追憶〜1976〜中編

フェイズ真理子、ダウン



(地球人も…お布団で寝るのね……。ルーリア人わたしたちと同じ……)



 真理子が敷いた布団は、皇女であるサナリアが普段使用していた物より遥かに硬く、重く、そして埃臭い物であった。


 だが……。



(あったかい……)



 隣で眠る真理子の寝息に、サナリアは自らの呼吸を同調させる。


 知らない惑星の、知らない天井。


 不安でないと言えば嘘になる。


 だが、今も手を握ってくれる真理子の手の優しい鼓動が、サナリアの後ろ向きな感情を拭い去ってくれた。



(マリコ……マリ…コ……。なんだろ……不思議なひと……)



 心地良い睡魔の深淵がサナリアを穏やかに引き込むのに、さほど時間はかからなかった。




 ****




 鼻をくすぐる、今まで嗅いだことのない、だが空腹を刺激する匂いに、サナリアは狐型の耳を震わせながら覚醒したーー。


 カーテンの隙間から漏れる朝日が部屋を淡いオレンジに染めていた。


 ちゅんちゅん、と聞こえる声は地球の原生生物の鳴き声だろう。可愛らしい声。害はなさそうだとサナリアは推測した。



「う……ぅ…ぅ〜〜…!」



 我ながら良く寝た。


 爽快な目覚めに、サナリアは尻尾の先から耳の先までを意識しながら背を伸ばす。


 血の流れを感じる。気持ちが良い。


 首の翻訳機を起動させて、サナリアは横を見遣った。



『マリ……』



 真理子の姿はなく、布団は綺麗に畳まれていた。



『……っ?』



 真理子がいない。


 何処に?


 たちまち不安に駆られたサナリアは、真理子から借りた寝間着を引き摺って、寝室から飛び出した。




 ****




 ぼっ、ぼぼっ、とガスコンロの火が不規則に揺らめく。



「そろそろ買い換えた方が良いかぁ?」



 眉を顰めながら、試し試し、真理子は不安定な炎の上でフライパンを振るう。


 フライパンの上では、タコ型のウインナーがじゅうじゅう音を立てて踊っていた。



(……サナリアの友達にタコ型の宇宙人とかいねーのかな?いたとしたら……この形……ヤバくね?)



 タコ型ウインナーの一つを菜箸で摘んで、真理子は至極真面目な顔で考えているとーー



『マリコ〜〜ッ!』



 玉暖簾を勢いよく跳ね上げて、サナリアが台所へと飛び込んで来た。



「サナリア!?」



 咄嗟のことに、真理子は慌てて振り返る。


 それがいけなかった。



『マリコー!』

「んごぅぅっ!?」



 全速力で突進するサナリアの頭部が真理子の鳩尾にめり込む。


 凄まじい衝撃。肺が空気を取り入れる事を拒絶し、脳が緊急信号を発令、真理子の意識を一瞬でホワイトアウトさせた。



『マリコ!?マリコーー!?』



 サナリアの叫びを耳にしながら、腹を抱えて真理子は崩れ落ちる。



『マリコ!?ゴメンナサイ!起キタラ居ナインダモノ!』



 サナリアの涙目の弁明に真理子は、親指を立ててサムズアップ



「サナリア……効いたぜ……!」



 とだけ応えて、朦朧としていた意識を、完全に放棄した。


 異星人とはいえ、このような可憐な少女が、ただ寂しかったからという理由だけで、不良集団の頭目である自分を打ち倒すとは。



「フッ……!」



 真理子は不思議と、嫌な気持ちではなかった。



 …………。


 ……。





『マリコ?怒ッテナイ?』

「なんで怒らなきゃならねぇんだよ?」



 タコ型ウインナーをぎこちなくフォークで突き刺しながら尋ねてくるサナリアに、自作のサンドイッチを齧ろうとしていた真理子は首を傾げた。



「食えよ。アレルギー食物は?」

『ナイノダワ。デモ"マルヴィ"ノ肉ハ嫌イ』

「知らね」

『ヒトノ頭ヲ逆サニシテ触手ヲ付ケタ様ナ生キ物ヨ。オ父様ノ大好物ナノ。"オ酒ガ進ム"ッテ』

「……おえっ……!」



 真理子は態とらしい顰め面を作る。


 そんな真理子の顔が可笑しくて、サナリアはころころ笑いながらウインナーを口に運ぶ。



『……美味シイノダワ!』



 幸せそうに顔を綻ばせたサナリアは、次々ととタコを串刺しにして口へと放り込んだ。



「…お前の友達にそのウインナーみたいな形の異星人いねえの?」

『イルノダワ。デモアノ子、イツモ自分ノ八本脚ノ自慢シカシナイノダモノ。ウンザリシチャウ』



 そう言って、サナリアは最後のタコを串刺しにした。



「嫌なヤツって何処にでもいるんだなぁ」



 真理子は笑いながらテレビのダイヤルを回す。


 東京オリンピックの折に真理子の父が奮発して購入した旧式の物だ。



『はい!こちらレポーター毒蝮どくまむしです!ご覧下さいこの藤の花を!一面紫!銀座でよく見かける成金のババァみてえな色だな!』



 真理子はチャンネルを変える。



『桜井さん…!』

『黒部さん…!』



 チャンネルを変える。



『地球防衛軍の神宮寺 喜八郎少尉であります!何でもお聞き下さい!』

『少尉さん、明日のご予定は?』

『……娘が彼氏と会って欲しいらしいので……月面基地までトンズラかまそうと思っております!』



 チャンネルを変える。



『しゃ〜く〜な〜げに〜お〜う〜や〜まぁ〜なみにぃ〜〜』



 猪苗代に異星人が来訪したことなど、どのテレビ局も放送していない。


 真理子は安堵に胸を撫で下ろす。


 もしサナリアのことが知れたら、政府やら何処ぞの研究機関やらが彼女を捕まえに来るかも知れない。


 異星人など、おいそれと捕獲できるものではない。捕まったら研究用に解剖されるかも知れない。


 そう考えたら、真理子は気が気ではなかった。


 そんな真理子の横で、サナリアはベーコンとレタス、オリジナルのバーベキューソースを挟んだサンドイッチ二つをぺろりと平らげ、牛乳をコップ二杯飲み干した。


 満足げなサナリアに、真理子はまた笑う。


 誰かが居る食卓。誰かに気遣われるのではなく、こちらがもてなす食卓というのは、久しぶりに感じる楽しいことだった。



(悪いなおっちゃん。世話になるのは…やっぱ気が引けるんだわ…)





 ****




「サナリア!頭と尻きつくねえか!?」

『大丈夫ナノダワー!』

「悪いな!お前の耳と尻尾、ちゃんと仕舞っとけ!見られたら厄介だ!みんな腰抜かしちまう!」

『分カッテルノダワー!擬態装置持ッテ来ナカッタ私ノ落チ度ー!』



 来訪したのは夜であったから、昼間にこうして出歩くことで、サナリアは自身がどんな場所に降り立ったか十二分に理解出来た。



『マリコ!アノ大キナオ山ハ何テ言ウノ!?』

「磐梯山だ!宝の山だよ!」

『バンダイサン!宝ノ山!素敵ナノダワ!』



 真理子の駆るバイク【竜巻号】に同乗して、サナリアは風と成る。


 青空を背にそびえる磐梯山の勇姿が、流れる木々の彼方へと見える。雄大な異星の風景に、サナリアは堪らず嬉しくなってしまう。



 そんなサナリアの心境を、真理子は確と感じ取っていた。


 サナリアを喜ばせたい。


 遠い星から来たこの少女を。異星の妹を。



「サナリア。お前いくつだ?」

『私?地球換算デ十七ヨ』

「文子と同年タメかよ…」



 前言撤回。姉であった。



「裏磐梯ルートで……桧原湖でも行くか!」

『ヒバラコ?綺麗ナトコロ?』

「ああ!」



 期待に抱き付く力を強めるサナリアに応えるべく、真理子はグリップを強く握り締める。


 自分の好きな場所に、一刻も早く連れて行きたくてーー



「…っ!?」



 しかし。


 真理子の行動は無駄で終わる。



「…………」



 国道脇の林から、人影が一つ、悠々と歩いて国道を、真理子の進路上を阻んだのだ。



「危ねぇっ!」



 真理子は慌ててブレーキをかける。


 ブレーキ音とサナリアの驚きの声を混ぜ込んで、竜巻号は五メートル程横滑りして停車した。


 山風に吹かれた木々がざあざあと喚いて、竜巻号のブレーキ痕に葉を落とす。



「サナリア!?無事か!?」



 真理子が慌てて振り返る。


 ヘルメット越しにぽっかりと口を開けたサナリアが、呆けた頷きを二度返す。


 サナリアの安全を確認した真理子は、胸を占める感情を安堵から怒りに変えて、目前の進路妨害者を睨んだ。



「てめえ!ダチが怪我したらど…、」



 ありったけの怒気を迸らせてやろうと思った真理子は、路上に立ったままの人影を見て絶句した。


 不埒な妨害者の正体は、逞しい体格をした長身の青年だった。


 ナイフのような切れ長の瞳で、真理子たちを見つめている。いや、睨んでいる。




「てめえ…!?その耳は…!?」



 その青年には、青年の頭頂部には獣の耳が有った。尻には尻尾が生えていた。


 獅子めいた、黄金の耳と細長い尻尾が。



「おま…ルーリア…星人…?」



 驚きに掠れそうな真理子の問いに、青年は迷惑そうな、顰め眉の表情で見た。



「星人などと呼ぶな。地球人は銀河マナーも知らないのか?」



 青年は態とらしい溜め息混じりの苦言を真理子に投げると、ゆっくりと歩み寄る。


 そして身構える真理子の横を、まるで真理子の存在を忘れたかのように通過しーー



「姫様……、お迎えに上がりました」



 顔を緊張で硬ばらせるサナリアの前で、青年はゆっくりと傅いた。



『ダ、ダイガ……!?どうして……!?』

「ルリアリウムの反応を辿りました」

『ァ……!』



 サナリアの首から下がる翡翠色のルリアリウムと、青年の首に掛けられた黄金色のルリアリウムが、同じリズムで明滅し出す。



「殿下、皆が心配しております。お戯れは程々に……」



 顔面蒼白で狼狽えるサナリアを。


 青年の。


 ルーリア騎士、《ダイガ・ガウ・リーオ》 の。


 愚直なまでに真っ直ぐな、刃物のような眼光が貫いた。




 続く

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