掌上の少年




 ロボットの視線をなぞって空を見上げた時緒は「あ!?」と、驚いて声をあげた



 海星型の物体が降下してくるのが、見えた。



 全部で十五機。三機ずつ編隊を組んでいる。


 フヨフヨだの、ホワホワだの、奇怪な飛行音も聞こえる。



「あれは……スターフィッシュ!?」



 時緒は、以前見たニュースを思い出す。


 海星型の物体はルーリア銀河帝国が運用している戦闘機だ。その形状から、地球防衛軍は【スターフィッシュ】と呼称している。



『ちっ!このままじゃ…こいつぁただのヒト型したまとだ!芽依!【エクス】は動かせるか!?』

『…出力、五パーセント…。武装は使えませんが、飛ぶだけなら何とかなります!』

『ムカつくが一時撤退だ!基地には戻れねえし、山麓辺りに潜って機会を待ってみる!』

『はい!』



 ロボットの鋭い双眸が、再び時緒を見下ろす。



『芽依!そこの時緒バカを掴め!取り敢えずコイツも連れてく!握り潰してくれるなよ!』

『は、はい!時緒くん!』

「は……?え……?え!?」

『我慢してください!』



 ロボットの巨大な鋼鉄の掌が、時緒の身体をゆっくり包み込んだ。



『コラ!暴れんなァ!!』

「う、待って!トイレ!!」

『んな時間ねえよボケナス!!』



 ロボットは必死にもがく時緒を易々と掴み上げると、装甲の各所から翡翠色の光を迸らせ始めた。


 鋼鉄の巨体が、音も無くフワリと浮き上がる。


 その浮遊感はジェットコースターの落ちる寸前に似ていて、時緒は恐怖に顔を強張らせた。



『行きます!おばさま、時緒くん、しっかりお掴まり下さい!』



 ロボットは腰から光を煌翼状にはためかせて、その巨体を空を舞わせた。


 途端に、激しい突風と慣性が時緒を押さえ付ける。


 凄まじく、怖い。



「きいいいやあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーー!!」



 ロボット(と、掌中で泣き叫ぶ時緒)目掛けて、スターフィッシュが砲撃を開始。


 幾重に疾る粒子ビームの矢。ロボットはそれら最低限の機動で躱しながら、腰部の装甲に取り付けられていた円筒型のカプセルを外し、投げた。


 カプセルはスターフィッシュの群体の前で爆ぜ、煌めく金属片と煙幕を周囲に撒き散らす。



『目眩しです!今の内に隠れます!』



 少女の緊迫した声が、突風と衝撃と爆音でグロッキー状態の時緒の鼓膜を叩いた。






 ****







 磐梯山。猪苗代を望む、天下の美峰。


 その麓にある美術館の裏の雑木林へ、ロボットはゆっくりと降下する。


 バキバキとロボットの巨体が木の枝を折り、散り飛ぶ針葉樹の葉が時緒の顔を突く。



「あ痛っ!い、痛たたたたたたた!」



 地面まであと二メートルほどという所で、ロボットは力が抜けたかの様にガクリと落着する。


 その眼からは翡翠色の光は失せ、顔面部や肩部の装甲が開き、勢い良く蒸気を噴出させた。



あつー!熱い暑い蒸れるーーっ!」



 微かなイオン臭のする蒸気が顔面へと吹き付けられて、時緒はまた悲鳴をあげた。


 蒸気はそれほど熱くはなかったが、手足がロボットの掌中に入ってしまい、身動きの取れない時緒には堪ったものではなかった。



「あぁもう!さっきからピーピー煩えなぁ!!」



 膝を付き屈んだロボットの、背中の装甲がスライドして開き、人影が姿を現わした。


 女の曲線的なシルエットだ。


 時緒と同じ栗色の髪を不機嫌に掻き上げ、時緒と同じ赤茶色の瞳を細め、ロボットの肩の上で仁王立ちして時緒を睨みつけている。



「やっぱり母さんじゃないか!!」



 時緒の案の定、女の正体は時緒の母だ。< 椎名 真理子しいな まりこ >だ。


 しかし何故?


 何故母がロボットに乗っている?



「まったく!避難せずブラブラ何やってたんだ!」

「避難?え!?いつ!?電車の中で寝てたら…いつの間にか、」

「寝てただぁ!?この馬鹿息子!馬鹿!茄子!折角満点取ったのに名前書き忘れて零点になった男!」

「き、気にしていることを!!」



 真理子はロボットの腕の上を軽やかに渡ると、時緒の元へ歩み寄り、息子の頭を足の爪先で小突く。



「ぁ痛!って、母さん!このロボットは……?って言うか……」



 時緒は改めて母の姿を見遣る。



「何その格好……?」



 真理子は紫色の光沢を放つ、身体のラインがくっきりと浮かび上がるスーツを着用している。



「……コスプレですか」



 正直言って、あまり似合ってないと、時緒は思う。



「コスプレじゃねえや。実戦実証で同乗したかったから仕方なく着たんだよ!」



 小馬鹿にするような視線を向ける時緒の額に手刀を当てると、真理子は天を仰いで舌打ちを一つ。



「嘉男め、が乗るって聞いた途端こんなぴっちりエロスーツ作りやがって…!デザインした薫も薫だ!無事帰ったらアイツらの眼鏡マジックで塗り潰してやる……!」



 時緒はふと、疑問に首を傾げた。


 母がさっきから呼んでいる、名前……。



「……母さんさ?その”めい”って誰さ?」

「あ?あぁ……そうだった」



 真理子ははっとした顔をして手を叩いた。



「時緒、さっさとそこから出て来い」



 腰に手を充てて、ロボットの背中を真理子は顎で指す。



「芽依がお前に会いたがっている」




 ****




「落ちんなよ?」

「落ちないよ。新体操には心得が……おっと」


 ロボットの手の中から抜け出した時緒は、先行する真理子を習って、ロボットのその雄々しい腕をよじ登る。


 頭部の横を渡り、解放された背中の装甲に手を掛けて慎重に降りると、装甲の内側は半球状の小部屋になっていた。


 小部屋といっても狭い。


 身長一六九センチメートルの……時緒くらいの体格の人間ならば、五人程度で満員になってしまうだろう。



 ――ここが、ロボットの操縦席コクピット…!凄い!凄すぎる!!



 好奇心に口が緩んでしまいそうになるのを抑えながら、時緒は操縦席を覗きこむ、と。



「はぁ……駄目です。完全に機能停止してしまいました……」



 座席には何者かが座しており、宙に投影された立体モニターを操作しながら落胆の溜息を吐いていた。



「芽依、時緒息子を連れて来たぞ」



 操縦席の人物に向かって真理子がそう言うと、その人物は「ふぁ!?」と、素っ頓狂な返事をして振り返る。


 長い髪が、美しく翻った……。




「………!」



 操縦席に座っていた人物は……。


 それはそれは可憐な、少女だった。


 きめ細かく健康的な肌。膝下まで届く艶やかな亜麻色の髪。


 桃色と白で彩られた、真理子の物と同型のスーツをその身に纏い、吸い込まれそうな琥珀色の大きな瞳をと瞬かせて、時緒を見つめていた。



 時緒は緊張に目を見張った。頬が熱を帯びていくのを感じる。



「あ、あの…初めまして。椎名 時緒と言います。えと……十五歳です!」



 時緒は慌てて頭を下げて名乗った。


 名前の後に年齢を言うのは時緒の癖である。



「貴女がこのロボットを操縦してたんですね?凄かったです!」

「とき…お…くん?あなたが……ときおくん……」



 時緒の質問に少女は応えず、震える唇で時緒の名を紡ぐだけ……。


 そういえば、先ほどから自分のことを知っているような……?


 時緒は恐る恐る尋ねてみる。



「はい。…あの、何処かでお会いした…こと…?」



 そう質問した時緒は、次の瞬間、酷く後悔した。



「ぁ……あ!」



 自身を見つめる少女の瞳からは、大粒の涙が、幾つも、頬を伝って流れ落ちているではないか……。


 少女は涙を拭おうともせず、座席から立ち上がると、ゆっくりと時緒に歩み寄った。



「時緒くん…。お身体は…?お元気…なのです…か?」

「え?は、はい…!元気ですよ?風邪とかあまりひきませんし…!面白いくらいに毎日よく眠れますし…!」



 そう時緒が応えると、少女は口元を抑え、その身を一層大きく震わせて……



「ふわぁーーーーーーーーーーーーーーー!!」



 突如甲高い叫びをあげて、少女は時緒を抱きしめた。



「いぃ!?あの!?すいませ…!あの!む、胸が!胸!むねーー!!?」



 少女の豊満な乳房が自身の顔面へと押し当てられ、その温かく柔らかな感触に時緒は堪らず紅潮した。


 何とか離れて貰おうと頼んでみたが、少女はその腕の力を緩めようとはしてくれない。


 そうこうしている間も、少女は時緒に胸を押し付けてくる。


 健康的な青少年である時緒に、この刺激はかなり危険だ。



「この…9年間…!私は…会いたくて…、時緒くんに…会いたくて…!」

「…あ、あなたは…一体!?」



 時緒は、この少女を、知らない。


 戸惑う時緒を見て、少女は一瞬表情を暗くした。


 しかし、次の瞬間には、少女はその涙を溜めた瞳を嬉しそうに細めて……。



「私は…、私の名は……メイアリ、」

「わーー!!わーー!!わーー!!?」



 少女の言葉を、これまで無言で見守っていた真理子の叫びが遮る。


 時緒が振り返ると、真理子は不気味極まりない引き攣った笑みを顔に貼り付けながら、少女に向かって首を横に振っている。



「…っ!そ、そうでした!すみません…!」



 少女は恥ずかしそうに、真理子に向かって頷いたのち、再び時緒を見る。


 そして、少女はその手を胸の前で組んで、ふわりと優しく微笑んだ。


 その姿はまるで、以前に時緒が美術館で観た、絵画の聖女のようで……。





「時緒くん、改めて……私は芽依子。<斎藤さいとう 芽依子めいこ>と、申します」






 続く

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