第三章 奪われたエクスレイガ

嵐の前


(時緒くんに…一目会いたいと思った事は…間違いだったのでしょうか…お母様…?)



 昇り始めた朝陽が、ビルの屋上に佇む芽依子の姿を、そして彼女の眼前に広がる植林地を黄金色に照らした。


「うぉ…さっぶ…。ホントに今四月なのかよ…。」

「おばさま、おはようございます。今日は一月並の冷え込みになるみたいですよ。」


 所々錆びついたドアを足で蹴り開けて現れた真理子に、芽依子は頭を下げる。


「おはようさん」そう言って真理子は両手に持った二つの紙カップのうち一つを芽依子へと差し出した。


「ホラ、これ、薫が作ってきたってさ。あったまるぞ」


 カップの中では、甘酒が湯気を立てている。

 芽依子は「頂きます…」と、カップを手に取り、ゆっくりと啜った。


「…ふう…」


 白い安堵の溜息を吐く芽依子。

 優しくて温かい甘味。

 ふと、芽依子の脳裏に、時緒の笑顔が過り、彼女は思わず口元を緩ませてしまう。


「…時緒くん…元気そうで…嬉しかったです」

「そーか?」

「…逞しくて…、優しくて…、朗らかで…、背なんか、私よりも高くなってて…」

「大人しそうなツラしといて、無鉄砲で頑固な所もあるけどな?あと、相変わらず泣き虫だぞ?」


 照れたのか、それとも甘酒の影響か。真理子は頬を赤らめながら頭を掻いた。

 そんな真理子に、芽依子はくすりと笑う。


 そして。


「おばさま、急かすようですみません。直ぐにでも…エクスレイガの作業を」

「あぁ。でも大丈夫か?寝てないだろ…お前…」


 朝陽の眩しさに目を細めながら真理子は、芽依子の決意の顔を見遣る。


「大丈夫です。問題ありません」


 淡々と芽依子は応えた。


「私がエクスレイガを駆ります。私がルーリアと戦います」

「芽依…、」

「…全部終わらせて、今度はちゃんと…時緒くんに会いに行きます…。『ありがとう』って…言いに行きます」


「うん…」真理子が、申し訳の無いような笑みで頷く。


 空になった紙カップが、芽依子の手の中で、ぐしゃりと潰れた。




 ****




(時緒…ありがとう…)



「……んが……?」


 微かに日光の匂いがする毛布に身をくるませ、時緒は目を覚ました。

 自室の障子は陽光によって山吹色に染められ、その向こう、外からは裏庭の竹林のざわめきと雀の可愛らしいさえずりが聞こえる。


 枕元の目覚まし時計は午前六時三十分を指していた。

 時緒は背筋を伸ばしながら、微睡みの中からその意識を覚醒させて、


 そして、一昨日の出来事を改めて確認する。


 忘れようが無かった。


 エクスレイガの事。

 ルーリアとの戦い。

 操縦桿を通して伝わる剣の感触。


 それと、


「…芽依子さん…か…」


 長い亜麻色の髪の少女が最後に見せた、憂いを含んだ笑顔。


「……よし…!」


 時緒は自らの頬を叩きその身を起こした。

 布団と脱いだ寝間着を畳み、動き易いジャージに着替える。

 自室の襖を開け、友人の家族が経営する温泉旅館で購入した暖簾を潜って洗面所へ向かい、歯を磨き、顔を洗う。


 睡眠のおかげだろうか、時緒は自分の身体がいつもより軽やかに、爽快に感じた。



****




「ええっと…ここらへんにあったはず…?」


 廊下の物置の中を、時緒はごそごそと探っていた。

 薄暗い物置内には、様々な物品が文字通り陽の目を見る事無く放置されている。


 真理子が三日で使用放棄したダイエット器具。

 真理子が一週間だけ熱中した韓流アイドルのポスター。

 真理子が買い集めたが結局読まなかった自己啓発本の数々。


「……ぁ……」


 時緒は小さく声をあげてしまった。

 真理子の私物達に隠れるように、幾つものトロフィーが置かれてあったからだ。


『第五十回日新館剣道大会 小学生低学年の部 努力賞 椎名 時緒』


『第五十一回日新館剣道大会 小学生低学年の部 準優勝 椎名 時緒』


『こどもワクワクランド 第一回スポーツチャンバラ大会 小学生の部 優勝 しいな ときおくん』


『第五十三回日新館剣道大会 小学生高学年の部 優勝 椎名 時緒』


『第五十四回日新館剣道大会 小学生高学年の部 優勝 椎名 時緒』


 トロフィーには全て時緒の名が刻まれている。


「…場所取るから、捨てて良いって言ったのに…母さんめ…」


 埃をかぶり濁った光沢を放つトロフィーを視界から外すように、だが邪険には扱わず静かに退かし、時緒は物置の奥へと進んだ。


「…あった…」


 時緒が手に取ったのは、物置の隅に立てかけてあった竹刀であった。

 竹刀の弦は茶褐色に汚れ、柄皮には赤黒い血の斑点が幾つも染みとなっていた。


「…久しぶり…かな?」


 時緒は竹刀を握り、問いかけるように呟いた。

 柄皮を通して伝わる木の柔らかな感触。

 懐かしい感触が、時緒の意識を引き締めていった。



 ****



 ぴんと張り詰めた外気に包まれて、竹刀を携えた時緒は裏庭に立つ。

 辺りを長々と育った竹林が囲み、その隙間から溢れる陽の光が心地良い。

 時緒は身体をほぐすように軽く準備運動をすると、深呼吸一つする。そして、改めて竹刀を握り構えた。


 中段の構え。


 時緒が見据えるは、目の前に生えた太く瑞々しい一本の青竹。

 時緒は瞳を閉じ、今一度深呼吸。

 息を吸って、吐いて、吸って、思い切り吐いて。

 余計な力が抜け、頭の中がまるで無風の水面のように清々としていく。

 瞳を開ける時緒。朗らかだったその瞳は、まるで猛禽もうきんのそれの如く鋭く光り、青竹を睨みつけて、


っ…!」


 !!


 迷いの無いその太刀筋をもって、竹刀を青竹に打ち付けた。

 ず一撃、すかさず二撃、三撃。

 連撃の打ち音がほぼ同時に聞こえるほどの速さで、時緒は竹刀を振り続けた。


 一昨日の夜。キャスリンに家まで送られた時緒は、今の今までずっと考えていた。


 自分がエクスレイガに乗る必要は無い。芽依子は、母達はそう言った。

 だが、もしルーリアが再び猪苗代を襲撃してきた時、『エクスレイガが未だ時緒にしか操縦出来ない状態』だったら、どうすればいいのか?

 誰も操縦出来ないまま終わってしまうのか?


(それこそ駄目だよ…母さん、芽依子さん…!)


 ぎしり、と食い縛られた時緒の歯が軋む。


(よし!竹刀を握るのはホント久しぶりだけど…身体が覚えてる…!)


 時緒は竹刀を打ち続ける。


 !!


 時折り片手や逆手に持ち替え、多種な姿勢、多様な軌道をもって竹刀を振るった。


 !!!!


 その剣速は更に高まり、青竹に打ち付けられる衝撃は旋風つむじかぜとなって時緒の周囲に吹き荒さぶ。


(エクスレイガに乗れなくても…、こうやって『鍛錬』を積み直しておけば…いざという時、芽依子さんや母さんの力になれるかも…!)


 そう心の中で想いながら、時緒は渾身の一刀を振るう。


 その時であった。


「…っ!?」


 吹き出した汗を払って、時緒は咄嗟に振り返る。


 人の気配がしたからだ。


「ひゃ…!?」


 研ぎ澄まされた時緒の感覚が察知したとおり、時緒の背後に人はいた。

 ただ、竹刀を構えたまま振り返ったので、目と鼻の先に竹刀を突き付けられた気配の主は小さく悲鳴をあげてしまう。


「え…!?」


 気配の主の姿を見て、時緒は驚いた。

 それは少女であった。

 時緒が見知った少女であった。

 うなじまで伸びた艶やかな黒髪。

 震える眼先に掛けられた細縁の眼鏡に、素っ頓狂とした時緒の阿保面が映る。


「ひゃ…ぁ…ぁ〜…!?」


 少女はその場にへなへなと座り込む。どうやら腰の力が抜けてしまったようだ。


「あぁっ!?御免っ!御免よ!」


 時緒は竹刀を放り、慌てて少女へと駆け寄った。


「御免よ”神宮寺さん”!?大丈夫!?」


「お、御邪魔してました椎名くん…。ちょっとびっくりしちゃった…あはは…。」


 焦燥する時緒の問いに少女は。

神宮寺 真琴じんぐうじ まこと”は気の抜けた安堵の笑みを浮かべる。

 そして、差し出された時緒の手の上に、優しく自身の手を重ねたのだった。




 ****




「神宮寺さん、本当に御免なさいでした…。お詫びといっては何ですが、母さん秘蔵のこのお茶をどうぞ…。上物…らしいです」

「し、椎名くん…私本当に大丈夫だよ?」

「いやいや…!女の子に竹刀突き付けておいてさ。”りつ”や”佳奈美かなみ”だったらしばき倒されてた所だったよ」


 時緒の物言いに真琴はくすりと笑った。

 椎名邸の居間、来客用の座布団上にちょこんと座った真琴は、


「では、頂きますね」


と、時緒が差し出した湯呑みを手に取り、その中に淹れられた茶を啜る。


「うん、美味しい…!」

「喜んでもらえて何よりだよ」


 顔を綻ばせる真琴を見て、やっとこ時緒は胸を撫で下ろした。


「さっきの椎名くん、剣道の腕凄かったよ。凄くて声掛けられなかったよ」

「…そうかな?」

「うん。私見た事無かったから…。木村くんが前に言ってたんだ。『あいつは神童だ』って」

「ち…、伊織あんにゃろう…。余計な事を…」


 時緒が微かに顔を曇らせたので、真琴は問う事が出来なくなってしまった。


『どうして、剣道を辞めてしまったの?』と。


「所で神宮寺さん?どうして僕んに?」

「あ…うん、えと…あのね?これ…返しに来たんだ。」


 真琴は木綿糸製の手提げバッグから一冊の本を取り出した。


「呼び鈴を押したんだけど返事が無くて…。そしたら、裏庭の方からカンカンって音が聞こえてきたから…。」

「…そっか。悪い事しちゃったね」


 本の題名は【小さな魔法使いコロン きらきら星の大冒険】。

 表紙にはとんがり帽子を被った男児が木の杖を天に向けて掲げているイラストが描かれていた。


「ありがとうね椎名くん。海王星でおじいちゃんが行方不明になってた時、これ読んで落ち着けたよ」

「こちらこそ。良かったね神宮寺さん、神宮寺さんのお祖父さん、帰って来るんでしょう?」

「うん。なんだか…ルーリアの偉い人と意気投合しちゃったみたいで、あと一週間は帰って来ないみたい。心配して損しちゃった。」


「まあまあ、元気そうで良かったじゃない」と、時緒は頬を膨らませる真琴に、二度、三度苦笑して頷いた。


 時緒と真琴が談笑する居間にゆるりとした午前の空気が流れる。

 気温は薄ら寒いが、確かに香る春の風の香りと、時緒が淹れた茶の温かさに真琴は幸福感に溢れた溜息を吐いた。


「神宮寺さん、一昨日は大丈夫だった?」

「おととい?」

「ほら、ルーリアの攻撃があったじゃない?」


「う、うんうん」真琴はぱちりと手を叩く。


「うん、ちょっと怖かったけど、大丈夫だったよ。おとといは私達、お兄ちゃんを迎えに須賀川の宇宙港に行ってたから。一応シェルターに避難したけど、居たのは一時間くらいだったかな?」

「そっか。うん、良かった。…うっ!?」


「ふふ…、椎名くん、心配してくれたんだ…。嬉しい…な」


 真琴の頬がほんのりと赤みを帯びていく。

 だが時緒は、茶缶の底にマジックで書かれていた『超高級品につき持ち出し厳禁 時緒へ 勝手に飲んだら死なない程度に××× by美人のママ』というメッセージに戦慄しており、真琴の顔色に気付く事は無かった。


「…高校のクラスも椎名くんと一緒で嬉しいよ」

「…僕どころか伊織いおり正文まさふみ、律に佳奈美…。みんな一緒のクラスだ。やかましくなるぞ〜…」


 時緒の戯けた口調に真琴は口に手を添えて笑った。そして、嬉しそうに天井を仰いだ。


「…二年前に転校してきた時、緊張して黙り込んでた私に、椎名くん…話しかけてくれたよね…。そのあと椎名くんが木村くんや葎ちゃん達を紹介してくれたおかげで、中学生活が凄く楽しかったの、ぜんぶ…椎名くんがいてくれたから…。」


「…い、いや、僕は…、」


「…何でかな?いつもは緊張するのに…、私、今日はこんなにお喋りで…へ、変だね?」


「……」


 すっかり小っ恥ずかしくなってしまった時緒の照れ顔を、真琴は見上げて微笑む。


「し、椎名くん…もし…もし良かったら…私の…、」


 もじもじとしながら、真琴が何かを言いかけた。


 丁度、同時の事だった。


 !! !! !!

 !! !! !!


「…っ!?」

「ひぁ…っ!?」


 卓袱台に置かれた時緒の携帯端末、そして手提げバッグの中にあった真琴の携帯端末がけたたましい電子音を鳴らし、時緒と真琴は身を強張らせた。


「まさか…!?」


 時緒は急いで端末の画面を起動させる。


『ルーリア襲来警報。現在、お住まいの地区にルーリア襲来警報が発令されました。慌てず、お近くのシェルターへ避難してください』


 画面上に淡々と映る文章を読む時緒。


 ーーーー!!


 数秒遅れて、外からサイレンが響き渡ってきた。


「神宮寺さん、こっちへ!」

「は、はい!」


 時緒は真琴の手を取ると、勢い良く縁側の戸窓を開けた。

 サイレンの音がさらに大きく、二人の鼓膜を叩く。


「避難ー!宇宙人さん来るって言ってんでないのー!お父さーん!お婆ちゃーん!」


 近所に住む噂好きな中年女性の慌てた声が聞こえてくる。


「椎名くん…!」

「ルーリア…また来るのか!?」


 不安そうな真琴の手を優しく握り、時緒は天を睨んだ。


 雲一つ無い蒼穹。


 その青の中に、小さな小さな光の点が、幾つも幾つも確認出来た。


 あの光の点一つ一つがルーリアの兵器となって、この猪苗代に降りてくる。


 時緒の鼓動が、高鳴っていく。


「…エクス、レイガは…!?」

「…え…?」


 エクスレイガ。

 聞いた事の無い語句を呟く時緒に、真琴はただ首を傾げる事しか出来なかった。






 続く

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