第87話 繋いだ手と、手に、

 会談が行われる事となったイェシャリルの街では、お祭り騒ぎのような賑わいを見せていた。

 イズラヘイムとの小さな和平会談のはずが、急遽ラドロクアが参加を表明し、それに続くように東の小国、大国連合軍の侵攻ルート上にあったヨドス、エルシム、そして、東の海域で海運業を牛耳るラシュティエが、加わった事で、いっそう華やかさを増したのだった。

 大国連合の大部隊を目の当たりにした国々は、砂の国の存在を無視できなかったし、大国連合とも多くの取引をしているラシュティエにとっても、砂の国の地理的位置は大きな魅力であった。

 海路で多くの荷物を運んだとしても、乾いた大地の大陸の国々へ運ぶには、高い通行税を払ってバロシャムを通るか、小国をいくつも経由せねばならなかったが、|砂の国(キスナ)を自由に通行できるようになれば、更なる利益が見込める。

 利益に目ざとい彼らは、いち早く接近を試みたのであった。

 それは、アリードにとっても願っても無い事だった。

 商品の流通により商売の懸け橋となる、それは、人々が交流する懸け橋となれる。

 それが、彼の描いた|砂の国(キスナ)の姿だった。

 その未来を予感させるように、通りを多くの人々が忙しそうに走る姿を目で追うと、その先では、大きな荷物を運ぶ車が狭い通りに入ろうと四苦八苦している。

 早く進めだの、向こうから回れだの、大きな声が飛び交っていたが、どの声にもはつらつとした、生命力に満ちあふれた力強さが感じられた。

 人ごみの中を、草原を散歩するようにふわふわと歩いていた来夏だったが、急に後ろから抱きしめられた。


「ラエル! 無事だったのね!」


「イシェラル……」


 来夏より頭一つ分高いイシャラルの美しくしなやかな手に、小さな手を重ねた。


「ごめんごめん、こんな所で、出会えるなんて思ってなかったから、いきなり抱きついちゃって」


 自分の硬く引き締まった手と来夏の手の柔らかさに、驚いたかのように手を離したが、いつもの彼女らしく、早口でまくし立てる。


「何処に行っていたのよ、心配したんだから、あれから、軍隊が撤退したと思ったら、避難しろって言われるし。おじさんなんて、慌てて店の荷物を全部運びだす用意を終えたら、今度はこのお祭り騒ぎでしょ? 大慌てて、売り物を並べ直して、大騒ぎだったのよ」


 返事をする暇が無いほど話し続ける、変わらぬ彼女の姿に、ほっと胸を撫で下ろしていた。


「ほんとにもう、心配したんだから……、あっいけない、これを急いで届けないとっ。今は、行かなきゃだけど、後で時間があったら、家によってね! いい、必ずよ!」


「はい、きっと……」


 手を振りながら人込みを掻き分けて行くイシェラルに、来夏は手を振り返した。

 厳しく照りつける夏の太陽の下でも、この国の人々は力強く生きていける。

 どんな困難に出会っても、止まらずに歩いて生きるのは、何事にも、ひたむきに、全力で生きて来たからだと、派手な衣装をまとった老人達に囲まれた、アリードの姿を見ていた。

 各国の首脳たちと並ぶと、みすぼらしいとさえいえる格好のアリードだが、その笑顔はどんな装飾よりも輝いていた。

 それが、力強く生き抜いて来た命の輝きなのか……。


「手を取り合うと言っても、我々には二つしか手はないがな」


 報道陣を前に手を取り合ったポーズを取ろうという提案に、老人の一人が答えた。

 一度の会談、一つの条約を結んだところで、民族の軋轢が消えてなくなる訳ではない。これから続く長く険しい道のりの小さな一歩に過ぎないのだ。

 だが、足を踏み出せたのだ。

 アリードは、手のひらを上に向けて、手を差し出した。

 その上にしわの多い手が重ねられていく。そして、最後に、もう片方の手を重ねて、しっかりと彼らの手を握りしめた。

 それが彼の答えだった。


「こうすれば、何人とだって手を繋げる」


 数百ある国の中の僅か五か国でしかなかったが、それは、彼自身の手で繋いだ絆だった。


(謀略など、必要なかったかもしれんな……、王道の前では、時代錯誤の代物だったな……)


 メルトロウは、小さな少年であったはずの彼の背中が、とても大きく感じられて、目を離すことが出来なかった。知らなければ恥ずかしいと思う事を人は常識と名付けた。既に、彼は、英雄であったのだと、恥じ入るばかりであった。そこには、自分の役目が終わったと言わんばかりの感慨めいた色合いが含まれていた。

 ゆっくりと、背けるように目を閉じた彼の耳に、ふわりと届いたのは来夏の声だった。


「先生、私は誰も失うつもりはありません。……先生には、これから先もずっと、子供たちが大きくなって、そのまた子供たちが大きくなっても、ずっとずっと、先生でいて貰わないと…………」


「それは、流石に、無理と言うもの……」


 零れる笑いと共に呟いたメルトロウだったが、手を振る子供たちの元へ向かう来夏の背中に向けた顔には、凍り付いた面のような無表情が張り付いていた。


(彼女には、その様な事でも可能であるというのか?……)


 だが、その答えはどこにもなかった。

 奇跡に対する答など、無いのだから……。

 彼は、静かに目を閉じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る