第40話 夏のひと時:三分咲きのセツブンソウ

 かの物理学者、アルベルト=アインシュタインはこう語ったとされる。

 『可愛い女の子と1時間一緒にいると、1分しか経っていないように思える。熱いストーブの上に1分座らされたら、どんな1時間よりも長いはずだ。相対性とはそれである』と。

 美しい海でのひとときは、まさしく可愛い女の子といる1時間と言えた。


「もう帰る時間かぁ」

「あっという間でしたね」

「あっという間だった」


 午後2時。午前中にシュノーケルを楽しみ、昼食の後は各々好きに楽しんだのだが、そろそろ帰る時間がやってきた。2日目のこの時間に帰るというのは少し早いようにも思えるが……。


「ナっちゃんとアベールくんはこのまま帰省するんだよね?」

「ああ。彼も私もここの近くだからな」

「やっぱり高級住宅街とかに住んでるんですか?」

「…………まあ、そうだな」


 長期休暇なので、サンクトルムの学生たちは帰省する者が多い。スノウたちも例外ではないのだが、ナンナとアベールの実家がL1宙域のステーションにあるため、近場であるここからすぐに帰省することになっていた。

 一方で、他の4人はいったんサンクトルムに帰る。その宇宙船に乗るためには、今の時間から撤収し始めるとちょうどよいのだ。

 そんなわけで、彼らは海のゴミ拾いや別荘の掃除をしてから、荷物をまとめて宇宙港へとやってきた。


「では、我々の船はこちらなので」

「何かあったら連絡してくれ」

「おう、また遊ぼうな」

「またねー!」


 アベールとナンナは、手を振ってL1宙域行きの宇宙船のゲートの方へ去っていった。

 4人もサンクトルム行きの宇宙船へと乗り込む。入学式の時に乗ったものとは違う、少々小さめの船。


「わたしたちの席はここですね」

「俺たちは……あっちの方か」


 雪と佳那、スノウと秋人、だいぶ離れた距離にあるそれぞれの組の席に座った。


「…………さて、聞かせてもらおうか?」

「なにが?」


 席に座って早々、秋人はシリアスな顔を浮かべる。 


「そりゃひとつしかねえだろ。雪ちゃんと何があったんだよ」

「何もないけど」

「何もねえこたねえだろ。今日の雪ちゃん、明らかにお前に対してよそよそしかったぞ」

「………………」

「なんかなけりゃあんな態度にはならねえだろ?」


 秋人はただ心配しているだけだ。茶化すつもりも、笑うつもりもない。それは顔から、口調からわかった。


「…………あったことと言えば、朝に会って話をしたくらいだね」

「なんの話だよ?」

「8月中旬、ふたりきりで一緒に行きたいところがあるって」

「…………は? マジ?」


 スノウはもう秋人の方を向いてなかったが、間抜け面をさらしているだろうとは思った。


「お前それ……どういう意味だかわかってんのか?」

「さあ」

「さあって、男と女がふたりきりだぞ? わかるだろ」

「それはわからない。どこに行くかも聞いてないし」

「聞いてないのかよ?」

「聞いてない」


 ミステリーツアーという、目的地は伝えず当日までお楽しみにしておく旅行がある。秋人はそれをふと思い出した。

 しかし、友人らと出かけるのにミステリーツアーじみたお誘いをするなんてことはあるのだろうか。いや、ない。


「いや、そこは聞けよ……。目的地知らないで誘われても、行けるとも行けないとも判断できねえだろ」

「聞いてないし、意図はわからないけど、僕の力が必要そうだったから、行くことにした」

「お前な……」


 先日の前期試験のことを思い出す。

 合理的だから、必要だから。…………これまでのスノウの行動を思い返すと、理由はほとんどそれだ。そこに彼の意志はあるのだろうか? 秋人はそう思わずにはいられなかった。

 ただ、それを問うても意味がない。先日の一件でよくわかった。


「まあ、もう止めやしねえよ。雪ちゃんに迷惑かけねえように行ってこい」

「極力はね」

「できればどうなったかどこまでやったか報告だけはしてくれよ。

 じゃ、俺は到着まで寝る」


 それだけ言って、秋人は背もたれを倒して目を閉じた。


「…………そういえば、どこに行くんだろうなぁ」


 すぐに眠りに落ちた秋人の隣で、スノウは小首をかしげた。




 数時間後、宇宙船は事故も事件もないまま実に快適にサンクトルムへと到着した。

 秋人を叩き起こして船を降りたスノウ。雪と佳那と合流して一緒にもう日も暮れて暗くなった寮への道を行く。


「いやー、楽しかったなぁ」

「楽しかったねぇ」

「また行きたいですね」

「………………」

「ヌルくんは楽しくなかったですか?」


 顔に不安をにじませる佳那にスノウは手を振って応じる。


「楽しかったけど、溺れかけたり砂のお城が崩れたり一匹も魚が釣れなかったりいろいろあったなって」

「溺れかけたり、というか溺れたんだけどな」

「砂のお城、完成間近で崩れた時はとても落ち込みましたけど、作り直したら結果的にいいものになりましたよね」

「釣りもなー。さすがに全員ボウズは笑ったなぁ」


 あーだこーだと話に花を咲かせる一行。


「また、みんなでどこか遊びにいけるといいね。秋も冬も、いろいろイベントあるから」

「そうだな。秋と言えば、俺の地元で祭りがあるなぁ。みんなで行くか?」

「いいですね。

 お祭りと言えば、文化祭もありますよ」

「サンクトルムの文化祭かぁ。あたし、去年はお客さんとして行ったけど、楽しかったよ」

「今度は俺たちが出店してもいいんだよな。今のうちに何か考えておくかな」


 帰るまでが遠足、という言葉は至言である。

 退屈な帰路が、思い出話や未来の展望を話しているだけで楽しい散歩道になったかのように感じられる。

 そして、その道が終わりを告げた。


「お、もう寮に着いたのか」

「あっと言う間でしたね」


 見渡せば、そこはサンクトルムの寮だった。スノウ、秋人、雪と佳那。それぞれが別の寮だから、ここで解散となる。


「じゃあ、みんなお疲れさん。またみんなで遊びに行こうな」

「お疲れ~」

「お疲れ様です」

「うん」

「あ、スノウ、ちょっと待って」


 踵を返して寮室に戻ろうとするも、雪に引き留められる。

 すると、雪はとてとてと小走りで近づいて耳元でささやく。


「約束、忘れないでね?」

「わかっているよ」

「なら、よし。…………じゃ、佳那ちゃんが見てるから戻るね」


 少し離れたところで佳那が怪訝そうな顔をしている。いきなり雪がスノウに密着し始めたのだから無理もない。

 雪はパッと離れてそのまま佳那の元へと戻っていった。

 そのふたりが何か会話しているのを見もせず、スノウは寮室へと戻っていった。



 スノウは部屋に戻ってすぐ荷物を片付けて、そのあとはシャワーを浴びてベッドに横になった。

 このまま眠ってしまおうか……と思って、ふとスマートフォンを取り出す。見るとメッセージが来ていたことに気が付く。


「…………アベールから、みんなに」


 グループ全体に送られた内容を開くと、そこには―――


「む……」


 綺麗な青空と海を背景に6人で撮った写真だった。アベールのスマートフォンのタイマー機能を使って撮影されたものだ。確かにその時、グループメッセージで全員に送る手はずになっていた。

 とはいえ、そんなのはどうでもいい。スノウが注目したのは、その写真に写る自分の顔。それを見て、万感の思いを込めてつぶやく。


「…………笑っているんだなぁ、僕」


 控えめ……そう、とても控えめで当人にしかわからないぐらいだが、確かに写真の中のスノウは笑っていた。楽しそうにしていた。


「楽しい、そういう気持ちをしっかり出せるんだな、僕は」


 そうつぶやく間に、友人らはその写真に対して次々とメッセージを送ってきていた。

 だが、スノウはそれに気が付かず、ずっと、ずっと写真の顔を眺めていた。


                                  (続く)

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