第39話 夜と朝と:アサガオは大切な約束

 昼食後も各々自由に過ごしたり、ビーチバレーをやったり、スイカ割りしたり、とても楽しく有意義に過ごした。―――その間、誰もスノウの傷跡を話題に出すこともなく。

 楽しい時間というのは矢のように早く去ってしまうもので、あっという間に日は暮れ、アベール渾身のフランス料理のディナーを食べ終え、適当にボードゲームをして過ごしているうちに、日付が変わりそうな時間になっていた。


「ふむ、もういい時間だな」

「もうこんな時間か。そろそろ寝た方がいいんじゃねえか?」

「確かに、あまり遅くまで起きていると疲れも取れないでしょうから、今日はこのぐらいでお開きにしましょうか」

「お肌にもよくないしね」

「そうですね……」


 全員でいそいそと片付けてそのまま寝室へと撤収。

 しかし、そのままハイおやすみとはならない。若さというのは時に睡眠を犠牲してでも青春を優先することを言う。

 明かりを消した薄暗い寝室のクイーンサイズベッドふたつに女性陣3人は横になって小さな声で話し始める。


「…………ねえねえ、なんかこうふうにお泊りするのって楽しいよね。修学旅行の夜みたい」

「ちょっとわたしもそう思いました。ちょっと普段と違う空気でなかなか寝付けなくて……」

「そうだよねー。じゃあ、ちょっとお話ししようよー」


 もぞもぞと動いて横を向く雪。川の字で寝ていて、真ん中に佳那、脇を残りのふたりが固めている状態だ。


「お話と言っても、何を話すんだ」

「えー、こういう時に話すことなんてひとつでしょ?

 ズバリ恋バナだよ」

「生憎私は女子高出身だからな、そういうことはしたことないんだ」

「なら、今日初めてやってみる? 気になっている男子とか、話していいんだよ?」


 雪はちょっと悪い笑みを浮かべてナンナに言うが、ナンナは動じない。


「そうだな、勝手がわからないからまずは手本として雪から話してくれ」

「うェ!? そうくる!?」

「それはそうだろう。言い出したのは雪なんだから」

「むぐぐ……。か、佳那ちゃんは?」

「えっと……ちょっとお話をまとめるので先に話してもらっていいですか?」

「むぐぐ……。まあいいけど……」


 本音を言えば、先にふたりがどんな恋愛観を持っているか知りたかったなーといったところだが、対価を出さずして得られるものはないと腹をくくってぽつぽつ語り始める。


「と言ってもさ、あたしも大した話はできないんだけど……。

 でも、初恋? みたいな、そういうのはあって……」

「ふむ」

「はい」

「10歳の時なんだけど、クラスにそれはそれはかっこいい男子がいて、見た目も頭も体も性格も良かったね。あたし含めたクラスのほとんどの女子……だけじゃないね、他のクラスの女子もたぶん好きだっただろうなぁ」


 宝箱の隅っこにしまっていたものを取り出すような、優しい語り口の雪。


「彼は人気者グループに、あたしはどちらかと言えば物静かな女子のグループにいたんだけど、1回だけグループ活動で一緒になった時があって」

「その時に、告白したんですか?」

「…………うん。まあ、ダメだったんだけどね。若気の至りってやつでさー」


 佳那の問いに、えへへと困ったように笑う。ちょっぴり恥ずかしい、だけどとても大切な思い出のひとつだ。


「と、こんな感じ! ナっちゃんにもこういう話あるんじゃない?」

「あまり、ピンとこないな……」

「もー、そんなことはないでしょ? 例えばほら、秋人くんと何かあったりしないの?」

「なぜそこで秋人が出てくる」

「だって、最近仲良さそうじゃない? だから、なんかあったのかーなんて」


 探るような雪の物言いだから、ナンナはこめかみを押さえる。

 当然、秋人とは何もない。付き合っているわけではないし、そういう感情があるわけでもない。それなのに最近仲が良さそうというのは―――


(確かに、この間買い物を手伝ってもらったし、今日も水着姿を褒めてもらったりはしたが)

「いや、別に何もない。あいつと私は雪の考えるような関係ではないな」

「ぶー、つまんないのー」


 頬を膨らませて文句を言う雪。つまらないも何もないとは思うのだが、恋バナしようなんて言うぐらいだからそう思うのも仕方がないだろう、というわけでナンナは抗議するのをやめた。

 だが、言われっぱなしというのも悔しいので、反撃を試みる。


「それより、雪こそヌルとはどうなんだ。今日もヌルの看護を買って出ていたり、ご執心のようだが」

「す、スノウと? あ、あたしとスノウだって別にそういうのじゃないから! ただ……」

「ただ?」

「…………ただ、ちょっと気になってはいるの」


 ナンナは目を丸くした。照れ隠しでそのままごまかすのだろうと踏んでいたのに、それは意外な返答だった。


「気になる……?」

「うん。ちょっといいなーって思うときがあって、例えば、一緒に遊びに行くときに服を褒めてくれたり、相談事やお花のことについて長々くどくどと喋っていても黙って聞いてくれたり、すっごくストイックにトレーニングしていたり。そういうところは純粋に尊敬できるところだし、あたしも見習わないとなって思う。

 でも、そんないいところを見つけるたびに不安になっているあたしもいて……」

「ふむ……」

「スノウってさ、怒ったり嫌な顔したりしないんだよ。あたしが失言したって、愚痴ばっかり言ったって、約束に遅刻したって、ずっと静かな顔でいてくれる。質問に答えないで黙るのだって、本当は……嫌な顔して拒否してもいいのに。嫌だったら嫌って言っていいのに。

 …………わからないの、スノウがどんな気持ちでいるのか。

 合理的だからってあたしたちを守るために命かけるのも、ハイスクールに付き合っていたっていう彼女さんのどこに惹かれたのかも、あの数えきれないほどの傷跡のことも、何もかも、あたしはスノウのことなんてよくわかってないんだって思って……」


 語調が強くなったり弱くなったり、自分の感情をコントロールできなくなって、雪は続けざまに言う。


「だから、知りたい。スノウがどんな人なのか、もっともっと。

 スノウが気になるっていうのはそういう意味」

「………………」

「…………ナっちゃん?」


 疑問に答えたのに何の反応がないことを不思議に思って、ナンナの顔をうかがう。


「ナっちゃん?」

『すー……すー』

「…………おい」


 黒曜石のような美しい瞳が閉じられ、彼女は穏やかな顔で寝息を立てていた。その姿は普段の大人びた姿とは違って、どこか幼子のように感じられる。

 同じように佳那も調べてみるが、やはりそちらも静かに眠っている。さっきからずっと何も言わなかったので、たぶんもうとっくに落ちていたのだろう。

 むー、とふくれっ面になりながら、雪はあおむけになる。


「あたししか話してないじゃない。ふたりともズルいよぉ」


 せっかくだからもっとふたりの話も聞いてみたかった、と思う。自分の同い年で、でもタイプが違うふたりはどんな恋をして、どんな気持ちでここにいるのだろう。友人として知りたいと感じた。


「…………また明日にも聞いてみようかなぁ」


 もうふたりとも眠ってしまったのならしょうがない。雪も布団をかぶってゆっくり目を閉じた。




 太陽が顔を出してから1時間も経たないうちにスノウは目覚めた。目覚めてすぐに枕元に置いておいたペットボトルの水を飲み、ベッドから出て軽くストレッチをする。そして、ジャージを手に取って……、


「………………」


 その前に、はだけた布団をしっかりと整えて、それから着替え始める。カーテンから漏れる光はまだ弱々しく、朝と呼ぶには幼いように思える。そして、そんな幼い光では今しがたベッドに横になるふたりはまだ起きないだろう。日がもう少し高くなってからのはずだ。だから、スノウは特に周りを気にせず着替えることができた。

 紺色のジャージに身を包んだスノウは音を立てず静かに浜辺へと出た。

 波を立てず世界の時が止まったかのような静かな海。水面には今しがた顔を出したばかりの太陽を鏡のように反射して映している。黄金に輝く海が目にまぶしく、スノウは思わず目を細めて立ち尽くす。


(綺麗な、世界だ)


 初めて来た海。昨日も夕焼けサンセットに感動を覚えたものだが、朝焼けもそれに比肩するほど美しい。幼いころの思い出の風景と言えばコンクリートに囲まれた部屋だった彼にとって、たとえ地球を模して作りだされた人造の景色だとしてもその世界は眩い。


 ザッ、ザッ

「………………?」


 感傷に浸る中、スノウは音が聞こえた方に振り返る。

 そこには、寝間着にスニーカーを履いただけの姿の雪がいた。


「あっ……。お、おはよう、でいいのかな?」

「いいんじゃないの。おはよう」


 彼女ははにかみながらゆっくりと砂を踏みしめてスノウの隣に立つ。


「すっごく、綺麗な景色だね」

「…………僕も、そう思う」

「こんな綺麗な景色が見られるんだから、たまには早起きも悪くないね」

「…………なぜここに?」


 スノウが疑問を投げかけると、雪は苦笑する。


「ちょっと目が覚めちゃったんだけど、そのあともなかなか寝付けなかったから、水でも飲もうかななんて思って下に降りたの。そしたら、窓から見える景色が綺麗だったから……」

「…………確かに直に見たくなる景色だね」

「…………本当にね。………………ねえ」

「なに?」


 まぶしい光がふたりを照らす。この光はあと何時間もしたらヒリヒリと激しく肌に突き刺さるのだろうが、今は暖かく心地よく感じられた。

 そんな暖かさと美しい景色が勇気を後押したのか、しばらく静寂に支配されていた中で雪が言う。


「8月の中旬あたり、暇な時間ある?」

「…………予定がないわけじゃないけど、必要なら空けられる」

「なら、さ。…………ちょっと一緒に来てほしいところがあるんだ。

 あたしと、ふたりきりになるけど」

「………………」

「…………迷惑かな?」


 またいつも通り黙り込むスノウだったから、雪は不安を感じた。こうなってしまえば、それは言外の拒絶。きっと自分の願いは叶わなかったのだろうと思わざるを得ない。

 しかし、スノウはすぐに口を開いた。


「別に構わない。あとでしっかりとした予定を教えてくれるなら」

「ほんと?」

「特に予定も入ってないからね。せっかく誘ってもらっているわけだし」

「ありがと。じゃあ、約束ね。詳しいことはまた……くしゅん」


 見た目どおりの可愛らしいくしゃみ。口を抑えて雪は照れたように笑う。


「この時間だとまだ少し涼しいんだね」

「コテージの中に入っていた方がいいんじゃないかな。僕はこれからランニングするから、先に戻ってて」

「うん。ごめんね、邪魔しちゃって」

「別にいいよ」

「…………じゃあ、また後で」


 雪が肩をさすりながら別荘へ戻っていく。

 その後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから、スノウは準備運動を―――特に脚部を念入りに―――始めた。

                                  (続く)

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