第80話 問われる資格:今、ヤブデマリの中で

 待機室で放心している雪を見つけたのはナンナに頼まれて雪を呼びに来た佳那だった。

 佳那が話しかけると雪は電池が切れかけのおもちゃのように顔を佳那の方に向け、再び大粒の涙を流し始めた。


「わ、雪さんどうしたんですか……!?」

「佳那ちゃん、あたし……あたし……」


 すがりついて泣いている雪を優しく抱き留めながら佳那は言う。


「ヌルくん……行ったんですね……」


 佳那の瞳に思わず涙があふれる。

 エグザイムの操縦に不慣れな自分を時には激励し、時には助け、いつも冷静に構えて頼れる存在だった親愛なる友を思ってそれは流れた。

 否、助けられたのは自分だけではない。それはこの艦にいるすべての人間がそうだと佳那は思う。

 いつだってスノウは艦のために力を尽くした。そして、今はその命さえも尽くそうとしている。

 そのスノウに報いるためにできることはやらないといけないと考えて、雪に言う。


「雪さん、ナンナさんが呼んでます。きっと、これからのわたしたちのことで話があるんだと思います。わたしたちができることを、今はやりましょう。ほら、立ってください」

「うん……」


 雪も佳那も泣き止んでなかったが、それでも立ち上がってナンナの元へと向かった。




「ワープが発動した前後、このエネルギー供給システムがどうなっていたか、君は覚えておるかな?」

「覚えています」


 ソルが去ってから1時間ほど経って、痛んだパーツの交換をしているスミスと、そのスミスを支えるカホラは話し合っていた。


「では、ワープ直前にシステムはどんな状態だったか」

「完全に停止していました。1回目は出航前だったためで、2回目はアタシが後輩に頼まれて止めました。

 ワープに莫大なエネルギーを必要とすることを踏まえれば、ワープを発動させるためにはシステムをいったん停止しておき、一気にエネルギーを解放してやる必要があります。

 というより、現在はシステムが停止し、ある基準―――まだそれがどういったものかはわかりませんが、その基準値を超えるエネルギーが貯まった瞬間にオートでワープが発動するのでしょう」


 カホラがそう考察を話すと、スミスは目を細めて言う。


「その通り。

 だが、そこまでわかっているが、なぜエネルギー供給システムが再起動しないか、それがわからず君は悩んでいる」

「おっしゃる通りです。設定的には出航直後と変わらない状態にしましたし、完全に停止しているというシチュエーションは2度のワープと同じなのに、システムはうんともすんとも言わない。

 となると、何か見落としていることがあるはずなんですが……」

「そこまでわかっているなら上出来じゃな。

 儂もこのシステムのすべてを知っているわけではないが、君の話や閲覧したデータからわかることがある。そしてそれは、2度のワープと現状の決定的な違いと言える」


 修理した箇所が正常に動いているのを確認し、ふたりはコンソールへと戻る。

 そして、スミスは言う。


「今のシステムの沈黙はワープのための大量のエネルギー放出のショックで引き起こされたと認識しておるが、まさしくそれが原因じゃろう。

 すなわち、意図して誰かがシステムを切ったわけではないということじゃな」


 そう言われてカホラも膝を打った。

 2度のワープの時はどちらもこのコンソールから能動的にシステムを停止させたのだが、直近のワープはそうではない。エネルギーの大解放の反動で強制的に停止してしまっただけだ。

 それは、パソコンをしっかりシャットダウンして電源を切るか、家のブレーカーが落ちた結果電源が切れてしまったか、言ってしまえばそんな関係に近い。

 であるなら、ブレーカーが落ちた状態で電源ボタンをいくら押してもパソコンが起動しないのは当然。まずはブレーカーを上げてやる必要がある。


「それなら、システムに起動のための電力を与えてやれば……」

「うむ。今しがたそのための修理は終わった。これで操作すれば動くはずじゃ」


 スミスが迷いなく実行キーを押す。


「………………」

「………………」


 数秒の静寂―――駄目だったかとカホラが肩を落とした瞬間、「ウィーン……」と小さな音がしてメインシステムに光が灯り始める。


「老人、これは!」

「………………」


 裸電球だった部屋の明かりをLEDに変えたかのように、機関室の明度がみるみる高まっていく。それまで各部を動かすのにギリギリの電力しかわたっていなかったのが、フルに電気を使えるようになった証だ。


「やった……動いたんだ……。

 いや、待てよ……」


 喜びもつかの間、カホラは考える。

 何日もメインシステムを動かさず、予備電源で賄っていたため、内部に貯められたエネルギー量は相当はなずだ。前回たった数分止めていただけでもワープへ移行したことを考えたら、現状すぐにワープへ移行してもおかしくはない。

 となれば、すぐにワープに備えて準備しないといけないのではないか。


「焦ることはないぞ、若人よ」


 そこまでカホラが考えた時、それを見透かしたかのようにスミスが微笑む。


「しかし、老人。ワープはすぐに発動してしまう可能性を考えたら……」

「大丈夫。すぐに発動せず、ある程度コントロールできるよう修理したんじゃからな」

「…………さっきのパーツ交換の時にですか?」

「その通り」


 立って歩くのすらやっとはなずの体調で、それだけのことをやってのけたことが信じられない。

 メカニックとして携わってきた年季の差だろうか。いや、それだけではないだろう、とカホラは感じた。


「このシステムの技術には、老人からしても不明瞭なところがあるとおっしゃっていました。それなのに、なぜ短期間でそこまでできるのですか? ましてや、つい先ほどまでベッドにいたのに」

「それについて話すのは後でじゃな。とりあえずは、修理が完了したことを報告するとしよう」

「そうですね。アタシが話しますので、老人は休まれてください」

「頼むよ」


 スミスはそう言ってその場に座りこんだ。




 看護科の学生から、アベールがベッドからいなくなったと聞いて、秋人はアベールを探していた。

 布団がまだ温かったのでそんなに時間は経っていない上に、まだ完治していないのでそんなに遠くに行っていない。

 その考えは正しく、医務室からそう離れていない地点でアベールが壁にもたれて座っていた。


「アベール! 大丈夫か!?」


 慌てて駆け寄ると額には脂汗が浮かび、荒い呼吸をしているのがわかった。


「お前、治ってねえのに無茶すっからだ! どこが辛い? すぐに医務室に行くか? それともすぐに看護科の誰か呼ぶか?」

「いえ、大丈夫……。少し疲れてしまっただけです」

「馬鹿野郎、大丈夫なわけあるか! すぐ行くぞ!」


 肩を貸して立たせるとそのまま医務室の方へ行こうとする秋人を、アベールはかすれた声で止める。


「待ってください……。僕は大丈夫ですから……。

 それより、スノウは……スノウはどうしているんですか?」

「スノウ? 今出撃してるよ。いきなりどうしたんだよ」

「状況はどうなのですか? スノウが出撃しているのに、なぜ秋人はここにいるのですか? 今、艦はどうなっているんですか?」

「そんなこと考える必要はねえだろ! さっさと医務室いくぞ!」


 強引にアベールを引きずる秋人の胸倉をその体調から考えられないくらい力強くつかんでアベールは言う。


「教えてください……! 知らないといけないんです、僕は……!」

「…………どうしてそんなに知りてえんだ」

「夢を見たんです。スノウが、遠くに行ってしまうような、そんな夢を。きっと戻れないだろうから、後のことは頼むと。

 しかし、僕にはただの夢とは思えなかった。だから、聞いているんです」

「………………」


 アベールの目は真剣そのもので、生半可な気持ちで現状を知りたいと思っているわけではないことが秋人にはわかった。

 しかし、それでも今はアベールの体調の方が大事だ。秋人が「ダメだ」と言おうすると、アベールが機先を制する。


「教えてもらえば、僕は黙って治療を受けます。もうこれ以上我が儘は言いません。だから、頼みます」

「…………わかったよ。

 だけど、途中で体が痛いだの辛いだの言っても医務室に連れてかねえからな。お前が知りたいって言ったんだから。

 じゃ、黙って俺についてこい」

「どこに行くんですか?」

「ブリッジだ。あそこならリアルタイムで状況が分かるはずだからな。

 …………艦の簡単な状況は行きながら話すよ」


 そうして、秋人とアベールはブリッジへ歩き出した。




「システムの修復が終わったと聞いたが」

「ええ。でも、もう動いて平気? 休んでいた方がいいんじゃない?」


 仮眠を取っていたところ、エネルギー供給システムが動き出したとの報告を聞いてソルはブリッジへすっ飛んできた。


「いや、少しは休めた。それに状況は知っておきたいからな」

「だけど……」

「状況を聞くだけだ。

 エネルギー供給システムの修理が完了して、もうワープするのか?」

「いえ、そのあたりはこの艦の設計者の方のお陰で、ある程度は操作できるそうよ。だけど、そんな何時間も待っていられるようなものでもないって」


 簡単な原理もその場で聞いたのだが、黒子には理解できなかった。それをソルに言うのは恥ずかしいので、それははしょった。

 話を続ける。


「それに、システムが復旧したからフルパワーで戦闘も可能。

 とはいえ、エグザイムが出せない以上は厳しいと思うけど……」

「ミラ、第2格納庫に繋いでくれ」

「りょーかい」


 ソルは艦長席から第2格納庫にいる整備科の学生と話をする。


「エグザイムの修理状況はどうだ」

『ギルド先輩の指示通り、動かすだけだったらできるようにはなっている。武器も全部問題なく使えるはずだ。

 だけど、まともな戦闘機動ができるのは<リンセッカ>ぐらいだし、その<リンセッカ>も数時間前に出撃しちまったぜ?』

「いや、それだけわかればいい。

 ちなみに、そちらにカルナバルはいるか?」

『…………いるみたいだな。代わるか?』

「頼む」


 すぐにナンナの声が聞こえてくる。


『どうした?』

「そちらの首尾はどうだ」

『パイロットには作戦の概要を説明した。指示があれば出られる』

「…………もしかすると、出撃する必要はないかもしれん」

『というと?』


 ソルはエネルギー供給システムの修理が終わったことを話した。


『それは本当か? つまりワープも可能という……』

「そうなる。ある程度はワープするタイミングも調整できるとのことだ」

『…………どうするつもりだ』

「…………まだ決まっていない。これから決めるつもりだ」

『…………ひとつだけ上申させてくれ。

 私は、これ以上誰かが犠牲になるのは御免だからな』

「わかった」

『では、失礼する』


 そうして、ナンナとの会話は終わった。

 会話を終えて疲れたように溜息を吐いているソルに、黙って話を聞いていた黒子は言う。


「私は貴方の決定に従うわ。他の人が否定しても」

「…………ありがとう。

 エーミール、ドローンの状態はどうだ」

「飛ばした4機のうち、3機の反応がロストしたわ。残る1機はまだ陽動ができているみたいだけど……」

「作戦開始から何時間経っている?」

「3時間半ね。当初の予定ではデシアンが到達している頃」

「そんなに時間が経ってしまったのか……。

 …………ヌルの<リンセッカ>は?」

「…………反応有り。まだ撃墜されていないようね」

「本当か!?」


 移動時間があるため作戦開始から常に戦いっぱなしということはないものの、あれだけの軍勢を前に未だ生きているとは考えられなかったため、ソルは驚いた。

 すぐにシミラに指示を出す。


「ヌルに繋いでもらえるか」

「もーやってるー」


 心なしか不機嫌なシミラが<リンセッカ>と通信を繋ぎ、まもなくスノウの声がブリッジに届く。


『…………こちら<リンセッカ>』

「こちらブリッジだ」

『どうかした?』

「メインシステムが復旧した。ワープの時間はある程度制御できる……戻って来れられるか?」

『ッ……! ある程度ってどのくらいの時間?』

「先輩と通信を繋ぐ。そこで―――」

『即答できないならいい。

 時間までに戻らなかったら置いて行ってもらっていいから』

「待―――」


 ソルの言葉を待たず、スノウの声は聞こえなくなった。

 だから、すぐにまた通信を送ろうとするが、2回目は応答しなかった。


(わかっているのか、スノウ・ヌル……! 戻れなかったらここに置き去りになるということなんだぞ……!)


 そのことをわかっていなかったら、そもそもこの作戦に参加していない。そんなことはソルもわかっているが、わかっていてもそう思わずにはいられなかった。

 置いて行ってもいいとスノウは言ったが、果たしてそれが正しい選択なのだろうか。ソルが迷っていると、ブリッジクルーたちがもめ始める。


「ワープは早く実行すべきよ! ドローンが破壊されている以上、ここデシアンが来るのは時間の問題なんだから」

「えー? ヌルくん見捨てるのー!?」

「ヌルくんはそれも覚悟して出撃したのでしょう。その気持ちを汲むべきですわ」

「ワープだってどれだけ待てるかわからないんだろ? だったらヌルを待てないだろ!」


 その後ブリッジクルーが議論にならない罵詈雑言を言い合い始めたので、ソルは一喝する。


「仲間内で言い合ってる場合か! 今はそれどころじゃないだろ!」

「どんな方法を取るにせよ、力を合わせないと乗り越えられないわ。みんな落ち着いて」


 ソルに便乗して黒子もクルーをなだめるが、怒る彼女らには火に油を注ぐ結果となってしまう。


「だったら、スフィアくんがどうすればいいか決めてよ!」

「そーだそーだー!」

「それは確かに……俺が決めないといけないことだが……」

「スフィアくんが決めてくれればわたくしたちは従いますわ」


 クルーたちの無責任さは、責任転嫁、他力本願、付和雷同……そんな言葉で表現せざるを得ないものだったが、それは追い詰められ精神的に余裕のないコンディションでは仕方のないことだった。

 ソルもそれはわかっているから、少し頭にきたもののすぐに怒りを鎮め、どうするか―――すなわちこのままワープを決行するか、スノウを回収しに行くか。

 ソルのこれまでの人生でこの時ほど長い5分間はなかった。人生イチ長い秒針5周の思考の末、決めた。


「…………ワープを優先しよう。ヌルひとりのために、残ったみんなを危険にさらすわけにはいかない」


 それは絞り出すように出された結論だった。例えひとり犠牲に出したとしても残り全員は救いたい。ひとりを見殺しにする罪は俺が背負おう。

 そういう覚悟の元出された答えに反対するものはいなかった。

 ただし、それはブリッジクルーに限っての話だ。


「本当にそれでよいのですが、ソル・スフィア……!」


 その声に驚いてソルやブリッジクルーらはブリッジの入り口を見る。

 そこには、アベールが秋人に支えられて立っていた。


「僕は、反対します。我々はスノウを見捨てるべきではない!」

「オーシャン、体はいいのか……!?」

「僕のことだったら今はどうだっていいです。それよりスノウのことです」

「沼木、どうしてオーシャンを医務室に連れて行かない!?」

「俺もそうしようと思ったけどな、たぶんベッドに連れて行ったって何度だって抜け出すだろこの調子だから」

「艦の状況はおおむね秋人から聞いています。

 そして、今の貴方の言葉を踏まえると、システムは修復されワープはいつでもできる状態で、スノウを囮にしたままワープを決行しようと、そういう認識で間違いないですか?」


 ソルはうなずいて、現状を改めて簡単に説明した。

 現状を完全に理解したアベールは言う。


「では、僕の認識に間違いはないようですね。

 でしたら、上申します。スノウを見捨てるのは愚策であると」

「オーシャンくん、それは貴方がヌルくんの友人だからそう言うのでしょう。

 情に流されて多くの仲間たちを危険にさらすこと、それこそ愚策ではなくて?」


 そう言ったカタリナは冷ややかな目をしている。同意見の面々はおおよそそんな態度であり、ソルは苦虫を潰したような顔をしていた。

 しかし、アベールは毅然とした態度で言い返す。


「我々がスノウを助けに行けば仲間たちを危険にさらすと? その前提からまず間違っています。

 いつデシアンが攻めてくるかわからない、今の我々も相当に危険な状況なはずです。ではなぜ全員が一丸となって戦わないといけない、そんな状態になっていないのですか?」

「それはドローンとヌルくんが出撃して引き付けてくれているからでしょう。

 ですから、その犠牲を無駄にしないためにわたくしたちだけでも生き残る、それがわたくしたちにできる最大の恩返しと言えます」

「ええ、それは間違っていません。ただし、それは次のワープで我々が確実に助かるという保証があればの話です。

 しかし、そんな保証はどこにもない。それはこれまでのワープを考えればわかるでしょう。ワープした先でもっと恐ろしい戦いに巻き込まれるかもしれない」

「…………オーシャン。何を言いたいんだ」


 黙ってアベールの話を聞いていたソルが重々しく口を開いた。


「今、俺たちも危険な状況だ。そして、次のワープで助かる保証がない。それは君の言う通り間違いない。

 だが、ヌルの救出は現状より段違いに危険だ。それならワープして今いる仲間たちだけでも避難させるのが現状では最善策だと、俺は思う」

「スノウを見捨ててですか?」

「…………事実そうなる」

「でははっきり言いましょう。ここまで来てしまったらローリスクでやり過ごそうとする考えは捨てるべきです。

 スノウを見捨ててワープして、今と同じ状況になったらまた誰かを見捨てるんですか? いえ、あるいはもう誰も見捨てずに済むかもしれません。なぜなら同じ状況になっても出撃する者がいなくなるからです。1度スノウを見捨てている以上、同じ状況になったら自分も見捨てられると考え誰もが二の足を踏むはずです。

 あるいは自分だけ助かるために他者を犠牲にする者が出てくるかもしれません。誰だって死にたくないですから」


 その言葉にその場にいる全員がギャメロンを思い出した。

 退廃と怒りの中で目覚めた狂犬が残した爪痕は大きい。嫌でも脳裏に浮かぶ悪行が、ソルの決意を揺らがせる。


「この先、まだ航海は続くかもしれません。そんな時、誰も戦わない、戦えないのではここで死のうが次死のうが変わりありません。

 ならば、死中に活を見出し危険でも乗り越えるべきです。違いますか?」

「…………しかしだな」


 ソルだってできればスノウを助けたいと思っている。だが、それでも多くの命を預かる身として、それをするリスクもわかっている。だから、気持ちのまま動けない。

 ふたつに揺れて一歩踏み出せない彼にアベールは毅然と言い放つ。


「よく考えろ、ソル・スフィア! 君が助けようとしている我々の中に、スノウ・ヌルは入っていないのか? 助けたいとは思わないのか?

 すでに我々は多くの仲間を失った。それは我々の未熟であるし、忘れてはいけない罪だ。その罪のひとつにスノウ・ヌルは入れていい命か?

 僕はスノウを助けたい。かけがえのない友人のひとりである彼を。僕が艦長であったなら、なんとしてでも助けたいと思う。

 君にとってもそうではないのか? スノウが戦うことに、スノウが先導することに、話をするたびに安らぎはなかったか? 彼とともにいることで充足はなかったか?」

「………………」

「そう思っているならば、僕の前でもう1度、スノウを見捨てるなどと言ってみろ。僕は君を許さないし、最低最悪の人間だと唾棄することを厭わないだろう。そして、スノウを見捨てることを受け入れたこの艦の連中を軽蔑する。

 違うなら、違うと言ってみろ、ソル・スフィア!」


 ボクサーのラッシュのようなまくしたてにソルは言葉を失う。アベールに言われたことがショックだったからではない。こんにちまでのスノウとのかかわりを思い出していたからだ。

 スノウと出会ってそんなに長いわけではない。だが、彼と一緒にいたときは時間の長さよりもとても重く大事なものだったと思った。


「…………沼木、君もオーシャンと同じ気持ちか?」

「は?」


 突然ソルから矛先を向けられて驚く秋人。しかし、すぐに真剣な顔になって言う。


「俺はアベールほどはしっかり考えてねえよ。

 ただ、スノウを見捨てる、そんな連中の下で働くなんてまっぴらごめんだね」

「そうか」


 ソルはポケットからスノウからの手紙を取り出す。その場にいる誰もがその手紙を怪訝そうに見て、黒子が代表で聞く。


「ソル、それは一体……?」

「ヌルが俺にあてた手紙だ。出撃する前に書いたらしい。

 だけど……!」


 ソルはそれを力強く破り割く。かつて手紙だった紙切れが宙に舞い、地面に落ちていく。

 出撃する前に書いた手紙は、遺書と言えるものだろう。なぜそんなものを自分に手渡したのか、ソルにはわからない。その理由ももしかしたら手紙に書かれていたのかもしれない。

 だが、そんなものはもう必要ない。文章ではなく、本人の口から直接教えてもらえばいいからだ。

 ソルは散らばった紙切れに目もくれず、操舵手のカタリナに言う。


「最大船速で0時の方向へ向かってくれ!」

「0時の方向ということはつまり……」

「ああ、ヌルを助けに行く! 反対する者はいるか!?」


 ソルの言葉に、ブリッジクルーたちは顔を見合わせ、仕方ないかとばかりに苦笑する。

 <シュネラ・レーヴェ>は、スノウが飛び去った方向に向けて、追い風の時の帆船のように動き出した。




 遠征23日目 乗組員:200名 負傷者:84名 死傷者:21名

                                  (続く)

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