017 受け止めた手

 アデノア・フォックス。ドワーフである、私の名前。でも、フォクシィ。皆は私の事を、そう呼ぶ。

 アデノアの名前で呼ぶ人はいない。あんたにぴったりの姓だから、そう呼んでやると。

 ――女狐フォクシィ、と。




 まだ、早朝と言っても良い時間だろう。旦那様の私有である此の山に、出入りする人間は私以外はいない。

 だが、それもそうだろう。延々続く樫の森。樹皮を削ぎに来ることも有るけど、こんな時間からやる人はいないから。


 水筒から水を飲む。使用人として働く私の数少ない私物。給料なんて無いようなもんだから、自分で買えるものなんて無い。だからこの水筒は、一番ふるい使用人だったお婆様に買ってもらった、宝物。お婆様はもう、亡くなってしまったけれど。


 (苔、増えてる)


 自分の目の前の、岩の上。よく見ると、苔がかなり張り付いていた。前に掃除をしてからもう二ヶ月。たしかに生えていても不思議じゃなかった。


 (次きたら、掃除しなきゃ)


 今しようにも、道具がない。だから、今度に後回しだ。それに、昨日も今日も天気が良かった。岩の表面もよく乾いていた。これなら、登れるかもしれない。

 靴を脱ぐ。ボロボロの靴。最初は、此れで登っていたから、爪先に小さい穴が開いた。


 (よし。登ろう)


 日課みたいなものだった。だれもいない、朝の時間の岩登り。最初に始めたときには、ここの岩たち、登れるかな、と。其れだけの気持ちで。そう思ってやってみたら、殆どの岩はどこかしらからは登れたけど、一個だけ登れない岩があって。

 だから、登ってやろうと思った。一番どうにかなりそうな面を選んで、毎日。此れなら許可を取らなくても怒られない。


 (ッッ――)


 最初は、どこから手を付ければ良いのかも理解らなかった。でも、段々、一手一手進んでって。

 でも。


 (届かない)


 届かない。何処を掴めばいいかなんて分かってるのに。跳ぼうと思っても上手く跳べない。下の足が遠い。

 本当に登れるようになるんだろうか、そう思いながら。結局此れくらいしか、楽しめる事が無くて。


 (よし、もう一回)


 そうやって。また登って。いつもの様に落ちて。着地しようと身構えた時。




 「――こんにちは」


 体を受け止められて、言われた。

 くるくるの癖っ毛の、黒髪で。背は普通だけど、手は大きくて。そして何より――


 (きれいな、人)


 男の人にそういう事を思うのは失礼かもしれないけれど。とてもきれいで、整った顔立ち。そんな事を考えて、自分の体が抱き抱えられている事に気付いて。


 「ご迷惑、お掛けしました」


 謝罪の言葉を口にした。

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