010 敗者と勝者
デヴィッドの体は緩やかに下降して行く。ロープからぶら下がったまま項垂れて、相方のロープ捌きに身を任せる姿は、間違いなく敗者の姿である。それは、こと下降時においてもジェイムズがしくじる筈が無いという、信頼の現れでもあるか。
そうして。丁寧に地面に降ろされたデヴィッドは、己の頭を掻き毟りつつ、言う。
「やらかした!」
身の内に在る、複雑な感情を隠すかのように、貼り付けた笑顔。声だって普段張ったりはしないのに。ジェイムズにはバレているかもしれないけれど、それでも、暗い空気にするよりはマシだった。
「ああ。やらかした」
ジェイムズは、少しぶっきらぼうに、同意する。ああ、こいつ怒っているな、とデヴィッドは感じ入る。
いつもニコニコとして、大人しい奴だと、ジェイムズは言われる。でも、実際は感情はしっかり表に出す奴なのだと、デヴィッドは知っていた。ただ、悪感情に成る程、他人の行動に頓着しないだけで。だからこそ、こうして怒っているのは、ある種の信頼なのかな、と思う。ただ、
(これが俺だよ、ジェイムズ。お前が思っているほど登れやしない)
期待も、行き過ぎれば辛いものだ。確かに、クラブの二番手。その自覚も自負も有るけど、だからこそ一番手との差が解る。藻掻いても、もう追いつかないのだと、気付いてしまう。
(お前が望む俺には、多分、成れない)
そう独り言つのに。両の眼はしっかりと、岩壁のラインを見据えていた。
「ッダあああああああ!!」
スカラーシップ、其の核心に、ジェイムズは差し掛かっていた。一手、また一手。18メートル下でビレイを取る、デヴィッドにまで聞こえるほどに声を上げつつも、非常になめらかな動きで先へ進んでいく。ジェイムズの、本日三度目のトライで在った。
デヴィッドの後はジェイムズが登り、ジェイムズの後はデヴィッドが登った。登って、落ちた。試行回数を重ねるごとに洗練されていく
既にデヴィッドも三度目のトライに失敗している。もう、日暮れの間近である。駄目でも、今日はこれで最後にしようという話になった。それでもだ、
「お前は登るよ」
デヴィッドは独り言つ。その呟きは、誰にも届かず、乾いた空気に吸収される。
スカラーシップ、此のルートの真髄は、核心がルートの最上部、という点に在る。つまり、最も難しい箇所を、最も疲れた状態で登らなければ行けない、という事である。フリクションの無い、チャートのスローパーが頻出するセクション。此処を超えられるだけの体力は常人には無い筈である。けれど。
「ッ!」
――持つ。掴む。常人には無理でも、ジェイムズは超える。
今日の二度の
あんな真似が自分にできるか。今一度、デヴィッドは己に問う。でも。無理だ、無理だとしか、帰ってこなくて。そんな自分の性根に呆れ返ることしか出来ない。――ああ。
「ッシャア!!」
気づけば、ジェイムズは登り終えていた。二度目の登攀である。
崖の上で嬉しそうにするジェイムズ。デヴィッドは、素直に御目出度う、と思った。
――思っている筈なのだ。
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