかる。

 死んだわけではないようだけど、来てもらった?? 謎が全然減っていかない。


「ここは東京で、私たちの家にゃ。私たちはいわゆる魔法使いで、魔法であなたをここに召喚したんだにゃ。……アルバイトとしてあなたを雇うためににゃ」


「え……ここって東京なんですか? 100Kmも離れてない……」


 思わずつっこんでしまったのは、そこだった。

 魔法だとか召喚だとか、漫画やゲームでしか聞いたことがない単語はスルーしたかったけれども。


 普段だと到底信じられない話だった。まだ誘拐されていたというオチの方が、現実味がある。

 でも日本語で喋る猫のニナとリアルすぎるアリサの犬耳と尻尾が、そうでないと強く訴えかけてくる。


 そして、アルバイトときた。何をさせるつもりだろうか。ロクでもないことの気がする。

 とはいえ、下手に断ると面倒なことになりそうだった。


 というより断っても無駄な気さえした。今のところ帰り方もわからないのだ。

 結局、拉致されてるも同然だった。選択肢は乏しい。受けなければ、延々と説得されそうだ。


 え~、やるしかない流れなのかなぁ。気乗りする要素がひとつもない。


「報酬は、もちろん用意してあるにゃー!」


 私のどんよりした気持ちを知ってか知らずか、ニナが得意げに言う。


 ん? 報酬とな? ニナはにやりと、星空を彩った不思議な小箱をベッド下から取り出した。器用な猫だ。


 小箱は黒に覆われており、小さな光が明滅していた。

 ゆっくりと天の川が、小箱の表面を流れていくようだ。

 今まで見たこともない箱だ。これは、魔法の道具っぽい。


「にゃにゃ、にゃーん」


 そう言いながら、早速ニナが小箱の蓋を開けた。不覚にもちょっとどきどきする。

 アルバイトをやると言っていないけど、何をくれるつもりなのかは気になった。

 もしかして、ものすごいマジックアイテムだったりするのかな。


 でもその中には――予想外のものが入っていた。


「これで、私たちに料理を作ってほしいにゃ~」


 なんというか、うーん……。完璧に期待外れだった。入っていたのは、諭吉さん。

 正確に言えば、日本銀行券の一万円札だった。

 それを見た瞬間何かが燃え上がってしまった。ぶちり、と頭の血管が切れた気さえする。


 ここまで連れてこられて、こんなファンタジーはあり得ない。

 私は声を荒げて、小箱を指さした。


「がっかりだよ、何それ!?」


「え……なにって一万円札にゃ」


 ニナは知ってるよね? みたいな顔をする。

 違う、小首を傾げて不思議そうな顔をしないで欲しかった。


 ここまできてお金で釣るなんて理解できない。

 色んなことで頭がスパークしてしまった私は、もう止まれなかった。


「どうしてそのきれいな箱から、一万円っていう雰囲気台無しなものが出てくるんです!? 普通、アクセサリーとか魔法の何かが出てきませんか?」


「換金するの大変にゃ……?」


「そこ、気を遣うところ!? ありがたいけど、夢がないっ」


 ベッドの中でばたばたと暴れて、抗議する。本当に呆れてしまう。

 そんな私にかける言葉がないのか、ふむ~、とニナは唸るとアリサの方を見る。

 いかにも助けてという視線だ。


 いくら気が立っていても、それがわからない私じゃない。今度は、アリサが一歩前に出てくる。


「……これで、どう」


 アリサは無表情で懐から、ひらひらとまた一万円札を数枚取り出した。

 なんという現金主義だろう。とても魔法使いとは思えなかった。


 彼女もびっくりするほど何もわかってない!


 さらにヒートアップしかけた私へ、アリサがしっとりとした声でささやく。


「料理好きな人を呼んだつもりだけど、違った?」


「ふあっ!?」


 その時ちょうど、ぐう~~とアリサのお腹が鳴った。

 まさに不意打ちだった。心を読めるって、この子は言ってた気がする。


 私のライフワークの料理を知って呼び出したのだろうか?

 私の料理を食べるため?その瞬間、私は固まってしまう。」


 アリサは申し訳なさそうに、そして寂しそうに言葉を続ける。


「おいしいご飯食べたい……」


 そんなの私には関係ない――とは言い返せなかった。


 私にとっては、聞き捨てならない台詞だ。

 頭の中はまだぐるぐるしていたけれど、急速に熱が下がってきた。


 さらにアリサがそっと近寄り、一回り小さな手で、私の手を握ってくる。

 どうしてなのかわからないけど、凍えるような指先だった。


 冷たい手に握られ、振りほどくことができず、ますます私は落ち着いていった。

 ぐちゃぐちゃとした思いが彼女に流れていくみたいだった。


 よく見ると、アリサの眼に少し涙がたまっている。犬耳と尻尾で本当に子犬みたいだ。


 これじゃ、私の方が悪者のようだった。


 ため息をひとつする。まだ聞きたいことはあるけれど、仕方ないと自分に言い聞かせた。

 佐々木家は料理に生きる。私も半人前だけれど、その心構えはある。


 ただ飯ぐらいは叩きだすけど、彼女たちは現金にも日本円で私に報酬を見せていた。

 状況が状況で何もわからないけれど、佐々木家の他の人なら、反応はどうあれ引き受けるだろう。


 それに性分なのだ、お腹が空いている人は放っておけない。年下の女の子なら、なおさらだった。

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