008 チーターの力

 俺は大の字に寝っ転がったまま、呆然と空を見上げていた。

 豆粒のようになった飛行船を目で追っていたが、やがてそれも見えなくなる。


 かわりに雲を追いかけていると、


「サンちゃん」「三十郎」


 姉妹たちの声がした。


「……ああ、お前らか」


 もはや虚空となった空から視線を外し、姉妹のほうを見やる。


 ふたりとも重病人を見舞いに来たかのような心配そうな表情をしていた。


「……なぁ……俺とオヤジの話……聞いてたか?」


 尋ねると、揃ってコクリと頷いていた。


「……お前らは……オヤジがニセモノだって、気づいてたか?」


 ふるふると首を左右に振る姉。隣の妹は「えっ!?」となっている。


「うそっ、信じらんないっ!? マジでふたりとも気づいてなかったの!?」


 まるで異星人でも見るかのように、俺とルナナの顔を交互に見ている。


「……バンビはわかってたのか」


「あたりまえでしょ!

 だって、顔つきとか体格とか喋り方とかあからさまに変わってたじゃない!

 それも月イチで!

 急にデブになったりノッポになったりマッチョになったりしてたじゃない!」


「俺は……オヤジのことは無視してたから、ぜんぜん気づかなかった……」


「私は……お父さんの身体つきがたまに急激に変わるなぁとは感じてたんだけど……。

 短い時間でずいぶん鍛え直したのね……くらいにしか思ってなくって……。

 まさかニセモノだったなんて……」


 叱られた子供のようにしおれる俺とルナナに対し、我が妹は頭痛を和らげるかのようにこめかみを揉んでいる。


「まったく……ふたりとも……。

 ハアッ……ま、気にしてもしょうがないか……もういいからお姉ちゃん、料理の続きしようよ。

 三十郎もいつまでもこんなところで寝てないで、部屋にでも戻ったら?」


 諦めにも似た言葉だったが、ルナナは素直に頷いた。


「うん、そうね。スペシャルディナーを作んなきゃ。サンちゃんもおっきしよ、ね? パーティの準備ができたら呼ぶから、お部屋で待っててね」


 俺は姉妹の手によって引っ張り起こされてしまった。

 でも、確かにこうしてても仕方がなかったので、揃って家の中へと戻ることにする。


 ふたりとも、オヤジのことはそれ以上口にしなかった。

 もちろん、『愛の神』やら『チーター』のことも。


 まぁ、それもそうか。あんな白昼夢みたいな出来事に、なんてコメントすりゃいいんだ。

 でも、もしかしたら俺たち三人は集団催眠にでもかかってたのかもしれない。


 考えれば考えるほど、なんかそんな気がしてきた。


 オヤジは俺に、愛の神に仕える神獣チーターの力を授けた……とかぬかしてたけど、俺はなんにも変わりねぇ。

 海をふたつに割るような奇跡の力も湧いてこないし、背中から後光がさしてくる気配もない。


 そうだ……そうじゃねぇか。

 なんにも残っちゃいないってのが、夢であることの何よりの証明じゃねぇか。


 まったく……なにがハーレム王だ。なにがモテモテ坂だ。なにが愛の妖精だ。


 そんなことより俺は『ファイナルメンテナンス』のアップデートで追加される新エリアのことで頭がいっぱいなんだ。


 自室の前にたどり着いた俺は、キッチンに戻っていく姉妹の背中を見送ったあと、スッキリとした気持ちで扉を開いた。


 出迎えてくれたのは、


「うおおおおーーーーーーーーっ!? エロっ、エロっ、エロぉぉーーーっ!?」


 妖精……たしかテュリスといったか……の雄叫びだった。


 いつの間にか姿が見えなくなってたから、アイツも夢のカケラだったんだろうと思いはじめてたのに……こんなところにいやがったのか


 ベッドの下に入れてある衣装ケース。

 そのひとつを同人誌の隠し場所にしてるんだが、テュリスはタンスに潜り込んだ猫みたいに全部引きずりだしていて、床にぶちまけていた。


 部屋を掃除しに来るルルナ避けに、表面は女教師陵辱モノで覆ってある。

 だがその下にある、本命のヤツまで白日の下に晒してやがる……!


「このパンフレットみたいな本、ごっつエロいやん!

 エッローっ! エロロ軍曹!

 おおぅ、危うくエロマンガ島に不時着するところやったで!

 うわあっ、こっちもエロっ、エロエロアザラク!」


 花を渡り歩く蝶のごとく、いかがわしい表紙の本の上を行ったり来たりしている妖精。


「こんだけエロエロ言うとったら、ひとつくらい工口こうぐちが混ざってても気づかれへんやろ!? 工口さんもとんだ災難やでぇ……!」


 意味不明のことを叫んでいるところを、背後からそっと手を伸ばし……グッと掴みあげる。


 テュリスは巨人に掴まった人類のように暴れていたが、俺だと気づくと電球のようにパッと顔を明るくした。


「あっ、進撃の旦那! よう来たなぁ!」


「誰が進撃だ。それにここは俺の部屋だ。勝手に荒らすな。しかもピンポイントに」


 少し懲らしめてやろうと、胴体を握る手に力を込める。


「ギーヤー!? トムにつかまったジェリーの気分っ!」


 大げさにもがき苦しむテュリス。明らかに芝居とわかったので、ハンドグリップのようにニギニギしてやると、


「バッキーオッヘア!? 妖精で握力鍛えちゃらめぇぇぇぇ!?」


 アヘ顔になったところで解放してやった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る