妖姫疾走〜Beast mode〜



「真理子先輩!?」

「それに…文子さん!?」

「「なんで此処に!?」」



 嘉男と薫、夫婦二人息の合った疑問の声が可笑しくて、真理子と文子は揃って大笑いした。



「皆まで言うな!全部お見通しだよ……!」



 真理子のその言葉に、嘉男は凍り付く。


 全部お見通し。


 つまり、薫が誘拐されたことを。


 そして、薫の為にエクスレイガのデータを盗んだことを。


 総て、真理子は知っているのか……。



「先輩……!」



 嘉男は土下座をしようとした。



「申し訳ありません……!」



 嘉男は言い訳をしない主義である。


 理由はどうあれ、真理子を裏切ったのだ。許されることではない。



「おっと……!」



 しかし、地面に頭を擦り付けようとした嘉男を、真理子の細くも強靭なかいなが制止した。



「先輩……!?」



 嘉男が涙目で見上げる。


 涙で霞む視線の先、糾弾されるかと思った真理子の顔は、嘉男が幼い頃から外へと連れ出してくれた姉貴分は笑顔のままだった。



「よくやった!漢を見せたな!嘉男!」

「へ!?」



 鼻水を啜りながら嘉男は首を傾げる。


 何故笑っているのか。自分は裏切り者だというのに。



「全部お見通しだ!青木のアホが薫を拉致ったことも!それでおめぇが脅されてたことも!」

「ぐ……すみません……迂闊でした……!」

「お前は薫を助ける為にやったんだ!謝る必要なんかねーぜ!!」



 真理子は呆れを含んだ深呼吸を一つ。



「パソコン内のエクスのデータ……、アレは私が用意したんだよ!お前が持って行き易いようにな!」

「「…………………………へ!?」」



 嘉男と薫の顔が悲痛な物から一転、ぽかんと口を開けた阿呆面になる。



「…………」



 考えてみたら可笑しな話だと、嘉男は思った。


 エクスレイガのデータという重要な物が、セキュリティの一切合切に触れず、何故こんなにも簡単に持ち出せたのか。



「じゃあ…あのデータは…!?もしかして偽造品フェイク!?」



 薫を助けた以外の事は無駄に終わって欲しい。嘉男は思わず期待をはらんだ声を上げるが……。



「うんにゃ」



 しかし真理子は首を横に振った。



「下手なモノ作って直ぐバレちゃあお前達が更に酷い目に遭わされるかもと思ってな?」

「じゃあ……?」

「おめぇが持って行ったのはエムレイガのデータなんよ」



【エムレイガ】


 嘉男は聞いたことがある。真理子が計画中の量産型エクスレイガの名称だ。



「ダメじゃないですか!」嘉男が失意に頭を抱えて項垂れた。



「いやいや」



 薫の頭をわしわし撫でながら、真理子は虫歯一つ無い歯を見せる。


 邪悪な笑顔だ。何かろくでもないことを考えている顔だと、付き合いの長い嘉男は確信した。



「どっちにしろレイガシリーズのデータは流すつもりだったし……。上手くいけば防衛軍の生産ラインを掻っ払って……。そもそもあのデータには……うっひっひっひ……!」



 宙をにやけ面で見つめ、真理子はまるでお伽話に登場する魔女のような笑い声を上げる。


 嘉男と薫は真理子が醸す気味の悪さに身慄いした。



「うっひっひな所悪いんだけどさぁ…」



 そんな中、文子が雑木林の彼方を指差す。


 その先には、青木が搭乗しているハイエースの後ろ姿が、どんどん遠退いて小さくなっていく。



「あいつら行っちゃうわよ?良いの?」



 真理子ははっと顔を向けてーー



「う〜〜ん……!一応計画通りなんだけど……このまま帰すのは……なんかつまんねぇなぁ……!」



 腕を組んでうんうん唸る真理子を見て、今度は文子がサディスティックな笑顔を浮かべた。



「そう言うと思って、とっておきの助っ人を呼んであるのよ」



 すると文子は、真理子達から少し距離を置くと、文子の影を浮かべる腐葉土を踵で叩く。


 ずぶり。突如、影が揺らめいた。


 真理子、嘉男、そして薫はぎょっとする。


 文子の影が粘ついた音を立てて躍動し、意思を持ったかのように左側に伸びていく。


 そして。


 ごぶごぶと、まるでゴミが詰まった排水溝のような音と立てて地面から人の、子供の頭が生える。


 文子の影から一人の幼女が浮上してきたのだ。


 純黒の和服と髪。妖しく輝く瞳。


 ゆきえである。


 ゆきえは、さも普通とした澄ました顔で、影から這い出て来ると、文子を見上げて敬礼をした。



「ひええーーーーっ!?」



 嘉男は悲鳴と共に尻餅をつく。幼女が影から這い出てくるなんて、ホラー以外の何者でもない。



「っす、凄え…!!何だ!?このガキ!?文子の隠し子か!?」

「きゃあ!何なに!リアル妖精さん!?漫画のネタに使える予感がぷんぷんするわ!」



 しかし、真理子と薫は、突然現れたゆきえに好奇心満ち満ちた眼で見つめた。


 二人の態度が気持ち良いのか。ゆきえは仏頂面のまま、真理子と薫に両手でピースサインをして見せる。



「この子はゆきえちゃん。座敷童子。ホンモノよ?」

「「「座敷童子っ!?」」」



 ゆきえを隠し子呼ばわりした真理子の後頭部を軽く叩くと、文子は口笛を吹くゆきえに遠ざかるハイエースを見るように指し示した。



「ゆきえちゃん、ちょっと力貸して」

「…………?」

「あの車、見える?」



 ハイエースを見つめて、ゆきえはコクリと頷いた。


 次に文子は、ときめきに眼鏡を輝かせる薫と、腰を抜かしたままの嘉男を指差す。



「あの車に乗ってるアホがね?この二人に悪さしたのよ。んで!ゆきえちゃんの力で懲らしめて欲しいのよ?」



「…………?」ゆきえは親指を下に向け、首を搔き切る仕草をする。



 文子は咄嗟に渋い顔をして否定した。



「いやいやいや!呪殺しなくて良いのよ!後味悪いから!適当に怖がらせるだけで!」

「……ち」



 つまらなそうにゆきえは舌打ちを一つ。



「はいコレ!お助け賃!」



 文子はお気に入りのヴァトン製財布から五百円硬貨を取り出し、それをゆきえに握らせた。



「これでどうかお一つよろしく!」

「…………!」



 一転して上機嫌になったゆきえはガッツポーズを取った。これで修二のミニ四駆に組み込むハイパーダッシュモーターが買える。


 報酬を貰ったからには任務を完遂しなくてはならない。


 ゆきえは文子、真理子、薫、そして嘉男の順に敬礼をすると、今度は自分の影の中に沈み込んでいく。


 ゆきえの姿は影に沈んだのに、影自体は消えず、ゆらゆら波打っている。



「お!お!?何やんだ!?何やんだ!?」



 昂ぶりが止まらない真理子が、波打ち始めた影を凝視した。



「ゆきえちゃん二千の技の内の一つ、【黒獣変化】よ!」



 文子が自慢げに胸を張る。


 ぶくりと、影が膨らむ。何かを内包した闇の風船になる。



「うおおおお!かっけぇぇぇ!!」

「きゃー!すごーい!!」

「ぎゃあああぁぁぁ!?」



 真理子と薫の歓声、嘉男の悲鳴が共鳴する中。


 影を破いて顕現したのは。





 人の丈を優に超える鉤爪を携えた、純黒の体毛に覆われた獣脚であった。





 ****




「くくくくく!今に見ていろイナワシロ特防隊!もうすぐ貴様らは用無しだ!!」



 ハイエースの後部座席を玉座にして、青木 祐之進は独りほくそ笑む。



「K・M・X完成の暁には貴様らを逆賊に仕立て上げ、ぼろぼろのぼろ雑巾みたいにして駆逐してやる!それからあの忌々しい異星人どもも駆除だ!田舎者どもに出来たこと!エリートであるこの青木 祐之進に出来ぬ訳が無いぃ!!」



 青木の笑いは止まらない。


 憎き椎名 真理子が悔しがる顔が目に浮かぶ。


 猪苗代に、エクスレイガやルーリアロボ達の残骸が広がる様が目に浮かぶ。


 やはり自分はエリートだ。凡人を駒にして使い、悠々と成功を我が物とする。


 今までの失敗は単なる不運だ。覇道は常に我の物!



「今直ぐ須賀川の宇宙港に向かいなさい!函館の臨時司令部へと帰投するのです!」



 栄光の未来を確信した青木は運転を担当する黒服へと命じた。


 これで責任転嫁と泣き寝入りしか能の無い司令部の老人どもの鼻も開かせられる。


 青木がそう思った時ーー。



「あぐっ…!?」



 車体ががくりと揺れた。


 運転ミスか。揺れた拍子に舌を噛んだ青木は、痛みに涙目になりながら黒服を睨んだ。



「貴様何をしているか!?」



 青木は黒服の肩を乱暴に掴んだ。


 しかし、黒服は青木に謝罪もせずに、ハンドルを操作しながらバックミラーを見続けている。


 顔面蒼白で……唇を震わせながら……。



「何をしているか聞いているのです!私の権力を持ってすれば、貴様の家の窓を全て韓国海苔にする事も……、」



 ふと、青木も黒服と同様に、バックミラーに目を遣った。



「…………え?」



 後方の薄暗い雑木林の中で、何かが蠢いていた。


 黒い、大きな何かが。


 いや。ただ蠢いているのではない。


 動いている。走っている。


 黒い物体が青木が乗るこのハイエースへと近づいている!



「な!?何だ!?あれは!?」



 青木は咄嗟に振り向いて、後部窓から直に物体を目にしてーー



「ひぃぃぃぃっ!?」



 裏返った悲鳴を上げた。



 獣だ。


 四足ながら身の丈五メートルは優に超える巨大な獣。


 外見は狼とライオンの合いの子のよう。


 不気味な真紅の目を爛々と輝かせ、鋭い爪を携えた脚を我武者羅に動かしながら、車を追跡しているのだ。


 巨獣のシルエットが徐々に大きくなっている。間違い無い、ハイエースとの距離を詰めている!


 車内を恐怖が支配した。



「ななな何をしているのです!ももっもっとスピードを上げなさい!おお…追いつかれるぅぅ!!」



 シートを揺らす恐慌状態の青木に、運転手の黒服は情けない悲鳴をあげた。



「こ、これが限界ですぅぅ!!」

「長官殿!?アレは何ですか!?」

「わ、私が知る訳無いでしょう!!」

「そんな!?猪苗代は長官の故郷でしょう!?」

「良いから早く逃げなさぁぁぁい!!」



 ぐにゃぐにゃと曲がる林道を、制御限界のスピードでハイエースは走る。


 巨獣は追跡の手を緩めない。時には爪を振り上げて、時には凶暴な牙が並ぶ口から唾液滴る舌を伸ばして。


 まるで青木の恐怖を煽り、嘲笑うようにしながらーー



「ひいーーーー!!!!」



 ついに巨獣はバンの直ぐ後方へと付き、走りながら真紅の瞳でバンの中を覗き混んだ。



「ひいーーーー!!!!」



 正体不明の巨獣と目が合った青木の恐怖は最高潮。堪らず青木は失禁、車内は刺激臭に包まれた!



「ああああ!?長官がお漏らししたぁぁぁ!!」

「な、内密に!この事は内密にぃぃぃい!!」



 混乱の中、青木は必死の弁明をしようとする。


 その視界の端で。


 謎の巨獣は鋭い爪を、バン目掛けて振り下ろす……。



「ぎゃあああああああああ!!」








 ****




「おいお前ら!こんな狭い林道で何キロ出してんだぁ!?」

「ち、違うのです!この森には怪物が!怪物に追いかけられて!!」

「怪物なんている訳ねえだろ!宇宙人はいるけど!取り敢えず署まで来いよコラァ!!」

「わ、私を誰だと思っているのです!?防衛軍の長官ですよ!?」

「嘘つけお漏らし野郎!てめえが長官なら私は大統領だァ!!」

「……これだから田舎は嫌なんだぁぁぁぁ!!」





 警察官達に連れられていく青木とその部下達を遠くに眺めながら……。



「「「いえ〜〜〜〜い!!」」」



 一頻り笑った真理子、文子、薫は、ぱちんとハイタッチをした。



「あいつら!とうとうしょっぴかれやがった!!」

「薫!こんな具合でどうかしら!?」

「充分です文子さん!も〜うスッキリ〜!!」

「この後どうする?」

「野ザル、私パンケーキ食べたい。郡山の【さらえぼ】行きましょうよ」

「あ、私も行きたいです!」



 幽霊が出ると名高い雑木林の中で怖れること無く、騒々しく笑う妻と二人の先輩達……。



「…………」



 嘉男は、そんな妻達を、疲弊しきった眼差しで眺めた。


 座敷童子と言われる幼女の奇妙奇天烈な変身能力で、この事件は呆気なく幕を閉じようとしている。


 何故だろう、あまりの呆気なさに、嘉男は虚無感を覚えた。


 自分の苦労って一体……?


 薫は馬鹿笑いをしている。凄く元気だ。


 薫が無事ならそれで良い。


 嘉男は何度も、自分にそう言い聞かせ続けた。



「…………」



 服の袖を引っ張られて、嘉男は振り返る。



「…………」



 顔面土埃まみれのゆきえが立っていた。


 ゆきえは嘉男を見つめて、親指を立てる。


 "元気出せよ"


 そう言っている気がした。



「……ありがとう」嘉男は苦笑する。



 座敷童子だろうが、黒獣変化だろうが、もう怖いとも思わない。


 あまりにも馬鹿馬鹿しくて。


 あまりにも疲れ切って。


 もう……どうでも良かった……。



「……温泉入ってスッキリしたい……」



 項垂れる嘉男の背を、ゆきえは強く、優しく叩くのだった。




 "元気出せよ!"





 続く

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