第2章 同じ顔の女

第105話

 その頃、日本の横浜港――

 防衛省特殊介入部隊――通称MDSIの諜報部に所属する、名雪なゆき琴音ことねは、ある貨物船の動向を探っていた。その貨物船の全体が見渡せるビルの屋上に、音も立てずに潜んで、双眼鏡を覗き続ける。

 深夜になり、闇が辺りを支配した頃になって、動きがあった。

 コンテナが降ろされ、トレーラーに積まれる。

 名雪は無線機で、待機中の仲間に連絡を入れた。

「こちら名雪。目標、動きます」


「了解。こちらは、いつでも大丈夫です」

 バイクに乗った杏橋きょうはしくすのが、名雪からの連絡に応える。

『こちら綾目あやめ。いつでも動けます』

 さらに、離れた位置で車に乗ってスタンバイしている綾目あやめ留奈るなも通信を入れる。

 五分程で、港からトレーラーが出てきた。その様子を、楠はバイクごと路地に隠れながら見届ける。

「目標、確認しました。尾行を開始します」

 十分な距離が出来たところで、楠がバイクを走らせる。

『了解。こちらも併走する。何か少しでも相手に動きがあれば、すぐに交代するわ』

「お願い」

 楠はルナに応える。

 尾行の際、ずっと同じ車両が付けていれば、すぐに怪しまれてしまう。だから、三〇分から一時間くらいの間隔で、尾行する人間を変える。そのために、交代要員が併走を行うのだ。

 ほぼ一晩掛け、MDSIは尾行を行った。



 一方、明智あけちまことは休みを取り、渥美あつみひとみの引っ越しを手伝っていた。

 ヒトミの就職が決まり、彼女は元から住んでいたアパートから、会社の寮へ引っ越すことになった。

 会社の寮には、冷蔵庫、洗濯機、エアコンといった家電製品は完備されている。アパートで使っていた家電の内、テレビやレコーダーを除いたものはリサイクル業者に売った。組み立て式の棚などは一度バラし、車に乗せて運搬してしまう。

 結果、引っ越し業者を雇うことなく、二、三度程車で往復するだけで、引っ越しは事足りた。後は、運ぶためにバラした棚を組み直して、配置し直す。

 そうやって部屋のレイアウトまで仕上げ、ヒトミが暮らすのに問題ない状態にしていたら、すっかり日が暮れてしまった。

「今日は色々とありがとうございました」

 車に乗り、帰ろうとする明智に、ヒトミが改めて礼を言った。

「礼はいいよ。元はと言えば、足下見てきた引っ越し業者が悪い」

 明智がきっぱりと言った。

 事の発端としては、数日前、引っ越しの相談をヒトミから受けたことから始まる。聞いた話では、このシーズンは引っ越しの依頼が多いため、中々手が回らず、それでも利用するなら値段も十万を越えるという。

 困り切っていたヒトミが明智に相談した結果、明智が丁重に・・・引っ越し業者へ断りを入れ、太刀掛たちかけ達に頭を下げて、休みをもらって手伝うことにしたのだ。勝連かつら勇海ゆうみといった主立った面々が海外に任務に向かっていたため、かなり無茶な要求だと思っていたが、一日限定で休みをもらえた。

 余談だが、リサイクル業者も、かなり安値で家電を買い取っていこうとしたのを、明智が誠心誠意を込めて・・・・・・・・交渉した結果、買い取り額にかなり色を付けてもらった。

 そもそも、家電製品に使われている部品なども、デジタル化の波に乗って、内部回路に金銀や銅、リチウムなど、希少金属が使われている。これをちゃんと分解して各種金属ごとに分別すると、かなりの額になるという。冷蔵庫一台でも、リサイクル業者が千円で引き取っても、最低十倍の価値があるレアメタルの固まりになるのだ。

 そのことを通津つづから教えてもらっていた明智は、渋る業者を粘り強く・・・・説得し、それなりの額にまで上げてもらった。これだけでも結構な時間を食った。

「ところで、相談なのですが、次に休みを取れそうな日はありそうですか?」

「ん?」

 ヒトミの質問に、明智は考え込む。

 一応、予定では来週には勝連達は戻ってくるはずだから、そうすれば多少の余裕を作ってもらえるだろうと考えた。

「来週末辺り、かな? それが何か?」

 明智が聞くと、

「いえ、明智さんのおかげで、使っていた家電も思ったよりも高く売れたので……よければ、そのお金で一緒にお食事、はどうでしょうか?」

「……食事?」

 と、明智が間の抜けた声を出す。

「え、えぇ、今日のお礼にと思ったんですけど……ダメ、ですか?」

 ヒトミが少し俯き気味になって、見上げるように明智を見る。

 明智は一息吐くと、

「せっかく誘われたんだ。ご一緒させてもらうよ」

 と、快諾した。

 ヒトミの顔に見る見る内に笑みが浮かぶ。

「それでは、また細かい日時や場所などはメールで相談させてもらいますね!」

「あぁ、分かった。じゃ、あんまり長居していてもあれだし、行くよ」

 そう言って、明智が車のエンジンを噴かせる。

「本当に今日はありがとうございました!」

「あぁ。君も疲れただろう。ゆっくり休むといい」

 再度礼を言うヒトミに手を振り、車を走らせる。


 ――食事、か。

 明智は運転しながら考える。

 まさか、誘われるとは思っていなかった。こちらとしては、彼女が何とか幸せを見つけられればいい――それが、きっと罪滅ぼしになるだろう、と考えての今回の手伝いだった。

 ――もしかしなくても、深く踏み込み過ぎなのだろうか?

 明智の思考は止まらない。

 だが、彼女の笑顔を思い出すと、それで彼女が笑うなら、と思ってしまう自分もいる。

 ――結局、俺はどうしたいのか――


 その思考の坩堝るつぼを、突然の着信音が破った。

 明智は路肩に車を止め、電話に出る。

「明智です」

『突然すまない。今大丈夫か?』

 相手は、太刀掛たちかけひとしだった。

「はい。ちょうど目的も達して、帰路についていたところです」

『なるほど、ならちょうどよかった』

 電話の向こうで、ホッとした空気がする。

 ――まぁ、実際はホッと出来る案件ではないのだろうな。

 明智は予感がしていた。

 その予想はすぐに当たることになる。


『緊急召集だ。すぐに本部に来てくれ』


「――了解」

 明智は電話を切ると、溜息と共に先程までの甘ったるい考えを頭からすっかり捨て去る。

 MDSI本部へ進路を変えると、車を走らせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る