家路



「真理子!やったな!」

「おっちゃん達が力貸してくれたお陰だよ!」


 照れ笑いを浮かべる真理子に、恰幅の良い初老の男が意気揚々と己が胸の前で拳を掲げていた。



「…マジですか……」


 エクスレイガの角の後ろに身を隠しながらその光景を見た時緒は、小さく息を呑む。


(あ、麻生のおじさん…!?)


 真理子と会話している初老の男。


 名は”麻生あそう あきら”。


 時緒が暮らす猪苗代町の、現町長である人だ。


 厳格かつ正義感の強い人物で、猪苗代町で生まれた若者に、彼の説教を受けなかった者はほぼいないだろう。勿論、時緒も例外ではない。



「エクスレイガの戦闘、観測用ドローンで見せて貰った。後でデータとして渡すからな。」

「サンキュー!牧センパイ!」


(ま、牧さんもいる……)


 腕を組みながら満足気に頷く痩身の男は”まき森一郎しんいちろう”。


 町で自動車整備会社を経営者で、真理子の中学生時代の先輩でもある。


「メイコー!お疲れ様でしター!」

「あ、ありがとうございます……キャスリンさん……」

「ん?どうしたノ?元気ないネ。」


(…キャスリン先生まで…!?)


 屈託の無い笑みで芽依子の頭を撫でている、金髪碧眼の若い女性の名は”キャスリン・バーグ”。


 町の小学校で英語の授業を担当している非常勤講師であり、時緒も高校受験の際、家庭教師として大変世話になっていた女性だった。



「あ!こらぁ!『水島呉服屋』ぁ!こんなエロいパイロットスーツ作りやがって!!」

「ひいっ!?だ、だって!ロボットのパイロットスーツはそういう物でしょう!?因みにデザインしたのは妻なので、苦情は彼女に…、」

「酷い!?嘉男さんだって乗り気だったじゃないの!」

「嘉男と薫、夫婦二人とも同罪だこんちくしょう!」

「ぎゃあ!?」


(嘉男さんに薫さん…。あ、嘉男さん蹴られた……)


 真理子に追いかけられられている二人の男女は水島みずしま嘉男よしおと、その妻かおる


 実家の老舗呉服屋で働く若旦那夫婦である。


(町で見かけるお馴染みの人達ばかり、何やってんの…!?)



 朝の歩道で、夕方の駅で、夜のコンビニで。気軽に挨拶し、気さくに話しかけてくれたご町内の人々が、人気の無い廃ビルに集まり、巨大ロボットを見ても驚く事無く会話している。


 そんな不可思議な光景アンバランス・ゾーンに時緒は軽い目眩を覚え、思わずよろけてしまった。


(おっとっと…!?)


「…!?誰だっ!?」


 それががいけなかった。



「エクスレイガの頭辺りだ!誰かいるぞ!誰だ!?出てこい!!」


 麻生の叫びが倉庫内に響き渡る。


 冷や汗を流して目を泳がせている真理子と、オロオロする芽依子を除き、皆がエクスレイガの頭部へと注目した。



「おい!逃げ場は無いぞ!出てこい!!」

「……っ。」

「…此の期に及んでコソコソするとは怪しい所か卑しい奴!」



 麻生は袖を捲り、鎮座するエクスレイガへとよじ登る。時緒目掛けて、鬼の形相で。


 元警察官の麻生は逃げ隠れする悪者を決して逃がしはしない。盗っ人だろうと、悪戯小僧だろうと。


 時緒は戦々恐々とした。


 先程ルーリアと戦っていた時より、百倍怖い。



「この地に生まれ…悪人どもを懲らしめ続けて六十七年…、警察は定年退職したがまだまだ腕は衰えておらん!引きずりだしてや…、」

「わーー!?御免なさい御免なさい!!おじさん、僕です時緒です!!」



 とうとう根をあげた時緒は、両手を上げ降伏の意を示しながら我が身を衆目に晒した。涙目である。


「と、時緒!?」ヤモリめいた格好でエクスレイガの脛部分に張り付いていた麻生は驚きに目を見開いた。


「お、お前!?避難所にいたんじゃ!?そんな所で何をしている!?」

「時緒だと…!?」

「トキオ!?ナンデ!?」

「と、時緒君だ…!」


 麻生だけではない。


 牧やキャスリン、嘉男達もまた、エクスレイガの後頭部から姿を現した時緒を見て唖然としている。



「…あー…おっちゃん…みんな…、ちょいと…言っておきたい事が…あるんだわ……」



 口をあんぐりと開けたまま、麻生はゆっくりと方向転換、背後で挙手をしている真理子へと顔を向けた。


 真理子はしょっぱい表情で、こう宣う。



「実は…時緒むすこなんだよね…。さっき…エクスを操縦してたのは……あはは」


 …………。


 暫くの静寂ののち……。



「「「…は!?」」」


 

 真理子に芽依子、そして時緒。それ以外の人物全てが、異口同音に疑問と驚愕が混じった声をあげた。




 ****





 倉庫に併設されたビルの一部屋。おそらく以前は会議室として使われていたのだろう。


 広々とした部屋に、時緒はパイプ椅子に腰を掛けていた。


 周りには、同じくパイプ椅子に座った大人達が遣る瀬の無い表情で時緒をグルリと囲んでいる。


 まるで刑事ドラマの取り調べだ。空気が重苦しい。



「時緒くんは、ココアでしたね……」

「あ、ありがとうございます。」



 部屋に入ってきた芽依子が、手に持ったトレイ上からマグカップを一つ、時緒へと差し出した。


 カップの中には、ココアが湯気を立てていた。


 一口啜れば、温かい甘味が冷えた身体中に染み渡る。緊張に凝り固まった筋肉が解きほぐされていくような感覚が心地良い。


「はふぅ…」と時緒が間の抜けた溜息をつくと、傍らの芽依子は安堵の笑みを浮かべた。


 しかし、その笑顔も麻生の言葉に拭き消される。



「なんたる事だ…。まさか、時緒がパイロットに…。」



 焙じ茶の入った湯呑みをぐいと傾けながら、麻生は眉間に皺を作った。



「初期化は出来んのか?」

「コクピット内でやってみたけど、ダメなんだよ。まぁ、此処の機材でもう一回やってみるけどさぁ」


 麻生の問いに真理子は応えながら、温めたワンカップ酒を煽る。


 ココアと酒の香りが合わさり、部屋の中は酷く甘ったるい匂いが充満していった。



「しかし、時緒が戦ったとは…。はは、やるじゃないか。偉いぞ時緒」

「センパイ、笑い事じゃねえんだよ!あと時緒を甘やかすな!」

「そうだぞ森一郎!これは非常事態だ!」



 真理子と麻生から怒鳴られ、牧は肩を竦めながら、時緒に親指を立てて笑ってみせる。


「…ところで…、」時緒は恐る恐る麻生へ訪ねた。



「皆さん、何でこんな所で…あんなロボット作って…何やってるんですか?」

「……。」


 問う時緒に麻生も牧も、暫く黙り込む。



「……二十年前だ」


 口火を切ったのは真理子であった。



「二十年前、ちょいとした事が切っ掛けで私は……私達はルーリアの存在を知った。」



 そう言って、真理子は舌打ちをする。


 芽依子が更に顔を暗くする。



「地球防衛軍のクソッタレ共は私達を信じなかった。そうこうしてる内にルーリアとの戦争が起きた。だから私は信じてくれた奴らとエクスを造り、ルーリアを戦う事にした……。そういう…こと!」


 真理子はフンと鼻息を荒げると、空になった酒瓶を部屋の隅の不燃ゴミ箱めがけて放り投げる。


 瓶は弧を描いて宙を舞い、ガチャリと音を立ててゴミ箱の中へと消えていった。



「二十年前から…全然気がつかなかった…。」


 二十年前といえば時緒が産まれる五年も前の話だ。


 時緒が所持する記憶では、真理子はやや男勝りな性格や口ぶり意外は、ごく普通の母親だった。


 美味しい手料理。丁寧な家事。学校の行事には常に参加し、テストで良い点を取れば笑って誉めてくれた。


 女手一つで、自身を育ててくれた母。


 そんな彼女が、ルーリアの襲来を予見し、彼等と戦う為の巨大ロボットを建造していた。


 そんな、まるで稚拙なアニメめいた事実に、時緒は開いた口が塞がらない。



「まぁ、紆余曲折あったけど、エクスの実戦性能は実証できたけどね…。」



 酒臭い溜息をつきながらの母の呟きに、麻生達が静かに頷く。



「あの……やっぱり僕がエクスレイガに乗り続けたほうが…、」

「駄目に決まっているだろう!」


 先程の真理子、芽依子と同じく、麻生もまた首を横に振った。


 顔の皺が一層深くなっている。


『ほれみろ』と真理子が鼻を鳴らした。


「お前はまだ高校一年生じゃないか。学校はどうするんだ!?ちゃんと訓練していた芽依子とは違うんだ!」

「う……」



 この中で自分だけが異分子。


 時緒は疎外感を感じ、寂しく俯いてしまう。



「…何もお前が邪魔な訳でも、嫌な訳でもない。真理子も芽依子も…勿論俺だって、お前が大事だから、お前にちゃんとした青春を送って貰いたいから言っているんだ。志願してくれた事には正直ありがたく思う。だがな、分かってくれ…!」


 そんな時緒の気持ちを察したのか、麻生が穏やかな口調で諭す。



「それに…明日も学校だろう?」

「…明日は…休みです…」



 それが、今の時緒が唯一言えた反抗の言葉だった。




 ****





「時緒、キャスリンが車で送ってくれるってよ。乗っけて貰いな」

「…うん」


 廃ビルの玄関で、時緒は母の言葉に淡々と頷いた。


 携帯端末の時計機能は午後八時を表示している。


 麻生達との話し合いの結果、取り敢えず時緒は帰宅するよう言われたのだ。



「私は今日は此処に泊まっていくから。家の戸締りと火の始末、宜しくな」

「分かった」

「うん、頼んだぞ…!」


 真理子はわざとらしい笑顔で時緒の背中を勢い良く叩いた。


 そうこうしてる間に、玄関の外の闇を眩いヘッドライトが切り裂き、鮮やかなオレンジ色の軽自動車が停車する。


 キャスリンの車だった。



「ヘイ!トキオー!乗って乗っテー!」



 車の窓からキャスリンが笑顔で手を振っている。



「じゃあ…母さんも気をつけて…。」

「ああ!今日は…その…サンキューな!」

「うん……」


 真理子に背を向けて、時緒がドアを開けようとした。


 その時。


「と、時緒くん…!」

「…!芽依子さん?」



 ビルの階段を勢い良く駆け降りて、芽依子が姿を現した。


 何処から走ってきたのか、息は荒く、美しい長髪が乱れている。


「時緒くん……その…、」



 芽依子は自身を落ち着かせるように深呼吸一つして、



「時緒くん…先程は御免なさい…。時緒くんがパイロットに志願してくれたのに…私…あんな態度とったりして…、本当…御免なさい……」



 そう言って頭を下げる芽依子に、時緒は頭を横に振った。



「謝るのは僕の方ですよ芽依子さん。芽依子さんがどんな覚悟でエクスレイガに乗っていたか知らないで、あんな軽々しく…、」

「いえ…いいえ…!」


 芽依子が顔を上げる。


 案の定、泣きそうな顔であった。


 時緒がエクスレイガで戦い始めてから、ずっとこの顔だ。


 およそ五時間程前に見た芽依子の満面の笑顔が、時緒には随分昔の事の様に感じられた。


「芽依子さん、また会いたいです。…会えます…か?」


 時緒の問いに、芽依子は一瞬驚いた顔をした。


 やがて、頬を微かに紅に染め、遠慮がちな微笑みを浮かべて芽依子はこくりと頷く。


「…はい。事が解決したらきっと…いえ、必ず時緒くんに会いに行きますから…、その時は…昔みたいに…私と…、私と遊んで…やってください…」

「……っ」


 そう言う芽依子の手を、時緒は思わず勝手に握手してしまった。



「…………」



 握られた時緒の手。芽依子はそれを拒みはせず、気弱く微笑んだ。


 芽依子の手は暖かく、柔らかく、可愛らしかった。


 ーーだが、震えていた。





 ****





「トキオ?お腹空いてなイ?何処か寄って行こうカ?」

「えっと…、この道筋に確かノーソンがありましたよね?そこ寄って貰えますか?夕飯と明日の朝飯買って行こうかと。」

「ラジャー!ワタシもアイスとNチキ買って行こーっト!」


 助手席に時緒を乗せて、キャスリンは明るい口調で愛車を運転し、夜の林道を走っていく。


 彼女の運転は軽快だが丁寧で心地良い。



『本日午後四時頃、須賀川防衛軍基地からスクランブル発進したジェット戦闘機JF-UAO-94サンダーウイング十二機が消息を絶ちました。ルーリアの機動兵器の出現も確認され、交戦及び撃墜されたと思われます。また、同県猪苗代町にて”謎のロボット兵器を目撃した”とインターネットの掲示板で書き込みが……』



 カーステレオから流れるラジオは、猪苗代で起きたルーリアの戦闘と、エクスレイガの事と思われるニュースが流れていた。


「おっト!トキオはニュースよりこっちの方が良いヨ!」


 まるで時緒がエクスレイガに乗って戦った事を誤魔化すかのように、キャスリンは慌ててラジオを操作する。


 ニュースの代わりに流れてきたのは、アップテンポなメロディに乗った少女達の歌声。


 今人気のアイドルユニット『HOUSEハウスガールズ』の新曲だったか。時緒はそう思いながらシートに身を埋めた。



 緩やかな微睡みが時緒を包み込もうとする。



「…このままじゃ…終わらないだろうな……」

「ンー?トキオ?何か言っタ?」

「いえ…何も。」



 あくびを噛み殺し、時緒は独りごちる。




「……このままで、終わらないよ」




 時緒は、心底諦めては、いなかった。





 続く

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