再会、師よ!?


 

 彼女たちは忘れない。


 二十年前のあの日々を。


 汗と泥と鉄の匂いを。


 歳を重ねても。


 子を産んでも。


 昨日のことのように思い出す……!


 あの凄春せいしゅんを思い出す!



 安達太良山由来の火山性水質による酸化鉄で赤い川を、更に紅く染めて。


 全力で戦ったあの日を。



「頼む!真理子!その魔女を…あぐっ!!」

「静かにしろ正直まさなお!文子の"糸"による傷…思ったより深い!!」

「け…卦院……!俺は…まだ戦える…!」



 かつて、少年少女だった者たちは忘れない。



「文子ォォ!」

「あっはははは!吠えるんじゃないわよ!椎名 真理子野ザル!!私の"糸"で今すぐサイコロステーキにしてあげる!!」

「ぬかせ!てめえはこの椎名 真理子が裁くっ!!」



 決して、忘れない。





 ****





「こちらへどうぞ…」

「暗くなって来たから、足下気をつけて!」


 中居のハルナとナルミに案内され、時緒たちは【平沢庵】敷地内の和風庭園の中を進んだ。


 庭園通路に一定間隔で並べられた行燈が淡く優しい光を放ち枯山水を照らす。その幻想的な美しさに、芽依子と真琴、そして地球人に擬態したカウナは感嘆の溜め息を漏らす。



「カウナちーん!枕投げしよー!枕投げー!!」

「…………うむぅ…………」



 玉砂利をじゃらじゃら踏んで小躍りする佳奈美が優美な気分を台無しにしてしまい、カウナはしょっぱい笑顔で佳奈美に頷いて見せた。



「ところで…」

「「はい?」」



 時緒は唐突にハルナとナルミへと尋ね、ハルナが「何でしょう?」と振り向く。


 ナルミも振り向くが、長身故に後頭部が剪定された松の木の枝に当たり、「いてっ!」と声をあげた。



「ええと、君は確か……?」

「はい、あ、僕、椎名 時緒です」



 ハルナに自己紹介をしていなかった時緒は改めて頭を下げる。



(礼儀正しい子だな…)と、ハルナは思って笑った。



「ハルナさんたちはいつから平沢庵ここで働いてるんです?」

「かれこれもう四ヶ月になりますね」



 ハルナがそう言うと同時に、宵闇に黒く染まる木々のシルエットの向こうから、三階建の武家屋敷然とした佇まいの建造物が見えてきた。


 それが、正文の生家である老舗旅館【平沢庵】、その姿である。



「あれがマサフミの家か!美しい!美し過ぎる!!」

「ふっ!当然だ…!俺様のマイスウィートホームだぞ!」



 興奮気味の鼻息を鳴らすカウナに、正文は胸を張る。そんな正文を、律は「はっ!」と鼻で笑った。


 そんな正文たちを傍目に見遣りながらーー



「ありきたりのつまらない動機ですよ?」

「聞かせてください!」



 眉を軽くハの字にするハルナに芽依子は興味津々に頷く。


 ハルナは一息吐いてーー



「四ヶ月前、世界各国の人身売買組織や麻薬シンジケートを殲滅ツブして回っていた私とナルミはとある海外リゾートホテルに騙されて……」

「すみませんハルナさん、その時点でありきたりではないです」



 真顔で時緒は首を横に振り、隣の真琴も時緒に続く。


 だが回想にどっぷりと浸かったハルナは、遠い眼差しで口を回した。



「失礼、海外リゾートホテルのオーナーに騙されて、私たち二人は平沢庵を襲撃しました。ぼったくりのクソ旅館だと聞かされていたんです」

「リゾートホテルの奴等……平沢庵の……いや……中ノ沢温泉全体の土地目当てだったんだ。日本に進出する足掛かりにしようとしてたんだよ」



 ナルミは自らの金髪に刺さった松の葉を引き抜きながら、ハルナの説明に付け足した。



「…そんな私たちの前に女将さんが立ちはだかりました。たかが温泉宿の女将と過小評価して掛かった私たちは……」

「そりゃもうこてんぱんに倒されちゃったのさ!斬られて、叩きつけられて……私なんか一回爆破されちゃった!」

「凄まじい戦闘力でした。感動した私たち二人はリゾートホテルの悪事を白日の下に晒した後、自身の修行も兼ねて、旦那さんや女将さんの下で働かせて貰っているのです」



 そこまで言い終えると、ハルナはナルミと拳を付き合わせて笑った。



「…とまあこんな感じです。如何でしたか?」

「少年バトル漫画みたいで面白かったです!」



 鼻息を荒くして感動する時緒にーー



「……SFロボットアニメを地で行くお前が言う事か」



 律が小声で突っ込みを入れた。



 時緒は、ハルナたちの言葉を眉唾だとは微塵も思っていない。


 先程、門前に転がっていた満身創痍の男たち。それがハルナとナルミによるものならば、二人の戦闘技術は凄まじいものだ。


 そんなハルナとナルミを、倒して見せた平沢庵の"女将"。



(有り得る…!あの人なら…母さんのライバルのあの人なら…有り得る!)



 そう確信して、時緒は正文を見る。


 表情から時緒が何を思っているかを感じ取った正文は、若干重苦しい笑みを作った。



「……お袋はまだまだ凄いぞ…!女子風呂覗きがバレた時なぞ……沢の向こう側まで蹴り飛ばすからな…!先月は八回バレた。そして九回蹴り飛ばされた」



「「じゃあもう覗くんじゃないよ」」と、時緒と伊織は項垂れる。



「俺様の生き様を否定するなよ……!」



 正文は笑みを更に哀愁漂うものにした。



「「………………」」



 正文は確と感じた。


 背後で芽依子と真琴が、まるで汚物を見るような眼差しで自分を見ているのを、自分から三歩退いて距離を取ったのを……。



「もうド変態だな。近付くなよ」

「ド変態〜!正文はド変態〜!!」



 律と佳奈美が心底面白そうに茶々を入れる。


 蔑まれる感覚、まさに針のムシロ。



「……ふっ!」



 しかし、それは正文にとって、決して嫌いになれない感覚だった。




 ****




「さあさ!若旦那のお友達御一行、御案内〜〜!!」



 景気の良いナルミの声と共に、屋敷の玄関が開かれる。


 途端に、檜の良い香りが時緒たちを包み込んだ。


 目の前に広がるのは、淡い照明に照らされた和風の正面玄関。


 廊下の端には季節の花々が綺麗に活けられ、受付をする番台の隣の売店では、浴衣姿の宿泊客が土産物を吟味している。



「いやぁ〜露天風呂最高だった〜!」



 湯気を上げながらスリッパをぺたぺた鳴らす宿泊客のさっぱりとした声に、露天風呂に入って汗を流したい時緒たちの期待感は最高潮に達する。


 その時だった。



「やあ皆、よく来てくれたね」



 声が聞こえた。


 何処までも優しく、聞く者に安らぎと高揚を与えるような男の声が……。



「…………!」



 その声に時緒は、条件反射に身を正した。背筋をしゃんと伸ばし、口を真一文字に結んでーー。


 やがて、番台から一人の男が現れる。


 和服を纏ったその身体はやや細身で、眼鏡を掛けた整った顔は、明治か大正あたりの育ちの良い書生風の印象を持つ、優男の出で立ちだ。


 正文がその男に手を振った。



「親父、俺様今帰った」

「うんうん、おかえり!」

「修二は……?」

「ゆきえちゃんと一緒にミニ四駆の大会に行ってるよ。六時までには帰るって」



 男は正文を一度見遣った後、芽依子や伊織たちを優しい眼差しでぐるりと見渡した。



「ようこそ平沢庵へ。いつも正文むすこが世話になっているね!」


 そう言って、男は、正直は笑って礼をした。


 暖かい笑顔だった。


 疲労苦痛を柔らかく癒すような、菩薩の笑顔だった。



「色々話したいことはあるけれど……」



 正直はその笑みのまま、ある一点を見つめた。


 時緒を、まっすぐに見つめた……。



「元気そうだね。久し振りに会えて嬉しいよ。少し背が伸びたね?」

「……っ!!」



 すると時緒は、勢い良く正直へと頭を下げた。



「御無沙汰しております!!!」



 時緒の叫びが平沢庵の玄関に木霊して、客達が一斉に、時緒に視線を向けた。



「うんうん。元気そうでなによりだ」



 頭を下げたままの時緒に、正直まさなおはにっこり笑って……



「でもね?時緒?」

「…………」

「もう君に師匠と呼ばれる筋合いはないよ。破門したからね」



 ゆっくりと、時緒は顔を上げる。


 時緒の渋面と、正直の苦笑が交錯する。



 その時ーー。



「椎名 真理子ぉ!居るのは分かってんのよ!!出てきなさいよぉ!!」




 今度は活気に満ちた女の大声が、玄関の扉をびりびり震わせる。




「椎名 真理子ぉ!この…野ザル〜〜〜〜!!!!」



 つい先程まで時緒たちが入館して来た玄関に、紫色の和服を纏った妙齢の美女が、仁王立ちで踏ん反り返っていた。





 続く

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