第24話

 目を覚ますと、すっかり日は昇っていた。昼は迎えていないだろうが、寝坊には違いないだろう。

 明智あけちまことが身体を起こすと、腹部に痛みが走った。

 牛頭ごずのレイジングブルから放たれた44マグナム弾は、幸いにも防弾ベストを貫通することはなかった。しかし、元が.357マグナム弾を超える威力を持った弾だ。その威力は熊を一発で殺すことが出来る。

 明智の肋骨数本にひびが入り、ここ数日は激痛で歩くこともままならなかった。やっと日常生活に支障ない程度に回復したが、身体そのものがなまってしまっている。

 そこで明智は道場に顔を出すことにした。

 道場に入ると、空気が一変した。

 まるで、殺気に似た緊張が場を支配している。

 道場では試合が行われていた。一人は、この道場の主である喜三枝美妃きみえみきだ。

 相手は面で顔を伺うことは出来ない。その構えからは一見威圧感は感じられない。だが、そこに隙はない。

 以前にどこかで見たような構えだ、と思った。すぐにそれが喜三枝美妃のものと同質であることに気付く。

 気負いのない相手と対照的に、美妃みきからはまるで炎が立つが如く気合が伝わってきた。

 ここで、美妃が動いた。相手の切っ先を竹刀で弾き、面を打つ。

 打撃音が響いた。

「一本!」

 審判をしていた侍女が白の旗を上げ、宣告する。

 試合が終わり、二人は竹刀を納めた。腰を下ろし、面を外す。

「あ」

 喜三枝美妃の相手をしていたのは、MDSI――防衛省特殊介入部隊隊員、太刀掛たちかけひとしだった。


 明智、太刀掛、美妃の三人は道場から本宅の客間に移り、茶を喫していた。

「一段と腕を上げたようだな」

 試合の興奮が薄れ、各人が落ち着いた頃に太刀掛が口を開く。

「いえ、まだまだ先生は敵いませんよ」

 ――先生?

 一部引っかかる言葉はあったが、美妃が言っていることは決して謙遜ではないことを、明智は分かっていた。

 美妃の面が決まる寸前、弾かれていたはずの太刀掛の竹刀が動き胴打ちが一瞬早く決まっていた。

「さて……傷は大丈夫そうだな、明智」

「はい」

 明智に話が振られる。

杏橋きょうはしさんの容態は?」

「一応、快方に向かってはいる。血を流し過ぎたことが懸念されていたが……」

 MDSIの仲間である杏橋きょうはしくすのは、先の任務で太腿の動脈を日本刀で斬られた。失血多量の危機を向かえたのだ。

 そして、同任務で明智は大した活躍を見せることなく、撃たれて失神という失態を犯した。

 あの時の不甲斐なさを思うと、溜息が出てくる。

 そのことが顔に出ていたのだろう。

 美妃がそれを目に留め、

「随分と落ち込んでいるわね」

「……今回も俺は足手まといでしたからね……」

「それは仕方ないでしょう、新人ですもの」

 明智の泣き言を、美妃はばっさりと斬り捨てた。

「あら、ごめんなさい。慰めた方がよかったかしら?」

「……いいえ」

 美妃の言葉で、落ちかけた明智の気分がギリギリのところで持ち上がる。

「よく考えれば、慰めてもらえる立場でもないことを思い出しました」

「ならばよろしい」

 美妃がニコリと微笑む。かれこれ二ヶ月近くこの女性の下で訓練を積んでいるが、未だに彼女が何を考えているのか図りかねることが多い。

 とりあえず、明智は話題を変えることにした。

「そういえば、喜三枝さんは先程太刀掛さんのことを『先生』と呼びましたが……」

「あら、気になりますか?」

「えぇ、まぁ……」

「美妃は昔の教え子だ」

 明智と美妃の問答の中、太刀掛が答えた。

「教え子? 剣道のですか?」

 明智は先程の試合風景を脳裏に浮かべながら尋ねる。

「それもあるが……話すと長くなるから、今日のところはここまで、かな」

 そう言い、太刀掛は残っている茶を飲み干した。空になった茶碗を置くと、美妃に向き合う。

「本題、ですね」

「まさか、私がお前と試合をして、茶を飲みながら世間話をしに来たとは思ってないだろう?」

「えぇ、心得ていますとも……牡丹ぼたん小町こまち例のモノを!」

 美妃が命じると、隣の部屋に続くふすまが開き、美妃に仕える侍女が入ってきた。二人とも三方さんぽうを持ち、その上には一振りずつ日本刀が乗っている。

「これは?」

 思わず明智は尋ねる。

「何に見えますか?」

「日本刀……脇差と小太刀、ですね」

 日本刀と一口に言っても、その形状や用途から様々な種類に分かれる。

 脇差と小太刀は、武士が主兵装たる長刀が使えなくなった際に使う予備の刀という扱いが強い。脇差は刃渡り1尺から2尺(30cm以上60cm未満)のもので、江戸時代には武士でなくとも所持を許された数少ない武器だ。一方で小太刀は脇差より基本的に長い。

 太刀掛が小太刀を取った。懐紙を口に加え、鞘を抜いた。

 むき出しになった刃に、明智は眼を奪われた。

 根元のみのたれ――緩やかな波打ちが見られ、後は切っ先まで直刃すぐはの刃文が伸びる。この繊細で底知れぬ深さを感じさせる刃文は、見ただけでゾクっときた。

「どうぞ、貴方も手に取って確認して見てはいかが?」

 そんな明智の様子を見抜いたか、美妃が脇差を勧める。

 明智は恐る恐る脇差を手に取った。日本刀を握るのなど生まれて初めてだ。鞘から抜くと、太刀掛の持つ小太刀同様、根元の湾れから切っ先まで伸びる直刃――吸い込まれそうな美しい刃文、そして何より忘れられない危険な鈍い光を放つ。

 このまま抜き身のままにしていると、時を忘れて眺めてしまいそうなので、一度鞘に納めた。

「どうでした?」

「思わず見入ってしまいました」

 率直な感想を口にする。

「この刀の銘は?」

 さらに、明智が問うと、

「ありません」

「え?」

「その刀には銘がない……正確に言えば、銘があるはずなのに、消されている」

 ですが、と一旦美妃は言葉を切り、一息入れる。

「私は、この刀は『村正むらまさ』ではないかと睨んでいます」

「村正……!」

 村正は、現在の三重県桑名で活躍した刀工の名であり、彼とその弟子が作った刀共通の名でもある。その刃は切れ味に優れる。戦国時代に数々の武将が愛用したと言われている。

 その一方でこの刀は数々の曰くがある。その一つが妖刀伝説だ。

 戦国時代に天下を統一し江戸幕府を開いた、かの徳川家康の血縁者の死に、村正の刀が関わっている。まず、家康の祖父が配下に斬り殺された際に村正が使われた。同じように父親も村正で斬られ、嫡男が織田信長に切腹を命じられた際の介錯刀も村正だった。

 それが原因で、徳川家に祟る妖刀として、持つことは禁忌とされた。関ヶ原の戦いで武功を立てた槍を検分中に家康が指を切り、村正と分かった瞬間廃棄されてしまったという話もあるくらいだ。

 そのために、現存する村正の数は少ない。

「これら二本は銘をわざと潰し、秘匿されてきたものでしょう」

 美妃が説明を締めくくった。

 ここで、明智はある疑問に思い当った。

「……何故日本刀を?」

宍戸ししどに対抗するためだ」

 答えくれたのは、太刀掛だ。

「奴には、下手な銃撃は効かん。この前の作戦で勇海ゆうみ達がそれを証明してしまった」

「……銃がダメなら、こちらも刀ですか?」

「そうだ」

 きっぱりと断言する太刀掛。

「……二本あるのは? まさか、相手が一刀流だからこちらは二刀流という意味では……」

「お前は何を言っているんだ? そんな子供みたいな発想をするか」

 明智の発言に、呆れる太刀掛と、白い目を向ける美妃。

「す、すいません……」

 明智は二人に押され、姿勢を正すしかない。

「そっちはお前が使う刀だ」

「俺の?」

 明智が驚いていると、

「お前は銃が未だに三流だからな。だが、剣道の段位あるんだ、日本刀ぐらい余裕だろう」

 ――いや、発想がおかしい。

 声高に叫ぼうとしたが、ここで携帯電話が鳴る。明智だけではなく、太刀掛も携帯電話を取り出した。二人同時に鳴ったらしい。

「任務だ」

 太刀掛が一言口にする。

 明智達の携帯電話の画面には、『緊急招集』の文字が示されていた。

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