第81話 スノウ救出作戦:マリーゴールドなら最後まで

 ひとりで戦っているスノウを助けるために戦闘区域に向かっている、と艦内放送で知らされて、ナンナは雪や佳那を連れてブリッジにやって来た。


「どういうことか説明してもらおうか!」

「ま、落ち着けよ」

「…………秋人。と、オーシャンじゃないか。動いていいのか?」

「結構しんどいです」

「いざとなったら俺が病室に戻すよ。

 つか、それを聞きに来たんじゃないだろ?」

「ああ、そうだ。

 スフィア、聞かせてもらおうか。今の放送の真意を」


 ソルは堂々とした口ぶりで言う。


「言葉通りだ。我々はこれから戦闘区域に向かい、ヌルを回収したのちワープを決行する」

「スノウはまだ生きているの……?」

「<リンセッカ>の反応はまだ消えていないから、まだ生きているはずだ」

「スノウが……生きてる……」


 胸に手を置いてかみしめる様に雪はそう言った。

 それを横目で見てから、ナンナは言う。


「それが艦長である君の決定ならば、私に異存はない。だが、いけるのか?」

「問題はどう救出を進めるか、といったところだ」

「そうだな……今動かせるエグザイムは戦闘機動はできないが、<リンセッカ>と接触し回収すること程度ならできるはずだ。いや、その作業ならウェグザイムを使ってもいい。

 戦闘区域に入ったら<シュネラ・レーヴェ>は主砲副砲を使ってけん制を行い、その間にエグザイムで<リンセッカ>を回収する、とするのがいいと思う」

「当初の予定通り、砲台代わりにエグザイムを展開するのは難しいか?」

「不可能ではないはずだが、回収するパイロットを新たに選定しないといけないな」


 どんな作戦でやるか話し合うナンナとソルをよそに佳那は雪に言う。


「…………良かったですね、雪さん」

「うん……。本当に……」

「まだ確実に助かるってわけじゃないぞ?」

「秋人。余計な水を差さない」


 秋人は肩をすくめてから、アベールを支えていない方の腕を上げて言う。


「はいはーい、じゃあ俺が回収班やるわ。射撃の方では役に立てねえし」

「ふむ、確かに秋人なら申し分ないが」

「ただ俺ひとりじゃ厳しいかもしれないから、もう数人いた方がいいと思うけどなー」


 秋人はそう言いながらチラッと雪を見る。

 雪はそれに気が付いて、そしてその意図に気が付いて、秋人に続いて手をあげる。


「あ、あたしもやる……!」


 スノウがまだ生きている。それだけで志願する理由はじゅうぶんだ。


「お願い、あたしに行かせて!」

「雪は射撃でけん制に回ってほしいと思っているが……」


 しかし、ナンナは雪の志願に難色を示す。


「回収にまわすには、君の腕はあまりにも惜しい」

「おいおい、そりゃねえだろ……。雪ちゃんがいかなきゃ誰が行くんだよ」

「…………気持ちはわかるが」

「カルナバルさん、北山さんに行かせてあげて」

「俺も、北山さんに行かせていいと思う」


 難色を示すナンナにそう言ったのは、意外にも黒子だった。普段の冷たい表情より幾分か柔らかい顔をしていた。

 ソルも同意したことで、ナンナは折れる。


「…………私だって、意地悪で言っているわけじゃない。だが、嫌々やられても士気に関わるからな。

 ならば、秋人と雪を含めた数名で回収に向かい、事前に選抜したメンバーでけん制を行うとする……異論はないな?」


 その場の全員が首を縦に振った。

 その後、出撃する時間や手順などを打ち合わせをする。


「では、打ち合わせ通り30分前後に出撃の指示を出す。それまで待機していてくれ」


 ソルのその言葉で解散となった一同。

 秋人はアベールを抱えて医務室に戻り、ナンナと佳那は格納庫へと向かっていった。雪もナンナの後について行こうとしたが、廊下まで追ってきた黒子に呼び止められる。


「北山さん」

「うん? 黒子ちゃん、どうかした?」

「…………良かったわね、スノウ・ヌルのこと」

「…………うん」


 雪はうつむきがちになって微笑む。そして、控えめに言う。


「ありがとう、ナっちゃんを説得してくれて」

「いいのよ。もし、今出撃しているのが彼ではなくソルだったとして、その時は私も同じ気持ちだっただろうから。

 好きなんでしょう、彼のこと」

「…………うん」

「なら、最後まであきらめず助けましょう」

「…………うん!」


 今度は力強くうなずいた雪に、黒子は微笑んだ。




『こちら<シュネラ・レーヴェ>。メインシステムの修理が完了し、いつでもワープできる状態になった。今からおおよそ30分後にそちらへ救援に向かう! それまでもつか!?」

「…………来ない方がいいと思うよ」

『…………? すまない、声が遠いみたいだが……。通信機の故障か?』

「…………ま、そんなところ」

『とにかく、今から行く! 頑張ってくれ』

「…………了解」


 <シュネラ・レーヴェ>との通信を終えて、スノウはバイザーが割れたヘルメットを脱いで適当に放り投げる。


「死にかけの人間に30分も頑張れと言うなんて、立派なパワハラだなぁ」


 そう言って、スノウはまぶたを流れる血をぬぐう。

 <リンセッカ>は現在、酷い状態だった。

 右腕と左脚が完全に消失しており、スラスターは数枚もげてどこかへ行ってしまった。頭部も右半分が消し飛んでいて、それはコックピットにも影響していた。

 頭部が消し飛んだ影響でメインカメラがイカれてしまい、モニターはついたり消えたりを繰り返している状態で、しかも衝撃で割れてしまっている。コックピット内が破損し、ところどころ金属片が宙に浮いている様は異様といえる。空気が漏れてないことだけは幸いだろうか。

 そして、スノウは衝撃で飛び散った金属片によって体のいくつかに裂傷を負い、右足には金属片が刺さってしまっている。ヘルメットが割れたのは強くコンソールに頭をぶつけてしまったからだ。

 そんな満身創痍の中でも、かろうじて生きているセンサーはそれでも敵が接近してきていることを健気に知られてくれる。


「今使えるのは……」


 左手に持つアサルトライフル。これを構えて接近する<GRAVE>を狙い撃つ。しかし、カチッカチッと手ごたえのない引き金を引くだけの動作になった


「あれだけ撃ってれば弾切れにもなるか」


 十字架を振り下ろしてきた<GRAVE>の顔面をアサルトライフルの銃身で殴りつける。メキャッとひしゃげる感覚が手元にフィードバック。

 完全に折れ曲がった銃身で何度も何度も<GRAVE>の頭部を殴るうちにとうとう<GRAVE>が動かなくなる。


「うまくセンサーを潰せたのかな」


 全身が爆散するまで、あるいは敵を破壊するまで動き続けるデシアンにしては珍しい、と思いながらセンサーをフル稼働させる。

 スノウがこの数時間で倒したデシアンの数は、モニターに表示できる撃墜数の限界値である999を軽く数回達成できるほどであったが、それすら現在襲い掛かっているデシアンの半分にも満たない。

 それでも<リンセッカ>が撃墜されていないのは、ヒットアンドアウェイ戦法やスノウ自身の技量のお陰でもあったが、何より運が良かったためだ。

 だが、その運も尽きる時が来た。

 それまで果敢に、動かなくなった<GRAVE>から十字架を奪い<DEATH>を殴りつけ粉砕する、敵を盾にして攻撃をしのぐなどして戦ってきた<リンセッカ>だったが、回避しきれず肩部が爆散、スラスターがひしゃげて、とうとう身動きがとれなくなってしまった。


「…………戦闘時間4時間超。撃墜数999でカンスト。よく頑張った方じゃないかな」


 そう言って<シュネラ・レーヴェ>に通信を送ろうと思ったが、通信も完全にイカれてしまっていたので、やめた。


(自爆も……無理か。コンソールがもう沈黙しているのか)


 最後に敵を何体か道づれにしようと思ったが、それもかなわない。

 センサーが敵の接近を知らせるが、もはや<リンセッカ>にできることはない。

 スノウの脳裏に浮かぶのは、これまでの人生。

 刑務所のような施設で得体のしれない薬の治験をさせられた日々。

 寝る間もなくシミュレーターで訓練させられた日々。

 名も知らぬ幼い子供たちを殺した日々。

 今の親に拾われて過ごしてきた日々。

 そして、大学生活。出会った気のいい友人たち。

 スノウは最後に雪のことを思い出して、そしてポケットから押し花のしおりを取り出して眺める。


「この花は……マリーゴールドか。花言葉は『生きる』。

 生きるられるのは、ここまでかな」


 耳をつんざくアラート。それを子守唄としスノウは目を閉じる。




 四肢をもがれた<リンセッカ>に襲い掛かるデシアンの軍勢。しかし、それらは<リンセッカ>にたどりつく前に、いずこからか飛んできたビームによって爆散していく。

 感情などないはずのデシアンたちが驚いたように頭部をビームの飛んできた方向に向ける。

 そこには、最高速度で突進してきている<シュネラ・レーヴェ>の姿があった。

 砲門をすべて展開した真向勝負の構えで、戦闘機動できないエグザイムらがハッチから身を乗り出して射撃武器を構えている。


「<リンセッカ>発見したわ!」

「よし、けん制射撃を続けろ! <リンセッカ>には当てるなよ!」

「承知しましたわ!」

「みーんなー。<リンセッカ>には当てないでー」


 ブリッジからそんな指示が来て、エグザイムに乗ったパイロットらが騒ぐ。


「<リンセッカ>に当てるなとのお達しだ!」

「こんだけ敵がいりゃ<リンセッカ>に当たる確率なんて低いだろ!」

「そうそう。当たったらヌルくんの運が悪かったってことで!」

「そりゃないでしょ! せっかく囮やっててくれたのに!」


 パイロットたちに対してナンナは言う。


「<リンセッカ>の座標は送った通りだ。極力それを外すようにな」


 その声には騒ぐパイロットたちに対する呆れよりは、スノウが生きていたことの安堵の方が大きかった。

 さて、そんな風にけん制射撃がされる中、船外作業用のウェグザイムが4機、ハッチから飛び出してきた。

 三本爪のアームを備えたシンプルな卵型の形状の尻からワイヤーを艦内へと伸ばし母艦とはぐれないようにされているそれに乗っているのは、雪や秋人、それと救助に志願した操縦科の学生だった。


「<リンセッカ>は……!」

『焦ってやられんなよ雪ちゃん……! 1機でも欠けたら作戦はだいぶキツくなるぞ!』

「わかってる! 焦ってないよ!」


 雪はとても焦っていた。ウェグザイムのコックピット内からですらおびただしい量のデシアンが見えているからだ。一刻も早く救い出さねばという気持ちが普段から考えられないイラついた態度を引き出していた。

 そんな焦りを隠せていない雪に冷静になってもらうのは難しいと考えた秋人は、肩をすくめて他の学生たちに雪のサポートに回るように指示を出した。

 先導する雪機のバックに3機がついていく。サイズが小さいことやデシアンが突然の艦砲射撃の対応に追われているお陰で<リンセッカ>の近くまではスムーズに来られた。

 半壊した<リンセッカ>を見て、秋人はつぶやく。


『酷え有様だな……』

「スノウ! スノウ! 返事して!」

『…………始めるとするか』


 雪の悲痛な声をBGMに3機のウェグザイムのアームが動き始める。本来であれば三本爪でガッチリとエグザイムの腕部や脚部をつかみ固定するのだが、<リンセッカ>は今は四肢を失っている状態だったから別の部分……例えば肩部だったり腰部だったりをつかむのに苦戦する。


『スノウの安否も気になるが、手が足りない! 雪ちゃんも手伝ってくれ!』

「ん……わかった」


 秋人の要請を受けて雪がウェグザイムを動かそうとした瞬間、視界の隅に影がよぎる。

 半ば反射的にその影から逃げる。すると、さっきまで雪機がいたところへ頭部の欠けた<DEATH>が突っ込んできた。


『ちっ、こっちに気が付きやがったか!』

『ど、どうする!? 逃げる!?』

『逃げるっつったって逃げ切れるわけないだろ!』

『いや、頭がないから普段より動きが鈍いぞ……!』

「このっ……!」


 雪機がスラスターを全開に吹かして<DEATH>に体当たりする。すると<DEATH>は雪機に押されて、ウェグザイムから伸びているワイヤーにつんのめる。


「邪魔すんなあああああああああ!!!」


 その隙に<DEATH>の周りをぐるぐると回る。するとワイヤーで巻かれて身動き取れない状態になっていた。


「今のうちに<リンセッカ>を運ぼう!」

『お、おう!』


 各機が<リンセッカ>の肩部や腰部をつかんで準備完了し、格納庫にワイヤーを巻くように指示を出す。


『ロンド、準備OKだ! ワイヤーを巻いてくれ!』

『了解!』


 自分の腰に巻かれたロープを引っ張られるかのような衝撃をコックピット内でも感じる。同時にスラスターも吹かしてワイヤーに巻かれた<DEATH>ごと素早く撤退。

 しかし、高速で動くそれらを確認したのか、ターゲットを<シュネラ・レーヴェ>から運搬中のウェグザイムに変えたデシアンが追いかけてくる。


『もっと早く動けねえのかよ!?』

『これが限界じゃないかな……』


 追いかけてきた<GRAVE>の十字架からビームが発射され、志願した学生の乗るウェグザイムのワイヤーが焼き切られてしまう。


『おわっ! や、やべえぞ!』

「無事か!?」

『<リンセッカ>に引っ付いてるから置いてけぼりにはならねえけど、次またやられたら死ぬぜ!?』


 秋人の額に汗がにじむ。このままでは<シュネラ・レーヴェ>に戻るまでに撃墜されてしまう。ウェグザイムには武装が搭載されていないので、反撃もできない。

 手も足も出ずに縮こまっている、そんなのは御免だ……そう思って何かできないか周りを探していると、ひとつ見覚えのあるものが<リンセッカ>の腰部に引っ付いているのを見つけた。


「…………ありゃ俺のシールドハルバードじゃねえか。なんで<リンセッカ>が装備してんだ?」


 <リンセッカ>を修理した際に、整備科の面々が対艦用航宙魚雷やバイオレット・レナなどと一緒に装備させておいたのだ。<リンセッカ>のパワーでは満足に使いこなせないため、スノウは結局使わなかったのだが、結果的にそれは幸運なことに思えた。


「なんでもいいや、このウェグザイムのアームなら少しは使えんだろ……!」


 秋人は片方のアームを<リンセッカ>から離し、シールドハルバードをつかむ。セグザイムのように振り回すことは難しいがこのアームでもできる攻撃方法がひとつだけある。


「問題は格納庫に予備があるかどうかなんだが……そうも言ってられねえか!

 オラァッ!」


 パワー全開でアームを振り回し、その勢いのままシールドハルバードをデシアンに向けてぶん投げる!

 バッティングセンターのボールのように勢いよく投げられたシールドハルバードはまっすぐに追撃してくる<GRAVE>に突き刺さり、そのまま風穴を開けた。

 <GRAVE>はその場で爆散し、周りのデシアンも巻き込んでいく。


「よっしゃあ!」

『ナイス、秋人くん!』

「追撃は……来てないな。このままスラスター全開で格納庫に戻るぞ!」


 その言葉を合図に4機はフルスロットルでスラスターをふかした。




「<リンセッカ>の回収終わったってー!」

「よし、ハッチを閉じるように言ってくれ。すぐにワープに移る!」

「はーい!」

「敵は今どう動いている!?」

「こちらの砲撃に対応してきて攻めてきているわ!」


 報告を聞いてソルは考える。


(やはり猶予はないか……! 急がねば……)


 機関室に連絡を取り叫ぶ。


「先輩、ワープはできますか!?」

『できるはずだ! すぐやるか?』

「火急速やかに!」

『合点!』

「カーターは砲撃を続けろ! エーミールは敵の接近があれば報告!」


 エネルギー供給システムは修理できた。<リンセッカ>も回収した。

 できることはすべてやったように、ソルは思う。後は、カホラにすべてを託した。

 そして、そのカホラは機関室のコンソールの前に立ち軽快に指を走らせる。


「本体と予備電源から半分ずつ使っていたエネルギーを、いっぺんに本体だけに切り替え……本体から発生する残りの半分で溜めたエネルギーを一気に開放する! これでいいんですね?」

「うむ……。後は、実行するだけじゃ」

「では……!」


 躊躇いなくエンターキーを強く押す。

 するとそれまで静かに動いていた機械たちがゆっくりと大きな音を立てはじめ、エネルギー供給システムのメイン部が青白い光を放つ。

 それが機関室内を覆いつくした時―――<シュネラ・レーヴェ>の全砲門から前回のワープの時と同じ超極太ビームが発射された。

 そして、艦は三たび光となって宇宙を駆けた。




 ワープが始まってすぐ、格納庫に運び込まれた<リンセッカ>のコックピットを開く作業が進められていた。

 本来であれば外部から開くための機能が存在するのだが、激しい戦闘によりそれも駄目になってしまい、コックピット周辺の装甲を溶断して無理やり開く他ない状況だ。

 帝王切開のように慎重に、コックピットの中にいるスノウを傷つけないように装甲を溶断し、ただの金属の塊となったそれをひとつずつ取り除いていく。

 その様子を近くで見守る雪たち。格納庫に戻ってきてすぐなので、みんなパイロットスーツのままだ。


「…………スノウ」

「ヌルくん、大丈夫でしょうか……」

「大丈夫だと言いたいが<リンセッカ>の様子を見るに激戦だったみたいだからな……」

「俺たちが出る30分前にはまだ普通に会話できていたらしいから、きっと無事だって!」


 秋人だけは明るめにそう言うが、どこか空回りしているようにも見える。

 だから、女子3人の顔は一向に晴れないし、それを見て秋人も神妙な顔になってそれ以上何も言わなかった。

 作業は、白い装甲―――コート部分の溶断から、黒いボーン部分の溶断へと移っていた。

 溶断された黒い金属が両手で数えられる数を超えたあたりで、作業にあたっていた整備科の学生が叫ぶ。


「出てきたぞー!」


 成り行きを見守っていた者たちはその声を聴くや否やさっきまで<リンセッカ>だったものの周りに群がる。

 胸部に大きく開かれた人間が通れそうなほどの穴。そこから尋常ではない傷を負っているスノウの様子が見えて、大きな悲鳴が上がった。


「酷い……!」


 どよめきの中佳那がそうつぶやく隣で、雪は叫ぶ。


「スノウ! スノウ!!」

「待て、行くな!」


 ひどく取り乱した様子でコックピットの中に入ろうとするが、秋人が後ろから羽交い絞めにして止める。


「放して! 放してよ!」

「どう見ても危険な状態だ! 素人の俺たちが下手に動かして傷が開いたら助からねえぞ!」

「放してぇぇぇー!」


 秋人の言葉が耳に入ってないのかもじたばた暴れる雪。周りがどうしたらいいかまごついている中、パァンと乾いた音が響く。

 雪の顔を張って熱くなった手の平を払ってナンナが言う。


「叩いてすまない。だが、落ち着け」

「だって……だって……」


 泣きじゃくる雪の頭をなでてナンナは優しく言う。


「ほら、看護科の人たちがやって来た。彼らに任せよう。

 ヌルの治療が終わった時、我々が消耗していたら心配をかけてしまう」

「………………」

「わかるな? 君はそういうことがわかる人間なはずだ」

「………………」


 雪はこくんと頷いた。




(声が聞こえる……。それに、これは光だ)


 コックピットの中で、スノウは指先を動かす。


(神経はまだ生きている。足も……動くな)


 突然何かに引っ張られる感覚がしたと思ったら、しばらくしてどこかに降ろされたのを感じた。その時は状況が分からなかったが、今目の前にできた穴から光が差し込んでいることで自覚する。


(…………僕は、助かったのか)


 安堵ではない。悲しむでもない。ただ、事実を認識しただけのこと。

 再び指先を動すと、自分がまだしおりを握っていることに気が付く。


(これの……お陰かもね)


 そんなことを考えていたら、よく知っている声が聞こえてきた。


『スノウ ! スノウ!!』


 幻聴かと思ったが、その後も悲鳴にも似た叫び声が聞こえてくるので、そこに雪がいるのだと確信を持った。


「…………帰って来たと、報告しないと」


 ゆっくりと体に力を入れる。

 まるでシートに体が括り付けられたように動きはゆっくりであったが、立ち上がる。

 倦怠感があるが、そういったものを抑え込んで体を動かす術はとっくに身に付けている。

 スノウは光へ向かって歩き始めた。その動きは亡霊のようであったが、目に光を失ってはいなかった。




 看護科の学生たちに任せて休もうとした雪たちの足を止めたのは、コックピットの方から再度聞こえてきた悲鳴だった。

 何事かと思い戻ってみると、コックピットからスノウがふらふらと出てきているのが見えた。

 周りの学生たちは満身創痍のスノウの放つ異様さにその場を動けないでいて、かろうじて看護科の学生だけがスノウに近寄れた。


「安静にしていろ、傷口が開くぞ!」


 口調とは裏腹に優しく体に触れて落ち着かせようとする看護科の学生の手を払い、スノウは焦点の定まらない目で言う。


「雪ちゃんは……雪ちゃんはいる……?」

「それよりまずは治療だろ! 今すぐ運ぶからそれ以上動くな」

「雪ちゃんは……」


 壊れたラジオのように繰り返して雪を探す。焦点の合わない瞳が周囲を見渡し、そしてその姿を捉えた。

 看護科の学生を押しのけ、雪の方へ歩き出す。

 モーセのように学生たちが道を開ける中、雪は茫然と迫るスノウを見ていた。

 雪の前で足を止めて、スノウは言う。


「…………宇宙でひとり、孤独死は避けられたよ」

「…………スノウ」

「これ、返すね」


 雪の手の平にそれまで握り込んでいた拳を開く。すると、くしゃくしゃに折れてしまったしおりが手の平に落ちた。


「これって……」

「………………」

「す、スノウ!?」


 雪にしおりを返したことで限界が来てしまったのだろう、スノウは糸が切れたマリオネットのように倒れる。反射的に雪が抱き留めなかったらそのまま床とキスをしていたに違いない。

 スノウの体は氷のように冷たく、支える手はべっとりと何かで濡れた感触がした。

 そして、スノウがそのまま動かなくなったので、雪は悲鳴を上げた。




 遠征23日目 乗組員:200名 負傷者:85名 死傷者:21名

                                  (続く)

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