あなたの部屋

あなたの部屋にもう一度来ることがあるなんて思ってなかったな。

深夜の喫茶店で話し合って、別れることにして、そのままさよならしたもんね。

部屋に置かせてもらってたパジャマも化粧水も、捨ててねってお願いして。

それきり。

あれからもう何年も経つなんて、信じられない。


この部屋は、何も変わらないね。

私ね、あなたの部屋が好きだった。

なんていうのかな、ここにはあなたの全てが詰まっているって思ってたの。

今となってはコロナのせいで私も在宅だけど、当時は”仕事”という私は会社にあって、自分の部屋にはなかった。

だけどあなたの場合は自営業だから、この部屋にはオフィスチェアがあってモニターがあって、マウスも電卓もある。

隣にはかなり本格的なトレーニングマシンがあるからちょっとしたジムみたいだし、キッチンにはウイスキーやリキュールの瓶、あとシェイカーもあってバー状態だし。

あなたの興味が反映された本棚があって、ギターがあって、勉強道具があって。

仕事も、ジムも、趣味も、勉強も、食事も、あなたを構成する要素が全部ある。

きちんと、ちゃんと、大好きだったあなたのカケラが全部詰まっていて、ここがあなたの余すところなく全てなんだなって感じがした。


だから私があげたお財布やコースターがこの部屋に置かれているのを見ると、すごく安心した。

私も、あなたを構成する一部になれる気がしたから。


譲るって言ってくれた棚、これだよね。

シャンパングラス、一緒に集めたね。もう割れちゃったのもあるでしょう。

もうどれがあなたの誕生日に贈ったグラスか忘れちゃった。


故郷に戻るって聞いたときは驚いた。

生まれた土地で、あなたをずっと待っていた幼馴染の女の子と結婚するなんて、そんなベタな話もあるんだね。まるで映画の様。


故郷は海も森も近くて、緩やかに時間が過ぎていくのがいいって、言ってたよね。

東京の夜は長くて、今晩の延長線上に気づいたら翌朝があって、終わらない1日をずっと走り続けなければいけないみたいだ、って言っていたのを覚えてる。


この部屋でしたこと、東京であったこと、全て置いていくんだね。

東京のあなたは、私だけが覚えておくね。



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