雲南旅日記2010
きりもんじ
第1話いよいよ雲南へ
雲南旅日記2010夏
長年の夢がかなってついに今年は雲南に行きました。
はじめは全部陸路でと思っていましたが、
長沙までであきらめて結局次のようになりました。
8/17 船 新鑑真号
18
19 上海→義烏{バス}
20 義烏→長沙(夜行バス)
21 長沙→昆明(飛行機)→大理古城{バス}
22
23
24 大理→昆明{バス}
25
26
27 昆明→上海(飛行機)
28 上海→(船)
29
30 →大阪
今回は周城で藍染と草木染を買い付けることが目的です。
初めての雲南ですが果たしてうまくいくでしょうか?
ナチに送ってもらって京都駅。6時40分。
晶と一緒。晶は伊丹へ。私は神戸へ。
快速はいつも立ちっぱなしだ。
1時間で三宮へ着いた。
2時間あまりまだある。
喫茶店でモーニング。
9時半ポートアイランド。
2Fはすでに人であふれている。
3Fで待つ。10時チェックイン。
「82番」と言うと。
「32番ですね。友の会割引8000円あります」
なんとありがたいことか。
乗船。今だかってない人であふれている。
『天津旅遊団』だけで100人はいるだろう。
ゆっくりとベッドに臥す。
2010818
穏やかな船旅だ。天津旅遊団は60代の婦人が大半で、
ダンスやマージャン、カラオケ大好きの団塊世代。
男性はひ弱で圧倒的に婦人パワーが強力である。
デッキで男性がイーアルサンスーと怒られながら
ダンスを指導されている。
この年代はとにかくあつかましい。1Fフロアを占有して
器用に羽けりをやっている。マージャン室はお金を取られるので
フロアのテーブルでマージャン、トランプ。食堂からトレイを持ってきて
食事ととにかくマナーというものがない。
彼らの部屋の通路手すりにはでかいパンツや真っ赤なブリーフ、
下着類がびっしりと乾かしてある。
今から40年前には皆紅顔の美少女美少年だったはずだが・・。
忘れもしない文化大革命、紅衛兵運動は青春そのものだった。
全共闘の世代と写し重なる。
このパワーが今全世界に打って出ようとしている。
マナーも何もあるものか、これが現実。
まさに中国のエネルギーが世界を変える。
この流れはもう止められない!
2010819
同室のドイツ人親子はベルリンからだった。いいもんだな親子旅。
昼前に上陸。新しい埠頭だ。出口がわかりにくい。
そのまま出るとタクシー乗り場に出てしまう。
左手のスロープを歩いていくとやっと外に出た。
熱い、36℃はあるだろう。
大名路を東へ歩く。30分ほどで保定路318の那宅青年旅舎を見つける。
メトロ大連路駅のすぐ近くだ。蘭州拉面5元を食べて、いざ出発。
メトロを降りて魯迅公園を通り上海外大へ。6Fで教務の人に贈呈本を渡す。
キャンパスは夏休みで閑散としていた。
南站でよく調べたら、南昌行きのバスは15時に1本しかない。
何とか乗り継いで長沙までと思ったが義烏行きは1時間に1本あるので
とにかくいつもどおり義烏に行くことにした。
19時45分に義烏へ到着。もう真っ暗だ。
三元里賓館は経営者が代わっていて泊めてくれない。
ままよ、夜行バスがあればこのまま南昌か長沙へ行こうと思って
賓王站バスターミナルへ行くともう閉まっていた。
万事休す。腹を決めて向かいの賓館に泊まった。
案ずるなかれ以外と安くフロントも感じがよくて熱いシャワーも出た。
やっと一息ついてぐっすりと眠った。
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