異星の兄弟
「正文っ!」
「ふっ…!俺様参上…!」
感謝。時緒は今日程、正文を尊敬した日は無かった。鋭い印象の正文の顔立ちが、いつもよりハンサムに見える。
「凄いや正文!いつの間に自動車の免許を!?」
「……免許?…………」
正文が呆けた顔をした。
「…………」
「…………」
急に虚ろな目で、正文はハンドルを握りながら誤魔化すように宙を見上げた。
「正文…まさか…む、無免許ォ!?」
「大丈夫だ時の字…!親父の運転を見てたから…!」
「のぉぉぉお!!」
絶句。時緒は今日程、正文を阿呆だと思った日は無かった。澄んだ印象の正文の瞳光が、いつもより馬鹿らしく見える。
「トキオ?ムメンキョとは何か?」
「シーヴァンさん!この助っ人はとんだすっとこどっこいです!」
「なんと…!?」
堪らず塩っぱい表情をした時緒とシーヴァンに、正文は眉毛を上げ下げ戯けて見せた。非常に腹立たしい動作だ。
「時の字…そしてミスター・シーヴァン、そんなことはどうでも良い…。今は後方の有象無象を蹴散らす…!さぁ征け…!俺様の愉快な下僕一号!」
「誰が下僕一号だ!」ワゴン車のサンルーフが開き、美しい純黒のポニーテールが、美しい巫女装束が風になびく。
律だ。
弓矢を携えた
「
律が先頭の装甲車を狙い、きりきりと弓を絞る。その瞳が、戦いの色に染まる。
巫女装束から現れた白く細い腕が引き締められ、美しく鍛えられた筋肉のラインを露わにした。
「ふ…っ!」
弦が空気を叩く。
律によって慣性を付与された矢が、びゅう、と風を斬り、空を貫きーー
!!
装甲車のフロントガラスへ突き刺さった。
衝撃にガラス全体にヒビが入り、車内の兵士達の視界を真白にする。
『ひい!?』目と鼻の先で止まった矢先を凝視しながら、運転していた兵士は戦慄した。
間髪入れず、律は残る装甲車三台のフロントガラスにも矢を突き立てる。
『ま、マグナム弾すら防ぐ防弾ガラスを…貫通したァ!?』
『な!?何なんだ、あの巫女は!?』
『うわぁぁあ!?前!前!前!前が見えない!?』
すっかり度肝を抜かれた兵士たちは運転を誤ってしまう。
装甲車は路上で横転、仲間同士で次々と衝突していった。
「ふん!税金泥棒どもめ…!
置いてきぼりにされ、段々と小さくなっていく追っ手たちに律はあかんべーをすると、時緒とシーヴァンへ勝気なウインクをして笑った。
同時にワゴン車の窓が開き、中からピースサインをした
「ちぃーっす!シーヴァンさん!見送りに来ましたよ!」
「シーヴァンちゃんやっほーぃ!お元気〜〜?」
伊織と佳奈美の笑顔につられ、思わずシーヴァンも声高らかに笑ってしまう。
「ははは…!トキオ…お前は面白い友人を持ったな…!」
「何言ってるんですかシーヴァンさん…」汗だくで流星号を漕ぎながら、時緒は爽やかに断言した。
「今は
「……!」
きょとんとしたシーヴァンは真顔で周囲を見遣った。
頷いていた。
笑っていた。
正文も。
律も。
伊織も。
佳奈美も。
「そうか……」
嬉しい。凄く嬉しいが、別れが一層惜しくなってしまったシーヴァンは、鼻をひと啜りしたのち、時緒や正文たちを見回しーー
「ありがとう…
****
火山性水質と、自生する水棲植物や藻の影響で、翡翠色や瑠璃色、紅色に染まる水面に磐梯山や周囲の森林が色鮮やかに映る様はーー
「美しいな…!」
「よぃ!」砂利を巻き上げるように、時緒は流星号を駐車場へ置き転がすと、木刀をジーンズとベルトの間へ挿して周囲を警戒する。
シーヴァンもまた、風呂敷を大事そうに抱えて時緒に続く。
「時の字!」盛大なドリフトをかましてワゴンが駐車し、その中から正文が叫んだ。
サンルーフから上半身を出していた律が急停車の勢いで車外へ投げ出され、駐車場脇の茂みへ、正文への呪詛を叫びながら吹き飛んでいったが、当の正文は気にしない。
「時の字、ここは俺様たちが守る…!お前はミスターと行け…!」
恐れなど一切感じ取れない眼差しで正文は五色沼の一つ、弁天沼へ続く遊歩道の方向を顎でしゃくる。
「……分かった!ありがとう!正文!」
「…感謝する…!マサフミ…!」
「ミスター・シーヴァン…!グッドラック…!」
「また来てくださいっす!!」
「今度はいっぱい遊ぼうね!!」
「あぁ…!イオリとカナミも元気で…!リツにも宜しく…!」
遊歩道へと消えていく時緒と、何度も振り返っては頭を下げるシーヴァンを見送ると、正文は後部座席から大きなボストンバッグを取り出した。
中に入っていたのは、モデルガンが二丁にサッカーボール、そして木製の薙刀。
「ほれ…!」
「よっ!」
「ほい〜!」
サッカーボールを伊織に、モデルガンを佳奈美に放ると、正文は薙刀を片手で回転させる。途端に旋風が正文の周囲に吹き荒んだ。
「正文…貴様ぁ…末代まで貴様オンリーで呪ってやるぞぉ…!」
茂みから葉っぱまみれの律が出て来た丁度その時、フロントガラスを取り払った装甲車が騒々しく駐車場へと入って来た。
車内から兵士が現れる。数は二〇人。全員が自動小銃で武装している。
「…ま…呪うか祝うかは後々にしといて…」
「ち…」
「うしっ!男…木村 伊織!覚悟決めるぜ!」
「よっしゃ〜!佳奈美ちゃんヤっちゃうにゃ〜!」
正文を筆頭に、渋面の律、伊織、佳奈美は横一列に並んだ。
驚く観光客を乱暴に押し退けて、銃を構える兵士たちに、正文は薙刀の切っ先を向け、淀み無い口調で言い放つ。
「掛かって来いよ糞ソルジャー共…。陰毛一本通さんぞ…!」
「正文、下品。せめてスネ毛にしとけ」伊織が嫌な顔をした。
****
正直の所、シーヴァンは清々しい気持ちだった。
地球の兵士に追われている危機感など、肺に入ってくる生命感溢るる木々と水の香りの前では、時緒や正文達の心意気の前では至極どうでも良い事だった。
地球の自然の中で、シーヴァンの心は自由だった。
「シーヴァンさん!来ました!」
時緒が嬉しそうな声を上げる。
木々の間から見える空に、海星型のシルエットがあった。
ルーリアの無人戦闘機、スターフィッシュだ。
それは、ふわんふわん、と奇怪な音を発しながら弁天沼の上へとゆっくり飛行していく。
「要人転送用のキュービル…!あれだ…!」
「やった…!」
時緒は嬉しかった。もうすぐでシーヴァンはルーリアの城に帰れる。
それはシーヴァンも同様だった。
だが、猪苗代の景色、椎名邸の匂い、時緒のいびき、すき焼きの味をふと思い出してしまったシーヴァンは、少し後ろ髪を引かれる思いであった。
(この戦争が終わったら…多惑星留学を理由にして…イナワシロへ移住してみるか?週に一度はティセリア様やカウナ、ラヴィー、リースンにコーコを呼んでスキヤッキーを食べるんだ…。家族も呼んで、トキオ達とスキヤッキーパーティーをするんだ…。きっと楽しいぞ…!)
そう考えると、途端に嬉しくなり、シーヴァンは時緒と共にボート乗り場の桟橋をがんがん鳴らして走った。
桟橋の端で両手を掲げるシーヴァンに、上空のスターフィッシュは暖かなオレンジ色の光を浴びせる。
(水辺、敗けた異星人…。シーヴァンさん燃やされたらどうしよう…?)
そんな時緒のくだらない妄想が現実になる筈がなく、シーヴァンは光の中で満足げに凛々しい笑みを浮かべていた。
「…ありがとうトキオ…!嬉しかった…!お前と…お前達に会えて…楽しかった…!イナワシロの思い出は…俺の宝だ!」
「シーヴァンさん…!また…会いましょう…!」
「あぁ…!」
がしりと、時緒とシーヴァン……二人は友情の握手を交わす。
其々エクスレイガ、ガルィースを駆って対決をしたのが、遠い遠い過去の事のように懐かしく感じられた。
「マリコさんをあまり心配させるなよ…!メイコさん、マコトとも仲良くな…。それから…そうだ…!」
何かを思い出したかのように、シーヴァンは二つの物体を時緒へと放り投げた。
一つは丸められた用紙。
もう一つは、黒塗りの、剣の柄に似た物体だった。
「シーヴァンさん?これは?」
「紙は広げるな。恥ずかしい。後で皆で見てくれ」
「こっちの黒いのは?」
「ルーリア式の剣だ。柄の先にルリアリウムを嵌めれば剣として使える。俺のお下がり品だが…、ここぞという時に使え…!」
「あ、ありがとう…ございます…!」
「トキオ…!その心のままに戦え…!お前の勇気に…ルリアリウムは必ず応えてくれる!」
こみ上げそうな感情を一生懸命御して、時緒はシーヴァンへ深く頭を下げた。
シーヴァンの身体が徐々に光の粒子と化していく。
「そうそう…!確か地球の娯楽映像では…俺みたいな異星人はこう言って去るのが約束だったな…!」
するとシーヴァンは、きりりと眼光を鋭くしてーー。
「
そう言って、悪戯小僧のような笑顔を浮かべたシーヴァンの身体は、光と一体になり、スターフィッシュの中へと吸い込まれて……消えた。
「…………」
桟橋の上で独り、飛び立っていくスターフィッシュを見上げ、別れの余韻に浸る時緒を、心地よい風が撫でてゆく。
もう、シーヴァンの姿は何処にもない。
当然だ。ルーリアに帰ったのだから。
ただ、シーヴァンがいないことが、時緒には酷く寂しく感じた。
一人っ子だった時緒にとってシーヴァンは、僅かな日々ではあったが、確かに……
ふと、時緒は丸められた紙を広げてみる。
「…………」
垂れ落ちそうな鼻水を懸命に啜って、時緒はまた空を見上げた。
遠くから聞こえる銃声が、感傷に耽る時緒の鼓膜を叩く。
我に帰った時緒は半ば反射的に桟橋を駆けた。山道を駆けた。
シーヴァンから貰った紙を握り締め。
(僕は…やるべき事を…やる…!)
走りながら、同じくシーヴァンから貰った剣柄にルリアリウムを嵌め、時緒は意識を集中させる。
光が溢れる。
光が刀の形を構築していく。
ルリアリウムが、時緒の昂ぶる精神力をエネルギーに変換し、剣柄から翡翠色の光刃を現出させた。
****
『気をつけろ!このガキ共…凄まじく強い…!』
「
五色沼入口の駐車場は、正文たちと地球防衛軍兵士たちとの戦場と化していた。
飛び交う銃弾。舞荒ぶ刃風。たまたま巻き込まれた観光客にとっては迷惑以外の何物でもない。
「俺様式薙刀術…!【
「にゃ〜っ!ばんばんだ!」
『『痛だだだだだだだだ!?』』
正文の薙刀が轟き、銃弾を弾く。
その一閃に吹き飛ばされた兵士たちを、猫めいた身のこなしで高く跳躍した佳奈美のモデルガンから発射されたBB弾の雨が強襲した。
「木村!合わせるぞ!」
「合点!ボールは友だちって…な!!」
『『がぁぁぁぁぁぁ!?』』
律の神楽舞めいた躍動に翻弄された兵士を、伊織の豪脚から放たれたサッカーボールが纏めて吹き飛ばす。
四人の少年少女たちの動きは、まさしく遊びに興じる無邪気な子供そのもので規則性がないにも関わらず、其々の長所短所を補うように上手く連携が取れていた。
それは、シュミレーションでしか対人訓練をしていない、優秀さを示せていない兵士たちを驚愕、混乱させる。
「シーヴァンちゃんは無事帰れたかなー?」
「佳の字、余所見をするな……っ!?」
だが、一瞬上の空になってしまった佳奈美が隙を作ってしまった。
『このガキ…っ!』
「ぎにゃーーっ!?」
兵士の一人が、飛び跳ねていた佳奈美の腕を掴み、正文へと放り投げた。
「佳の字…がっ!?」
「あぅ…!これが大人のやること〜…?」
衝突の衝撃で体勢を崩した正文と目を回す佳奈美に兵士達は銃口を向ける。まるで死骸に群がるハイエナだ。
『ガキ!命乞いをしろ!あのエイリアンを出せ!』
「お断りだオタンチン…!」
引き鉄が引かれようとしている。
だが、正文は恐れなかった。友人を守れた。それでどうにかなるなら本望。
目を瞑るなど尚更だ。現実を直視する。心まで敗北したくなかった。
『……?』
しかし、兵士たちの銃口から鉛玉が飛び出る事は無かった。
一瞬、正文たちの目の前を光が走った。翡翠色の美しい一条の光だった。
『エ…ッ!?』
途端、兵士達の銃がばらばらと斬り裂かれて、彼等の足下へと残骸と化して落ちていく。
彼等は何が起こったのか分からず、ただ自身の手と足下に散乱した残骸を交互に見つめるばかり。
「…遅いぞ?
事の終始を目で追っていた正文がにやりと笑う。
佳奈美が目を覚まし、伊織と律が安堵の溜め息をやや大袈裟に吐いた。
「ヒーローって遅れてやって来るものでしょう?」
「ミスターは?」
「帰った」
「そうか…」
轟音と共に装甲車の一台が両断され、兵士たちは揃って慄く。
ゆっくりと倒れる装甲車の向こう側で。
光刃を構えた、時緒が立っていた。
続く
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