第5話

 男は海を見ていた。

 眼下に、空の色を映した水面に、陽光が反射している。

 普段ならその美しさに心奪われるのであろうが、今はそんな気分に浸ることはできない。

 すぐ横を見れば、半ばから折れ、ひしゃげたガードレール、そして右前部が凹んだ大型トラックが目に飛び込む。周りには、ガラスやライトの破片が散乱している。

 男は、今朝起きた二つの事件の報告内容について考え始めた。

 一つ目は、目の前の事故現場に関わるものだ。

 本日午前七時頃、拘置所内で死刑が確定されている囚人の一人が冷たくなっているのを看守の一人が発見した。

 死因を調べるため、ただちに搬送用の車両が手配された。通報後、間もなく来たそれに看守一人を付けて送り出した。

 それは、巧妙に仕掛けられた罠だった。

 出した直後、別の搬送車両が来たことで、先に来た車両が偽物であることに気付き、追っ手を差し向けた。

 幸いにも、まだ近くを走っていたその車両を見つけ、激しいカーチェイスが展開された。

 だが、終幕は呆気なく訪れた。

 崖沿いの道を猛スピードで走っていた偽装車両は、対向車線を走ってきたトラックを避けきれず、ぶつかったはずみにガードレールを突き破り、崖下の海へと落下した。

 現在も車両の捜索が続けられているが、多くの者が「あれでは誰一人助からないだろう」という見解を示している。もしその推測が正しければ、その件は終わりだ。

 そして、もう一つの事件。これは、本日午前十時、別の囚人を処刑していたときに起きたことだ。

「隊長」

 そのとき、背後から声が掛けられた。振り向けば、警官達とトラックの運転手の事情聴取をしていた部下が、スーツの襟を正し、こちらに近づいてくる。

「どうだ? 何か分かったか?」

「はっ、運転手の話から、少し奇妙な点が……」

「話せ」

「はっ、彼は普段別の道を通っているようなのですが、カーナビで事故が起こったことを知り、迂回路として表示された道を通ったら出くわしたと供述していますが――」

 ここで、部下が地図を取り出し、広げる。そして、ある一点を指した。

「――調べた結果、この道では事故は起きていません。そもそも、この地点で事故が起きていたとしても、今いるこの道が迂回路になることはまずありえません……実際に、この道より幅が広く、その時間帯で早く通れる道は、いくつもありました」

 指した地点の周りの道をいくつか示す。

「……運転手が嘘をいている可能性は?」

「ありません。

 念のため、カーナビを調べてみましたが、確かに事故の情報が出されていたことが、履歴から分かります。つまり……」

 ここで、部下は言いよどむ。

「かまわん、続けろ」

「はっ……結論として考えられるのは、何者かがあのトラックのカーナビに細工……いえ、むしろハッキングした可能性です。しかし、GPSの衛星通信に割り込むなど、相当な腕のハッカーでないと出来ませんし、何より目的が不明です」

「……分かった。上には私から報告する。お前は調査に戻れ」

 男が命ずると、部下は敬礼し、その場を去る。

 男は見送ると、懐からあるものを取り出した。

 透明な袋に入れられたそれ・・は、今朝処刑された囚人の顔からがれたものだ。

 絞殺された囚人は、その後十数メートルという高さから床に落とされる。これなら、仮に生き残っていたとしても、落下の衝撃で確実にほふれるのだ。

 今朝処刑された囚人――真智まちあきらの顔は、落下の際、恐ろしい変化を起こした。

 顔に貼られていた精巧な人工皮膚が剥がれると、そこには偽装車両・・・・で連れ去られた・・・・・・・はずの囚人の顔が現れたのだ。

 このことはすぐさま関係者内に箝口かんこう令が布かれ、こうして自分達も調査に駆り出されたわけだが……

 ――あの御方になんと報告するべきか。

 そこで、携帯が鳴った。鳴ったとはいえ、マナーモードにしていあったので、バイブレーションが伝わるだけだ。

 男は画面を見て嘆息した。噂をすればなんとやらである。

 無視してやりたい衝動を堪え、電話に出る。

「もしもし、影山かげやまです」

『――――』

「随分と情報が伝わるのが早いですね。いったい、その情報はどちらから?」

『――――』

「……はい、結論を申しますと、奴はまだ生きている可能性があります」

『――――』

「はい、もちろん心得ています。私の手で確実に始末します」

『――――』

「無論です。決して先生の顔に泥を塗る真似は致しません」

『――――』

 相手は一方的に電話を切った。

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