第103話 死を運ぶ怪物 1

 夜半遅くアリードは、トラックが壁にぶち当たったような大きな物音にたたき起こされた。


「何事だ!」


 部屋を飛び出したが、当直の兵士も突然の事に面食らったかのように事態を把握できている者はいなかったが、その音は確かにワフシヤたちを軟禁している建物の方から聞こえていた。


(まさか、彼女たちが?)


「ついて来い!」


 護衛の兵士に声を掛けると、アリードは警戒杖を持って走り出した。

 もしワフシヤが逃走するために、骸骨の兵士を操っているのだとしたら、銃より殴り倒せる棒の方が役には立つ。だが、駆けつけるとそれがすぐに誤りであると気が付いた。

 まだ噴煙のたちこめる崩れた壁は、外側から内側に向かって破片が飛び散っている。そもそも逃げるためなら大きな物音を立てること自体おかしい。


(誰かが彼女たちを狙って仕掛けて来たのか?)


 敵に捕らわれた者の口封じをする事も十分に考えられる。彼女たちの警戒を怠った自分の落ち度を責めるかのように、アリードは瓦礫を飛び越えて建物の中へと駆け込んで行った。


「何だこいつはっ!」


 廊下を走り出そうとしたアリードは、目の前にいたそれに思わず声を上げた。

 骨ではあったが、見上げるほど巨大なその骨格は、足の数もおかしく、背中には羽のような突起まで付いている。でたらめに組み上げた骨格標本が動き出したかのようであった。

 アリードの声に反応して、直ぐに長い尾が鞭のように襲い掛かる。


(こいつは……骨、という事は、彼女たちが呼び寄せたのか?)


 そうではなかった。

 身を捩って素早く振るわれる尾をかわしながら、骨の怪物が頭を向けている方を見ると、そこにはローブを着た彼女たちが倒れている。


(あれはっ!……まだだ……間に合え!)


 アリードは横に薙ぎ払われた尾を身をかがめてかわすと、そのまま一気に前へと走り込み警戒杖を支えに骨の怪物を跳び越えた。


「無事か、ワフシヤ?」


 ローブの女性を助け起こそうと手を伸ばすと、それは少し小柄な方のアスラマであるようであったが、倒れていた彼女は、仰向けに寝たままの姿勢で素早く下がりつつ大声で叫んだ。


「触るな! 死の穢れを纏いし化物め!」


「いや、化物はこっちだろう……」


 背後を指差して骨の怪物に振り返ろうとした時、その長い首の先に付いた頭が彼の直ぐ側まで迫っていた。

 後ろに引いた足に体重を乗せ、上半身を回転させて振り向きざまに警戒杖で殴りつけるが、岩の塊を殴りつけたかのような手ごたえが警戒杖をつたってくる。

 ゴルドニップで戦った骸骨の兵士とは比べ物にならない頑強さだった。

 態勢を整える間も無く、殴りつけた杖ごと押し返され、アリードは背中から壁に叩きつけられた。


「くっ……」


 手に持った警戒杖を杖に体を起こそうとするアリードには目もくれず、骨の怪物は仰向けのまま下がろうとするアスラマの方へと首を伸ばしていた。


「この、やろー!」


 アリードは体の痛みを確認する暇もなく、骨の怪物の前に飛び出すと、両手で握った警戒杖で顎を下から突き上げる。

 空から降って来る大木を棒で受け止めたような感触であったが、骨の頭が跳ねあがる。しかし、直ぐに口を開けて振り下ろされ、アリードは寸前の所で、食いつこうとする咢を横にした警戒杖で受け止めねばならなかった。


「今のうちに、早く、早く逃げろ!」


 後ろのアスラマに声を掛けたが、踏ん張る足をずるずると押し返される彼自身どれくらい時間を稼げるのか分からなかった。しかし、骨の怪物の巨体を取り回すには狭すぎる廊下と、長い首のおかげで複数ある足も彼には届かない。

 この頭をどうにかすればと思った瞬間、アリードの体は宙に浮かんで床に叩きつけられた。

 骨の怪物は口に差し込まれた棒を咥えたまま、大きく首をしならせたのだ。警戒杖を握りしめていたアリードはうつぶせに床に倒され、そこに骨の鋭い歯の並んだ咢が襲い掛かる。

 だが、アリードの頭をかみ砕こうとする骨の怪物は、倒れた獲物のどこから食いつこうか考えあぐねているかのように、あごの骨を細かく鳴らしながら動きを止めていた。


「急いで! あまり持たないわ」


 ワフシヤの声が響く。彼女は目の模様の描かれた右手の手のひらを骨の怪物に向け、手首を左手で支えていた。


「おう! 助かった」


 アリードは両手を床について跳ね起きると、怪物に背を向けて走り出したが、廊下は少し先で行き止まりになっている、これ以上逃げる事も出来ない。しかし、考えるより早くアリードは手のひらを差し向けているワフシヤの体をタックルするように肩で抱え上げると、頑丈な扉のついた部屋へ飛び込んだ。


「奥に下がれ!」


 扉を閉めると、脇にあった家具を倒して入り口を補強するが、その様な物は、怪物の前では無意味だった。

 バンッと軽い音を立てて、破片がアリードに降りかかる。扉ではなく壁に穴をあけて、骨の怪物の頭が入って来たのだ。

 長い首をしならせ襲い掛かる顎から床を転がって身をかわし、部屋の奥のワフシヤたちの前に立つと警戒杖を構えた。

 流石の怪物も壁に開いた穴からでは部屋の奥までは届かないようで、歯を鳴らしながら宙を噛むように首を振っている。だが、さらに壁を壊し入って来るのも時間の問題だった。


「あれは何だ? どうやって動いている?」


「わからない……。でも、動かしているのは私よりずっと強い力を持つもの……シャムよ!」


「シャム? あれは、骨なんて使わないぞ?」


「それでは、何だというのよ!」


「この化物め! お前のせいだ、お前が呼び出したんだ!」


 黙って後ろに居たアスラマが、ナイフを構えてアリードに向かって叫んだ。


「いや、待て、俺のせいじゃないぞ……。まぁ、いいか、とりあえず、あの怪物に心当たりはないんだな? バロシャムの他の仲間が操っている訳ではないんだな?」


「それなら、どうして私達を襲うのよ」


「……そうだな」


(捕まった者には死を、何て掟がある組織ってわけでもなさそうだが……あれをどうやって倒すかだな)


 殴り倒すには頑強すぎる相手に、アリードは銃を持ってこなかったことを後悔していたが、銃があってもどれだけ撃てば倒せるのか見当もつかなかった。


(骨の兵士の時のように、操っている者を見つければ……)


 しかし、部屋に追い詰められた今となっては、それも不可能だった。壁をぶち破り入って来るであろう骨の怪物と、逃げ場の無い部屋の中で戦うしかない。そう、覚悟を決めて、警戒杖をしっかりと握り直し身構えた。

 だが突然、振り回されていた骨の首が壁の穴へずるずると引っ込んでいく。

 勢いをつけて壁を壊す気かと思った瞬間、廊下からガラスをシュレッダーに無理やり押し込んだような嫌な音が響き、棒を捨て両手で耳を塞ぎたい気持ちを堪えねばならなかったが、僅かな時間で、その音は鳴りやむと辺りを静寂が支配する。

 壁一枚隔てた向こう側で一体何が起こっているのか、知らぬ間に手のひらに汗が滲み出て来る。


「ひぃ!」


 緊張の張りつめた静寂を破って、ワフシアの引きつった悲鳴が上がった。

 壁にぽっかりと開いた穴から、骨の代わりに血肉を備えた龍の頭が部屋の中へと入って来たのだ。


「クアトリム! お前か?……助かった」


「アリード……」


「どうした? 骨の怪物を倒してくれたんだろ?」


「……うん? ああ、あれなら砕いておいたが……」


「ワフシヤ、大丈夫だ、こいつは味方なんだ」


「よっ寄るな……」


 初めて龍を目にした彼女たちの怯え方は尋常な物ではなかった。

 骨の怪物を目の前にしてさえ、恐怖に震える事が無かった彼女たちが、互いに身を寄せ合い、龍に親し気に話しかけるアリードに、どう接していいのか分からぬような畏怖の目を向けていた。


「こいつは、そんな危ない奴では無いんだ……、大人しく……はないが、とりあえず、いい奴だから……」


「アリード……」


「ちょっと待て、今、お前の説明しないと……」


「アリード……」


「何だよもう!」


「アリード、抜けなくなった……」

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