第111話 ジャハンナの刺客 2

 驚いて後ろに隠れようとするアスラマの頭の上から上着をかけてやると、ゆっくりと階段を下り始めた。

 一列に並んでいる兵士たちは、獣のようなそぶりは微塵もなく、腕や腹を摩っている者もいたが、人間らしく整然と並んでいる。それに彼らを取り囲んだ警備兵の中に来夏の姿もあった。


「ありがとう、ラーイカ。本当に助かったよ」


「どういたしまして」


 繰り返し礼を言うアリードに、来夏は照れくさそうに微笑み返した。


「これで、操られていた者は、全員か?」


「ううん、一人逃がしちゃった」


  並んだ兵士たちに目を走らすが、一人づつ顔を確かめるまでもなく、ローブを着ていた男がいない。怪しげな術を操り、今回の襲撃の首謀者と思われる、日永律瞬と名乗った男。


(来夏にも手に余る相手だったのか?……)


 いや、彼女は、逃げ出す蛇を捕まえたりはしない。背を向けて逃げ出した相手を追いかける必要はないと判断したのだろうか。どちらにしても、アリードは、その結果を受け入れるだけであった。


(襲撃者が、バロシャムでもイズラヘイムの者でもなかったと分かっただけ良しとするか)


 依然目的も正体も分からぬ相手だが、そこかしこに敵が潜んでいると思うよりは、幾分気が楽になった。


「一人づつ話を聞きたい。向こうの部屋で待たせてくれ」


 警備兵にイズラヘイムの兵士たちの処遇を指示すると、ソファーに腰を掛けているワフシヤの元へと向かった。彼女の座っている椅子の背もたれに隠れる様に、上着を頭からかぶったアスラマが身をかがめていた。


「怪我はどんな具合だ?」


「うん、少しひねっただけ」


「そうか。……あの日永と名乗った男に心当たりはあるか?」


「いえ……、あの男も、あんな術も、見たことも聞いたこともないわ」


 大方予想通りの答えだった。

 アリードにとっても、日永の口にした日本という国は、大国連合の一つではあったが、正確な場所さえよく知らないほど遠い国でしかなく、バロシャムが交流を持っているという話も聞いたことが無かった。


(だが、時にジャハンナとも呼ばれる国……。エルシャムヘイムの遺跡に興味を持っているのか?)


 砂の国の動向に興味を抱くとは思えない縁遠い国が動き出した理由を他に思いつきもしなかった。しかし、そうなると、彼女たちは巻き込まれただけ。アリードは自分の警戒の甘さが、彼女に怪我をさせたのだと申し訳なさそうな視線を向けた。


「……すまなかったな。一階の部屋を使ってくれ、警備もちゃんと付ける」


「…………ありがとう」


 ワフシヤの肩口から聞こえた声に少し驚いたが、それは彼の上着を被って背もたれの向こう側から覗いていたアスラマの声だった。


「ああ、礼ならラーイカに言ってくれ。俺は何もしていないしな」


 アリードは少し後ろに立つ来夏を指し示した。


「アリード、私はそろそろ戻るわ」


「そうか、急に呼び立てて悪かったな、ラーイカ」


「ううん、いいのよ。それじゃあ、おやすみなさい」


「ありがとう、助かったよ……」


 軽く手を上げて来夏を見送ろうとしていると、ワフシヤに名を呼ばれて彼女の方へと振り返った。


「ん? どうした?」


「……アリード?……誰と、話しているの?……」


 彼女の怪訝そうな言葉の意味を理解するのに時間がかかった。


「え? 誰って……」


 困惑しながら振り返ったホールには、誰の姿も見当たらなかった。

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