第5話

この風来坊の活躍はまたしても、あっというまに村中に知れわたった。

特に、ほぼ無報酬で依頼を受けるという部分は強調されて。

そのため虎は、やたらいそがしくなった。


彼のおかげで心配なく村の外へ出ることができると、誰もがその存在をありがたがった。

虎は報酬を要求しなかったが、気の毒がって、いくばくかの金を出すものもいた。

そうして得たささやかな報酬は、虎は村で一軒しかない酒場で使い、気前よく村人に奢ったりするので、彼の人気はますます高まった。


また、ノギトのさそいで、彼の家に飯を食いに来ることも多かった。

その際は、お礼にもらった獲物や作物を持参してくるので、食料にこまることはなかった。

ノギトの奥方は健康的な体格をした人で、いかにも農家の嫁という雰囲気の女性だった。


「さあ、あまり上等な料理もありませんが、好きなだけ召し上がってください」


「いや、謙遜するものではない。これぐらいが丁度いいのだ」

虎のお気に入りは野菜をふんだんに使ったシチューだ。


護衛の依頼がないときは、村の子供たちと遊んでたりしている。

この男はその剣呑な風貌にもかかわらず、妙に子供から懐かれていた。

またあるときは、神妙な顔で刀の手入れをしていると思えば、それでぞりぞりと無精ひげを剃ったりしている。

あんな長い刀身で、怪我をしないのが不思議なくらいだ。



「―――ね、終始そんな調子。あきれるでしょう?」


「そうだなあ・・・」

夕餉の席で、セシリアがそう語るのを聞いたときは、ノギトは返答に窮した。

この娘はどれほどあの男を見ているのか、そっちの方があきれる気分だ。


「他にもね、あの男ときたら・・・」


「セシリア、あまり人のことをわるく言うものではない」


「そうよ、いい人でしょ、虎さんは」


「むー。ふたりともあの男に甘いんだから」

セシリアはぷうっと頬をふくらませた。


最近セシリアから出る話題といえば、ほとんどあの男のことだ。

それを気付いているのか、妻に視線をおくると、彼女はにこにこと微笑んでいる。

それにしても、とノギトは思う。十七といえば妙齢といっていい。

何度か「誰か男とつきあったりはしないのか」と尋ねたこともあった。

しかしセシリアはそういう色恋沙汰に無頓着だった。それより弓の練習をしたり、薪割りや水汲みと、毎日やることがいっぱいある。そんな暇はないと応えるのが常だった。

これは恋といえるのだろうか。しかし、どうも悪口がおおい。


「――おい、扉を開けてくれないか」

玄関から声がする。虎のようだ。

だらしない体勢でスープをすすろうとしていた、セシリアの背筋が急にぴん、と延びた。


「あらあら、こんなにありがとうございます」

また報酬としてもらったのか、魚や野菜を持参してきている。


「どうです、一緒に夕飯でも」


「ほう、いいのか」


「ふん、なによ、最初からそのつもりのくせに」

じろっと横目でねめつけて、セシリアが毒づく。


「なんだお嬢ちゃん。おまえも食ってるのか」


「ここはあたしの家なんだから、当り前じゃない!」


「そうだったな。忘れていた」


「しょっちゅう食事に来ておいて、忘れたはないでしょ」


「食事をすると、頭に血がのぼる。忘れても仕方がない」


「その理屈はおかしいわ!」


にやにやと虎は笑っている。からかわれているのに気付いてない様子だ。

セシリアも怒ってはいるが、これは一種の照れ隠しではないかという気がしてきた。


「のう虎、気になったことがあるんじゃが」


「なんだ」


「おぬし、最初に会ったときは金、金とせっついておったのに、急に性格が変わったの。わしと娘を助けた報酬も、結局は受け取っておらぬ。まるで別人を見る思いじゃ。一体なにがあった」


「ああ、それか」

虎はぼりぼりと頭をかいた。


「まあ、あのときは路銀が底をついて、正直こまっていたのもあるが、俺も傭兵だからな。自分の価値は安売りするつもりはなかった」


「ほう。それが、なぜ急に変わったのだ」


「おまえがフフォーレ村の人間だと分かったからな」


「はて?」

ノギトは首をひねった。


「要するに俺は、この村でなにも得る必要はないってことだ」

ますます要領を得ない。さらにノギトは問う。


「すると、誰から報酬を得るつもりじゃ?」


「持っている奴から、かな」

にっと笑い、虎は黒パンにシチューを浸して食べはじめた。

どうやら、それで話は終わりのようだった。


その時、前々から考えていたことをノギトは決断した。



―――その翌日のことである。虎の家に、ふらりとノギトが訪れた。

いつものように藁にころがったまま迎えた虎に、開口一番、ノギトはおどろくべきことを言いだした。


「娘を、嫁にもらってほしい」

真剣な表情だった。

さすがの虎も一瞬、あっけにとられたようだった。


「ふむ、場所を変えるか」

虎はむっくりと身を起こした。

野ざらしの家で、語る話ではないと判断したようだ。


「そうしてもらえると助かる、村の中ではすぐに噂は広まる」

ノギトは虎の判断に感謝しつつ、道々語った。


「おおむね理解しているかもしれんが、あの娘はわしらの本当の娘ではない」


それは傍目でも明らかだった。セシリアの金髪と蒼い瞳は、ノギト夫妻のどちらにもない特徴だったし、なにより顔が似ていない。

セシリアの容貌は、この村で際立っている。貴族の出といわれてもおかしくないほど、フフォーレでは異彩を放っていた。

ノギトはふと遠い目をした。何かを思い出すように、


「むかし、戦災で家を追われた母子がおってな。必死にこの村まで逃げてきた。母親は手傷を負っていて、ひょんな縁から、わしらが面倒を見ていたんじゃが―――」


母親はこの娘の将来をノギト夫妻に託し、そのときの傷がもとで亡くなったという。

それ以来、実の子のようにセシリアを育ててきたが、生来の無鉄砲で、あの器量だ。


「いつ野盗に狙われてもおかしくない。それなら、あんたぐらい腕のたつ男がもらってくれた方が、わしらも安心というものだ」


「ふむ・・・」

虎はぼりぼりと頭をかいた。返答にこまる姿というのも、この男にはめずらしい。


「残念だが先約がある。そちらを先に片付けねばならない」


「―――もしや、すでに想い人が?」


これには虎は大笑した。


「そんながらに見えるかね。俺は粗野な男さ。素性もしれぬ」


「いいや、あんたは他人を思い遣れる、いい奴だ。ここへ来て短いというのに、村人のほとんどがあんたを受け入れとる。こんなことはなかったことだ」


「みんな、おひとよしすぎるのさ」


「あんたも、そうじゃないのかね?」


「・・・俺か、俺は悪人だよ。でなければ傭兵などやっていないさ」


「傭兵はみな悪人かね?」


「まあ、まともな奴が少ないことは確かだ」


どちらともなく笑いだした。

風が、清涼な森の香りを運んできた。




途中で虎はノギトとわかれ、村人の集会所に顔を出した。

とくに今日は何も依頼がないらしく、数人の村人と立ち話をして去った。村唯一の酒場は、昼は食事処となっている。そこで昼食をすませて虎が帰宅すると、これまた意外な人物が待ち受けていた。

セシリアだった。


「―――お父さんと、どこへ行ってたの?」


「散歩だ」


「なにを話してたの?」


「秘密だ」


にべもない。セシリアはたちまち怒るかと思いきや、今日はいつもと調子がちがっていた。


「ね、あんた、この村に住むつもりはない?」


「すでに住んでるじゃないか」


「そうじゃなくて! ずっとここに住まないかってこと」

言ったあと、急にセシリアはわたわたとあわてだし、

「ほ、ほら、村のみんなも、あんたみたいな剣の使い手がいるんで、助かっているし。治安がわるいここには必要不可欠というか。これからも、その――――」


「まあ、無理だな。俺はしょせん流れ者さ」


「なんで無理って決めつけるのよ!」


「今はいい。俺はもの珍しさで好意的に見られているし、それに野盗という脅威にさらされている。だが、いずれ脅威が去ったときはどうなる?」


「どうって・・・?」


「過ぎたる力は村に必要はない。それは疎ましさへと変わっていくだろう」


「なぜそんなことがわ―――」


「わかるさ」


どこか表情にかすかな寂寥感を漂わせながら、虎はいった。

そのようすにセシリアも言葉をのみこんだ。

もの哀しい鳥の鳴き声が森に響いた。この地方にしか棲まないウロガラスだろう。

西の山の稜線に沈みかけた夕日が、すべてを朱色に染めていく。

まもなく深い闇がおとずれ、すべてを飲みこんでしまうだろう。


翌日も虎に訪問者があった。

―――それは、人間ではなかった。

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