第三十七章 ティセリアの呼び声…

飛翔する狂気



 その日ーー。



 ニアル・ヴィール下層にて、大規模な爆発が発生。


 燃え盛るニアル・ヴィールを四つ尾を携えた巨人が、《ヴィールツァンド》が内部から突き破り、そのまま地球へと降下して行った。



 ルーリアの動向を監視していた防衛軍の衛星基地〈ステーションV3〉がその一部始終を記録し、緊急事態として地上の防衛軍各支部へと報せる。


 しかし……。


 地球圏も……地球の都市を占領していたルーリアの者達ですらも……。


 あまりにも早過ぎたハプニングに焦り、出鼻を挫かれて……。



 彼らがやっと動き出せた頃には、総てが後手後手になっていて、どうしようもない有様になっていたーー。




「芽依姉さん!神宮寺さん!見て見て!川が真っ黒だ!!怖っ!! 」

「はい時緒くん!はしゃがないでくーだーさーいー!!」

「……芽依子さんも楽しそうなんですけど 」



 車窓を興味津々の眼差しで見下ろす時緒に、芽依子と真琴は呆れ笑い。


 激しさを増す雨風を物ともせず、磐越自動車道を走るバスの中。


 時緒達仲良し倶楽部が、悠々と猪苗代への帰路に着いていた、その頃ーー。



 アメリカ合衆国、ネバダ州に落着したヴィールツァンドは、地球防衛軍北米支部ネバダ基地の戦車隊を僅か数分で壊滅させると、進路を西に変え、海上の迎撃艦隊を蹂躙しながら巡航速度マッハ一.五で飛翔を開始した。



『 うぎゅぎゅ……えくしゅれいが……たおしゅ!! 』



 正気を喪った瞳を爛々と輝かせるティセリアを頭部の操縦席内に収めて、ヴィールツァンドは地球の大気を翔ぶ。



 遠い太平洋うみの彼方。



 猪苗代を目指して……。





 ****





 台風による高速道路の速度制限によって、遠足気分の時緒達を乗せたバスが猪苗代駅のターミナルへと到着したのは、正午を少し過ぎた頃だった。



「「ありがとうございました!」」

「お気をつけてお帰りくださいませ」



 帽子を取って会釈をする運転手に時緒達は感謝の礼をすると、降車口から猪苗代駅の入り口までの間をダッシュで駆けた。


 芽依子、正文、律、佳奈美、伊織の順に、駅構内に滑るように駆け込む。



「 神宮寺さん!ほいっ! 」



 雨に濡れないよう、時緒は学生服の上着を真琴へ掛けた。



「椎名くん…ありが……うっ!」

「神宮寺さん?」

「う、ううん!あり…がとう…!」



 時緒の気遣いに感謝しながらも、真琴は顔を強張らせる。


 雨の湿気と従来の男臭さが混ざり合い、時緒の上着は形容し難い香りを放っていたからだ……!


 単刀直入に言えば…………!



「 一応……毎日消臭剤は掛けてるんです… 」



 真琴の顔の強張りを察知した芽依子が音も無く近付き、そっと真琴の耳に囁いた。



「 臭いでしょう……?」

「……お兄ちゃんよりも臭いです……!」

「鍛錬も考えものですよねぇ……?毎日汗掻いてますもの……」



 芽依子と真琴は二人揃って溜め息を吐きながらーー



「よし!猪苗代駅ここまで来れたら勝ったも同然! 」

「あとは台風過ぎ去るまで家で籠城決め込むだけだぜ……!」

「平日の半ドン新鮮だにゃーぃ!!」



 正文や佳奈美と共に歓喜の舞を踊る時緒を見遣る。



「体臭は気にならないんですよ……」

「汗だけなんですね……」



 折角の良い男でも、あの臭いでは台無しになってしまう。


 駄目だ。それは駄目だ。


 あの時緒おとこには格好良く居て貰わないと……。



「「 ………… 」」



 時緒の誕生日には制汗剤を贈ろう。


 滅茶苦茶高価でも良いヤツを……。


 芽依子と真琴、二人の乙女は目配せして……苦笑して誓い合った。



「……臭っ!何か臭いぞ椎名!!」

「ぐへえっ!?」



 そんな芽依子と真琴の視界の端で、時緒は律の背面蹴りを喰らっていた。




 ****






 折れた枝葉が風雨に巻き上げられ、轟々と渦巻く猪苗代の町。


 暴風の轟音の中に、自治消防団の鐘の音が紛れて融ける。



「大丈夫かお主ら、送ってやるぞぃ?」



 猪苗代駅の待合室で待ちぼうけていた時緒達に、孫娘である真琴を迎えに来た喜八郎は心配そうに声を掛けた。



「まさかこの豪雨の中を歩いて帰るとか…そんな馬鹿なことを考えてた訳ではあるまいな?」



「 まさか 」その通りのことを考えていた時緒はばつの悪い顔をした。



 ……考えてたな、この時緒馬鹿……。喜八郎は目を逸らす時緒を見て確信した。



「 特に正文ぼん、中ノ沢は遠いじゃろ 」



「 心配ご無用 」正文は喜八郎に向かって気障ったらしく指をぱちりと鳴らして見せる。



「一応家族に迎えの連絡は入れてるんで……。もうすぐ来るはずです」



 正文の意見に、時緒達は一斉に頷く。



「そりゃそうか……」



 納得。


 こんな嵐の中を自ら好んで歩き回る馬鹿はいない。喜八郎は顔を紅くする時緒を睨みながら思った。


 自分に連絡を入れた真琴の様に何かしらの帰宅手段を取っている筈だ。



「じゃあ真琴?雨が激しくならないうちに……お主らも気をつけいよ!」

「あ、じゃあ皆、また明日!気をつけて!」

「「ばいば〜〜い!」」



 真琴が乗り込んだ、喜八郎の愛車クーペが豪雨の靄の彼方へ、軽快なエンジン音を残して消えて行くのを、時緒は少々感傷的になりながら眺めた。


 いつの時代も、友達と別れる時は寂しいものだ……。



 暫くして、伊織の父賀太郎が迎えに来て。


 直後に、佳奈美の姉真奈美が迎えに来た。


 真紅のBMWの運転席から律の母である桜子が巫女装束姿で出て来た時なぞ、時緒は些かときめき、芽依子はそんな時緒を般若の形相で睨み付けた。



「さあ行きますよ若旦那。学校が早く終わったならその分旅館手伝って下さい。働いて下さい。馬車馬のように……!」

「……俺様ドナドナだぜ……」



 平沢庵の仲居であるハルナ・アッカライネンによって正文が【老舗旅館 平沢庵】と印されたワゴン車に押し込まれ……。



「…………」

「…………」



 そして、時緒と芽依子は、待合室で二人きりとなった。



「…………」



 時緒は少しだけ気恥ずかった。


 先程まで正文や佳奈美とはしゃいでいた分、その反動で今この二人きりの空間が一層気恥ずかしかった。



「…………」



 喋るネタが思いつかない……!


 悶々考える時緒の横で、芽依子は薄い笑みを浮かべながら、鞄から出した赤川次郎の小説を読み始めた。真琴から借りた文庫本だ。



「…………」

「…………」



 外の轟音が、一層大きく聞こえる。


 待合室の照明は充分明るい筈なのに、今の時緒には少し頼りなく感じる。


 どうやって過ごしたら良いか分からず、時緒はむにゅむにゅ唇を歪ませた。



「…………」



 時緒は知らない。


 当の芽依子にとっては、台風とはいえ、時緒と二人きりで過ごすこの空間が。


 隣に時緒を感じながらの読書が、芽依子にとって愛しい時間であったのだ。



 ……………………。


 ………………。



 しかし、芽依子にとって尊いそのひとときは……。



「はぁっ!や、やっと着いた!」

「いやあ……死ぬかと思った……」



 待合室に駆け込んで来た、二人の男の荒い息遣いによって……父の洋と卦院によって打ち砕かれた。



「卦院先生?」

「お父様!?まだ猪苗代にいらしたのですか!?」



 まさかこの二人が来るとは思わなかった。


 てっきり真理子が来ると思っていた時緒と芽依子は、まるでフレーメン反応を起こした猫めいた顔で立ち上がる。



「 メイ……時緒君…… 」



 その端正な顔を険しくして、洋は愛娘とその隣の少年を見つめた。



「緊急事態だ。急いで基地に来てくれ……!」




 ****





『トキオ……来てくれたか……!』




 トキオはショックのあまり言葉を失った。


 イナワシロ特防隊の会議室、そのスクリーンに映るのは……頭に包帯を巻いた、痛々しい姿のシーヴァンだった。



「シーヴァンさん!?その頭は……!?」



 映像の中で、シーヴァンは哀しげに笑う。



『はは……これは……恥ずかしいな……』

「シーヴァン!」



 緊張した表情で真理子と共に通信機を操作していたラヴィーが、震えた声で叫んだ。



「何があったのさ!?ニアル・ヴィールは!?」

『ヴィールツァンドが暴走して……第一格納宮を中心に半径七区画が吹き飛んだ……』

「な…!?み、みんなは…!?」



 シーヴァンは、悔しそうに頭の包帯を撫でた。



『リースンもコーコも……他の人達も皆無事だ。宇宙空間に吹き飛ばされたが……丁度帰還して来たカウナに全員助けられた』

「そ…うなんだ…」

『慌てた拍子に頭を機材にぶつけた俺が一番の重傷者だ……はは……』



 自嘲するシーヴァンに、ラヴィーは肩を落として見せた。


 あの冷静なシーヴァンが怪我をするなんて、笑いごとではない……。そう思ったからだ。



「シーヴァン君?良いか?」



 真理子が鋭い眼差してシーヴァンを見ると、画面の中のシーヴァンも寂しげな笑みを消し、背を正して真理子を見つめた。



「こちらでも確認した。君達の城から射出した飛行物体が一騎……防衛軍を蹴散らしながら猪苗代こっちへ向かっている……」

『…………』

「乗ってんのは……か……? 」

『っ……!』



 顔を強張らせながらシーヴァンはーー



『その通りです……! 』



 確と、頷いた。



 嫌な予感が、時緒のなかで沸き上がる。



「姫ちゃんって……まさか……ティセリアちゃん!?」

『……ああ』



 時緒の問いに、シーヴァンは再び頷いた。



『今でも……信じられない……。はっきり言って俺は今も混乱している……』



 画面の横からカウナが現れ、項垂れるシーヴァンの肩を優しく叩いて宥めた。



『ティセリア様は……ティセリア様は今……正気を失っている。自分の精神力ちからの強さに呑まれてしまっているのだ……』



 時緒はラヴィーと顔を見合わせ、首を傾げた。



「シーヴァンさん…?ティセリアちゃんに…一体何が……!?」

『…………』



 シーヴァンは暫く目を伏せた後、呟くように時緒に応答した。



『ティセリア様が……【思念虹】を発現した……』

「「 !?!? 」」



 真理子、ラヴィー、そして、時緒の背後に立っていた芽依子とその父、洋が一斉に戦慄した。


 重苦しい空気が弾けて広がり、会議室を支配する。



『ティセリア様は……【 臨駆士リアゼイター 】だったのだ……! 』



「ありえない!」ラヴィーが画面越しにシーヴァンへ食って掛かる。



「そんな!?まさか!?出立前の検査ではそんな反応無かったじゃないか!?」

『 ああ……だが……、本当なんだ……ラヴィー 』

「そんな……ことが……」

『事実……ティセリア様は思念虹を発して……暴走している……』



 シーヴァンの映る画面横に、一枚の写真が立体映像として投影される。


 虹色の光を纏った巨人が、漆黒の宇宙空間を飛翔していた。


 ラヴィーが、驚愕に生唾を飲んだ。



「シーヴァンさん……ティセリアちゃんは……」

『……この事態を打開出来るのは……』



 シーヴァンに質問をしながら、時緒はふと周囲を見渡す。


 真理子が。ラヴィーが。卦院が。


 芽依子が。洋が。


 そして、画面の中のシーヴァンとカウナが。


 皆、辛辣な表情でーー



『トキオ……頼む……お前しかいない……!』

「シーヴァンさん……?何が……」



 シーヴァンは深く、深く、時緒に向けて礼をした。


 懇願の礼であった。





臨駆士リアゼイターであるティセリア様は……臨駆士リアゼイターであるトキオ……だろう……! 』





 シーヴァンの、熱い涙に濡れた瞳が、時緒を何処までも真っ直ぐに見つめていたーー!







 続く

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