Run away!!

 

 二十年前。


 青木 祐之進は幸福だった。


 欲しい物は両親から何でも買って貰えた。


 軍の高官であった両親の威光を降りかざせば、高校の同級生は愚か、教師たち大人ですらも青木に媚びへつらった。


 青木はまさしく幸福だった。


 自分こそが王であると信じて疑わなかった。


 そんな幸福を。


 椎名 真理子は根こそぎ奪っていった。


 椎名 真理子。ヒトの形をした魔物。


 青木が嬉々と下級生を虐めれば、椎名 真理子は何処からともなく現れ、青木を滅多打ち、挙句の果てに青木をブリーフ一丁の姿にし、学校の校門前の松の木に逆さ吊りにした。



「私の可愛い子分を虐めんじゃねえや!」真理子は笑って吠える。



 青木が嬉々と野良猫に爆竹を投げつければ、椎名 真理子は何処からともなく現れ、青木を滅多蹴り、挙句の果て青木をブリーフ一丁の姿にし、地元では心霊スポットで有名な廃ペンションの玄関先に逆さ吊りにした。



「めちゃんこ可愛いネコちゃんを虐めんじゃねえや!!」真理子は怒って吠える。



 風邪と原因不明の金縛りに苛まれながら、自尊心を砕かれた青木は復讐のどす黒い怨嗟を燃やした。


 『打倒!椎名 真理子』と。


 だが、無駄なことであった。



 両親が軍人であることを、多少の暴力沙汰なら親の権力で揉み消せる事を自慢したら、真理子は眠そうな顔でほじった鼻糞をぶつけてきた。


 真理子を倒すよう金で雇った不良たちはことごとく真理子に殲滅され、翌日には真理子の忠実な舎弟になっていた。


 自らの手下に加わるよう真理子に差し出した一万円札数枚は、真理子の手によって紙飛行機に変えられ、猪苗代の空の彼方へと飛んでいった。


 最終手段と青木自ら金属バットを振りかざして真理子に特攻したが、瞬時にブリーフ一丁の姿に変えられて終わった。


 金属バットは丁寧に真理子に折り曲げられた。



「…おめぇ…おもしれぇ奴なのに残念だなぁ…。一回落ち着いて自分を見直してみろよ」



 夕焼けが眩しい亀ヶ城公園。


 涙目で腰を抜かす青木に真理子はそう吐き捨てると、友人と思しき長い亜麻色の髪の少女に手を引かれていった。



「マリィ、早く帰りましょ!今日のお夕飯はダイガとヨハンお手製の餃子よ!」

「…っち!マリィって呼ぶなっつの!宇宙人!!」

「あら?マリィだって宇宙全体から見れば立派な宇宙人よ?」

「……あのデカブツとボンクラ餃子作れんのかよ?私のよりも不味いヤツ出したら二人ともぶっ飛ばす!!」

「もう!あまり虐めないで頂戴?料理の腕で私たちがマリィに敵う訳ないでしょう?」



 自身の存在など忘れてしまったかのように、真理子は少女と共に黄昏に浸かった町中へと消えた。



「ところであの人…何故下着一枚なのかしら?寒くないのかしら?」

「…そういうお年頃なんだよ」



 青木は思い知った。


 自分の力では、金の力ではどうにもならない事があることを。


 認めたくなかった。許すことが出来なかった。



「おのれ…!おのれぇ…!!椎名 真理子ぉぉぉ!!」



 夕空に、ブリーフ一丁の青木の叫びが響いて消えた。




 ****




「うぐぐぐぐ…!」



 過去の屈辱を思い出した青木は、まるで生まれたての子鹿のように立ち上がる。



「椎名 真理子ぉ…!」恐怖を懸命に振り払って青木は真理子を睨み上げた。膀胱の筋肉が緩む。気を抜けば失禁してしまいそうだ。


 だがしかし、青木は諦めない!


 今こそ恐怖を乗り越える時。


 かのロボットを入手し、地球防衛軍へ凱旋するのだ。


 讃えられるのは、自分でなければならない……!



「し、しししし椎名 真理子ぉ!そのロボットを渡せぇぇ!!」



 青木は懐から出した拳銃を真理子へと向ける。



「ほお、度胸ついたじゃねえか!見直したぜ!」



 だが、銃を向けられた当の本人である真理子は余裕綽々に笑った。


 青木も笑う。恐怖を無理矢理ごまかした笑みだ。


 今の自分は違う。


 権威もある。力もある。訓練を受けた屈強な部下コマもある。


 学生時代あのころとは違う。


 青木は昂ぶって見せる。



「さあ椎名 真理子!おとなしくエックスレイガを渡せ!さもなくばここにいるヤツら全員反逆罪で刑務所行きだァ!!」



 イナワシロ特防隊の面々に戦慄が走った。


 しかし、真理子は面白そうに首を傾げた。



「でかく出たな青木……!しかし残念!こんな所で遊んで良いのかな?」

「どど、どういう意味だ!?」

「それはな…、」



 真理子が言いかけようとしたが……。






「…イナワシロの人々を…重罪人にはさせない!!」




 闘志を帯びた猛々しい声が、格納庫に木霊し、青木たち地球防衛軍の意識が真理子から外れる。


 破られたシャッター口に人影が立っていた。


 犬耳の体毛を怒りに逆立てたシーヴァンだった。



「貴様…そ!?そそその耳と尾は!?まままさか…ルルルルーリア星人っ!?」



 シーヴァンの姿を視認した青木が驚きに声を震わせる。


 兵士たちも慌てて、銃をがちゃがちゃ鳴らした。


「あちゃー!」此処で初めて真理子の表情に焦りが現れる。


 シーヴァンの”真面目”を計算し忘れていた!



「地球の軍隊ども!そんなドロボーみたいなやり方までして我々ルーリアに勝ちたいのか!?そんな卑怯な勝ち方で…美味い飯が食えるのか!?」

「お、お黙りなさい!気色悪いエイリアンめ!諸君!このエイリアンを生け捕りにするのです!」



 青木の命を受けた装甲服の兵士たちが、じりじりとシーヴァンを包囲していく。


 しかし、シーヴァンは身じろぎ一つせず青木を睨みつけていた。


 自身を温かく迎え、それはそれは楽しい捕虜生活を楽しませてくれたイナワシロ特防隊の危機を前に、ただただ何もしないでいるなど、シーヴァンの騎士道精神が、いや、男としての矜持が許しはしなかったのだ。



「こ、これは天恵です!エックスレイガを手に入れ、ルーリア星人の生体サンプルも入手出来るとは!正に一石二鳥!さあ!諸君早く捕獲しなさい!軍の研究部で生きたまま解剖してやる!!」




 時緒の身体を、悪寒が駆けた。


 シーヴァンを、生きたまま解剖する。


 そんなこと……許せない……!


 気づいたら、時緒は自分でも驚く程のスピードで倉庫内を駆け抜けていた。そしてシーヴァンを捕縛しようとした兵士に肉薄し、その側頭部に飛び回し蹴りを見舞っていた。



『が……っ!?』



 兵士は自身に何が起きたのか終始理解出来なかった。彼の身体は瞬時に吹き飛び、倉庫の壁に激突する寸前、翡翠色の粒子に包まれて身動が取れなくなった。


 時緒のペンダントが輝いていた。ルリアリウムが時緒の精神に反応し、精神エネルギーで兵士を捕まえたのだ。



「な!?何が起きたァ!?」



 狼狽えふためく青木に答える者は誰もいない。



「……!」

「……!」



 がしりと、時緒とシーヴァンは手を握り合う。


 二人は互いに頷き合った。それだけで良かった。言葉は要らなかった。



「あーもう!こうなったらプランBだ!時緒!」



 エクスレイガの肩上から、真理子は苦笑いながら時緒に向かって叫ぶ。



「私の車の後ろに流星号が積んである!それでお前はシーヴァン君と逃げろ!ちょっと早いがルーリアに迎えに来て貰え!!」



「こ、この非国民めがぁぁ!!」に青木が吠える。



「エイリアンを捕まえろ!さもなくば殺せ!!」

 『退け!ガキ!』



 時緒をシーヴァンから引き剥がそうと兵士達の手が迫る。


 だが、彼等の指が時緒に触れる事はない。



「は、あぁぁぁっ!!」

『『ぐあぁぁぁぁぁっ!?』』



 兵士たちの前に芽依子が舞うように立ちはだかり、その渾身のアッパーカットて時緒を襲った兵士数人を天井高く放り上げた。



「芽依子さん…!」

「メイコさん…!その技…まさか貴女は…は…!」



『あぁ…っ!美少女の巨乳の感触が背中に…

 ッ』と喘ぐ兵士を締め上げながら、芽依子と、芽依子の背中に隠れていた真琴は、強張った笑顔を時緒とシーヴァンに見せた。



「此処は私たちが抑えます。時緒くん、シーヴァンさんをルーリアへ、…あののもとへ…!」

「シーヴァンさん!どうかまた猪苗代へ来てください!その時はいっぱいおしゃべりしましょうね!」



 芽依子と真琴に、シーヴァンは二度三度、重く頷いた。



「はい……!メイコさんもマコトも……お元気で……!」

「さぁシーヴァンさん!お早く!」



 立ちはだかる兵士二名に、木刀の柄を打ち当てて瞬時にに昏倒させた時緒に手を引かれ、シーヴァンは暖かな春の日差しの下へと駆け出た。


「お、追え!追うのです!!」



 時緒たちの背後から、青木のヒステリックな叫びと……


「シーヴァン君!元気でな!ばんざーい!ばんざーい!!」

「「ばんざーい!ばんざーい!!」」



 麻生を筆頭としたイナワシロ特防隊の万歳斉唱が聞こえた。



 ”バンザイ”とは相手を応援する、鼓舞する地球の言葉。



 シーヴァンは目頭が熱くなり、鼻の奥がじん、と痛んだ。




 ****




「トキオ?辛くないか?」

「大丈夫です!これしき!!」



 真琴手製のケーキや、土産物を包んだ風呂敷を背負ったシーヴァンを荷台に乗せて、時緒は全力で流星号のペダルを漕いだ。漕いで漕いで漕ぎ続けた。



「シーヴァンさん、何処へ行けばよいですか!?」

「要人転送用のキュービルを召喚出来た。あと20分で到着予定だ…!出来るだけ見晴らしの良い広い場所…非常事態を考慮して水辺が好ましい…!」

「猪苗代湖まで戻るには逆方向だし…、なら桧原湖ひばらこ!…いや、五色沼ごしきぬま!」



 時緒の懸命な提案にシーヴァンは頷くと、風呂敷の隙間から紙を取り出し、忙しなく手を動かし始めた。


 未だ微かに冷たい山風を、昼下がりの太陽光が気持ち良く暖めてくれる。


 県道四五九号線の傍の木々は一層緑を濃くし、耳を澄ませば、未だ鳴き慣れていないうぐいすの囀りが聞こえて来る。


 これがハイキングだったら気持ち良いのに…。


 時緒がそんなことを考えているとーー



「これが遊覧であったなら気持ちが良いのだがな…」



 シーヴァンが同じ事を呟いてきたので、時緒は少々可笑しくなってしまった。



「……っ!!」

「トキオ…!追っ手だ!」



 しかし、流星号のバックミラーに黒い四つの影が走り迫ってくるのが映り、時緒とシーヴァンは表情を険しくする。


 およそ一〇〇メートル後方。


 木々の影に輪郭を隠すように、地球防衛軍の装甲車が四台、隊列を組んで追走して来ている。


 万事休す、時緒は悔しさに唇を噛んだ。


 こちらは自転車、向こうは自動車。追いつかれるのは時間の問題だ。


 それでも時緒はペダルを漕ぐ力を決して緩めない。シーヴァンを無事返す事を諦めない。


 緩やかな上り坂を時緒は歯を食いしばって流星号を走らせる。



「トキオ!もう良い!後は俺一人で充分だ!お前まで身を危険に晒す事はない!暫く森に潜伏すれば…、」

「嫌ですね!シーヴァンさんは…絶対に…絶対に…無事に帰します!!」



 時緒の決意に、シーヴァンはそれ以上何も言えなくなった。


 装甲車の隊列はそんな時緒を嘲笑うかのようにぐんぐん距離を詰めて来る。先頭を走る装甲車の助手席から兵士が身を乗り出し、自動小銃の銃口を時緒へ向けた。



「く……っ!」



 撃たれる……!


 時緒が一瞬……ほんの一瞬……諦めかけた。


 



 その時ーー






 !!!!




 傍の砂利道から走って来た中型のワゴン車が一台、猛スピードで流星号と装甲車達の間に割って入った!


 突然の乱入者に驚いたのだろうか、銃を構えていた兵士が慌てた様子で車内に引っ込む。


 ワゴン車は一台の装甲車の側面を小突いて退かせると、一気にスピードを上げ、流星号の真後ろにつく。


 そのワゴン車の側面には、こう記されていた。


【中ノ沢温泉 老舗旅館 平沢庵】



「……!」



 その文字の羅列を目にした時緒は思わず笑いを漏らしてしまう。

 


「パーティーに遅れて来るなんて酷いヤツだ!!」



 時緒が力いっぱいに叫ぶ!



「当たり前だ…!ヒーローとは遅れてやって来るものだろうが…!」



 並走するワゴン車の窓が開き、運転席の少年が、得意げな顔で親指を立てた。




「待たせたな…!時の字…!そして…ミスター・シーヴァン…!」



 自称『会津一の伊達男』、『沼尻の種馬』。


 人呼んで『歩くAVショップ』、『猪苗代R-18』、『天然児ポル法違反男』。



 送迎用のワゴン車を豪快にかっ飛ばし。




 平沢 正文、此処に参上……!





 続く

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