パパの写真とわたしのファウスト
天霧朱雀
第1話 ゆきとカメラ
雪が降り積もる。
白い欠片がぱらぱらふわふわ。白い冬の妖精たちが真っ白い丘をスケートのように滑っていく。
目が覚めると、寝ぼけたわたしでもはっきりと景色が変わっていることに気がついた。窓に手を当ててもっとその景色が見たいとはりついた。湿った手に感じる冷たい窓ガラスの温度。二つの目でしっかりとその景色をながめる。
「ファウスト、綺麗な世界よ」
窓ガラスには私の息で白い雲がかかった。
「そうだね。僕のご主人様、マリィ嬢」
黒いドールウサギがわたしに返事をする。ファウストは涼やかに答えるから、つい「ファウストは雪を見たことあるの」とむくれてしまった。
「僕は見たことあるよ。前のご主人様は、雪国に住んでいたから」
「わたしは写真でしか見たことないのに」
窓ガラスから手をはなし、ファウストを持ち上げた。両腕に抱えて、また白い世界に目を向ける。ふかふかの雪はずいぶんと静かだから、部屋の暖炉のパチパチと薪が燃える音しか聞こえない。
ファウストをもったまま左手を上げて窓ガラスの錠を外した。きんきんに冷えた銀色の錠は窓ガラスと比べ物にならないくらい冷たかった。ぱたんと窓が開くと、ひゅるりと雪の子が部屋に入り込んだ。
「さむい」
ファウストはぽつりと呟く。わたしは毛布のようなふわふわにおおわれたファウストが寒いなんておかしいな、って笑ってしまった。するとファウストはツンっとした顔で「寒いものは寒いんだよ」って言った。わたしはファウストをぎゅっと抱いて窓の外の白い欠片に手を伸ばす。わたしの手の温度で白い欠片はあっという間にしずくに変わってしまった。ふわふわには触れられなくて、わたしは手を伸ばす。けれど全部、触れるとすぐに形を失ってしまう。
「ファウスト、どうして溶けて消えてしまうの」
「これは水の結晶だからだよ」
ファウストは難しい言葉をよく使う。時々使う難しい言葉がわからずに、わたしは首をかしげてオウムのように繰り返す。
「けっしょう?」
不思議な言葉だと思うと、ファウストは「ふむ」と声をあげる。きっとわたしにも分かりやすい説明を考えているだろう。
「氷だよ。雨が氷になったものだと思っていいよ」
「氷が降ってくるのね」
「そうだよ」
ぽろぽろと零れた雪が、わたしに触れると雨になる。だんだん手には水滴が集まり、小さな水たまりになった。わたしは手をぱたぱたと振って水滴を飛ばした。手を引っ込めようとしたら、冷たい北風がひゅるりとわたしをなでて通り過ぎる。
「さむいからもう閉めよ」
「わかった」
ファウストの言うとおりに窓ガラスを閉め、錠をかけた。初めて触った雪は冷たくすぐ溶けて消えるものだと知った。そして写真で見る白い世界よりもずっとずっと綺麗なものだとも知った。
ファウストを抱えたままベッドから降りて古い本棚へ向かった。赤い背表紙のくたびれたアルバムを引っ張り出して床に広げた。オレンジと緑色の規則正しい柄のカーペットに、アルバムを広げ、写真だけの世界が広がる。その中にある今も降り続ける冷たい欠片で埋め尽くされた草原と古い風車の写真に目をとめる。小さく映った人影とちらつく氷のかたまり。この国に来る前に写真を見たとき、人影は赤いポンチョを着た若い頃のママだとファウストから聞いた。
「これが冬なのね」
わたしはアルバムから顔を上げて窓の外を見た。しんしんと降り続ける雪が私の世界を染めていく。淡い太陽から降り注ぐ光とわたあめ見たいな欠片が茶色い地面へ敷き詰められる。
「どうしてマリィは父さんの世界を追っているの」
ファウストはぽつりと呟いた。
「パパが好きだから」
振り返ってファウストを見ると、アルバムも視界に入る。アルバムは世界を教えてくれるけど、パパまでは教えてくれなかった。わたしはパパに会いたかった。
「ママはね、口ではパパのことをもう知らないって言ってるんだけど、私は違うと思うの」
わたしはぽつりアルバムをめくりながらつぶやく。ファウストはボタンの真っ黒い目をわたしに向けて、首をかしげた。それから「なぜ」と問う。わたしはアルバムをパタンと閉じた。
「だって、いまでもママはアルバムを大事に大事にしている。本当に嫌いだったらもうアルバムなんて無いよ」
「そうだね」
「だからわたしはいつかパパもママも居る世界をアルバムに綴じる。それが夢よ」
夢は叶うことがないってママがいつも言うけれど、それは叶えるように行動していないからだと思う。わたしはママのことも好きだけど、ママが夢を持たないところは好きではなかった。
「……じゃあ、夢はいつ叶えるの?」
わたしの時が止まった。雪がしんしんと降り続ける。暖炉のパチパチという音と、ファウストの声が冷たい床に落ちていく。そんな中、強い風が窓を叩いた。
「夢は叶えなきゃ意味がないよ」
黒い目がわたしを見つめる。これじゃあわたしもママと同じ。ファウストもそう思っている気がした。
「わたし」
言いかけてやめた言葉。どうしても喉の奥がつっかえて話すことができない。するとファウストはわたしの声よりずっとはっきりと言い放った。
「ねぇ、マリィ。僕と一緒に世界を作ろう」
鍵のかかっていたはずの窓がバタンと勢いよく開いた。ぼたんの花のような大きな雪がふわふわと入り部屋の暖かい温度で溶けて、キラキラのしずくになって消えてしまった。
「パパとママの居る世界を」
わたしの青い目にはファウストはどう映ってる? それだけ気になったけど黙ってわたしは頷いた。部屋の隅にある大きな鏡が太陽のように光る。ファウストとアルバムを抱えて鏡を見ていると、強い風が吹き付けて姿見の中に吸い込まれた。
(続く)
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