夢の島

月読了栄

第1話

 肩まで伸びた髪は毛先が少し痛んでいる。左耳にはピアス穴が一つ空いていて、いつかは鼻にも開けてやろうかと考えていた。ウェストは細く、それと比例するように胸も小さければ、尻に凹凸もない。眼は所謂つぶらな瞳というもので誰もが羨むような曲線を描き二重で睫も長く美しい。そして唇は厚く、それを見れば誰もが一度はデコピンをしてやりたくなる。

 ただどうしてか驚くほど美人という程ではなく、そこそこほどほどというカテゴリーに収まっている女。性は川本、名は真智子と言った。十六歳。花盛りの女子高生で、学校では目立つほうではないが、最高に地味というわけでもない。男子からは密かな人気を集めるが、いつまでも一位を取ることがないような立ち位置にいる。

 そうやって見ると、どこを切っても普通のような彼女だったが、他の誰とも違うところもある。それは彼女自身ではどうしようもない事で、きっとこれから解決もさそうもない事柄だった。

 例えばこうでである。

 日曜日に友人と葬式に出掛けてそれが終わり家に帰ると、彼女の自宅玄関には男性用の革靴が二つ並んである。そこには女性用のサンダルもヒールもない。何故ならそれは今、真智子が履いているからで、残りの二つの男性用革靴の持ち主は勿論女性じゃないからだ。

 つまり話はこうだ。

 彼女はずっと二人の父親に育てられてきた。記憶の一番初めからパパは二人居て、ママは一人もいなかった。こういうことだった。この3DLKのマンションに越してきたのは十二のときだったか、それよりもずっと前から彼女の父親は二人で、二人とも母親のような優しさと包容力で彼女を育ててきた。

 どうしてそうなったのか。そう思う人は多いだろう。そしてもちろんその一人に真智子もいる。

「パパたちは愛し合ってるんだ」

 小さい頃からその解答として何度も何度も聞いてきた言葉がそれだった。リビングにいる二人の男、右に座るのが川本圭佑、その隣にいるのが柳原明憲。二人は今、十六歳の年頃の娘の目の前で手を握り合って見つめ合い、時折に照れた表情を見せながらそう言うのだ。ピンク色の三人掛けのソファに座り、虹色のミサンガを何かの証のようにお互い身につけている。

 その言葉を聞くと遊んでいるときは感じなかった疲れが真智子の心にどっと押し寄せる。ブラウン管では今夜の試合のハイライトが放送されている。巨人が阪神に十六点差という大差で負けていた。

「もう!」

 多感な時期といえばそうなる真智子はそれでは納得しない。だが二人の父は負けている巨人の姿を見ていて上機嫌だった。

「真智子、ちょっとおいで」

 そう言ってパパの一人である明憲が彼女を呼び寄せる。彼の苗字が柳原であることから、薄々彼とは血が繋がっていないことはわかっているが、どちらもそれを口に出してはっきりと言ったことはなかった。だがだからと言って彼と真智子との愛情が、圭佑と真智子との愛情より劣るとは、真智子も明憲も圭佑も思ってはいないし、実感してもいない。

 ソファに座る愛し合う男二人の間に、娘の真智子が座る。どちらも父も既に四十を越えていた。だがどちらもファッション関係の仕事をしているからか身の回りは綺麗だし、加齢臭どことかいつも素敵な香りのする男性だった。髪だってまだどちらも残っているし、中年の代名詞であるビール腹でもない。

「見てご覧」

 指を差すその先にいるのは阪神の投手だった。「すごい早い球だったろ?」

「うん」と、素直に真智子は頷く。

 球速は百五十を越えていた。球場内には歓声が沸く。巨人の打者は釣り球のそれにまんまとバット振らされてしまう。

「ボール球を振るからああなるんだよ」

 明憲はゆっくりと優しい口調だった。日曜日だからか口の周りには青い髭が薄っすら浮かんでいる。だが髪は短く揃えられて清潔感がある。さすがに歳には勝てないのか頬のあたりに肉はついていたが、それでもまだ若い頃の精悍な顔立ちの面影を残してはいた。

「ね?」

 彼は一度、真智子の向こうにいるパートナーの圭佑に目配せをする。

「それで?」

 真智子は言う。明憲はこうやって何かを遠回しに表現するのが多くあった。もう慣れっこだったが、少しそれがじれったく感じることもあった。

「つまりね」と、笑いながら言ったのは圭佑だった。いつもの明憲の語り口を真似ているのだ。そしてそれを追う様に、「つまりね」と明憲も言う。

「どうしようもない所にある球を打ち返そうとするなってことだよ。真智子、君も質問もそう。どうしてママがいないの? それはね、しょうがないんだよ。そういうもんだから。宙でバットを振ってもそこに球がなくちゃ、スタンドに向かって何も飛ばせないんだよ」

「じゃアキは私の言ってることが無駄って言うの?」

 真智子は、明憲を呼ぶときは彼をアキと言い、圭佑のことはケイと呼ぶ。彼女は諭さされたりするのが少し馬鹿にされているように感じて、ふてくされ気味だった。

「いいや違うよ。無駄じゃない」

――続いてニュースです。

 明憲の言葉を遮るように画面が切り替わり、ニュースキャスターが三人の住んでいる街の近くの地名を口にする。

「またこのニュースだ」と、圭佑。

 このところこの界隈を賑わしている連続殺人鬼のニュースだった。犯人らしき人物は何度もコンビニやスーパー、駅、の防犯カメラに映っているのに全く捕まらない事件でもあった。背丈は小さく、幼い子供から働き盛りの中年男性や、結婚を控えた女性に、銀行から帰る途中の老人など様々な人物が餌食になり、命を落としている。そして今夜もどうやらまた新しい犠牲者が出たようだった。これで十四人目だった。これまでと同じように犠牲者は突然姿を消し、それから一日から一週間後に死体となって発見されたようだった。手口は残忍で共通して、毎回身体と首が切断された状態で発見されることと。頭から目はくり抜かれて、唇も削られて歯茎がむき出し状態ということものだった。原稿を読むキャスターの顔も険しく、仕事でなければ関わりたくないのだろう。

「怖いね。気をつけないとね」と、明憲。

「うん」と、真智子。

「真智子のクラスの子だtte、ほら――」

 明憲はこの先はあえてちゃんと言葉にしない。だが彼の言わんとしていることはわかった。彼女のクラスメイトもこの殺人犯の毒牙にかかって死んでしまったのだ。今も流れているニュースで、繰り返し流されている名前のクラスメイトの死を知ったのは一昨日のことだったはずだった。今日出掛けたのも、そのクラスメイトの葬儀のためだった。

「夜道はあるべく一人で歩いちゃだめだよ」

「なるべくそうする」

「なるべくじゃなくてだよ。心配してるんだから」

「それで、さっきの答えを頂戴」

 夜道の振舞い方は何となく話が長くなりそうな気がしたので、真智子は話を元の線路に戻す。もちろん彼女自身、全然仲が良くなかったとはいえ、クラスメイトが殺された事件の話題をそれ程積極的にする気になれなかったというのもあった。

「さっきの話?」

「そうそう」

 そこで明憲は圭佑を見る。圭佑は何かを悟ったように小さく頷く。

「真智子、こっちを向いて」

 次は圭佑の番だった。圭佑は髭全くない。若い頃はそれが彼のコンプレックスの一つでもあったが、今では至極どうでも良いことだった。歳相応に身体は肉をつけず、普通の大人ならそれは貧相な印象になるが、圭佑にかかればそれはスマートという言葉に変わる。

 テレビの横にはローションとアナルビーズが置いてある。もう三人の家庭にとっては普通のものなので誰もそれについて何かを言うことはない。もちろん使うのは二人のパパで真智子は固く禁じられている。

「これから話すことは実はずっと話すまいと思ってたんだけどね――」

 いつになく真剣な圭佑の眼差しに真智子は気づく。だから彼女の期待は膨らみ、ついに全ての謎が納得いく形で解け、心の鍵が一つ開いた自分の姿を想像する。

「実はね――」

「うん」

「君のママは国際的なスパイで魔法使いなんだ」

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