第86話 死に場所 2
用意していた車に乗り込み、夜陰に紛れて出発したメルトロウたちは、街の中心部を目指していた。
軍は、国境へ向かう車両の追跡や、貧民層エリアの封じ込めに力を注いでおり、貧民層の地域から富裕層の地域への出入りは、厳重に警戒されていたが、富裕層エリアから街の中心部へ向かうには、検問さえ無く、誰にも邪魔されずに進むことが出来る。
重要な施設には十分な警備が敷かれていたが、テロへの警戒であって、正面から堂々と高級車で乗り付ける相手には無警戒であった。それに、申し分のない通行許可証もある。メルトロウは、真直ぐに目的の建物へと入って行った。イズラヘイム首相官邸に。
「なっ、貴様は……」
カラル・ミシャドーラ大臣から火急の要件で面会を求められ、応接室に現れたザエル・ミャムゼイド首相は、ソファーに腰を掛けて待ち構えた人物が、国中を騒がせている張本人だと気づくと、息を詰まらせた。
「ミャムゼイド首相、どうぞ、お掛け下さい」
メルトロウは、まるで自分が招いたかのように椅子をすすめた。
警備兵を呼び、直ぐにでも捕らえてしまおうかと考えているかのように、メルトロウを睨み付けたが、同じ部屋に入った時点で、主導権は彼にあった。しかし、この館の中にいる限り、手中から逃す事は無い、その自信からミャムゼイド首相は、臆した様子を微塵も見せずに、堂々とした威厳を備えて彼の前に腰を下ろす。長年、国の内外の政治家と渡り合ってきたこの男に生半可な駆け引きは通用しないであろうと、思われる態度だった。
「それで、何をしに来た?」
落ち着いた低い声が部屋に響く。
「もちろん、報酬をいただきにまいりました」
ミャムゼイドは目を細めたが、何も答えずに右手を上げて、警備兵を呼び込む合図を送ろうとした。
ただの狂人ならば、茶番に付き合う理由など無いと、言わんばかりに。
「閣下、私めは、閣下の御ために、各勢力の弱体化に勤めましたが、報酬の代わりに銃弾で口を封じるというのであれば、致し方ありません」
ミャムゼイドは上げかけた手を動かせなかった。
一切尻尾を掴ませなかったメルトロウが、自分から出向いて無抵抗で捕まると言っているのだ。それがどの様な意味を持つのか、ここで彼を捕らえてしまえば、どんな言い訳も通用しなくなると、気付かされた。しかし、彼の持っていた通行許可書は、ミシャドーラの物、あの男が一枚かんでいるとなると、このまま帰すわけにもいかなかった。
「あれをどうした?……」
拳を血管が浮き出るほど握りしめながらも、静かな声で問うた。
それはメルトロウの持ち込んだ生物兵器、彼が無抵抗で捕まるというならば、既に彼自身が手を下さなくても問題ない準備が整っているという事だ。
イズラヘイムの国民すべてを人質に取ったも同じ、その上で、メルトロウは何を要求するのか。だが、彼の答えは意外な物だった。
「これですかな?」
懐から手のひらに収まる程度の金属の缶を取り出した。
グラスを置くようにテーブルの上に置くと、丁寧にまかれた紙の帯の蝋封を指ではじいた。
蝋がテーブルの上に落ちると同時に、ガシャリと音を立てて、缶はつぼみが開くように、金属の花を咲かせた。
咄嗟に、両手で口抑えて仰け反ったミャムゼイドだったが、見開かれた目にじわじわと怒りが浮かび始める。
「中身をどこへやったんだ」
「はて? 何の事ですかな。始めから中身など在りませぬが。そもそも、そんな物が国内に持ち込まれた時点で、もう手の施しようがないのです。人口の密集したこの国では、どこで、誰に、どの様な形で、使われたとしても、食い止める手立てはなく……」
ミャムゼイドの顔が見る見る赤くなっていく。
謀られたのだ。
いや、イズラヘイムの全ての人間を謀り、それをわざわざ、笑いに来たのだ。
選民思想に偏った、ミューヒ族の優秀さを謳(うた)うイズラヘイムのトップには耐えがたい屈辱である。逆上しその場で撃ち殺されても仕方がなかったが、それこそがメルトロウの狙いだった。
(謀略により、手のひらの上で転がした心算の、薄ら笑いを向けた相手に、撃ち殺される。これ以上に相応しい、死に場所はないな……)
この国の権力者の前に姿を現して、残して行った足取りが、この部屋に転がる物言わぬ死体に繋がった時、決して消せぬ疑念となる。
自分以外の誰かが、後ろで糸を引いているが、その糸に絡め捕られた自分も身動きが出来ないのだと知るであろう。
それはイズラヘイムだけに収まらず、砂の国や大国連合にも及ぶ。
何者かが、メルトロウを使い、アルシャザードを倒した。
真相や目的を示さぬまま、彼が死体となれば、疑惑だけが残る。
その疑惑が、大国連合の足掛かりとなるイズラヘイムに向けられるなら、砂の国を無為に解体することは出来ないだろう。それは、大国連合主導の元であっても、砂の国の独立した政府が作られ、乾いた大地の大陸の非武装、中立地帯として、残ることを意味する。
「……私でなくとも、誰にでも、いつでも、実に、簡単に――」
ミャムゼイドの感情を逆なでするように、淡々と饒舌に話すメルトロウの言葉が急に遮られた。
怒りに任せて止められたのではない。
その逆、拳を振り上げようと、掴みかかろうと立ち上がったはずのミャムゼイドがドカッと、力が抜けたようにソファーに、腰を下ろしたのだった。
予想外の反応にもメルトロウは、何の感情も浮かべない表情のまま、立てこもり犯が観念した時のような、受け入れるしかない現実を前にして前に進む事を諦めたような、ミャムゼイドをつぶさに観察していた。
(この男を、侮っていたのか?……)
メルトロウの脳裏に疑念が浮かぶ。
この状況で、誰も得をしない真実のために、自らを犠牲にするというのか?
だが、そうではない。
彼が侮っていたのは、彼ではない。彼だ。
理想という我儘を押し通すしか出来ない、守られるべき少年であったはずの彼だ。
「先生、お迎えに上がりました」
肩越しに振り返ると、来夏が小さく頭を下げた。
昼食の用意が出来たと伝えに来る時と、何も変わらぬ彼女の側から、アリードが前に進み出て来る。
「どうして、ここに?……」
メルトロウの言葉に、彼は、唇を結んだまま頷く。そして、テーブルに両手をつくと、ミャムゼイドに頭を下げた。
「ザエル・ミャムゼイド首相。頼む! |砂の国(キスナ)にイズラヘイムと、話し合う機会をください」
「何のために?」
「俺は……、俺の愛した人は、ミューヒ族だった。だが、死んでしまった……。俺は、この国の人たちと、ミューヒ族も、アセーム族も、関係なく皆で手を取り合って生きていきたい。大国連合とも、世界中の人々と、手を取り合って生きていきたい。誰も、俺のように、愛する人を失くさないために、力を貸してくれ、……貸してください」
テーブルに額を押し付けたアリードに向けられた、ミャムゼイドの目は、老獪な政治家のものでも、冷淡な策謀家のものでもなかった。
(この少年は、そんな事のために、アルシャザードを倒し、大国連合に立ち向かって世界を敵に回したのか?……)
(愚かな……若すぎる、いや、幼すぎる、浅はかさ…………)
悲し気とも取れる目を向けたまま、長い沈黙を破って、
「よかろう。私が出向く」
ミャムゼイドは短く答えた。
(……だが、私とて、胸の内で燃え上がる想いに突き動かされて、歩き出したのではないのか?……)
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