第128話 ヨドス

 大した時間もかからずに、バロシャムやラシュティエの近代的な都市を見た後では、街と呼ぶのもためらわれるヨドスの港町が見えて来た。

 砂の国に侵攻した大国連合の軍隊が上陸した港。小さな漁港であっても例外はなく、強襲揚陸艦から重火器が下ろされたと一目でわかる亀裂が岸壁のコンクリートに刻まれている。その周囲を囲むように張られたロープに、改修される予定もなく色褪せた立ち入り禁止を促す張り紙が揺れていた。


「あのひび割れは直せるのか?」


 顎に手を当ててしばらく考えてからマスウードは答える。


「支えきれない重量がかかって基礎から割れてしまっているからな、直すとなると、桟橋を作り岸壁を張り出させるべきだな。そのほうが水深も稼げる」


 アリードが単に港に刻まれた傷跡を消したいわけではなく、これからの港に何が必要なのかという疑問に先回りして答えてくれていた。

 多くの港が整備され、ラシュティエなどからやってくる船が増えれば、航路の安全を確保するために巡視船のルートも出来上がり、不法行為を行う船も居なくなるだろう。そうすれば、彼らが海賊を行なう理由も無くなる……。


「そうはうまく行かないだろうがな、ラシュティエの巡視船が不法投棄する船を見つけるよりも先に海賊連中と鉢合わせするのが関の山だ」


「そうだろうな……そのために、この国に立ち寄ったんだ」


 港に着くと直ぐに解放されて戸惑っていた海賊たちには構うことなく下船の準備を済ませると、見送るマスウードに「幸運を」っと挨拶を返す。わずかな間一緒に居ただけで移ってしまうその挨拶にこれまでどれほどの幸運に守られてきたのか改めて感じ入らずに居られれなかった。それも、並みの幸運ではない、奇跡と呼べる力に守られてきたことを。

 ヨドスの首相官邸は、よく言えば歴史のある古めかしい小さな建物であった。とても政府の長の住む場所とは思えなかったが、元軍事施設の事務所を使っている砂の国よりはましではあろう。

 会談で一度顔を合しただけであるが、砂の国のアリードと名乗っただけで大した時間もかからずに首相パセル・サヤールの元に通された。


「よくぞおいで下さいました。エルシャムヘイムの遺跡については聞き及んでおります……」


 派手な衣装を着こんだパセル・サヤールが、ぼそぼそと聞き取りにくい挨拶を始める。彼に一国の首相とは思えない腰の低い老人という印象を受けた。

 小さな国であるがゆえに隣りのエルシムや内陸の国と国境問題が絶えない、砂の国との間に国境紛争がないのは領有権を主張する必要のない役に立たない砂漠は砂の国という暗黙の了解が昔からあったためであるが、ヨドスがこれ以上敵を作らないための処世術であるのだろう。それでも国家として長らえているのは、小さな港しかなくとも海に面している地の利のためと言えたかもしれなかった。


「もちろん遺跡についても、貴国の意見を聞きたいが、この度はヨドス付近の海域で頻発している海賊行為について話がしたい」


「海賊には、我々も頭を悩まされておりますが、何分広い海を警備するには、大変な予算がかかるのでね」


「しかし、海から荷物が運べなくなると、貴国も物資の流通に支障が出るのではないか?」


「そうではありますが……」


 彼らとて海に面した利点を最大限に利用するため海運業を活用したいはず、小さな国とは言っても国境紛争を繰り返している陸上戦力は決して少なくはない。それをいくらかでも海賊の地上拠点の警戒に回せれば、と考えていた。


「今後ラシュティエとの取引が活発化すれば、この付近の海域に多くの船が通る事になり、海上の警戒も盛んになって、後は陸の拠点を抑えれば一網打尽に出来る」


「なるほど、そういう事でしたら、是非とも協力したい」


「本当か!」


「是非とも、海上の警備も陸上の拠点を潰すのも、大国連合を追い返した砂の国の軍事力ならば容易いでしょう。我が国もベースキャンプの提供など、大いに協力しますので」


「あっ、いや……」


(謀られた。)


 目の前にいるのは、長年隣国と国境をせめぎ合った一国の首相だ。決して気弱な老人などではない。彼の印象に強引に話を推し進めようとしたアリードの足元をすくわれた格好になった。

 大国連合を押し返した砂の国の未知な軍事力を小国は当てにしている。それを自国内に引き込めれば、周りの国との国境のせめぎ合いに大きな影響を与えられるだろう。だが、実際は他国に派遣する軍事力などアリードの手元には無い。しかし、この場でそんな物はないとなど言える訳がなかった。


「ああ……それは……。まず、イズラヘイムとエルシャム遺跡について話し合って……、それから、ラシュティエとの会談を……」


「ふむふむ、なるほど。我が国としてはいつでもよろしいですよ」


「はい、ではまた、……追って連絡いたします」


 アリードは歯切れの悪い言葉を残して、パセル・サヤールの前から早々に引き下がった。

 友好的な態度を崩さぬまま、簡単にあしらわれてしまった。小国の首相が相手だと油断があったのだろうか? いや、単に自分の実力不足であろうとアリードは反省せなばならなかった。

 相手を利用する事もされる事も知り尽くしている、そういう相手と交渉しているのだと、あらためて思い知らされていた。

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