避難の中で



『キュービル全機、大気圏突入。目標区域到達まであと30分』


『ルーリア監戦艦隊からニアル・ヴィール管制局へ、目標区域の住民の避難はどうか?』

『管制局から監戦艦隊へ、地球防衛軍には通告済みです。あと、分かり易いよう地球の監視衛星付近をわざと通過させました。30分もあれば充分かと?』

『安全性を考慮し、もう少し余裕を持たせたい。15分程キュービルを上空で旋回されたし』

了解レーゲン


 ……。


『…という訳でドーグス卿、すみません、出撃まで今暫くお待ちください』


 シーヴァンの目の前に浮かぶ立体モニターには、ルーリア人の管制官がふさふさの耳を垂らし苦笑していた。


「…問題ありません。お任せします」


 シーヴァンは淡々と頷く。

 銀一色の殺風景な操縦席の中、人工重力の電源を落とし、無重力に身を委ねたシーヴァンは腕を組み、呼吸を整え、瞳を閉じた。


「しかし…焦がれるな…」


 シーヴァンの口もとが僅かに歪み、笑みの形を作った。


「俺の武腕…試させて頂く。地球の巨人よ…!」





 ****






『こちら…、猪苗代町…、防災…、無線です。地球防衛軍より…、ルーリア銀河帝国の…、襲来警報が…、発令されました…。付近の皆様は…、最寄りのシェルターへ…、避難して下さい…』


「お母さん!ルーリアまた来るって!ワクワクするね!」

「し・な・い!あ〜もう洗濯物溜まってるのに〜!ルーリアさんお願い空気読んで〜!」


「ねぇターくん?避難せずに近くの山で見物しましょうよ!ルーリアの武器って、どうせ人体に影響無いんでしょ?」

「いやだ〜!めっちゃ怖い〜〜!!」


 町の至る所に設置されたスピーカーから、避難を促す防災無線が流れる。

 ルーリアの機動兵器編隊が旋回する春空の下、閑静だった猪苗代の町は一転、避難を急ぐ住民達で騒然となっていた。


「あ、おばあちゃん!その荷物持ちますから!」

「おんや?あ〜、ありがとう〜!助かるわぁ〜!」


「オイオイオイそこの兄ちゃん!辛そうだぞ!?ホラ!肩貸してやる!」

「あ、す、すみません!…仕事場で…足に煉瓦落としちゃって…」


 住民達の表情は強張ってはいるものの、周囲を押しのけたりはしない。

 急ぎつつも互いを労わりながら、避難所目指してその足を運んでいった。





 ****





「もしもし?お母さん?真琴だよ。そっち大丈夫?うん…、うん…、あぁ良かった…!私?うん、今椎名くんち。うん、だから大丈夫。今から私達も避難するから…。うん、じゃあね。お父さん達によろしくね。はい、は〜い…」


 椎名邸の玄関、携帯端末の通話機能を終えた真琴は、じいと廊下の奥を見つめる。


「神宮寺さんゴメン!待たせた!」

「ううん大丈夫!椎名くんは?」


 十秒と経たずに、廊下の奥から時緒が走ってきた。

 時緒は真琴に親指を立てて、


「火の元全部チェックしてきた!水道もオッケー!」

「流石椎名くん!」


 そう自慢げに時緒が言うものだから、真琴は思わず笑って拍手をしてしまう。


「さ、行こうか!」裸足にスニーカーを履いた時緒は真琴の手を取って玄関を開けた。


「……っ!」


 繋がる手と手をまじまじと見て紅潮する真琴に気づく事なく。




「おう時緒ちゃん!お母さんはいねえのかい?」

「こんにちは、まつ屋のおじさん。母さんは…仕事…かな?多分?」

「なんでぇなんでぇ真理ちゃんはぁ!相も変わらず鉄砲玉みてぇでいけねえなぁ!あっちをチョロチョロ!こっちをチョロチョロ!」


「ねーねーおねーちゃん?おねーちゃんとおにーちゃんはこいびとどうしー?おててつないでるからー。らぶらぶ?」

「あ、あはは…、お姉ちゃんとお兄ちゃんはお友達で、恋人じゃないんだよー…。……残念ながら…」


 サイレンが響く陽の下に駆け出た時緒と真琴は、避難する人混みの中に紛れ、その流れに従いながら避難所を目指す。


 何処かで交通規制が敷かれているのか、車道には車一台もない。


 交差点を渡り、歩道橋を登り、商店街の大通りを歩き抜ける。


 と。


「時緒ー!時緒ー!!」


 大通りの向こう、およそ二十メートル前方から、誰かが時緒の名を呼び叫んでいる。

 見れば時緒の同年齢程、日焼けた肌をした少年が時緒に向かって手を振っている。


「伊織!」

「木村くーん!」


 時緒と真琴に名を呼ばれた少年。

 名を”木村 伊織きむら いおり”と言った。


「伊織!一人か?おじさんとおばさんは?」

「親父もお袋も朝早く食材の仕入れに郡山まで行っちまったんだわ!でもさっきメール来て!大丈夫だってよ!」


 時緒と真琴は人々の流れに従いながら、唐草模様の大きな風呂敷包みを背負った伊織と合流した。


「お!?まこっちゃんもいたのか!?」


 時緒の背後にいる真琴の姿を確認した伊織は意外そうに眼を丸くした。


「椎名くんに本を返そうと思って椎名くんちに行ったの…。そしたら、ルーリアが来ちゃって…」

「なーる…、幸か不幸か…ほほう…!」


 繋がった時緒と真琴の手。それを見て伊織はニヤニヤと笑いながら二度三度頷く。


「良かったじゃねーか!まこっちゃん!」

「もう!木村くん!今は非常事態なんだから…!」


 だらしのない笑顔を浮かべた伊織に、真琴は頬どころか耳まで真っ赤に染めて慌てた声をあげた。


「ところでさ…伊織さ、その風呂敷…なに入ってるの?」


 自身の手の中で、真琴の手が微かに汗ばんでいくのを感じながら、時緒は伊織の風呂敷包みを見て首を傾げた。

 伊織はふふんと自慢気に笑って、


「俺の宝物!昨日避難した時は持っていけなかったからな!テンニンドーのゲームマスターとゲームポケット!ソフトがいくつか!これが大事!セリエAロッソ油座選手の直筆サイン入りサッカーボール!最後に完全変形合体超合金ブレイブセイバー、ブルークリア&レッドメタリックヴァージョン!」


「全部避難に要らないヤツ!邪魔になるだろう!」時緒は眉を吊り上げて声を荒らげる。


「っていうか、ブレイブセイバーの超合金は僕のだろ!?僕が伊織に貸したヤツだろ!?いい加減返せよ!?」

「もっもうちょい貸してくれよ!?頼むよぉ!アニメ見ながらガチャガチャ遊びてえんだよ!」

「子供かい!?僕らもう高校生だぞ!?」

「お袋みてえな事言うなよ!?時緒だってやるだろぉ!?」

「…去年までしかやってない…!」


「ふ、二人とも落ち着いて…!」真琴の控えめな声が、時緒と伊織、二人の少年の口論の熱を冷ましていく。


「「…はい…」」異口同音に返事する時緒と伊織。


「まずは避難しようよ…。周りの人の迷惑になっちゃう…。オモチャのお話はそれから…、ね?」


「「…おっしゃる通り。…ごめんなさい」」首を垂れる時緒と伊織。


 まるで稚児を優しく嗜めるかの様な真琴の口調。それに引き換え、自分達のなんと幼稚な事か。と、時緒と伊織は心底恥ずかしくなってしまった。




 ****





「避難シェルターの入口はこちらになりまーす!」

「地下シェルターは住民以上の人数を収容しても余裕が出来るよう広く造られています!

 安心して、落ち着いて進んで下さい!」

「お年寄りの方、妊娠中の方、怪我人や障害者の方から先に収容出来ますよう、御協力お願いしまーす!」



 二つ目の歩道橋を渡って公民館前へ辿り着いた時緒達は、避難シェルターへの収容を待つ住民達の列へ並んだ。

 公民館横に併設された避難用地下シェルターはその巨大な入口を蝦蟇口の如く解放し、住民達は入口に立つ公民館職員の指示のもと、シェルターの中へと入っていった。


「…大丈夫だよね…?」やや不安げな口調で真琴が呟いた。


「大丈夫さ!」根拠は無い。だが、時緒は真琴へ笑って見せ、再び真琴の手を握った。


「…うん。そうだね…」


 さらりと黒髪を揺らし、柔らかな微笑を浮かべて頷く真琴。


「時緒さぁ、その癖、子供の頃のままだよなぁ」


 からかう様な、感心する様な口調で伊織が言うので、時緒は「うん?」と首を傾げた。


「不安そうな顔してる奴がいると、そいつの手ぇ握るだろう?」

「…そう?」

「そうそう」


 時緒は、まじまじと真琴の手と繋がった自身の手を見遣る。


「…ぁ、確かに」と呟く時緒。


 真琴は頬を赤らめているが、時緒は恥ずかしいとは思わなかった。

 何故か、は時緒自身にも分からない。



「神宮寺さん、ごめん…、暑苦しかったかな?」時緒は真琴へ尋ねてみた。


「う、ううん!ぜ、全然!!」時緒の問いに真琴は慌てて首を横に振る。


「し、椎名くんの手…、大きくて、優しくて、あったかいから…、私…避難してる時、と、と、とっても心強かったよ…!」


 何度も頷きながら、真琴は時緒に向かって微笑んだ。

 今現在の真琴本人に出来る、精一杯の笑顔であった。


「…そっか。良かった」


 時緒は安堵の笑みを浮かべ、真琴と繋がった手を小さく揺らす。


「…ぁ…」


 ふと、時緒は小さく声をあげてしまった。


(必ず時緒くんに会いに行きますから…。)


 真琴の顔と、昨晩の芽依子の顔が重なって見えたからだ。


「…芽依子さん…大丈夫かな…?」そう独り言ちれば、時緒の思考は止まらなくなってしまった。


 ルーリアが再び襲撃してきたのだ。

 恐らく、いや絶対、芽依子は、真理子達はエクスレイガを出撃させようとするだろう。


 だが、エクスレイガのパイロット登録機能が、未だ時緒を登録したままだったら。


「…どうしよう…。」


 エクスレイガを操縦出来なくて困惑する芽依子の顔が、時緒の脳裏をよぎった。



「ふっふっふ…、じゃあまこっちゃん、これからもずっとずーっと時緒に握ってもら…、」


 愉快そうな軽薄な笑顔で伊織がそう言いかけた。


 ーー!!


 空を裂く轟音が猪苗代の空を震わせた。

 時緒は、真琴は、伊織は、猪苗代の住民達は天を仰ぐ。

 真っ直ぐな飛行機雲を蒼穹に描き、十数もの小さな影が視界遥か上を飛んでいくのが見えた。

 鈍く銀色に輝く機体。V字状に広がった前進翼。


「防衛軍の戦闘機サンダーウイング!かっけぇぇ!!」


 目を輝かせて伊織が叫ぶや、住民、特に男性連中から歓声が上がった。


 地球防衛軍極東支部の主力戦闘機【サンダーウイング】。


 渡り鳥の旅団の様に一糸乱れぬ陣形を組んだサンダーウイングの編隊は、未だ旋回し続ける異星兵器目指し、陽光を反射させながら空高く上昇していく。


 ルーリアの兵器に地球の武装は通用しない。


 ニュースや動画サイトでその様を見てきた、そして、自らエクスレイガを駆り、ルーリアと戦った時緒にとって、戦闘機達の勇猛とも取れるその光景は、酷く切なく見えた。




 ****




『キュービル、地球兵器群と接敵。戦闘を開始しました』


 先刻の管制官の声に、シーヴァンは薄く瞳を開けた。


「…すみません、”巨人”は…?」


 シーヴァンの問いに、映像の中の管制官は『少々お待ち下さい』と頷き、手元の宝玉を操作した。

 管制官の周囲に、キュービルから送られてきた映像が立体モニターとして浮かび上がっている。


『…巨人らしき物は確認出来ません』映像を見回した後、管制官は首を横に振った。『確認出来たのは地球の飛行兵器のみ、ですね…』


「そうですか…」シーヴァンは再び切れ長の瞳を閉じる。


 トン…トン…トン、と、操縦席内にシーヴァンが指を打つ音が響いた。


「…何処だ…何処にいる…?早く…早く姿を見せろ…!巨人…!」





 ****






 青空に、幾つもの光泡が爆ぜていく。

 ルーリアと地球防衛軍との戦闘が開始された証拠だった。


「残るは君達だ!さあ早くシェルターの中に!」


 ちらちらと空を緊張の面持ちで見上げながら、職員の一人が時緒、真琴、伊織へと叫ぶ。


「俺達も入ろう!時緒!まこっちゃん!」


「うん…!…?」真琴は首を傾げた。


 自身の手を握る時緒は微動だにせず、戦闘が始まった上空を眺めている。


「椎名…くん?」


 真琴は恐る恐る時緒を見上げた。

 険しい眼差しの時緒。このような顔付きの時緒を、真琴は今まで見た事が無かった。


「……なきゃ…」時緒がぼそりと呟く。


「ぇ…?椎名くん…?」


「…行かなきゃ…!多分…困ってる…!」


 するりと、時緒は真琴の手を離した。


「しい…、」真琴が時緒の名を呼ぶより早く、時緒は伊織の肩を掴んだ。


「伊織!神宮寺さんの事、護ってやってくれ!」


 時緒がいきなりそんな事を言うものだから、伊織は目を泳がせながら「は、はぁ!?」と狼狽えた。


「僕、多分だけど…やらなきゃいけない事がある!伊織!男の中の男と見込んだ!神宮寺さんの事…頼む!」


「男の中の男…?」そう時緒に言われた伊織は一瞬呆けた顔をした後、その眼光を鋭く尖らせた。


「ま、任された時緒!まこっちゃんは、男の中の男であるこの木村 伊織様が護らせてもらいやぁ!!」


「……」


 鼻息を荒くして敬礼をする伊織。

 そして、そんな伊織を真琴はぽっかりと口を開けて見眺めた。


「ち、ちょっと…木村くん…。し、椎名くん?どうしちゃったの…?」

「……」


 時緒の真っ直ぐな視線が真琴を射抜き、真琴は意図せず頬を熱くしてしまう。


「神宮寺さん、ごめん!このままじゃ…僕がここにいちゃ…いけない…!」


 時緒は真琴に深く一礼し、今まで来た道を、町へ向かって走り戻った。


「君!?危険だ!戻って来なさい!!」


 職員の制止の声も聞かず、時緒は全速力で走る。


「し、椎名くん…」


 あっというまに豆粒の如く小さくなり、見えなくなってしまった時緒の姿。


 春風に吹かれながら、真琴は時緒が消え去った方向を見つめ続けた。

 時緒の手の温もりが消えてしまわないように、自身の手を握り締めて。




 ****




「はあっ!…はあっ!」


 時緒は走る。

 住民が避難し、ゴーストタウンと化した町を、時緒は走る。


 エクスレイガは自分にしか動かせない。


 今、この町の為には、ルーリアと戦う為には、エクスレイガの力が必要なのだ。


 もし、芽依子と母が、エクスレイガのパイロット登録の初期化に成功していたら?


 それならばそれで結構。自分の骨折り損だけで済むという事だ。


 だが。


 だがしかし。



 家に戻り着いた時緒は車庫から自転車を引っ張り出した。

 青いフレームの自転車で、前バスケットに取り付けられたネームプレートにはマジックで『流星号』と記されている。


「行くぞ…!流星号!」


 自転車にまたがった時緒は思い切りペダルを踏みしめ、一縷の風となって町を駆け抜けた。


 大丈夫、場所は覚えている。



 目指すは、芽依子がいるであろう場所。


 エクスレイガが、鎮座しているであろう場所。



 雑木林の中の、廃ビル。








 続く。



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